目覚めよ!

文明批判と心の探求と

筆記具は思い出の揺り籠のやうなものだー筆記具から思い出す過去の様々ー

 

其の廃番筆記具と云うことが一種物の世界の哀しさのやうなものを指し示しても居ることでせう。

此れ迄に私ももうどんだけ其の「今はもう無い品」を探し回ってきたことか。

 

また不思議なことに其の「今はもう無い品」に限り物凄く魅力がある訳です。

つまり失われゆくモノー文化ーや人ー生命ーには幾らでも有る物、またこれから幾らでも出て来そうな物とはまるで別次元での価値があるのです。

 

だから其処に拘る奴等こそが眞の意味での蒐集家であるつまりはコレクターなのです。

なのだが私が今筆記具に於いてやって居るのは其の過去の物としての価値を分解しあえて異質な物同士をくっつけることにより自らにとっての新たな価値を創造して行くことです。

 

 

筆記具系の物マニアの中にはさうした改造や創造にむしろ全情熱を捧げて居る方々なども意外と多く居られます。

其れは腕時計などとは違い万年筆やボールペンが其処まで精密な製品では無く適当に弄れる部分が多分に残されて居るからなのだと思われる。

 

ですが私の場合かうして感覚は細かい訳ですが観念人間ですので元々手が動かずよって工作だの何だのが得意では無いのです。

工作して居るよりは本を読んで居たりかうして何かに就き語って居る方が性に合う訳だ。

 

が、そんな私でもカンタンな改造にはかうして嵌って仕舞う訳です。

おそらく此れは女性には無い男性としての特質なのだと思われる。

 

 

實際にクーラーを含め何でも創って仕舞うやうな🚹が世の中には居るものです。

ー昔YOSHIOさんが家に🚙のラジエターを利用しクーラーを造って呉れた。エアコンなどがまだ世に出回って居なかった時分の話であるー

また何でも改造出来る方も居られる。

 

ですが私は機械物には大変弱くまた数学などもまるで出来ません。

其れでも其の技術工作系の愉しさと云うものは少しだけですが分かる訳です。

 

尚大掃除により他にも色々と筆記具が出て来て居ります。

例えばこんなデスクボールペンが出て来た。

 

 

デスクボールペン | 製品情報 | PILOT

Amazon | デスクボールペン【黒】透明ブラックボディ BDE15TBB | 油性ボールペン | 文房具・オフィス用品

 

此のボールペンはお洒落な所謂羽根ペンデザインで世界的にも稀な物なのだと思う。

私は拾年と少し前にボールペンに凝ったことがあり其の折に緑区の大きな文具屋でコレを弐本求めました。

 

但し其の色は白です。

其の白はすでに廃番になって居るやうだ。

 

ところが此のデスクボールペンにJS芯ー大ーを組み込んでみたところ何と其の侭にピッタリ嵌りました。

パイロットなのですが何故か三菱鉛筆のJS芯がピタリと嵌る訳です。

 

さて其の白いパイロットのデスクボールペンがとても美しい訳です。

ですが壱本は軸内でインクが暴発し軸内がインクだらけになりおまけに首の樹脂部も折れほとんど再起不能なのですが其れを何とか甦らせやうとして居るところです。

 

 

かうして筆記具の世界に於ける筆記具コレクターの筆記具に対する愛の如きものはほぼ筆記具の値段とは関係無いものです。

勿論大事な物は大事に保管されても居る訳ですがむしろ使うペンの方に愛着が涌く訳であり従って本質的にはさうして手に触れ使う物の方にこそ維持する執念を燃やす訳です。

 

また私の場合は其れこそアンティークの高級な西洋骨董から百円のボールペン、シャープペンシルまで筆記具ならば何でも好きな訳ですから自然と数が増えて仕舞い困ると言えば其処が困る。

だから定期的に使う筆記具の整理をしないとイケナイ訳だ。

其れだけでもおそらくは千本位はある筈なので何処にドレがあるものやら次第次第に分からなくもなるのです。

 

ところで其の改造無しでJS芯ー大ーが組み込める軸はほとんど無いことかと思われる。

ですがデスクボールペンのやうに単純な構造の軸の物は概ね簡単にJS芯ー大ーを組み込むことが可能です。

 

 

さうして筆記具を整理して居て思う事は其れ等の筆記具が「思い出」と結び付いて居ると云うことです。

之を手に入れた時私はまだ参拾代だったなあ、だとか昔付き合って居た👩から貰ったペーパーナイフだのペンーパイロットのミューーだのに其の思い出が滲み付いて居るのです。

 

またカランダッシュの金張りのボールペンが出て来ますと今は行方をくらましたかっての友のことが思い出される。

或る日彼がアナタの其の「早川式繰出鉛筆」とボクの此のカランダッシュの金張りのボールペンとを交換しようと云うものですから其の通りにしてあげました。

 

ASCII.jp:これがシャープペンシルの先祖「早川式繰出鉛筆」だ!

早川式繰出鉛筆 (ishidabungu.co.jp)

 

より正確には私の「早川式繰出鉛筆」は0.7ミリ芯の物でより貴重な初代の復刻版でした。

大事にして居た物でしたが当時彼が兎に角欲しがるので交換に応じて仕舞った。ー其れも今から四半世紀程前のことですー

 

エクリドール シェブロン ゴールドプレート ボールペン 紛れもない定番。 | Caran d'Ache 

私の物となった其のカランダッシュの金張りのボールペンも勿論良い物です。

私の好きな角軸ー六角軸ーでもって装飾が彫り込まれて居ます。-機械彫りか?-

 

ですが金さえ出せば何時でも買える物ではある。

 

では今私は其の筆記具の交換を悔いて居るのでせうか?

いえ私はむしろ其れで良かったとさう思って居ます。

 

何故なら其の後彼は失踪して仕舞ったからなのです。

何故失踪したのかと言えば彼は會社の代表者でしたが弐度會社を潰しどうにもならなくなって夜逃げをしたやうなのです。

 

私は彼の結婚式にも出ました。

彼はカトリック布池教会と云うところで式を挙げたので私も招かれ其処で歌を歌いました。

 

其の歌は「徳永英明  輝きながら」と云う当時流行の歌でした。

此の曲が流行った1987年の頃私共はまだ廿代後半で確かに結婚適齢期の頃なのではあった。

 

で、Gが来て「輝きながら」を結婚式で歌えと言うので兎に角其れを🚙の中で弐人で歌い練習も致しました。

ちなみに私はボーカルが出来そうな位に實は歌が上手いのです。

 

 

またカラオケなども趣味で拾年位前迄は始終独りで練習に行って居ました。

要するに純粋に歌うのが好きなのでみんなでカラオケに行くのは其れ程好きでは無い。

 

ですが凄いのです。

其れこそ何でも歌える訳だ。

 

其れも「もののけ姫」だの藤 圭子だの宇多田 ヒカルだの倉木 麻衣だの何でもイケます。

ちなみに歌うと私はまるでカストラート系なのでX JAPANでも何でもイケますが尤も好きなのは小椋 佳や井上 陽水などです。

 

またテレサ・テンなども十八番でした。

ですが一般的な🚹の歌の趣味では無い訳です。

 

また私は唱歌や讃美歌のやうなものを實は好みます。

また其れを歌わせると上手いのです。

 

かの由紀 さおり姉妹が歌って居たやうな歌が壱番好きでした。

 

アヴェ・マリアとかも多分イケることかと思う。

かうした特殊な歌は特別なところで歌の練習をせねばなりません。

 

其れでもって私は研究所勤務時代ー電力會社のーに夜に四階迄吹き抜けの階段で歌ってみたところ凄いエコーでまるでプロ並みに歌が上手いではありませんか。

其れでもって其処で暫く歌って居た覚えが御座ります。

 

兎に角私は音樂や絵画の話をし出すともう止まらなくなりますのでここらにして置かないと其の歌の話ばかりが無限に続くこととなります。

 

 

尚普段の私の声は徳永 英明や森 進一並にハスキーです。

また声も小さくて周りは何を言って居るのだか良く分からぬやうですが怒った時と歌う時の音量だけが酷く大きいのです。

 

でもX JAPANのボーカル並に高音が出せるのでつまりは特別製なのです。

演歌系でも坂本 冬美などの歌はコピー出来ませう。

 

そんな訳で筆記具の話よりも是非歌の話をしたくなって仕舞いました。

 

 

彼はブランド物が兎に角好きでした。

私とは違い読書したり勉強したりするタイプでは無く👩遊びも常にして居るやうなタイプだった。

 

ですが私には新鮮に感じられるタイプの人間だった訳だ。

だが結婚式の前日に何を思ったか彼は金を借りに来ました。

 

元よりそんな額の金は無いので断りましたがさうしてカネ使いが荒いと申しますか兎に角動かす金の額が違う訳です。

 

ですが壱度會社を潰した後に再起を図ったのは偉かったのだと思う。

でもまた會社を潰せばもう後は行方をくらますばかりだったのだらう。

可哀想にそんなところへと追い詰められて行ったのだらう。

 

さても彼はまだ生きて居るのだらうか?

 

 

そんな経緯があっただけに私は「早川式繰出鉛筆」を手放したことを後悔しては居ないのです。

さうして交換したカランダッシュの金張りのエクリドール・ボールペンはかうして今も手元にある。

 

其れを見る度使う度に彼のことを思い出します。

 

エクリドール・ボールペンはノック機構が単純で丈夫でもって長持ちします。

クリップ部の金張りだけは剝げましたが今でも全くの現役です。

 

其の後エクリドールラインに廉価版が出ましたので緑の樹脂軸の物を壱本だけ求め其れに緑色のインクの芯を入れ時折筆記したりして居る。

 

 

其のカランダッシュの限定万年筆ではかって「ガウディ」と云う物凄い品を持って居ましたが其れも兎に角重いペンなので早々に手放して仕舞いました。

カランダッシュ リミテッドエディション ラ・モデルニスタ | 筆記具専門店キングダムノート

 

此のペン、六角形の軸で個性的なのは良いのですが兎に角クソ重い訳です。

しかも値段がバカ高い訳です。

さうして意外とペン先がチンケであり宜しくありません。

 

ですがまあ個性だけはありませう。

 

カランダッシュの限定万年筆が全て悪い訳では無いことでせうが個人的にはカランダッシュはエクリドール・ボールペンが壱番良いとさう思って居ります。

 

 

また他にも父母が昔使って居たプラチナ万年筆だの、👪でもって信州へ旅行へ行った折の民芸ボールペンだのさうしたモノが全て思い出と共に手元にある訳です。

また初めて買った万年筆や探し回ってようやく手に入れた筆記具などもまたある。

左様に筆記具には皆其々に思い出や思い入れが宿って居る。

 

良く考えてみれば其れもまた凄いことなのだらう。

そんな風に記憶や思いが残せる物であるところこそが。

 

後にコレクターとなり様々に他のコレクターと交流もした私でしたが、さうしてペンを交換し合ったりまた改造して貰ったペン先などを見詰めるにつけ其の人々のことが思い出される訳です。

 

 

ところでオリムピックを視ながらまたぞろペンを改造したりしては居ませんか?

まあして居ります。

 

何せオリムピックを視るのは長丁場なので其ればかり集中して視て居ると何も出来なくなって仕舞いますので。

今度は何を作りましたか?

 

今日は万年筆とボールペンを壱本づつ作りました。

壱本は台湾のREGALのカラフルな軸に中國金星の首軸を付け其処にセミ・フレキシブルな鉄ペン先を組み込みキャップはパイロットのストリームラインの物を被せてあります。

 

もう壱本は現代のWATERMANの限定品の軸ー此れもまたクソ重いーの首軸に錐で穴を開け緑インクのJS芯ー小ーを挿し込みボールペン化してみました。

 

其のWATERMANの限定品とはフォンテーヌ・ブローでフォンテーヌ・ブローの森の木を使い作られた木軸の限定万年筆です。

 

【楽天市場】【即納】【WATERMAN/ウォーターマン】【Le・Man/ル・マン】100超希少!フォンテーヌブロー グリーンウッド ボールペン1993年限定品 樺の木 森をイメージした美しいボディ【送料無料】:筆記具専門店ペンライフ

但しこちらは万年筆とセット販売されたボールペンの方です。

 

ですが此のボールペンの方は今行方不明となって居るのです。

其れでもってフォンテーヌ・ブローの万年筆はある訳ですが其の金ペン先を他に使って居りもはや万年筆としては機能して居りません。

 

で、昨夜此のペン先の無いフォンテーヌ・ブローをしげしげと眺めて居りましたところ、其処でもってハタと気付きました。

さうか、此のペンもかうしてクソ重いのでいっそのことボールペンにした方が向いて居るぞ!

 

で、結構厄介な作業が伴いましたがとりあえず本日ボールペン化することに成功した。

 

我が好む緑の木軸でしかも緑インクのボールペンです。

しかも其れを松山の活躍を視ながらやっておったのです。

 

ところが松山プロは最後の方でパットが入らず結局銅メダルを逃したのでした。

其処からもゴルフに於いてパット程重要なものは無いのだと申せませう。

 

ゴルフとは左様に難しいスポーツなのです。

嗚呼さう言えばゴルフクラブの整理、コレが實は大変なのだ。

 

私は其れを多分百本程も持って居ります。

其れを中古ショップに持って行くだけでもはや大変な労力です。

 

しかも私のクラブは其の辺の奴等が使えるやうな代物では無い。

謂わば非常にマニアックな道具ですので其の辺のオヤジではまるで振り切れぬ物ばかりなのだ。

 

いや其れよりも何よりも此のクソ暑いのに其れを携帯ケースに入れて中古屋へ持って行くだけでもう死にさうです。

 

 

いっそのことまたゴルフをやってみてはどうか?

正直ゴルフをやる金がもう何処にもありません。

 

其れに今はゴルフよりも改造ペンの方が面白いのだ。

 

其れにつけても今の私にとり大問題なのは社會が悪いことや人類の存続がどうのかうのと云うことでは無く其のフォンテーヌ・ブローのボールペンが今何処に隠れて居るかと云うことのみだ。

 

勿論其れは失くした訳では無く必ずや部屋の何処かにはあります。

ですが何処にあるかがまるで分からぬのです。

 

 

確か五木 寛之先生だったかと思いますが自分は筆記具を良く失くすと云うやうなことを述べられて居ました。

作家の部屋はそんなに汚いのかと当時は思いましたのですが私は作家では無いが結果的に管理が悪く筆記具を良く失くすところは先生方とまるで変わりありません。

 

特に汚かったのがかの坂口 安吾の書斎です。

坂口 安吾は天才だと思いますが兎に角部屋が汚く其の中では多分色んなものが腐って居たに違いないことだらう。

今度はゼブラの「カドカド」が加わった我がボールペン趣味

 

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パイロット 蒔絵螺鈿 万年筆


「欺瞞に満ちた東京五輪」 ファンだからこそ考える参加選手の責任 - 東京オリンピック:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 

かくして作家は様々なことを考えるかとは思うのだが私の場合はあくまで所謂社會的な価値からは距離を置くやうにして来て居る。

特にイデオロギーに絡む価値観は必ずや其れ自体が自己矛盾に陥るので其れを振り翳すこと自体に問題が生じて来る。

 

だけれども理想論としてのマルクス主義に就いては此の夏の間に是非取り上げねばならぬものと思っても居る。

 

それでは思想の方は捨て置いてまた筆記具の宇宙に就き語って行くことと致します。

 

 

ヤフオク! - PLATINUM プラチナ 万年筆 ペン先 18K ブラック×... (yahoo.co.jp)

 

状態は必ずしも良くはありませんが此のP-600こそが此の種のプラチナ万年筆の中では最高峰の物です。

一方でP-300の評価もまた悪くは無いのですがペン先の大きさがまるで違いこちらの方が大きいのです。

 

18K ニブで勝負するやうになった時の初代タイプであり何でもさうですが其の初代こそが良いのです。ーウルトラマンシリーズではウルトラQウルトラマン、ウルトラセヴンが圧倒的に良いことと實は同じことですー

 

此のP-600を探し出すのにかって非常に苦労させられ其れをヤフオクにて得てからも東京のプラチナ万年筆へ送り調整、修理して貰ったが實は其れが結構難儀でした。

現在は壱本を保存し壱本を使って居るのだが此処数年は實は使って居りません。

 

使って居ないペンと言えばペリカンを今は使って居ないと申しましたが其れは間違いでした。

さう言えばM800デモンストレーターだけは使って居りました。

 

Pelikan M800 Green Demonstrator Limited Edition FP w/Case, Germany (#WGP96) | eBay

 

最も古いペリカンの限定品で確か1989年位に発売されて居ります。

金ペン先はPF刻印付きの18Cニブで比較的柔らかな筆記感を愉しめます。

 

此れと対になる形でブルーオーシャンと云うモデルがありましたが此れも素晴らしい限定品です。ペリカン M800 ブルー オーシャン 万年筆 18K Mペン付き-完全 ( 限定版 ) | eBay

 

其れも私は今年売って仕舞いましたがまさかこんな値段では此処日本では売れません。

万年筆は世界オークションで売った方が高く売れる傾向がある。

 

只世界オークションで出品者をするとなると最低限英語が出来ぬと何かあった時におそろしいこととなって仕舞う。

だからセカイモンと云う出品代理の方へ頼んで売って貰う訳ですが其れには勿論手数料がかかります。

 

拾年程前に私は自分のペンをさうして世界各地へと売り飛ばして居ます。

 

海外の人々は特に意識が高いか又は裕福な人々は蒔絵万年筆に対し異常な程の関心を寄せて居ます。

当時私はパイロットの螺鈿蒔絵の素晴らしい万年筆を持って居ましたが實は其れは軸が重く私には合わなかったのです。

 

其れを欧羅巴の何処ぞの國の人にさうして売りました。

其の落札値は拾五萬円程だったのだと思う。

 

 

万年筆の世界にも色々とあり好みが変わったりもしますので私の場合は即断してさうして売って仕舞います。

さてM800デモンストレーターですが使われずに捨て置いてあった為か余り綺麗では無い。

 

其れを丸洗いしてしかも一晩浸け置き洗浄をすると随分綺麗に甦りました。

折角なので其処へ緑インクを入れ書いてみました。

 

特に夏場は緑インクだの靑系のインクだのがさうして兎に角映えるものです。

 

勿論ペン先の感触は今のペリカン800のペン先とは別物で素晴らしく優しいタッチでのものです。

矢張りペリカンのペン先は此の18CのPFタイプがベストでせう。

 

尚90年代のペリカンの限定品には大抵此の18CのPFタイプが付けられて居ました。

と云うことはまさに其れがベスト・クオリティの物であったと言うことです。

 

此の世にはかうして良い物は常にありますが其れが往往にして得られにくい訳です。

 

尤も最終的には金力で其れは得られますが当の本人さんに知識が無いとヘボ万年筆を弐拾萬も出して買って仕舞う羽目にもまたなる訳で其の辺りが實はおそろしい世界でもまたあるのです。

 

但し万年筆よりも腕時計の方がまだしも値段の高さと性能が比例関係にあるやうに思われる。

故に筆記具は意外と難しい選択を迫られる分野なのだと思います。

 

 

さて私が最近衝撃を受けたのはJINHAO100をアマゾンで買ってみたところ其れが凄い万年筆だったと云うことです。

ですが其の話はまた次回に回しまたぞろボールペンの話を致します。

 

何せ部屋を掃除して居ると次から次へと面白いボールペンが出て参ります。

 

で、こんな物が出て参りました。Amazon | ゼブラ 油性ボールペン ニュースパイラルCC 0.7 BA51-COR クリアオレンジ

 

ところがラバーグリップ部を他のペンに付けて居たのですぐさま其れを元に戻す。

何故戻したのか?

 

何故なら其の値段を良く確かめてみて下され。

何と壱本が平均で4980円もして居るのです。

 

其のやうに實は今廃番の筆記具の値が高騰して居るのです。

 

ですが實は其れがほぼ異常なことなのだと思われる。

 

確かに其れは90年代の限定万年筆などではごく一般的な話でした。

90年代の限定万年筆は値上がりするものが多く中には売り値の参倍程にもなるモデルがあったものでした。

 

けれどもこんな實用品のしかも只のプラ軸のボールペンが何故こんなに高騰して居るのでせうか?

 

此のスパイラルシリーズは非常に個性的なボールペンのシリーズです。

 

ーゼブラと早稲田大学野呂影勇教授による産学協同プロジェクトとして製作され、エルゴシーティング株式会社と共同開発された。

ペンは人間工学に基づいた手とペンの接触面を多くする構造を採用し、握りやすく疲れにくくなっていると公式ホームページ上で説明されている。ーニュースパイラルシリーズ より

 

 

其のやうに特殊な製品なのですが結果的にペンの形も独特で非常に持ち易く優れたボールペンとなって居る。

其れをZEBRAが何を考えたものかボールペンの方を無くして仕舞い其れでこんな高騰を生んで居るものと思われる。

 

 

但し問題の核心は何故こんな物が高騰して居るのかと云うことです。

また何故其れが放置されて仕舞って居るかと云うことでもまたある。

 

そんな話が實は他にもあります。

 

Amazon | 三菱鉛筆 多機能ペン ジェットストリーム 4&1 0.5 限定色 オリーブグリーン

 

此のジェットストリーム4&1に関しては4、5年前に私も嵌り弐本を求めて居ますがまさに素晴らしい製品です。

ですが今年になり其れに色々と限定カラーが出て居ることに気付きました。

 

其れでもって私は緑や靑の色を好みますのでとりあえずは此のオリーブグリーンが欲しくなりました。

ところがもはや何処にも其れが売られて居ない。

 

いや、アマゾンにはあったぞ!

ですが其の値段を視るなりヘナヘナと崩れ落ちる我。

 

ではヤフオクの方はどうだ?

あった!

でも参千円以上もして居ます。

 

そんな訳でヤフオクでは入札寸前まで行きましたが其処で良く良く考えてみまするに何故同じ物なのにカラーが違うだけでこんなに値上がりするのでせうか。

 

事實普通のジェットストリーム4&1の黑軸はプライム会員価格でもって776円で売られております。

其れが何でまた4980円もして居るのでせうか?

第壱其の価格は壱体誰が決めたのでせうか。

 

まず私は其処に強い違和感を覚えましたのです。

だから其れが作家体質である私の単なるへそ曲がり思考によるものなのか、其れとも世の中が何処か間違って居るのかいずれとも判断出来かねる訳です。

 

で、其の違和感から實はジェットストリーム4&1の限定色モデルには手を出しては居りません。

欲しいには欲しいのだが何かかう釈然とせぬ部分が大きいのでもはやそんなものは要らんと云うお話なのです。

 

また何時から世の中はこんなんなって仕舞って居るのだ?と云う部分こそが私にとっては至極不可解な部分なのです。

 

何故なら昔は軸の色違いでもって同じボールペンの値段が大きく変わることなどあり得ませんでした。

ですからまずは其のことが理解不能である訳だ。

 

さらに其の傾向を放置すれば例えば買い占めなどが横行しつまりは故意に値段を吊り上げられ安物ボールペンを買わされることにも繋がる訳だ。

さうジェットストリーム4&1は優れた製品ですがあくまで千円前後で買える安物ボールペンです。

 

其れが五千円もして居たら誰しも驚くではありませんか。

 

ですが、筆記具に関しては實は其れ程潔癖では無い私は、

 

Amazon | 三菱鉛筆 油性ボールペン ジェットストリームエッジ 0.28 限定色 イエロー

 

と云うものをアマゾンにてすでに求めて居ります。

此れも倍程もの値段となって居り其処が気に入らんのではあるが此の黄色の色にホレて仕舞ったので仕方が無い。

 

Amazon | 三菱鉛筆 油性ボールペン ジェットストリームエッジ 0.28 限定色 オレンジ

 

ちなみに限定色で壱番高いのが此のオレンジです。

 

ヤフオク! - ジェットストリームエッジ オレンジ 限定色 0.28... (yahoo.co.jp)

 

ヤフオクではコレが安いやうだ。

ですが海外からの出品の物は例えば送料が五千円近くにも設定されて居りイヤハヤ此れでは滅茶苦茶です。

 

また作家的、文人的に穿ったことを述べれば、其の日本の筆記具メーカーが発売する「限定」仕様に乗じて其れを買い占め高値で売りつけると云う犯罪にも近いやうなことが實は横行して居るのではないか。

だからと言ってアマゾンを責めて居る訳では無い。

 

アマゾンによる翌日配送は我我ユーザーにとってはほぼ最高の買い物の上でのシステムです。

 

只大いに疑問は残るところです。

 

ちなみに先日居間のエアコンを買いにカーマへと出向き其処の筆記具売り場を覗くとジェットストリーム4&1やジェットストリームEDGEが多く置かれて居て其処で限定色を探してみたが矢張りオリーブグリーンは無かった。

 

兎に角私は今此の件に就き疑問と申しますか疑惑と申しますかそんなものを抱きつつ日々ボールペンでもってかうして遊んで居ります。

ですが筆記具の世界はまさに生眞面目な領域で詐欺だの何だのとは無縁の世界だった筈なのに急に何やら危ない世界のやうにも思えて来て兎に角其れが怖いのです。

 

ですが私共筆記具コレクターはかうして何だかんだと筆記具に縁しつつ日々を送ること自体が愉しい訳だ。

 

但し筆記具もまたキリが無い世界のものなのです。

 

 

かうしてキリが無いので何処かで限定して置く必要があるものです。

だが角軸の追求はどうもまだ済んで無いな。

 

さう思いつつ部屋の整理をして居たところBEXLEYのAMERICANAと云う万年筆が出て参りました。

其れは八面体軸で緑マーブルの魅力的な万年筆です。

 

ですが軸のアクリル系樹脂が弱く實は此れ迄に弐度程折れ其の都度接着して居る物だ。

 

で、此の際其れをボールペン化してみることとしてみました。

キャップの安っぽい金具の部分を此の際取り去りまた其処の樹脂部をカッターで切断し軽くする。

 

胴軸にパトリオットキットの金具を埋め込む。ーピタリと合うー

後は金色の首金具ーゴールドメッキか?ーを付けJS芯の長さを調整し胴軸へ入れるだけです。

 

此のやうにキャップ付きの万年筆のボールペン化は實は簡単に出来るものなのだ。

何故ならノック式だの回転繰り出し式だのと云った複雑な機構の無い分要するに芯の先を出しっ放しで良い訳だ。

 

 

新たに出来た其の八角のボールペンこそは凄いお品です。

ネット上に売られて居るペン作家物のボールペンと比べても決して見劣りしない。

 

で、書いてみると非常に書き味が良い。

 

左様にボールペンの書き味の良し悪しを決めるのは最終的には軸の仕業です。

其の軸によりJS芯の書き味は変わります。

 

いやボールペンに於ける書き味其れ自体が其の軸と芯による相互作用から齎されて居るものです。

 

いやあー、それにつけても凄いボールペンばかりが次々と生まれたり何故か手元へと来たりして居るぞ。

 

さうかうしつつ整理を続けると今度は六角ラバー軸のボールペンが!

其れにはアクロボールの芯を組み込みましたがノック機構は残念ながら働かず。

 

ノック機構を働かせる為には適合サイズの芯を組み込まねばならぬ訳です。

 

 

おや、コレは何だ?

 

うーわー、廿五年程も前に買った印度の民芸ボールペンが出て来た!

DELHI、INDIAと軸にビーズでもって書かれて居ます。

 

其れがまた個性的な◆の軸です。

 

さらに個性的なのは、軸の全面にわたり鏡が貼り付けられており其処に自分の顔を映すことが出来る点です。

 

此のペンが何と三本も出て来た。

 

其処にJS芯などを組み込むことは可能なのか?

 

可能ですが壱本壱番大きな紫色の軸の内部を調べてみたところ何やら布きれのやうなものが詰められて居り其れが簡単には取れません。

 

さうして往往にして印度やら中國のペンは我我の感覚からは決して理解出来ぬやうな部分があり其処が厄介なのではある。

ですがこんな鏡ペンは米英にもまた欧州でも何処を探したって出ては来ない筈だ。

 

其れに意外と頑丈なのだ。

何故なら四半世紀を経過して居るにも関わらずまだペン自体は腐って居ない。

 

まさか今でも書けるのですか?

流石に書けません。

 

其れは其のチップを含めた芯の部分が安物だからです。

ですが民芸品としての印度の力はまだまだ其の軸に宿って居るのだ。

 

 

さてボールペンと言えばZEBRAですが其のZEBRAには角軸は出て居ないのでせうか?

 

ほれ、此処に此のやうにして出て居ました。Amazon | ゼブラ 油性ボールペン カドカド 0.7 ブラック BA104-BK

 

コレを求めましたが何と445円で安かった。

ですが其の作りは決してチープでは無くむしろ完璧です。

 

アルミ軸の金属軸で軽いが重い?と云う絶妙の性質の軸でカドカドが目立つ六角の軸なのでもある。

ペンの側面にはセンチとインチのスケールが描かれて居り其処からも實用方向へと振れた仕事道具にもなりさうな如何にも眞面目で頑丈なペンです。

 

ちなみに以前アマゾンでは此の種の安い商品は無料配送ではなかった記憶がありますが無料配送でしかも夜に注文し次の日の夕方頃にはすでにポスト投函が終わって居る。

 

まさに此れは消費者に対する最高のサーヴィス体制をすでに確立して居ると云うことだ。

故に細かいものでもアマゾンを利用すればより安くより簡便に手に入ると云うこととなる。

 

 

此のカドカドボールペンが壱番ボールペンらしいと言えば其れらしい。

他方でジェットストリームEDGEは細かな字を正確に書くやうな用途のものですのでまたタイプが違う。

 

ジェットストリームEDGEにJS0.5ミリ芯を組み込んでみると無理でアクロボール芯の方をカットして使えば何とか書けるやうにはなる。

但しノック機構が効かなくなるのでいつも芯は出しっ放しである。

 

其れでも私は此のJS0.5ミリ芯の方が好きです。

ですが場合によるまた戻してみるかもしれません。ージェットストリームEDGEは超細書きの芯なのでそんなことにもまたなるー

 

ですがジェットストリームEDGEの軸はあくまで個性的な良い軸です。

其れは六角形でしかもテーパー軸なのです。

 

然し其のテーパー軸こそがDip Penとしての要件です。

 

ですので、ペンは皆其のテーパー軸であることこそが望ましい訳です。

テーパー軸であることこそ大変書き易く字を美しく書くことなどにも向いて居るのだ。

 

尚私が日頃使うジェットストリームEDGEの軸の色は深いブルーの色の物です。

 

まさに落ち着いた良き色だ。

 

其の軸にアクロボールの芯を仕込みかうして筆記を愉しんで居る訳だ。

 

 

其のやうに筆記具の世界はあらゆることが連鎖し関連し合う非常に面白い世界なのでもまたある。

 

特に改造を為し複数のメーカーの部品でもって壱本のボールペンを仕上げたりもするとまさにさう思われるのだ。

 

要するに私はペンの部品を違うメーカー同士でくっつけて仕舞うので筆記の上での新たな世界を拓く契機にも恵まれて居る訳だ。

だが反面ではまさに滅茶苦茶をする訳だから完成度が低く良いペンに仕上がらぬ場合もまた出て来て仕舞う。

 

ジェットストリームEDGEの場合テーパー軸の度が強くペンの尻側が弱いので重りのつもりでアルミ製の部品を被せて居る。

其れは其の方が私にとってより書き易くなるからなのだ。

 

筆記具は人間の創った製品の中では最も色鮮やかでしかも多様性がある。

まさにそんなところに惹かれ私は其の色や多様と戯れて居る。

 

否むしろ違う規格の部品同士をくっつけ壱本のペンとして再生して仕舞う。

まさに其の部分こそが面白いのである。

 

さうしてまさに其の部分にこそ私は癒され逆に人として再生されて行くのである。

 

『インターステラ―』の視聴より見るコロナ禍

インターステラーの動画視聴・あらすじ | U-NEXT (unext.jp)

Amazon.co.jp: インターステラー(吹替版)を観る | Prime Video

 

ー近未来。巨大砂嵐が日常的に発生する異常気象により地球規模で植物・農作物の大量枯死が発生し、人類は滅亡の危機に晒されていた。ーインターステラー より

 

其の人類滅亡は有り得ることだ。

理性を持ちながら其の理性を誤った形で使うことから其れは引き起こされるのだと思う。

 

最終的には其の理性の使い方こそが文明の存続への死活問題となる。

 

我我還暦世代が小学生の頃は「気候変動により災害が多発し壊滅的な被害を部分的に受ける」ことなど誰も考えては居らなんだ。

我我還暦世代が小学生の頃はむしろ月面着陸と万博開催による科学の勝利を高らかに謳わんが為の時代であった。

 

 

だが誰しも冷静になりー独りになりー考えてみれば分かることながらどう考えても近現代は無理ー負荷ーを重ねて来て居る。

其の無理ー負荷ーの蓄積により地球が壊れ始めて居ることはほぼ間違い無いことであらう。

 

其の無理を止めれば破壊はもっともっと緩やかなものとなり或は何とかあと百年程も文明は生き延びられるのやもしれぬ。

でも止められません。

 

止まりません。

其のまるでカッパえびせんの如くに欲望には打ち克てぬものなのだ。

 

止めたい。

でも美味い。

 

我我は左様に食欲、性欲、さらに征服欲に深く捉えられて居り要するに其処でガマンがならぬものだ。

 

ガマンがならぬので個人的には欲のスケールの縮小の方へと向かいまさに其処に腐心しつつやって来たつもりである。

即ち欲望の対象其れ自体を限定しより小さな欲の範囲で其れを解放してやれば危険性其れ自体をより小さなものにすることが出来る。

 

だからソコまで理性的な人はまさに夜中の筆記でガマンが出来る。

否其処でこそすでに解放されておる。

 

綺麗な姉ちゃんの尻を触るよりも其の「カリカリカリ」ですでに法悦境へと達しておったのだった。

 

さらに石、コレを眺める。

嗚呼其の石の何と美しいことか。

 

是非其の石と戯れ石人間となれ。

石人間はな、孫など一切可愛くは無いものだ。

 

 

どだい我と同い年の宮崎 美子はな、何を隠そう其の石人間だ。

だが最近マクドナルドのCMでは母親役?をやって御座る。

 

だがどう考えても其の六拾弐の母親役はオカシイ。

どう考えてもすでに宮崎 美子はババアである。

 

でも宮崎 美子は其の辺のババアよりは明らかに若い。

其れはおそらく宮崎 美子に子が居ないからなのではないか。

 

 

さて其の『インターステラ―』を再度視てみましたが相変らず此れも難解な映画である。

 

正直何度視ても??と云うSF映画です。

 

ー出演はマシュー・マコノヒーアン・ハサウェイジェシカ・チャステインマイケル・ケインらであり・地球を離れ新たな居住可能惑星探索を行うためワームホールを通過し、別の銀河系へと有人惑星間航行(インター・ステラー)する宇宙飛行士のチームが描かれる。三次元に於ける不可逆性の時間と重力場特殊相対性理論ウラシマ効果)、特異点ニュートン力学スイングバイ航法、漆黒の宇宙空間、音の伝達、運動の三法則など科学的考証を用いた演出の他、人類存亡を賭けた未知の世界へ挑戦する倫理と勇気、信頼と愛、人生という限られた時間、ヒューマニズムも織り交ぜた物語の構成となっている。ー


クーパーは土星の軌道上に建造された巨大スペースコロニー内部の病室で目覚める。そのコロニーの名前はクーパー・ステーション。彼は宇宙に放り出され漂流中にたまたま探索中だった宇宙船に発見され、酸素の切れる直前にTARS共々救助されていた。救助された時点の酸素残量は2分だった。マーフの功績でスペースコロニーの建造と打ち上げが成功し地球の人類が救済されたのだ。コロニーにはマーフの功績を称え、彼女がかつて地球に住んでいた頃の家が再現されていた。クーパーはコロニーの病室で年老いたマーフと彼女の大勢の子や孫たちとともに再会を果たす。マーフは約束を果たしたクーパーを、エドマンズの惑星へ一人で向かったアメリアを捜索しに行くよう、優しく諭す。クーパーは修理したTARSとともに小型宇宙船に乗ってコロニーを後にする。ーインターステラー より


但し其の宇宙移住計画と云うもの其れ自体がコロナ禍以前には百%不可能なものとしては認識されて居なかったやうに思われる。

だからなのか此の映画も結局さうした意味で樂観的でありかうして結局文明は存続し人類は宇宙へと出て行く訳だ。

 

ところがコロナ禍による具象的限定がむしろ文明に於ける眞の姿を我我に提示しつつあるのだと言えやう。

其れは宇宙移住どころか大きくなり過ぎた格差や公権力の無能振りつまり危機を見通せず未来を築けぬ各國政府の危機管理のレヴェルの低さをまさに露呈することとなった訳だ。

 

 

無論のこと左様なことでは宇宙移住どころでは無くむしろ此の宇宙船地球号にへばりついて居るだけで精一杯の態である。

要するに人間は頭が悪過ぎて自分等が何処に立って生きて居るかと云うことさえもがまるで分からぬ訳である。

 

ではあるが今回のことでむしろ我我が學んだのは想念ー観念ーだけで我我の幸福が形作られる訳では決して無いと云うことだ。

何故ならコロナ禍による具象的限定で我我は分かち合うパイの部分を著しく限定されて仕舞った訳だ。

 

其れにも関わらず我我はまた以前の文明の状態へ戻りたいとさう願う。

 

だが其れは全体主義による洗脳の結果でさう思って居るだけなのだ。

正しくは「宇宙移住」をも特権層の繁栄をも永久に放棄する社會の制度をこそ今こそ確立せねばなるまい。

 

 

第一コロナ禍は文明が何処ぞオカシイからそも起きたことなのだ。

其れは自然災害なのでは無くして人災である、其れも謂わば文明災なのだ。

 

其れも欲ボケやら破壊に対するボケやらで文明其れ自体が狂って仕舞って居るから起きた謂わば価値観に対する罪の過程なのだ。

其の文明災を引き起こした責任は社會にこそあるから私は其の社會が悪いとさう述べて居る訳だ。

 

地球が壊れた→宇宙へと逃げやう

 

其れは非現實的な合理的観念主義である。

では誰が地球を壊したか?

 

 

我我です。

其れ見よ、お前等がまさに其の手でやって来たことだらうが。

 

どんな猛獣でもな、またどんな大食いの草食獣でもな、全くのところお前等よりはずっとマシだ。

お前等の其の強い獣の欲が何と抽象化されるに及んだのだ。

 

しかも抽象化された其の獣欲を理性的なものだとしてむしろ喜んで御座る始末である。

 

 

ばーか。

ほんたうに利口な人はむしろ何もやらないんだな。

 

 

だからむしろ其れが理性のことを誰よりも良く分かって居る状態なのだ。

「理性的なものはむしろ動かない」

 

何故か?

 

其れは實際に獣ほど良く動くからなのだ。

良く動き始終何かを食いさうして諍い合って居る。

 

 

其のスペースコロニーの建設には莫大な予算が必要だが事實上コロナ禍では其れをどの國も捻出出来ぬ。

かうしてコロナ禍とはまさに文明規模での大問題であり其の本質は具象的限定としての日常の破壊である。


具象的限定としての日常の破壊からどう脱するかと云う部分につき現在各國政府は其れこそ必死となり対応中である。

だが事實上問題が大き過ぎるが故に問題に対し本質的には対応し切れて居ない。


其の問題を大きくして居るのはあえて學問的に言えば近代と云う社會構造が必然的に其れを齎して居るのである。

だったら近代を止めれば良いのですね?


いや事は其れ程単純なものでは無い。

逆に言えば近代のお蔭でもって我我は今此の時を享受して居られる訳だ。



なる程、すると其れがそも大矛盾であると云うことなのですね。

まさに其の大矛盾だ。


だが科学は特に科学技術は其の矛盾を矛盾として認識する力には元々欠けて御座る。


確かに。

科学技術はかうして何かあっても反省せずひたすらに正の価値ヒエラルキー構築へ向けて歩み出す。


かって理系の教師である宮澤 賢治が「科学は冷たく暗い」とさう作品中で述べて居た。

科学はむしろ心を取り戻す努力を最大限に行うべきだ。



文人はさうして少々頭がおかしくもあり芥川だの太宰だのまた三島だののやうに何仕出かすか分からぬ部分さえもがあるのだが實は心の根だけは眞っ直ぐなのだ。

だから結局みんな死んじゃうんだよ。


其れはきっと矛盾を矛盾として認識する理性の力が強過ぎたのだらう。


でもって『インターステラ―』の御話の方はどうなりましたか?



『インターステラ―』の映画の終わり方は最終的には現實的ではまるで無い訳だ。

よって此れは科学を批判する映画では無くむしろ其れを礼賛する映画となる。


但しコロナ禍以降は社會の枠組み其のものが揺らいで来て居る。

社會の枠組み其のものが万全であれば其の手の映画もまた出来る訳だが現状では極めて難しいところに来て居る。


要するに社會はより不安定化しむしろディストピア化されて行く様相さえをも帯び始めて居る。

だけれども文明にとっての打開策はあくまで其の科学技術によるものでしか無い訳だ。


そんなまさに矛盾の極みであるかのやうな状況を俯瞰しつつ我我個は自らの世界をそれぞれに構築して行くより他は無い。

社會的な価値に盲従せずむしろ其れから距離を置きまさにあっけらかんとして我が道を行かねばむしろ個こそが破壊されて仕舞うのではないか。



オリムピックをはじめとする運動の世界に於いても基本的には社會の為に運動せぬことの方がより純粋且つ個の範囲でのものとならう。

だがさうした観念的規定を踏まえた上で面白いものは面白いと認めまた感動出来る部分に対しては其の侭素直に感動して置けば良いのである。


我我人間はさうして常に文明と云う社會的制約の中で生かされ其れも多くの場合は其れに盲目的に従い生きる形を取って居ざるを得ない。

其処から逃げるには文人、學者達のやうに社會の批判者であるかまたは宗教的自我の面より其れを諫めて行く他は無い訳だ。


また其れー社會ーが捨てられずとも少なくとも距離を取った上で自分自身の思考と照らし合わせてみる作業が是非共必要となる。

自分自身の思考を持つことが出来れば我我はすでに文人や哲學者の一人でありまた社會の常識と闘う信仰者の一人でも有り得る訳だ。

👽が教え導いて下さる新たなる認識の話ープライム・ヴィデオにて映画『メッセージ』を視てー

 いとうまい子が“研究者”に転身 深夜に塀を乗り越える「青春」も (msn.com)

 

名古屋人いとうまい子はかうして御勉強が大好きである。

 

ー芸能人として成功を収めた後、社会問題の解決を志向し、学び直しとして早稲田大学に入学した。その後は予防医学のためのロボットを研究し[5]、博士課程で研究領域を基礎老化学に変更すると共に、2019年1月にはエクサウィザーズのフェロー(研究員)に就任。現在も定期的にエクサウィザーズに出社しつつ共同研究を行い、国際ロボット展への出展や事業参画を続けている[6]

元80年代アイドルでありながら、新しい技術に対する興味は強い。インターネット草創期の1995年に公式サイト用としてDNSドメイン名を取得し、その後もガジェットを買い集め、SNSを積極活用するなど、常に新しいIT製品を活用し続けている。別名、「ガジェッティーヌ女優」と呼ばれている。

 

 

第一社會問題を解決しやうと思う人などはクソ眞面目もいいところで普通は其の厄介で且つ苦しい問題には蓋をして子や孫の頭を只撫でて居るものなのである。

要するにそんな社會的な正義感には決まって薄く社會のことなどまるで考えて居ないものなのだ、普通は。

 

されど壱部の人間だけがうわあ、コレではイカン、此の侭進めば人類の御先は眞っ暗だ。

とさう思い此の矛盾だらけのさうして悲惨な世の中に対し観念的闘争を挑むのである。

 

 

其のやうにまずは御勉強が好きであるかどうか、其のことが實は人間を規定するひとつの尺度でもまたある。

さうして御勉強することの目的とは最終的には自分の頭でもって考えられるやうにして行くことだ。

 

だから別に學校だけが全てなのでは無い。

また塾に於ける偏差値の向上が目的となるのでも無い。

 

最終的には自己の価値観を自己でもって創り上げること、まさに其れが理性の目的となりと同時に人間の生の目的ともまたなり得る訳だ。

 

だが子や孫の頭をさうして撫でて居るだけでは其の目的は決して達せられはせぬ。

さうして女房の尻に敷かれつつ會社でもってヘーコラしつつ日銭を稼いで居るだけでは人類なんぞついぞ救えやせぬのだ。

 

 

さても困ったな。

さうとは言え自分も含め毎日かうして腹が減り子や孫や女房を飢え死にさせる訳にはイカンのでな。

 

だったら其の子も孫も女房も潔く捨てちまえよ。

もう俺は知らんとさう高らかに宣言し山だの海だのに逃げて行けば良いのだ。

 

そんな人非人のやうなことをイキナリ申されましても實際どうしても其処からは逃げられません。

さうか其れは其れはどうもご愁傷様なことで。

 

我などはもう逃げて逃げて逃げまくって後は余命の尽きるのを待って居るだけですので人類の抱える問題に関してもはや何ら責任を感じて居ません。

もうどうにでもなれと正直思っております。

 

 

此の侭みんなが飢えた🐻にでも食われろと實はさうも思って居ります。

其れか👽が来て人間を正しい方向へ導いて下さるのではないかとも思い其処に淡い期待を抱いて居るのですが何故か何時まで経っても宇宙船は現れません。

 

うーむ、今どうも其の御導きもののSF映画が視たいのだがもしやアマゾンのプライム・ヴィデオにはそんなものがあるのではなからうか?

 

其れは例えばインデペンデンス・デイとか其の種のものですか?

其のインデペンデンス・デイよりももう少し高度な作品は無いものだらうか?

 

兎に角其の👽による地球文明への御導きの部分が出たSF映画を是非視たい。

 

 

Amazon.co.jp: インデペンデンス・デイ2016(字幕版) | Prime Video

 

そんな訳で久し振りにプライムヴィデオの方を覗くと其のインデペンデンス・デイの続編は沢山創られて居るのであった。

但しほとんどがプライム會員でも有料となって御座る。

 

其処のところはちょっとオカシイのでアマゾンさん、是非御再考願いたい。

少なくともプライム會員ならば映画は視放題とすべきだらう。

 

で、上の映画を視たが最終的に何やら下らぬ映画ではあったのだが夏休みに時間潰しに視る映画としては悪い訳でも無い。ー實は評価の低い映画だったー

 

しかしながら何やら後味が悪いので前から視たかったSF映画を続けて視てみた。

コレはDVDも買ってある筈なのだがまだ視られては居ない。

 

でもアマゾンでも視られるので早速視てみやう。

 

 

Amazon.co.jp: メッセージ (吹替版) | Prime Video

 

此の種の石碑的建造物が出て来るSFは例の2001年宇宙の旅に於けるモノリスの如くに大抵は哲學的内容を含み難解である。

 

で、視てみたところヤッパリ其の内容は至極難解であった。

特に面白いのは宇宙生命からの言語による教導がメインテーマに据えられて居ることだ。

 

よって2001年宇宙の旅よりもより具体的に難解な内容を含む映画なのだと思う。

 

 

『メッセージ』ネタバレ解説感想 映画の核心を解読! (eiganotomo.net)

 

此の映画は正直壱回視ただけでは??と云う感じがして今ひとつ理解出来なかった。

が、宇宙生命の持つ言語ー思考回路であり価値観であるものーを學んで行く過程で人間の心のあり方が変わって行く様を描いた映画なのだらうと思う。

 

ー未知の地球外生命体が、われわれ地球人とコンタクトを取るという骨格をもったストーリーは既にいくつもあります。本作がそれらと違うのは、言語学や数学的な見地から、人類とはまったく異なる思考回路を持った宇宙人の言語を、理解していく過程を丁寧に描いたことにあります。ー映画『メッセージ』ネタバレ感想・解説・考察!難解だがどんでん返しが面白い!サピア=ウォーフの仮説を解説 | FILMESTより

 

つまるところむしろ人間が👽に學んで行く映画なのだ。

其の御勉強が大學などで行われる訳では無くまさに其の👽が人類の教師となっておる訳だ。

 

 

ああー、全く何て素晴らしい御導きの映画なのだらう。

さうだ、今我我が欲するものとはまさに其の御導きなのだらう。

 

其れも御導き系の新興宗教の教祖様による御導きなのでは無くさうして何か人間を超えるもの、人智では及ばぬ領域からズバッと我我を諭して下さる其の啓示であり御託宣の力のことなのだ。

其れもコレも政治やら共同体やら會社やらさうした群れて動く組織は大抵の場合時の経過と共に澱んで行きついには腐って仕舞うものなのだから。

 

だから要するに神佛の世界が其れに対し鉄槌を加えて下さるのである。

だが最近は宗教もまた金次第となり金が無いと教会も御寺もまるで回らなくなって仕舞って居る。

 

だから其の金の力を超えた御導きの力にこそ是非御縋りしたい訳だ。

 

なのでもう其処は👽しか居ない訳だ。

👽がさうして此の地に降り立ち我我獣の如き地球人をおおそんな欲まみれ罪まみれの穢れ切った生命共を教え導いて下さらずしてなんとする。

 

 

うわあー、いつの間にやら宇宙からデカい石板が飛んで来たぞ。

其処に書かれて居る宇宙文字を解読したところ、其処には何と!

 

「おまえらは参拾年以内に滅びる」

とさう書いてあるではないか!!

 

さらに、

 

「おまえらの欲ボケはもはや死んでも治らん」

「おまえらの馬鹿ももはや死んでも治らん」

 

とさう書かれて居るではないか!!

 

 

👾様、まさに其の通りです。

我我人間は確かに其の欲ボケの大馬鹿です。

 

我我は望み過ぎました、さうして求め過ぎても来た。

過分に求め且つ過分に繁殖しもはや地球をブチ壊す一歩手前での状態にこそあります。

 

 

「汝等の欲が地球を壊す、だから今教え導いておるのだ」

 

…。ー絶句する我ー

 

 

其の言語のあり方により思考は変わり価値観がまた変わっても参ります。

人類が近代型の文明を築きかうして繁栄して居ることは或いは他の言語圏、他の価値観からすれば愚かなことであるに過ぎぬのやもしれぬ。

 

個人的には価値観の多様性を保持し得る文明を築くことこそが大事なのだと思う。

其の価値観の多様性とは諸の全体主義の圧迫を解く方向性を宿すものです。

 

但し所謂近代全体主義では無い其の価値観の多様性を成就することは個としての欲を制御すること以上に難しいことです。

ですが理性とはむしろ其の矛盾にこそ挑み続けるものである筈だ。

 

其の矛盾は観念が生み出しますが、矛盾に挑むものもまた観念でしか無いと云うことです。

 

 

【ネタバレ注意!!】映画『メッセージ』は原作小説の「感動」を伝え切れていない:『WIRED』US版の考察 | WIRED.jp

 

こちらで論じられて居るやうに此の映画では時間の認識ー時間の流れ方ーが主要なテーマとして取り上げられて居ます。

 

「逐次的認識様式」→「同時的認識様式」

普通我我人類が取る認識法とは其の逐次的認識様式です。

 

即ち過去は過去、現在は現在、未来は未来と云うやうに時間はあくまで逐次的に認識されて居るものです。

其れは其のやうに分離された認識の形式を採って居ると言えるのかもしれません。

 

過去⇔未来

 

過去⇔現在

未来⇔現在

 

時間は常に相対分別され分離して認識されるものだが實は理性的になればなる程時間は同時進行的に捉えられるものなのではないか。

即ち過去、現在、未来と云う謂わば其の正の流れが曖昧となり時に現在へと過去がなだれ込んだり未来のヴィジョンが現在に齎されたりするものなのではないか。

 

其の正の流れー分離ーに対し負の流れー同時性ーが形作られると未来と云う結果を恐れずとも現在をなり立たせる勇気が湧いて来るものです。

 

原因⇔結果

 

こちらもさうで、其れが相剋し且つ相即する関係になるからこそ結果を恐れずに挑んで行ける訳だ。

ー第一近代オリムピックの精神とはまさにさうしたものではなかったかー

 

 

即ち、

 

過去→未来

原因→結果

 

の状態では少なくとも其の同時性を担保出来ぬ訳だ。

但し普通我我人間には未来を見通す力はありません。

 

もしも未来が予知され、其れが悪い結果を生むものであることが分かったのであれば人間は絶望し現在を放棄しやうとさえする筈です。

ですが、

「逐次的認識様式」→「同時的認識様式」

との認識様式のシフトが行われて居れば其処で未来を悲観し現在を否定する立場へと追い込まれずに済む筈だ。

 

 

事實映画の主人公の言語學者であるルイーズは其の👾の認識様式である「同時的認識様式」を彼等の言語形式を學ぶうちに身に付けて行く。

其れでもって現在に未来のヴィジョンが混入し要するに未来のことが予見出来るやうになる訳だ。

 

しかも其れが自らの生としての望まぬ結末であることを予見するやうにもなる訳だ。

其れでも彼女は其の未来への選択を放棄せぬばかりかむしろ積極的に其れを為し遂げるのです。

 

と云うことは彼女は👾の認識様式である時間に於ける認識の高次性をすでに獲得して居た訳だ。

 

尚私は勿論未来を予知することはまるで出来ませんがどちらかと言えば過去へと頻繁に記憶を遡ることが出来ます。

逆に言えば過去は私にとり遠く過ぎ去った時なのでは無くむしろ現在と同時進行中、並列して進行中の時なのだ。

 

以前に人にそんな話をしましたところ其の人はそんな遠い昔のこと等思い出せぬと云うやうなことを述べられて居た。

勿論私にも忘れたことは多々あるのですが何故かさうして過去こそが現在の一部であり其れは現在とは無関係な遠い記憶などでは無いのです。

 

 

さて、此の辺りのことは元々此の映画の原作となったSF小説である『あなたの人生の物語』に描かれた世界観なのだと思われる。

私はまさに其のSF小説ファンだった訳ですがー特に廿代の頃はーSF小説はさうしたフィクションとしての手法を取りつつ現實の社會にも通じる鋭い指摘や哲學を論ずる場でもまたある訳で故に其れは非常に奥が深い分野だと言えることかと思う。

 

ーバンクス博士はヘプタポッドの書法を練習することによって、ヘプタポッド的な思考を行えるようになっていく。これにより彼女は未来の出来事を知るようになり、まだ生まれていない娘との幸せな日々、夫との破局、娘の成長、そして娘との事故による死別を垣間見る。

最後には悲劇が待っていると知りながら、バンクス博士は行動を変えることはできない。ヘプタポッド的思考で未来を知ったものは、その未来を誰にも告げてはならず、知ったとおりの未来に合わせて行動しなければならないという衝動が生じるためである。夫とも娘とも別れなければならないという未来を知っている博士は、それまでの道程のすべてに注意を払い、どんな細かなことも見逃すまいという決意を抱く。この物語を通じて、過去形で語られるヘプタポッドとのコミュニケーションに交じって、未来形で将来の出来事が語られていたが、それはバンクス博士が過去とともに未来を「回想」していたためであった。

ヘプタポッドたちは、ある日突然地球を去る。なぜ彼らが地球にやって来たのか、そしてなぜ去っていったのかが明かされることはなかった。ーあなたの人生の物語より

 

もっと哲學的且つ宗教的に申せば時間の認識其れ自体が不幸の始まりでもまたある訳だ。

成功や発展がある人類の活動の他面には失敗や悲劇こそが待ち構えて居る。

 

時間の認識其れ自体を神へと丸投げし絶対化、永遠化するのがキリスト教の考え方で、他方で佛法は時間と云う相対認識其れ自体を滅し去ろうとする。

尤も其れはどちらも正しいのです。

 

 

ですが今やコロナ感染が特に都市部で心配です。

オリムピックは確かに視て居て樂しいのですが本来ならば今やるべきことでは無い。

問題は其の「止められぬ文明であり組織」である部分つまりは社會と云う全体主義集団が齎す危機の部分です。

 

だから私は文明だの組織だのを個として半分捨てなさいとさう申して居るのです。

 

なのではあっても、理性的な認識とは實は現在だけに留まるものではありません。

さうして過去を見詰め未来を直観しつつ我我は歩を進めるべきかと存ずる。

 

さてヘプタポッドつまり👾達は地球を侵略する為に其処を訪れた訳では無かった訳だ。

むしろ人類を助ける為に彼等は地球を訪れまさに人類を教導して居たのでした。

 

さうして人類がまた文明がまず考えなければならぬのは認識上の誤謬に就いてです。

其の誤りは前近代に於いては許されるものでしたが近代に於いては其の誤りこそがまさに致命傷となるのです。

 

 

正しい認識とは「止めるべきものを速やかに止める」だけの理性を持つことだと思われる。

また其れは文系理系の垣根を越えてさう判断されるべきものだ。

 

此の映画から學べることとは本来ならば未来を「回想」する程に理性的であるべきことこそが認識の新たな次元であると云うことではないか。

 

さて我我はコロナ地獄への入り口にすでに立って居る可能性すらもがある。

だから此の際半分文明を止めませう。

 

文明よ、今こそ気付け。

我我の幸福はそんな「イケイケドンドン」の中には決して無いと云うことをこそ。

 

我我の幸福はさうして過度に競い合い優劣を付けるところにあるのでは無い。

 

我我の幸福は、

我我の幸福は…。

 

我我の幸福はさうして👾から學ぶところにこそある。

いや👽は居ないのでむしろ自分でもって自分を學び其の馬鹿を治して行く他は無い。

 

さうか、要するに馬鹿を根絶せしめることこそが我我の幸福に直結する課題なのだ。

 

 

其の馬鹿とは何ですか?

まあ馬鹿とは例えばやり過ぎちゃうことだらう。

 

其れに止められ無いことだよ。

 

止められ無いことが馬鹿の証拠であり止められる人間こそがまさに偉い人なのだ。

だが其れが自分でもって出来ぬ限りつまり自分で仕出かしたことの尻拭いが出来ぬ限り👽だの神だの佛だのに御縋りするより他は無い。

 

さうして我我は常に地獄に佛を、絶望の中に一筋の光明を、其の神の叡智による救済をこそしかと見詰めて居らねばならぬ。

スポーツの世界の素晴らしさと其の危険性

ついにオリムピックが開幕したやうで、開会式を視ましたが決して悪くはなかったです。

其の演出などからして東京には流石に文化力があるとさう思わされました。

 

特に地球らしきものが東京上空に浮かび上がるところが面白かったです。

 

此の開会式を規定するところでの力とはさうした文化の力、藝術の力であり表現の力です。

ですので其れはさうした力を其れも一級の力を🗾と云う國が有して居ることのまさに証左なのでもある。

 

 

ー「これまでの五輪開会式より簡素だが、詩的、文化的側面は劣っていない」ー五輪開会式 仏メディア「簡素だが感動的だった」より

「クールだったよ」賛否の開会式、米国記者は興奮「ノリノリではなかったが今の状況下では素晴らしい」【東京五輪・記者コラム】 (msn.com)

 

全く其の通りで詩的で文化的な側面が色濃く感じられる何処か感動的な開会式だったのだと思う。

ところが、イザ個別に競技が始まれば其処に繰り広げられるのは肉体力であり個が壱番に成らうとする獣力其のものです。

 

などと老荘思想だの左翼平等思想だのに軸足を置き述べればオリムピックなんてそも意義が無いことともまたなるのであります。

 

實際オリムピックは可成にバカバカしいことです。

其れも理性的に考えれば考える程可成にバカバカしいことである。

 

特に近代オリムピック古代オリンピックとは別物となって居る可能性が高い。

 

 

古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである、というもので、この文字が彫られた金属製の円盤がヘーラーの神殿に捧げられた。この円盤はのちに発見された。ただし円盤は現存しないことと、協定を結んだとされるリュクールゴス王が実在したかどうか不明のため、この由来には疑問視する声もある[要出典]。ー古代オリンピックより

 

なる程、確かに元々オリムピックは平和の為の祭典だったのだった。

 

ーしかし、この祖国での優勝者への過剰な褒章が、逆に大祭の腐敗を生んだ。祖国が優勝者に支払う報奨金は跳ね上がり、褒章欲しさに、不正を働くもの、審判を買収するものが出て、オリュンピア大祭は腐敗した。買収を行ったものと応じたものは多額の罰金が科せられただけでなく、その不正の深刻さに応じて肉体的懲罰や大会追放が言い渡された。この罰金を元に、オリュンピアに「ザーネス」と呼ばれる不正を象徴する見せしめのゼウス像が作られた[5][6] が、ゼウス像の数は増える一方だったという。記録によれば最終的には16体までザーネスが建てられたとされるが、今日のオリュンピアに残されているのはその基部のみとなっている。

ローマがギリシア全土を征服し、属州編入した後もオリュンピア祭は続けられたが、暴君として知られるローマ皇帝ネロは、自分が出場して勝者となるために第211回オリュンピア競技会の日程を本来行うべき65年から無理やり67年にずらしたのみならず、たとえ競技に敗れても優勝扱いにさえなっている。ネロの権力の濫用と不正に対する批判は強く、この祭時を変えさせてまで開催を強行した大祭は後に正式な大祭とされず、ネロの死後公式記録から抹消された。しかし変更された祭時は戻される事なくそのままで、最後の第293回大祭までこれは変わっていない。

また、自分の歌を披露するため、音楽競技を追加した。ネロは7種目で優勝したとされるが、その競技内容は悲惨で、特に音楽競技は聴くに堪えない劣悪なものだったという。

ネロの死後、この大会の存在そのものがエーリスの公式記録から抹殺された。このため、この大会をオリュンピア大会と認めない研究者もいる。

最末期、キリスト教が広まるにつれ、異教ローマ神の祭典であるオリュンピアは、しだいに廃れていった。313年、ローマはキリスト教を認め、392年国教とした。この時キリスト教以外の宗教は禁じられた事によりオリュンピア大祭も禁じられる事になった。ー古代オリンピックより

 

 

結局其の褒賞と云うもの、栄誉だの名誉だのと云う部分が人間の欲望と結び付き不正の蓄積を生みやがて腐敗へと繋がって行く訳だ。

また暴君ネロはさうして権力の濫用と不正を行いしかも其れを押し通した訳だった。

さらに下手糞な歌まで歌いじぶんは藝術にも秀でた優れた権力者であることを民衆に対し示さうとした。

 

其のじぶんが偉いと云う考えは然し本来理性的なものでは無い筈だ。

だから其れこそ理性的なキリスト教の力により壱度は其れが廃れた形となった訳だ。

 

 

近代オリンピック

 

では其のクーベルタンと云う人物のことを調べてみやう。

 

ー彼は社会進化論の信奉者であり、優れた人種は劣等人種に社会的恩典を与えなくてもよいと考えていたことである。またナチス・ドイツが1936年のベルリン・オリンピックで示した熱意に非常に喜んだ。クーベルタンヒットラーの強さと規律に照らされたベルリン大会を、後続の大会は規範にするべきだ」と考えた[1][信頼性要検証]。また。クーベルタンの後継者であったアベリー・ブランデージや、フアン・アントニオ・サマランチフランコファランヘ党員)も右派思想の持主であった。[独自研究?]


ー また、クーベルタン男爵はこの席で「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」とも語っているが、こちらは本人が考え出したセリフである。

一方、「女性をオリンピックに参加させることは、実際的でなく、面白くなく、不快で、間違っている」「女性の誇りは、産む子供の数とクオリティーを通してはっきりと表に現れる。そしてスポーツについて言えば、女性の素晴らしい偉業は、自分の記録を出すことではなく、息子たちを勝利に向けて励ますことだ」という発言もある。1896年のアテネで、第一回オリンピックが開催された時は、女性には参政権が無かった時代で、オリンピックは男性のためにあるスポーツの祭典とされた。現代ではあからさまな女性差別発言だが、当時はこの発言に違和感を覚える人はあまりいなかったのである[2][信頼性要検証]。ーピエール・ド・クーベルタンより

 

 

エッ、其のクーベルタン氏とはそんなまるで極右のやうな考えの持ち主だったのか?

まあ其の👩の誇りの部分は分からなくも無いのだし👩がムキムキになり何でまた重量挙げだのレスリングだのをやるのかと云うことも確かに理解し難いことである。

 

ですが、とらあえずは「理性的な」左の思想へと軸足を移すのであればかうした女性蔑視発言は無論のこと許されぬ筈だ。

第一アノ森の爺様がつい先日其処を失敗したばかりのことではないか。

 

また此処まで理性的な我も時に👩を貶すことが多いが故に實は其処こそがウイークポイントとなって居り其れでもって大抵は👩に無視されるやうになり観念もろとも其の女共に撃沈されておる訳だ。ー實はこれまでに何度も撃沈されておるー

 

 

ですが理性的なこと=👩を持ち上げると云うことでは實は無いのである。

 

かのキリストはむしろ女性には冷淡であったフシさえもがあり、また佛陀は佛陀でむしろ其れ以上に女性には冷淡であった。

むしろ佛陀は若い頃もう物凄い👩嫌いでもあった可能性が高い。

 

 

兎に角体育會系の暴走はさうして強権による圧迫や権力の濫用、またまるで何も考えず突っ走って仕舞う傾向があり少なくとも其れは理性的な場では無いことだらう。

だから其のオリムピック其れ自体もまた冷静に見詰めて置く必要があらう。

 

ところが人間の本性、其れも集団心理の中にはかうして皆で集まりまさに国威発揚だの不可能への挑戦だのさうした非理性的な高揚感に対しむしろ酔い痴れるものなのだ。

だが決して群れぬ文人はさうして独り静かに「カリカリカリ」と何かを書きつつそんなバカバカしい様を冷ややかに眺めても御座る。

 

 

 

但し私は球技には熱中する。

例えばソフトボール

 

コレは其の👩がやるものだがまさしく戦闘其のもののやうなことだ。

 

本日はカナダ戦をTV観戦したが其れはまさに死闘であり素晴らしい試合であった。

日本人はどうもかうした団体競技が得意なやうである。

 

さうして視て居て一番ドラマックに楽しめるのは矢張り球技である。

 

但し午前中はずっとスケートボードの方を視て居た。

スケボーだのスノボーだのは爺にとり一番分かりにくい競技かと思うのだが私に限り其れを大変面白く視ても居た。

 

但し大層危険な競技である。

以前に私は死に直結するやうなことをあえてやり其れを撮影しユーチューブにUPする若い奴等を大馬鹿だと述べたのだが少し此れ等にも其れに近い部分さえもがある。

 

然し決勝を視ようと思って居つつ家事をやりながらTVを視て居たのでつい大坂なおみの試合を視て仕舞い日本人選手が優勝するのを見逃して仕舞った。

 

金メダリストの堀米は「天才」幼少期を知るスケボーショップ店代表が語る (msn.com)

其の堀米氏は眞面目な感じの好青年であり多くの此の手の選手のやうに刺青を入れたりはして居ないから今回よりファンになって仕舞った。

 

 

 

また例えば野球。

其の🗾代表監督の稲葉  篤紀は元中京高校の四番バッターでイチローと同じ豊山町のバッティングセンターへ通い其のイチローが放つ凄い打球も見て居たのださうだ。

 

其れにかの大投手の金田  正一は稲沢の人である。

槙原  寛己 工藤  公康 山﨑  武司もまた愛知県人である。

 

特に家の区の隣の昭和区の出身の工藤は小学生の頃よりバッティングセンターにも通って居たさうだから当時私とも何処かで鉢合わせして居た可能性が高くある。ーさうして私は二十歳位までバッティングセンターへ週に弐、参度通い打撃技術を磨くことが肉体の上での最大の趣味であったー

 

 

左様に野球界は愛知県人により築き上げられてもまた居るのだ。

であるからなのか愛知は野球が盛んなところなのでもまたある。

 

でも私は根が文人なので野球の所謂根性物が實は余り好きでは無い。

ハッキリ申せば野球部のアノシゴキのやうなものが大嫌いである。

 

なのだけれども野球は観て居てとても面白いスポーツなのだ。

だからオリムピックでも其の野球をこそ視なければならぬ。

 

 

さらにゴルフもある。

さうかアノ松山も出場するのか。

 

一時期ゴルフは命を懸けてやって居たがもう面倒臭くなり止めて仕舞った。

其れも準プロ級での追求までやってみたのだがおそらくはもうまるで球は飛びません。

 

さうだ、大掃除でもって苦労させられるのが其のゴルフクラブの整理である。

まず五拾本程はクラブが出て来るのであらう。

 

ゴルフのクラブをあれこれと改造すると万単位で金がかかるものだがボールペンの改造の場合はとりあえず家にある部品で済ませばかうして金がかからず零円である。

 

 

其のゴルフの練習なども壱回で参千円程もかからう。

つまりは拾回行けば其れだけで参万もかかるのだ。

 

ゴルフは個による職人技の追求なので實は野球などよりも私には向いて居た。

私はさうして個的に追求するものに関しては強いのでまさしく其れが肉体的技量の為の追求の場となって居たのだ。

 

ゴルフの道具の追求も一時期は筆記具の追求と同じ位にしたものだった。

 

さうしてゴルフでは道具が大事となるのである。

 

我は兎に角凝り性なので其の道具は一般的なものは使わない。

参拾歳位の時に中嶋 常幸のプロモデルをすでに使って居たのだし五拾代の頃に最後の追求としてドライヴァーショットの飛距離を追い求めたのも長尺仕様のアマチュアではなかなか振り切れぬ代物を使ってのことだった。

 

其の折の飛距離は練習場に居合わせたツアープロにも認められた程だった。

但し其の時の飛距離はすでに失われた。

 

だが其の折の私の飛距離を記憶して居る人もまた居るのである。

 

 

ところが其の我の肉体での追求はどうやら終わりの時を迎えつつあるやうだ。

 

結局は體が爺となったのかあらゆる面で以前ほどのパワーが出ない。

 

其の代わりに観念の方がより研ぎ澄まされて来て居り要するに今勝負すべきこととは筋力では無く観念力の方なのだ。

 

 

其の観念力は衰えることが無い。

観念は衰えずむしろ蓄積されて行くのである。

 

但し肉体が衰えれば其れに伴い限定されることだらう。

だが基本的に観念は肉体程限定されず其れはむしろ∞のものである。

 

 

観念の力は∞なので實際どんなことでも考えられやう。

であるからこそ實は危うい。

 

其れは観念がそも自然物では無いことを意味して居る。

其のやうに限定されし自然のものでは無いのである。

 

 

さうしてとどのつまりはスポーツ=肉体の力と観念とが結び付くとむしろロクなこととはならぬのだ。

だからスポーツは只観て樂しんでおくべきものなのだらう。

 

 

さうして肉体の価値と云うのは所詮飲んだり食ったりすることと同じで其の場限りでの価値です。

 

其の其の場限りでの価値を余り持ち上げぬ方が良い訳だ。

ですが其の「限界への挑戦、不可能への挑戦」と云うスローガン其れ自体が實は観念的な価値です。

 

だから其れは変なところー肉体の改変ーに人間の観念が夢見て居るのでありまずはそれがオカシイ、変だと云うことを述べて居るのです。

もしも夢見るのであれば例えばこんな矛盾に満ちた社會を根本から変えたいだの醜い人間の心の浄化の方をこそ望むべきですのにそんな壱メートル高く跳んだり百分の壱秒早く走ったりすることで本質的に人間が良くならう筈も無い。

 

 

でないと大谷 翔平氏のやうに疲れて仕舞うのではないか。

 

尚彼は7月生まれの天才肌の人ですので元々危ないのです。

7、8月生まれにはさうして天才肌の人が多くさうした人は崩れる時は一気に壊れます。

 

いつしかさうしてスポーツ其れ自体が近代イデオロギーの實現の場とされて仕舞って居るがどうも其処が納得出来ぬ。

 

だから球技はただ白球と戯れて居るのが良いのです。

スポーツの世界はさうしてペンの世界とはまるで違う。

 

スポーツの世界は本来星々の世界や地球の自然の世界に近いものです。

要するにほぼ本能的な世界なのだから、只黙って球と戯れて居ることこそが良い訳だ。

筆記具を愛することは最終的に人間の観念ー思考ーを愛することだ

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其の中國の万年筆は参年程前にJINHAO-金豪-の物に凝りました。

尤も廿~拾五年位前に凝って居たのはHERO-英雄-でした。

 

当時は英雄にも色々なタイプの万年筆がありましたがオープンニブのタイプの金ペン先は非常に良い物でした。

其れでもって私は今でも廿本近くの英雄の金ペン先付きの万年筆を使って居る。

 

 

但し当時の英雄の万年筆の軸は良いものではありませんでした。

ハッキリ申して当時の伊太利亜と中國の万年筆の軸は壊れ易い物が多かったやうに思う。

 

但し其れには個性があります。

また其れは米英の万年筆とはまた違う強烈な個性です。

 

 

ちなみに私の場合は元々米英第一主義ではありませんのでそんな個性的な万年筆が特に好きだったのだと思います。

 

当時の英雄の万年筆の金ペン先は、欧米のメーカーの金ペン先とは異なり謂わば筆的な感触が何処かに残るものでした。

其れは超柔軟だと云うことでは無いのだが柔軟性も有して居ました。

 

但し日本人は共産主義中國のことが大抵は嫌いなので米英第一主義、洋物至上主義の愛好家は其れこそ中國の万年筆をハナから馬鹿にして使わぬ訳です。

 

ですが私はむしろ仮名だの漢字だのが最も書き易いのは英雄の金ペン先だとさうも思って居ました。

日本の筆記文化はそも其のやうに米英や欧州とはまるで異なるものです。

 

ところが日本の愛好家のみんなが好きなのは独逸の万年筆だの米國英國の万年筆だのばかりなのでした。

 

 

独逸の万年筆だの米國英國の万年筆だのには勿論良い物があります。

なのではあれ其れは絶対の価値だとは言い難い訳だ。

 

其れは文化的伝統が異なると云うところへと最終的には集約されて来るだらう問題です。

尚私は筆文化、所謂書の世界が好きです。

 

 

元々文人墨客の世界と申しますかかの明窓浄机の世界に憧れて居りまた思想の面でも所謂老荘思想には参拾代の頃に特に親しみました。

で、ふと気付きますとかの荀子とほぼ同じやうな社會性悪説を自分でもって考え出して仕舞って居た訳であります。

 

そんな訳で東洋の思想、東洋の文化にも縁が深かった私はストレートに欧米の文物に対し其れを崇拝して居た訳ではありません。

だからと言って欧米の文物を否定して居る訳でも無く他方ではむしろ其れにもドップリ浸かって仕舞って居た訳だ。

 

ですがさうしてチャンネルが多いこと、要するに見詰める方向性が大抵は弐極を同時に眺める私は一つの方向性だけで其れに満足すると云うことはむしろ出来ぬ訳だ。

 

 

また其れは物であれ思想であれ常にさうなのだ。

其れは私が一方向だけから見て何かを判断しないと云うことを指し示して居ます。

 

一方向だけから見て何かを判断すると大抵は独善に陥る訳でだから日本萬歳!だとか或は其の逆に共産主義萬歳!などとは考えて居らず逆に其の壱方向性に拘る奴等は馬鹿の特徴を色濃く備えて居る、などとも實は考えて居ります。

逆に申せば理性とは其の矛盾に挑み続ける何かであると云うことでつまりは其処でもってどうにもならんものをどうにもならん侭に悩んで居る事こそが理性であることの証明なのだ。

 

其れを大抵は其の矛盾に耐え切れなくなりそんな矛盾苦に苛まれる理性であること、悩む知性であることを放棄して仕舞うのですがまずはソコんとここそが誤りなのだ。

ですから知性とは悩むことなのです。

悩まぬ奴は馬鹿でだからこそ悩まぬのです、いや悩めぬのだ。

 

私がかうしていつも知性的なのはさうして私が常に悩んで生きて来たからのことだ。

 

 

「人間とは悩む葦である。」

 

だから悩まなくなったら人間はお仕舞いです。

イザ悩まなくなったら人間は獣以下の生命と成り果てませう。

 

つまりは悩む奴は相当に人間的な奴だと云うことです。

さうして人間は観念的に苦しんでナンボの者である筈です。

 

左様に知性とは多方向から物事を捉え其の矛盾に苦しめられること其のものだ。

だから信ずるに値するものはコレだけだと思って居るうちは君は其の眞の知性へはまるで達して居らぬ訳だ。

 

 

で、九拾年代の英雄の金ペン先はまた日本の筆の軸だの印度の万年筆の軸だのに何故かピタリと合います。

要するに当時の英雄の軸の出来は良く無いので軸を変えてやるとペン先が其の本領を発揮する訳です。

 

尚上でもってWANCHERのOさんが書かれて居ますが、

ーこのブランドの面白さは、精度が高いこともそうですが、なにより、
中華民族の悠久の歴史ときらきら光る伝統の文化・伝統芸術の造旨を探求し、
金豪万年筆の中に、独自の技術として織り込んでいくことを目標としている点
です。ーヤフオク! - 万年筆【JINHAO/ジンハオ】100 ブラック モザイ... (yahoo.co.jp)より


とのことです。

ひとつにはたとえ安物でも決して作りは悪くないと云う点です。

 

かっての英雄とは異なり軸も悪くは無いのです。

 

 

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私は此のペンを四年前に弐本求めましたが現在でも充分に使えて居ります。

但し此れは充分に重いペンです。

 

然し携帯し何処かで落とすとデカい音がする為ソコが實は大変便利です。

また落として無くなるにせよ余り苦しまなくて良いところなども至極気に入って居ります。

 

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しかもかうして色とりどりのペンであり安くてしかも綺麗なのです。

 

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其の中華万年筆趣味は最終的に此のゴテゴテの龍、鳳凰装飾物趣味へと陥って行った。

此の種の物を五本も求めしかも其れを携帯などもしても居りました。

 

此の種のペンは軸の装飾部が鋳鉄製なのか頗る重く一番重いタイプのJinhaoで117グラムもあるのです。

 

要するに明らかに所謂文鎮万年筆です。

文鎮の代わりにもしかとなる奴だと云うことです。

 

 

なのですが其の個性たるやまさに半端では無い。

バカバカしいものも此処まで行くと逆に見事であり其処に何やら感銘さえ受けて仕舞うものです。

 

また其の鋳鉄?の意匠は決してチープではありません。

あくまで重厚でもって精密に鋳造されて居りまるで悪くは無い仕上がりなのです。

 

但し全体としてはつまりはクソ重いと云う個性が強過ぎるペンなのだ。

 

かうした極端な万年筆が意外と私は好きです。

要するに其処に主張が強くあるが故に好きなのでせう。

 

 

さてクソ暑いにも関わらず日々私は掃除に精を出して居ります。

兎に角拾年振りの大掃除なので出て来るものが沢山ありむしろ其れを愉しみつつやって居る訳だ。

 

最も大変なのが筆記具の整理と服の整理です。

尤も大事な萬年筆に関しましては私も一応此処までの蒐集家ですので杜撰な管理はして居らず其れは全て専用の桐の小箪笥の中にしかと保存されて居る訳です。

 

萬年筆だけでは無く大事な銘木ボールペンの方も其処に確かに保存されて居る。

 

尤も其れ等は基本的に使いません。

私はさうした保存の価値、使用しない価値を筆記具に認めて居ります。

 

逆に使うペンは机上のペン立て及び机上横に設えた収納ケースー数十年かけようやく探し出した書類収納ケースーに参百本程入れ其れ等を意図的に日々使って居ります。

今回あれこれと整理して居たところ弐本面白いペンが出て来て、壱本はかって萬佳さんより求めた銀色をした長い軸の龍物でありいまひとつはモンテグラッパのシガーでした。

 

但し此の弐本のペン先はかって改造に使用して居りすでにありません。

 

其処でフィードーペン芯ーを替えスチールニブを組み合わせ其れ等に付けましたらところ素晴らしい付けペンーDip Penーが出来ました。

但し其の細身の龍物の軸はボールペンに改造してみても面白いのかもしれません。

 

ボールペンは細身で長い軸が向いて居り且つ重い軸の方が書き心地の方は良く感じられるものです。

 

 

シガーの方には金星のスチールニブを付けてみましたが此れは此れでなかなか良い。

 

但し其のDip Penと云うのは万年筆のことではありません。

其れ即ち万年筆以前でのペン筆記に用いられて居たアノインク瓶に直接ペン先を浸し書く書き方のことです。

 

拾年程前から古典的な筆記のあり方を追及した私はやがて此のDip Penの世界にも深く関わることとなりました。

Dip Penの世界とは明らかに西洋骨董趣味即ちアンティークの世界のものなのですが其のペン先をインク壺に付けて書くと云う原始性、非合理性の部分が一種書道などにも繋がる価値観を形成しさえもするのです。

 

其のDip Penの世界まで遡る筆記の愛好家は現代では極稀なことかと存じます。

ですが私はかうして西洋の書道即ち硬筆習字の世界にも大きく関心を抱いて居た訳だ。

 

 

其処をより分かり易く申せば所謂カリグラフィーの世界のことです。

欧米にも書道はありまさに其れが硬筆習字なのです。

 

ですが私に其のカリグラフィーの心得があると云う訳では無く其れを良く知る訳でもありません。

只私には中國発祥の筆を扱う最小限のテクニックだけはあると云うことなのです。

 

ですので、文字を書き記すことの上での表現としての其のかっての美しい筆跡の世界に憧れても居た訳だ。

洋を違えるとは言え万年筆の愛好家が好む柔軟なペン先とは本来ならばむしろ其のことの為に存在して居た筈です。

 

なのですから現代の筆記の愛好家が「書き味」を求める為だけに柔軟なペン先を求めるのは本質としての線描を忘れた本末転倒の解釈である、と云うやうなことさえをも述べて居りました。

私はかうしてストレートに何かー特に組織や風潮だのーを批判することが大得意なのだ。

 

 

故に私は今でも其のDip Penの世界を愛して居ります。

机上にはいつも重厚な六角の大きなインク壺を置いて居り其処にペン先を浸しつつ其の原初的な形でのペンの筆記を愉しむ訳だ。

 

インクの色はパイロットのブラック一色です。

 

かっては逆に数拾種類にも及ぶカラーインクを用い万年筆にて色とりどりの筆跡を書き描いて居りましたが拾年程前から妙に偏屈となり何とカラーインクを全否定して仕舞ったのでした。

華美なカラーインクを使うやうではまだまだ筆記と云うものがまるで分かっては居らぬ。

 

などと勝手に考え始め兎に角偏屈でもって融通の利かぬまるで古の西洋の文人の如くに其の厄介な筆記世界へとのめり込んで行ったのでした。

いや西洋に限らず東洋でも文人は皆気難しい人が多く其れは元々庶民のレヴェルのものではありません。

 

 

其のDip Pen化すると云うことはむしろ過去を見詰め其処にあえてさう限定して居る訳です。

とりあえずは進歩の埒外に逃れることで価値を過去側に振りむしろ其処に「求め無い価値」、「求め過ぎぬ」価値を+として体感すると云うことなのだらう。

 

例えば常に忙しい現代人は一日海で泳いだり山へ籠ったりするとむしろ精神的に其処で解放される筈だ。

要するに其処には常に忙しくは無い部分での価値がしかと拡がって居る訳です。

 

また筆記の世界にせよ其のことはあり、情報として個を規定せんが為の諸の書類への記入もあればそんなゆったりとした気分での趣味的な筆記の追求の世界もまた他方にはある。

筆記すること自体を愛好する我我筆記具愛好家は勿論後者での価値を重んじて居る訳だ。

 

ですが筆記具はまた進歩するものです。

要するに筆記具には社會性が組み込まれて居る。

 

 

なので筆記具は社會のあり方の変化と共に其れ自体が変わって行くものです。

ですので社會がスピードアップされた今、価値がより抽象化され観念化ー幻想化ーされた今其処で求められて居るのはボールペンによるより合理化された筆記である。

 

なんですが、實はボールペンでも愉しめると云うことを私は述べて来たのです。

ですがかうしてキーボードを叩くことで「書き味の良さ」を愉しむことなどは決して出来ません。

 

其れは情報機器に関するものが須らく合理化されたものであると云うことを指し示して居る。

だがさうして合理化され数的還元処理されし価値に果たして人間の實感としての愉しみが生じ得るのか?

 

文明の進歩により圧迫されて行くのはむしろさうした實感を伴う部分での感覚的な歓びのやうなものなのではないか。

實感を伴う部分での肉体的感覚的な満足が次第次第に圧迫されそんなストレスフルな状況へと追い込まれて行く訳です。

 

 

其のストレスフルな状況から筆記具愛好家はまさに筆記することで逃れやうとします。

其れは筆記すること自体に肉体的感覚的な要素が多分に組み込まれて居るからなのだ。

 

筆記はまた観念とも多分に結び付いて居る。

筆記即観念であり観念即筆記なのでもまたある。

 

 

「人間は考える葦である」

考える葦

 

考えぬ人間はどんな動植物よりもタチが悪いと云うことを述べて居るのだと私は思う。

故に人間は理性をフル回転させ常に正しい選択を行えるやう其の都度意思決定して行かねばならぬ。

 

動植物達に筆記具が要らぬのは其れは考えぬ生き物だからであることに他ならない。

 

動植物はさうして本も読まず筆記具も使わず毎日が日曜日で何やら樂さうで良い。

だが筆記具に嵌る歓びの世界を彼等は知らぬ。

 

思考三昧して苦悩し絶望する其の素晴らしい理性の悩みの世界を彼等はついぞ知ることが無い。

だがイザ人間と生まれたからには徹底して考えてみよ!

 

其れももう徹夜でもってして考え其の考えをノートに纏めて提出しなさい。

 

「人間は考える葦である」からこそ筆記具が大事なんだ。

恋愛よりも何よりもまずは筆記具が大事だ。

 

 

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個人的には私は今コレが欲しい。

此の白く穢れ無きペンでもって是非宗教を讃美する詩でも書いてみたいところだ。

 

もしやコレをまたボールペン化することを考えていませんか?

まるで考えては居ません。

 

考えては居ませんが、他の改造は考えて居ます。

 

丁度本日もつい先程古いプラチナのリヴィエールが弐本出て来たのでまずは壱本をボールペン化したところです。

 

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此れと同じ物ですが銀無垢軸では無く銀張り軸だと思われます。

私が若い頃に好きだった万年筆ですが弐本ともすでに可成に黑変して居ます。ー銀の硫化によるものー

 

細身の金属軸ですのでボールペンの軸には向いて居る。

 

其処にJS芯を組み込み安物ボールペンの金属性の首軸を付ける。

すると何とも言い難いやうなまろやかで且つ滑らかな書き心地がする。

 

JS芯は其のまろやかさを選ぶなら0.7ミリ芯で筆跡の美しさを選ぶのであれば0.5ミリ芯の方でせう。

尚先日ボールペンの芯が切れまたイオンへ出向きましたところ、JS芯の横にパイロットのアクロボールの芯が売られて居たので其れも求めて来ました。

 

組み込む軸の方の形状によりJS芯が入らぬことがむしろ多くそんな時に此のアクロボールの芯は重宝しさうです。

 

 

筆記具愛好家はこんな具合にふと気付くと毎日筆記具のことばかりをやって居たりもまたするものです。

だからまさに其処が馬鹿なのですが、馬鹿は馬鹿なりにさうして筆記浪漫の世界に生きて居るのですから是非馬鹿にしないで頂きたい。

 

同じ馬鹿でも👩や酒、其れにギャンブルなど危険なものに凝りますともうとんでも無いこととなりませう。

ですが筆記具愛好家は、かうして独り静かに、

 

カリカリカリ」とDip Penにて硬筆の御習字をして居るだけのことなのです。

平和、さう、何より平和だ、おおまさに其の戦闘機だの爆弾だの特攻だのと云った世界とは対極の価値だ。

 

 

夜中に机上で「カリカリカリ」とな。

然し暗い趣味だな。

 

さうでは無い。

其の暗いのはな、いや暗く見えるのはな、其れは理性の特徴なのだ。

 

理性とはな、さうして暗いのだ。

さうして暗いから、考えられる。

 

暗く無い奴はそも何も考えぬ。

だが其れは極めて危険な兆候だ。

 

人間は何でも出来る、さうだ、やったれー、不可能への挑戦だー。

でも其の思想はオカシイ、間違ってる。

 

と云うことが其の「カリカリカリ」から分かって来るのだ。

だから筆記具とは、

 

「考える葦である人間の為の必須のアイテム」なのさ。

 

 

さうだった。

腕時計もまた二つ程出て来まして、また其れが不思議なことに動くのです。

 

ですから壊れて動かぬから捨て置いて居た筈のセイコー5スポーツオートマティックが何と生き返ったのであります。

實は二年程前に生き返らせやうとして居たものでしたが結局途中で動かなくなるのです。

 

ですが今回は本当に生き返ったやうだ。

 

腕時計の其の「コチコチコチ」と云う針の音、此れなどもまた乙なものです。

 

ですが本質的にはペンの方がより理性的な物でせう。

何故ならペンは何かを書かぬとまるで意味を成さぬ物だ。

 

 

腕時計はさうして見て触って音を聞くだけのものですので受け身での物でもある。

ですが共にまさに🐈にとっての小判のやうなものだ。

 

其れは意味不明な反自然物でありまさに人間の営為ー観念的なまた時間的なーを満足させる為に用意される物だ。

即ち自然には決して手の届かぬまさに癖のある人間の為の観念に対し付属する物だ。

 

であるからこそ愛好家は其れを愛して止まぬ。

人間は決して考えー観念ーを抜きにして語ることの出来ぬ生命なのだ。

 

であるからこそ人間は観念のあり方を常に正し其れを磨き続けて行く必要がある。

其の道具としての筆記具はまさに観念の代弁者であり同時に其れの忠実な記録者である。

 

筆記具を愛することとは最終的に其の観念を愛することなのだとさうも言えやう。

印度に於ける「万年筆革命」に就いて

 

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良く出来たClickの廉価万年筆

 

私たちについて:–万年筆革命 (glopalstore.com)

 

ちなみに私は中國や印度の万年筆に詳しい部分もまたあるのだけれど其れを幅広く集め

る訳では無く此れと決めたブランドに対し徹底的な蒐集を行う訳だ。

 

だから此の「万年筆革命」と云う組織乃至は現象が今まさに印度の万年筆業界で行われつつあると云うことをまるで知らなかった。

 

だが此のケビン氏のお話は實に良く分かる。

 

つまりは今先進國の万年筆はかってー弐、参拾年前ーよりも高価となりつつある。

 

其れも余分な付加価値を付けた形であの手この手で価格を吊り上げるものだから實は庶民が買うものではすでに無くなりつつあるのだらう。

まあ其れでも選択さえ誤らねば壱万円、弐万円でも良い万年筆が買える。

 

但し趣味性の高いタイプは五万、拾万と金を出さねば普通得られはしない。

ところが其の五万、拾万と出し無理をしつつ買った現行万年筆の半分位が??と思うやうな代物である場合が往往にしてあることだらう。

 

 

其れは何故かと云うことに就き私は愛好家としての魂をかけてかって追求して居た訳だ。

何故現行の万年筆は値段ばかり高くなる割には此れと云うモノに出遭わぬのだらうか?

 

其の問いへの答えとは結局現行の万年筆が矛盾的に作られて居ると云うことをこそ意味して居た。

即ち、

 

進歩し良くなる=値段が上がる

と云うことでは必ずしも無く、

 

むしろ、

退化し悪くなる=値段が上がる

 

と云う場合さえもが實際には増えて来て居たのである。

 

 

但し其れ等は見た目は綺麗なので誰しも其れがむしろ退化して居ること、即ち其れがもはや万年筆の本質を欠くことなど見ぬけやせぬ訳だ。

 

愛好家の中でもごく一握りの者が其れに気付き「現行品」は良く無いとさう述べても居た訳だ。

また其れに気付いたにせよ、其れは現代の万年筆が本質的に堕して来てからだ、などと言う人はまず居らず普通はみんなで御遊戯するが如くにまたみんなでもって赤信号を渡るが如くにまさに和気あいあいでもって自分が選んだ万年筆を褒め称え其れでもって万事事が済んで仕舞う訳だ、

 

 

ところが、私は当時ー90年代当時ーむしろ限定万年筆のコレクターだったのである。

だから古いペンはほとんど使って居らず兎に角其の高価な限定万年筆だけをセッセと集めて居た訳だ。

ー筆記具業界に色々と知り合いが居て大抵は四割引きで其れ等を購入して居たものだった-

 

其の限定万年筆も90年代迄の物はまだしもモノが良かった。

但し其れでも其の限定万年筆に過去の万年筆並の實用性と作りの良さがあったとは考えにくい。

 

然し技術力のある独逸と日本の限定万年筆はまだまだ決して悪くは無かった。

 

だが其れ等は決まって値段が高かった。

つまりは五万、拾万、廿万もして居たのである。

 

 

ところが他方には古い萬年筆の世界があった。

が、其れも欧米ですら今程評価されては居なかった。

 

ましてや我が國では、其の古い萬年筆は汚いばかりの物だとさう見られて居たのである。

事實古い萬年筆は汚い場合もまた多い。

 

なので其の価値が皆にはまるで分からず、其の古くて汚く進歩して居ない代物は正当な値が付けられ取引されて居た訳では無かったのである。

 

 

其の九十年代の頃私はまだ参拾代であり其処は流石に若かったので兎に角綺麗なペンや綺麗な姉ちゃんの方にしか目が行かなんだのだった。

 

が、当時から山へ出向き其処でもって良く哲學的に考えたりもして居たものだった。

 

要するに事の本質を見抜く力を其の頃からすでに醸成して居たのだった。

 

 

だが万年筆は兎に角綺麗じゃなきゃいけなかったのだ。

 

其れは汲み取り便所のアノ強烈な臭さと汚さはもう金輪際イヤだと云うやうな感覚だったのではなからうか。

 

其の哲學的思考により次第に其の所謂進歩のウソ臭さ、其の虚的な正の価値構築の様に対し次第に懐疑的になりつつもあった我ではあったが其れでも猶ソコにこそ執着して仕舞って居た訳だ。

 

 

そんな訳で私自身はむしろ現代派、其れもバリバリの現行派のコレクターだったのである。

 

但し学生時代の頃の懐かしいプラチナやパイロットをすでに其の頃集めても居た。

 

当時はネットが今程普及して居らず、だから市内の文房具店をしらみつぶしに回り其処から売れ残りの品を発掘して来る訳だ。

 

其れが21世紀となりネットへドップリと浸かってからはむしろ余り万年筆は集めず万年筆ライターの方に専念して居たのである。

 

 

で、21世紀以降各メーカー共下らぬやうな限定品をこぞって出すやうになり流石の私も其れにはソッポを向き其の後拾年余りは90年代の限定品の良さに就き喧伝して居た訳である。

 

だが拾年程前から戦前の萬年筆への想いが強く激しく兆すやうになって行く。

でもって、万年筆の古典派へと転向します。

掲示板でさう述べ古典的萬年筆の愛好家へとうって変わって行った訳だ。

 

 

其れも今思えば壱種の文明否定なのだが其れも文明の全否定なのでは無く現在を否定的に見詰め過去の価値を持ち上げると云う過去へ向く形での思想的転換だった。

 

さうして、

限定万年筆→古典的萬年筆

との其の流れをかって私はドキュメンタリーとして掲示板に逐一記録して居たのである。

 

ちなみに其の掲示板は東京の某有名掲示板であった。

万年筆のことでは有名だったと云うことである。

 

其処の主筆を何故か名古屋人の私がやって居たのである。

 

 

さうして結果的に私が万年筆の世界でやったものが其の万年筆としての本質への問いであり其の探究の道程を指し示すことであった。

其処は流石に哲學もする人なのでそも其のテーマが難しいと云うか何処か高尚なのではある。

 

其の探究の末の結論として、私は皆に煙たがられるのを承知の上で「万年筆は過去の物だ。」とさう述べた。

つまり過去のものなので過去のものの方がモノが良いとさう述べたのである。

 

 

逆に現在進歩の頂点にあるのが「ボールペン」であらう。

「ボールペン」は今や主流の筆記具として確固たる地位を築いて居る。

 

逆に万年筆はむしろ退歩し、しかもごく限られた狭い範囲で愛好家に深く愛されるに及んで居る。

だが多くの人はもはや万年筆など使わぬ場合が多い。

 

要するに其れは主流の筆記具からは外れたと云うことなのだ。

いや其ればかりでは無い。

 

 

今や何かを書くと云う行為はかうしてキーボードを叩くことで行われて居る訳だ。

書くことにせよ語ることにせよかうして文明は具象的な段階からまさに抽象的な場へと移行しつつある。

 

其のやうな変化の中で必然的に万年筆はアナログの懐古趣味としての要件を次第次第に増して行く訳だ。

さうつまりは其れは懐古趣味による癒しの場其のものなのだ。

 

都會人にとり自然が癒しの場であることと同じくして万年筆もまた石なども明らかに其の癒しの場なのだらう。

 

 

癒しの場のものは結局其れがドンドン値段が高くならうが買われる訳なのでー欲しい人は其れが高からうが買う訳でーたとえ数は出ずとも儲けは出るのであらう。

現在其の傾向はより進み万年筆は今一部の金持ちの道樂趣味の如くに成り果てて居るのであらう。

 

其のケビン氏のお話とはまさにさうした万年筆界の現状に失望させられたか又は疑問を抱いたと云うことなのだらう。

 

だが彼が凄いのはさうした金持ち優先主義が蔓延する万年筆の現況に対し闘いを挑んだところである。

即ち万年筆の世界を革命したるとの強い意志でもってして彼は立ち上がった。

 

其の革命と云うものにはそも根拠があるものと今の私は見て居る。

 

政治的な権力は腐敗し易く其れも保守の名の下に胡坐をかき続ける権力者はやがて一部の特権層のみが生きるに値する価値ある人間であるとさう見がちなのだ。

 

また天皇制などでも幾ら今上天皇が善人でもって山がお好きな良い方なのだとしても彼ー彼と私は同学年だーの娘は幾ら頭が良くてもまさか天皇にはなれぬのである。

そんな訳でいつしか保守体制の部分には矛盾が蓄積し制度的にグズグズとなって仕舞い易いものなのだ。

 

保守の立場に胡坐をかくとはそんな特権意識の部分に胡坐をかき既得権益を守り美味い汁を吸うだの、或は豪遊して酒池肉林だのそんなものにばかり群がりたがる悪い人間の巣窟をいつの間にか築き上げて仕舞うことだ。

 

 

さうか、では革命だ。

此の際間違いなく革命だ!

 

やうし、では早速万年筆を革命したったぞ。

印度の万年筆を是非とも民衆の手に。

労働にて汚れし其のゴツゴツとした汚い手に此の美しき清き万年筆をしかと握らせるのだ!

 

欧米による其の汚れた価値観。

収奪し搾取し人を人とも思わず奴隷化し生き血を啜る其の強欲さと無慈悲さ。

 

おおまさに今其れに対する怒りの声を上げよ。

 

とのことでケビン氏はまさにたった今其の革命を断行中なのだ。

 

 

The Story of Fountain Pen Revolution - YouTube

The FPR Collection by Fountain Pen Revolution - YouTube

 

かうしてズバリペン革命である。

 

 

 

航空便58SL万年筆–万年筆革命 (glopalstore.com)

 

此の万年筆はClickブランドでも販売されて居り其れを私が得たのは壱年程前のことだった。

 

大振りのペンで決してチープな物では無いのに値段は弐千円程。-私はイーベイの方で得たのだったが送料込みでも弐千円程だった-

まず此のペンに私は完全にしてやられて仕舞う。

 

値段が安いからと言って決して悪い物では無くむしろ良いと思わせられる物が世界にはあるものなのだ。

尤も此のペンは現在オリジナルの状態で使っては居らず特殊な仕様へと改造を施して居る。

 

だが数本は欲しいペンである。

イーベイの方にはすでに無くつい先日ようやく此処で発見した万年筆だ。

 

 

クリック竹万年筆–万年筆革命 (glopalstore.com)

 

其の半年後に此のタイプのClickに惚れ込み、此れよりも少し高級なエボナイト軸の物を求めた。

其れでも値段は確か弐、参千円だった筈。

 

軸は工作精度が高く出て居り全くもってチープな物では無い。

むしろずっと使えさうな良い作りのペンなのだ。

 

 

私は此の弐本にこそスッカリやられて仕舞い其れまで何処かに持ち続けて来た所謂常識としての「高級な万年筆観」の部分を根底から揺さぶられた気がしたものだった。

つまるところ其の高級さとは高級な品にあるばかりでは無くかうして廉価品にもしかとあるのである。

 

其れも其の筈で、値段が安くともユーザーが満足する万年筆を目指し此のClickのペンが元々立ち上げられて居た訳だ。

 

画像の物はアクリル系の材の物であらう。

現在印度の万年筆が使って居るアクリル材は品質が向上して居りしかも色彩の方も美しく申し分無い。

 

おまけに値段が安いのである。

 

 

ちなみに彼ケビン氏がさうして万年筆を「革命」しやうとして印度の弱小メーカーを束ねプロデュースされて居ることを今月初めて私は知った。

故に其の試みのことに就いてはまるで無知であった訳だがかうして何故か元々「関係」はして居た訳なのだった。

 

要するに私には長年の間に培った筆記具愛好家としての鋭い嗅覚、直感のやうなものが常に働いて居る訳だ。

其の直感が此の印度のペンを買えとさう命じるので誰に言われずとも其のペンをもれなく買うのである。

 

 

さて、印度の廉価万年筆のペン先はスチールペン先で概ねチープな物が付いて居る。

だから確かに其の侭ではなかなか愛好家が愉しめるところまでは達して居ない訳だ。

 

但し此の弐本には其の侭でもイケそうな良いスチールペン先が付いて居た。

事實私はエアーメイルのタイプの方をオリジナルの状態で壱年近くも使った。

 

と云うことはまさに其れでも不満は無かったと言うことなのだ。

なのだが實はどうしてもやりたいことがあって其のペン先を巨大な金ペン先へと今年変えて居る。

 

また竹タイプの方には九拾年代のプラチナの首軸及び金ペン先が嵌るので其れを付けて居る。ー元々私はプラチナ万年筆のコレクターでもまたあるー

要するに我我のやうなレヴェルですとついさうして色々とやって仕舞うのではあるが其の軸は一生物としてむしろ大事に扱って来ても居る。

 

 

FPRトリベニエボナイト–万年筆革命 (glopalstore.com)

 

こちらのタイプが先日私がイーベイで求めたオノトタイプの万年筆であらう。

 

此のオノトタイプには所謂フレキシブルなタイプのスチールニブが付いて居る。

其のニブも決して悪くは無い。

 

だが特に柔軟度が高い訳でも無い。

私は1920年代以前のフレキシブルニブ付きの古典的萬年筆を五拾本程も持って居るので此のオノトタイプにニブの柔軟性の高さを求めた訳では元々無いのだ。

 

1.フレキシブルなスチールニブの評価

2.エボナイトの軸の出来

との点を確認せんが為に此のペンを得たのである。

 

其のエボナイトの軸の出来は相変らず良かった。

其れは印度の職人がまさに手作りにて此のペンを作って居るが故になのだ。

 

ところが今日本でエボナイトの軸の万年筆を求めやうとすると最低弐、参万、普通で五、六万、高級品だと拾万以上出さぬと其れが手に入らぬ訳だ。

 

左様に万年筆に於ける「古き良き価値」もまたブランド化して仕舞う訳だ。

一度ブランド化した価値は値下がりなどすることは無くむしろより高価なものとなって行き易い。

 

だが先進國にはまだなれて居ない印度では其の価値をまさに廉価に得ることが可能なのだ。

 

で、むしろ壱番の問題は日本と云う先進國では人的合理化が過ぎたこととコロナ禍によりむしろ貧乏が蔓延する方向性にあり、其の貧乏ではまさか日本の其の高く値段設定されたエボ軸の万年筆など買う余裕が無いので必然的に其れを金持ちが買うのではあるが、今や筆記具の時代はボールペン時代へと突入して居りおまけに今の金満野郎共は今七拾、八拾歳に達して居りもういつ死ぬものやら分からぬと云う部分にこそあらう。

 

其の爺共が死ねばもはや我我六拾代ではそんな贅沢などまさか出来ぬので必然的に日本製の其のお高いエボ軸の万年筆の売り上げ額は近い将来に零円とならう。

故に今ほんたうに万年筆革命が必要なのはむしろかの國日本の万年筆業界なのだ。

 

 

そも日本の組織が馬鹿丸出しなのは、さうして価値ヒエラルキーを権威的に構築して仕舞い其の部分に安住して居ると實は大破壊が内部から噴出して来ると云う其の原理のことを考えやうともしない点にこそある。

要するにコレコレかうした理由で良いと決めた価値を未来永劫続けること、要するにいつまでもズルズルと其の侭にやらうとする部分こそが幕藩体制のまた封建的日本的秩序としての最悪の精神性の発露であるとあると云うのにまるで其のことに気付いては居らぬ。

 

だから幕藩体制ならもう江戸時代までにして置けよ。

今はもう少なくとも近代体制であり近代体制である限り其処には常に革命の嵐が吹き荒れるものだ。

 

 

するとアナタ以外の愛好家は皆其の幕府にヘイコラばかりして居る馬鹿の集まりだとさう仰りたいので?

まさか其処までは誰も言うてません。

 

では愛好家の皆に印度の万年筆をさうして熱っぽく語り買わせやうとして居なさるので?

 

いや其れは何でかと申せば印度に於ける其の万年筆革命がまさに今危機に瀕して居るからなのだ。

まさに其れが印度型のコロナウィルスの蔓延による危機である。

 

 

ランガモデル4エボナイト万年筆–万年筆革命 (glopalstore.com)

ランガモデル5アクリル万年筆–万年筆革命 (glopalstore.com)

ランガスプレンダーアクリル万年筆–万年筆革命 (glopalstore.com)

 

此のFPRの店では購入出来るのやもしれぬが實は此のRangaの万年筆が今イーベイには出されて居ない訳だ。

此の四月、五月位までは確か出て居た筈なのだがひょっとしたら職人がコロナに感染し販売を止めて仕舞った可能性すらもがある。

 

ちなみに私は其のRangaの万年筆の大ファンである。

現在拾本程を持って居る筈だ。

 

尚此のRangaの万年筆も参年程前まではエボナイトの軸のタイプばかりであった。

只現代の愛好家はより色彩の華やかな軸を好む為かかうしてアクリル系の軸のペンを販売し始めた訳だ。

 

 

現代人には概ね本質を見抜く感度が欠けて居り往往にして華やかなものに群がらうとするが其れは誤りである。

だからと言ってアクリル軸が悪いと云うことでは無いのだが。

 

現代人はさうして消費文化に日常的に飼い慣らされることにより物や人の眞贋を見抜く力を本質として失って行く。

 

だから其の折角の印度の万年筆革命が何やら怪しいものともなりつつある訳だ。

但し逆に此の革命が成功する可能性すらもがまたある。

 

 

何故なら何故かみんな金が無い。

其れでも金を持ってる奴等は相変らずブランド万年筆を買うのだらうがもはや其処には万年筆の本質は無くあるのは只ステイタスと自己満足のみ。

 

だが其のステイタスと自己満足とに執心する位ならまだしも印度の安万年筆にて満足する方が少なくともより理性的だらう。

 

此の文明が崩れるのは結局さうした価値ヒエラルキーに対する執着から引き起こされることであり其れを食い止めんが為には柔軟に要するに融通無碍に良い物は良いと認め其の良い物を皆の物とする為には革命することも辞さないと云う固い決意のやうなものが必要なのではないか。

其れを何時まで経ってもオリムピックだの其処でのブルーエンジェルスの祝賀飛行などに拘って居るやうではまるでダメだ、まるでなって居ないのだ。

 

さうして自民党政権は長く保守政治の舵取りを行う事でむしろ日本の将来をブチ壊して来ても居る訳だ。

今だけまた過去だけ良くても将来の無い國でそんなクソ高い万年筆など誰が買って居られませうや?

 

だから此の際愛好家のみんなでもって是非一緒に印度の万年筆革命を支持しやうではないか。

ついでに日本の万年筆業界も其の根っこから革命したれ、嗚呼其の革命こそが今日本の社會に求められて居るものではないのか。

 

で、其の先日購入したばかりのオノトタイプの万年筆だが事情があり實はすでにボールペンへと改造して仕舞って居る。

 

アンタまた一体何をやってるのだ?

かうして印度の万年筆革命を支持し印度の万年筆を愛するとさう宣言したばかりではないか!

 

 

いや其れがな、實は夜中に此のペンをじっと観察して居たところ、どうも此のペンは万年筆では無くボールペンになりたく思って居るやうな気がした為に即座に其れをやって仕舞ったのだった。

 

壱体何をしたのだ?

いや大したことはやって居らず首軸の内部のソケット部品を取り去り軸の内部にJS芯を組み込んだばかりでのことだ。

 

なのでまた万年筆にも戻せる訳だ。

 

其れは凄い!

私はかうした私の改造法を「カンタン改造」としてかって掲示板で詳しく述べて居たのである。

 

嗚呼其れからDude万年筆の方も實はボールペン化して仕舞った。

多分こちらもまた万年筆に戻せる。

 

Dude万年筆の軸は重めで長い多角軸で實は最初から万年筆の軸と云うよりもボールペンにこそ向いた軸である。

だから少し苦労させられたがJS芯を組み込みスッカリボールペン化したのである。

 

其のDude改JS芯ボールペンの書き味たるやまた物凄いものである。

此処からもボールペンの軸でもって最高の書き味を得るには細身で長い金属軸とせよと言い得ることであらう。

 

Clickのオノトタイプの万年筆の方も細身で長い軸だからこそボールペン化したのですね?

 

 

まさに其の通り。

實はボールペンと云うのはむしろ筆の運筆を可能とする筆記具であり常に筆記角度が高く保たれるのである。

其の点ではまさに万年筆でのやうな硬筆ペン字による書き方では無くむしろ書道的な運筆さえもが可能な筆記具なのだ。

 

だとすれば逆に筆記スタイルの点では或はボールペンの方が万年筆よりも東洋的なものなのか?

 

運筆の面ではあくまでさうなのだとも言える。

ちなみに私は若い頃とある書道教室で課長ーバイトのーをして居たことが壱年だけあったのだが当時からむしろ万年筆よりもボールペンの方が日本語は書き易いとさう思って居た。

 

故に低粘度油性芯にてまさにサラサラの筆記感となったJS芯でもって其れも其の細長い軸に仕込んだもので書いて居るとむしろ書道のことなどが思い出されてならぬ訳だ。

万年筆は軸を寝かせ水平に運筆するものなので其れは日本語本来の「上から書く」と云う書き方とは異なるものなのだ。

 

但し万年筆でも柔軟なペン先付きの場合には其の限りでは無く矢張り筆的な運筆が可能となる筈だ。

いずれにせよかうして個性的な廉価万年筆や印度の手作り万年筆程何かと役に立つものは無い。

 

であるからこそ是非印度の万年筆革命を支持したいのであるし且つ其れ等を求め続けて行きたい。

 

個人的に是非コロナに負けて欲しくは無いのはかうして無理矢理オリムピックをやる保守政党が思い描く日本としての未来のあるべき姿などでは無くまさに印度の万年筆革命としての輝ける未来である。

ーと云うことは此の日本でも矢張り政治的制度的な「革命」こそが求められて居る訳だー