目覚めよ!

文明批判と心の探求と

バカに付ける薬はカントだ


バカ現代人は毎日こうしてあーしてどうしてと、兎に角欲望の構築に勤しみ過去を顧みることをしない。

即ち民主主義だ、グローバル金融経済だ、淫行だ不倫だともう兎に角節操なく日々をドロドロにしつつ突き進んで居ります。


つひ先日も私と同い年の小室某が不倫をしたとのカドで引退したそうですがたとえ引退したにせよ其の不倫の罪が消え去る筈も御座いません。

ですから不倫だなんてそんな悪いことしちゃいけませんと先生は何度も言っていた筈でしょう。

何で分からないのでしょう、また先生に諭されたことを何も覚えては居ないのでしょう、此の悪い子ちゃん達は。



悪い子ばかりの現代人には是非お灸をすゑて置く必要がありましょう。

君等バカの巣窟に住まう者、色情狂でおまけに垂れ流し?の精神の破壊者共。

宇宙の理法に背き地球を壊し宇宙をレイプし物質界と精神界の両方で悪態の限りを尽くす悪い子ちゃん達の群れ。



其れがすでに七十億にもなって居りまして空恐ろしいことこの上ない。

よりによって何でこんなに増えたのだ、猫や犬でもまさか此処までは増えぬ。

うーむ、まさに驚愕の子宮力でもって人類は百億人を目指し突き進んで居りまする。


お灸即ち叱られると云う事、コレが何より必要なのです。

事実もはや誰も叱っては呉れません。

すでに宗教が、そして教育が壊れかかって居ります。

そればかりか男女の区別でさえもが崩壊しかかって居ります。



合理化されし社会の、そして肉体と精神の双領域でつまるところは考えられるありとあらゆる領域で人間の合理的繁栄が計られて居るのです。

然し本来ならば其処に宇宙の理法による抑制が働くべきでした。



たとへばかのカントは自由意志の選択としての理性による道徳的規定を人間にとっての絶対的な命題とみなしたのでした。カント・哲学早わかり


ゆえにカントによる道徳律の規定はあくまで自由意志によるものなのです。


つまるところ人間が自由な意志の所産としてあくまで道徳的=理性的選択を行うと云う事です。



では何故そんなあえて自らを縛るような行為が必要となるのか?

おそらく人間がそのままでは性悪な何者かであり此の理性的自由を選ばぬ限り全てが欲望に基づいた世界を築き上げるほかないからでしょう。

ようするに自分のやりたいことばかりして全てが滅茶苦茶になり滅ぶ、と云う事にしかならないのだ。



其の様やまさに何でもありでまるで欲望の坩堝、つまりは画面上欲の出し放題見放題やり放題垂れ流し放題。

こんな奴等を、犯罪者共を野放しにしておくこと自体がクソ真面目なかのカントにとっては我慢のならぬことだったのではなかろうか。



事実同じやうにクソ真面目で実に知的即ち理知的なわたくしも全くそんな風に思われてならぬ。

ただし其の理性と云うのはあくまで近代的自我即ち分解されし理智であり知恵である。

前近代的智慧に対してはそうだと云う事です。



ですがカントの考えは理性として時代に対抗するが為の最終命題だったのでしょう。

なんとなれば理性は自己規定を行うゆえに理性たり得るものなのであり其れは本来抑制的なものである。


ところが近代は、カントの意思に反して欲望の構築の為の理性的展開を許すに至る。

と云う事は理性ー近代的理性ーもまた近代と云う矛盾領域に深く捉えられたものであった訳だ。



いえ、矛盾と云うのは、元々全てが矛盾なんです。

理性ばかりか現在と云う瞬間も人間も全てが矛盾です。

ですから生自体が矛盾であり其の生を推進する愛も矛盾であり肉体も矛盾であり精神もまた矛盾なのです。



存在すること自体が実は矛盾なんです。

より正確には生きて居ない存在と生きて居る存在とが共に矛盾そのものです。



ですので、存在はしちゃいけません。

決して存在するな。

今此処に居るな。

食うな歩くな女を見るな。

勉強もするな宝くじも買うな本も読むな。


と云った事です。



つまるところ存在すること自体が馬鹿です。

対してお利口なものは存在して居ません。

ですので物質も精神も実はバカです。


なので貴方も私もまるでバカです。



なのですが、前近代での理性には智慧が入って居たと言いますか少なくとも分解されて居ないー分解度が低いー理智の世界だったので其の危険度はまだしも低かったのです。

ところが近代以降の理性には智慧の無い分の空洞がありまして此処に欲望が嵌り込み原始的退行現象を引き起こしつひ名ばかりの理性となって仕舞うのでした。



すると利口そうなのに実は最高にバカと云う人間の本性、其の性悪のドロドロの本性が現れつまりは動植物には成し得ない酷い破壊の様を、まさに自然の蹂躙に始まりありとあらゆる淫行と不倫の限りを尽くして来たのである。

ですので近代以降の理性による合理化過程は必然として破壊を招く。



ドロドロの理性がどこまでも蔓延り元々バカな人間をさらにバカにししかも現実をドロドロと化し現在と未来を、此の大事な大事な現在と未来を悉くに、もう悉くに破壊し尽くすのであった!



おお、何と、神よ、そして佛よ。

かの有様をどうかどうか御赦しあれ。

此の極悪犯罪者共が、兎に角毎日腹一杯に食う事、そして女を欲しがる事、さらにベンツやフェラーリに乗りたがること、さらにさらに神仏を顧みず己の欲ばかりを磨き込むこと。



嗚呼、情けなや。

何故こうまでして全てを欲しがるのか。

いや、其れは欲しがらぬと直に死んで仕舞うのでな。


そうだ、藝術家や仙人は直ぐに死ぬしかないんだ。

だから下賤な欲の世界に染まらぬ限り生きて行けやしないんだ。

バカになるんだ、バカに。

むしろアホでいいんだ、アホで。

もう欲まみれ金まみれ女まみれギャンブルまみれ酒まみれクスリまみれだ。




いや、其れではいけない。

今一度、今一度だけ考え直してみよ。

まずココには理性がある。

理性とは抑制のことである。

是非其れを思い出してお呉れ。



理性には自発的な抑制力が備わる。

対して本能には抑制力が無いか欠けて居る。



否そうではない。

自然界の本能には抑制力が備わる。

其れが大いなる理性即ち宇宙の理法による抑制だ。



だから自然は壊れやしない。

自然はどこまで行っても壊れない。


でも人間は壊れる。

何故だ?



其れは理性が腐って居るからだ。


理性がボロボロになって居て腐って来て居るよ。

おまけに狭い、理性の視野が狭い狭過ぎる。




其処を見抜いたカントは「定言命法」を人間にとっての絶対的規定として据えた。

即ちカントの理性的規定とは欲の抑制の為の人間の規定です。

自然から離れ巨大化する人間に対する規定なのです。



逆に云えば自然には「定言命法」など不要です。

また自然には神仏も要らない。

何故なら彼等は常に神仏と連なって居るからです。

そう繋がって居る。



だからあえて理屈は要らないんです。

謂わば言葉以前の段階でそう規定されて居る。

ですが人間はそうじゃありません。



特に近代以降の人間に対してはむしろ絶対化された道徳律が不可欠だった。

だったと云うのは、其れが実現しなかったと云う事です。

カントの道徳律は近代を規定し得なかった。



だから今こうなってる訳です。


ですが本来ならば其れは絶対に必要なものでした。



ちなみにカントこそは真の天才です。

兎に角滅茶苦茶に頭が良い人でした。

天才の常として変人でもあったが。

其れでもって矢張り女には興味がなかったかと思いますのです。




尚名ばかりの理性による変な規定は世界を破滅させます。

名ばかりの理性による変な合理化過程は全てをユルユルにし非行の温床を創り上げます。

非行及び犯罪の蔓延を阻止し人類をまともなアタマに導く為にはカント又は不肖此のわたくしめの哲學が絶対に必要です。


他方でカントの哲學は理性の相対化過程でもまたあった。

カント以降人間の理性が相対化されていったものと思われる。