58.善悪対立の壱つの極としてのハルマゲドンー今回は少し内容が怖いよ閻魔大王とハルマゲドンの御話ー
さて其のカントによる理性談義と云うものは、要するに現存在としての人間の本質部を突くものでもまたある訳だ。
人間は常に其の理性と獣との複合體である。
だから近代と云う世紀を迎え、其処でもって獣性を発揮するやうでは實に困る。
何故なら其の獣を生きると人間ー社會ーは自己矛盾して行かざるを得なくならう。
だから其の理性による獣性の制限の範囲を規定し謂わば出来得る範囲にて理性的に其れを抑えて行かねばならぬ。
近代の奉ずる合理性とはまさにかうした意味での理性的戦闘の様を意味するところでのものなのだ。
従って其れは常に戦闘であり闘争なのだ。
其れは伽藍を守るだの家を守るだのまた藩を守るだのさうして國を守るだのさうした類の話なのでは無い。
むしろ命懸けでの理性的闘争なのだ。
其の命懸けでの理性的闘争がもう何百年も続いて来た。
だから多くの病が克服されつつあり其ればかりか現存在は宇宙へも進出しつつある。
確かに其れはひとつの奇跡的な理性の勝利であるかのやうに見えた。
やったー、人類にはもはや怖いものなど何も無い!
かうして月にも火星へも行けおまけにロボットだのコンピューターだのが獣共には決して出来ぬことを為し遂げつつもある…。
もしや俺らはもはや神か?
おおさうだ我等はすでに神だ。
馬鹿野郎、神、お前なんぞもう死んじまえ!
馬鹿野郎、佛、お前なんぞもう死んじまえ!
こ、こここここここ、此のくそたれめがーーーーーーーーードッカーンーーーーーーーーー!!!!!!!!!!。
うわあー、神の怒りが佛の諫めが!!!
現存在よ、お前達はすでに大罪を犯して来て居らう。
お前達のやった大罪とはみんなでもってさうして赤信号を渡った罪だ。
さてもアナタはどなた様で?
ワシか?
ワシは閻魔じゃ。
閻魔様、確かに人間は馬鹿で阿呆でマヌケなタダのバカ凡石です。
ですが其のやうに偉い學者共が謂わば歴史的に正解だけは導いても参りました。
其れにお釈迦様とイエス様がかって正しい教えを説かれても居る。
故に是非其の人間の理性の力を信じて下され。
我等はきっとやれます。
我等はケモノ其のものでは無い。
我等の理性を是非御信じになりみんなを是非〇の方へ評価して下され。
だがどうも其れは壱種臭い芝居だな。
お前等はさうして現に今行いつつある大罪より逃げたいばかりなのではないか?
どうだ、其れが本音だらう?
お前等は依然として姐ちゃんの尻をさすり大酒を飲み博打にうつつを抜かしてもおる。
左様な行いばかりでは残念ながらワシはお前等を信ずることは出来ぬ。
よってお前等はたった今よりみんな地獄行きだ。
ほうれ、ほれー、地獄へと堕ちよー。
うんぎゃああーーーれろれろれろれろー…。
さて其の閻魔 - Wikipediaとは明らかに壱神教に於ける所謂善悪裁定のことであらう。
其れが次第に東洋の宗教にも混入して行ったものと見られる。
尚其の善悪の判断は概して難しいものだ。
先にも述べたやうに、其の善悪は時と場合により逆転して仕舞う=自己矛盾する、からなのである。
だから善人面を下げつつ他面から見れば悪人だと云うことにもまたなりかねない。
ところが悪人でもまた救われるのだと主に壱神教的宗教は説く。
例えば佛教でも其の壱神教的要素が濃くなると所謂悪人正機 - Wikipedia説などが説かれて行く。
しかしながら原始佛教では實は其の善悪の判断にて事の正邪を決める訳では無いのである。
また其処は禅宗などもまたさうなのであらうと思われる。
ところが普通世間では其の善と悪と云うことがむしろ壱義的に価値構築されることが多い。
ですが其れも先に述べた如くに其の分裂概念は常に限定的にしか価値構築出来ぬこととなる。
なのでゼレンスキー政権が完全に善だとは言えずさらにプーチン氏が完全に悪なのだともまた言えはしまい。
問題はむしろ其の価値分別上の分裂概念設定にこそあるので其れをこそ離れやうと云うのがお釈迦様や禅宗などの考え方なのだと思う。
だが事實上此の世はまさに其の価値分別上の分裂概念設定の場なので實質的には常に其の弐元的善悪対立が生じざるを得ない。
要するにそんな具合にむしろ全てが弐元的善悪対立の世界なのだと言っても良い。
其の対立は常に矛盾による苦を生むのでまさに其れをどう救うのかと云う部分こそが宗教の課題となる訳だ。
だから宗教と云う領域は抹香臭いものでもまた迷信の類なのでも無く逆に極めて理性的に推進される精神的な救済としての領域のことである。
日本の社會で何が問題かと言えば其のやうな理性的な解釈が多くの日本人には欠けて居ることがまずは挙げられやう。
其の弐元的善悪対立の世界はまさに必要悪の如きもので、實は其れを離れては人間の繁栄、存続は無いのだともまた言えやう。
其の弐元的善悪対立を滅し去れば生存ー現象化ー其れ自體が消去されるのでもはや其処には永遠のニルヴァーナが拡がるばかりなのだ。
よって其の母ちゃんの股の間から出て来る此の世界とは實質的にそんな必要悪としての世界なのだと言っても良い。
さうして母ちゃんの股又は母ちゃんとは本質的にはむしろ善だとは言い難いものである。
されどカトリックなどではマリヤ信仰がまた盛んでよって其処にて母ちゃんの股又は母ちゃんとは悪だなどともしも言ったならもう其れはエライ騒ぎとならうぞよ。
其の♀の本質とは要するに罪深きものだとさう捉えて置いた方が良い。
だからもしも♀を崇拝して居たりするとおそらくアンタは悪魔化して行かう筈だ。
其れもあくまで原始佛教的に考えた場合には。
ちなみに其の悪其のものへの解釈、捉え方がそも佛教とキリスト教では異なるので壱言で申せば佛教で捉えし悪がキリスト教ではむしろ善となったりもまたするのである。
どだい先に述べたやうに其の必要悪としての分裂概念の構築は原始佛教に於いてはむしろマーラ(魔)の働き其のものなのだ。
ところがキリスト教ではあくまで其れは必要悪ーむしろ神の母胎ーとしての矛盾的展開なのでもある。
故にまさに其処にこそ有神論としてのキリスト教の展開と無神論としての佛教の展開との決定的な方向性の違いが存して居る訳だ。
但し佛教でも浄土教や密教などの大乗佛教の宗派は有神論的な教義の展開を持ち合わせて居るものと考えられやう。
さらに法華経に帰依する宗派などもまた本質的には其の有神論的な教義の展開を持ち合わせて居ることだらう。
ま、其処を壱言で評せば佛教がまさに不純化して行く訳である。
ですが其れを信じて居る人人に対し、「お前等其れは邪教だからもう信じるのは止めよ!」とイキナリ申せばもう其れはほとんど暴力沙汰でも引き起こしかねぬことで其ればかりか逆に牢屋へ入るのは常に其れを叫んだ奴の方であらう。
そんな訳でいずれにせよどんな分野でもまた御勉強が進むと余計に悩みが増し其れどころか半分気がオカシクなりさうにもまたなるのであるがそれでも尚理性を信じてやって行かうと云うのが壱インテリジェンスとして此の世を生き抜くことでの基礎であり基本の立場である。
なので理性は常にさうして闘い続けなければならない。
おそらく其れは理性に対し与えられし運命なのだ。
其れが如何に哀しい運命なのであるにせよ、幸か不幸か利口として此の世に生を受けた者のまさに其れが義務であり責務であらう。
でもってすると其の閻魔様の正體とは壱神教の神なのか?
おそらくはさうなのだと思われる。
問題は其の壱神教としての善悪の基準を近代的な合理主義の場に持ち込むことの正否である。
うーん、何だかまた難しいことを仰る…。
ねえ、もうそーゆうのは止めて何か食いませんか?
ダメだ、今こそが其の問題をおおまさに考える時だ。
ねえ、もうそーゆうのは止めて何かで遊ぼうよ。
ダメだ、今こそが其の問題を嗚呼まさに考える時だ。
どだいアナタは思考に於いて潔癖過ぎる。
だからソコが決まって👩に酷く嫌われるのだ。
其れも大きなお世話だ、サア今すぐに其の問題に就き考え答えを出せ!
ヘイ、プリッ。
何だ、今のは!
お前今ソコで屁をコイたな!!!!!!
確かにわたくしは今此処にて屁をコキました。
でも其れはアナタの其の潔癖な思考、整然たる論理的思考への反駁であり拒否なのです。
えっ?
ヤッパリ僕のことが嫌いになった?
もう大嫌いです…。
あーあ、またやってもうた。
かうしてまたみんなに嫌われちゃったぞ。
だから其の壱神教としての善悪の基準をカントは理性的基準に転換させて行ったことと思われる。
即ち物自體としての価値基準と善悪の基準には必然的に矛盾が生じるので其れを理性的基準として組み直し兎に角近代其れ自體を其の理性的基準ー道徳律ーとしての世紀に成らしめた訳だった。
其のやうに良い意味でもまた悪い意味でも近代的過程とはまさに其の理性がさう其れを規定する時代である。
さうして善悪の基準とは神の基準とはまた異なるものなので?
神其れ自體はカントによれば人間の認識の領域の外側に實在するものだ。
よって善悪の基準とは神其のものによる認識なのでは無い。
前回述べたやうに組織ー社會ーが行う認識とはあくまで限定的認識で自分の方を善の側に据えた言わばえこひいきでの価値判断とならざるを得ない。
其れは母ちゃんが自分の股の間から生まれた子をえこひいきする=溺愛するのとほぼ同じことなのだ。
つまりはまた其れが非理性的な認識なのですね?
さうだ、現存在は常に其の非理性的な認識にこそ捉えられて仕舞う。
であるからこそ人間の社會としての文明も其れこそ何時まで経っても良くはならないのであらう。
では其の母ちゃんの股の間から人間を生まずに、例えば試験管ベビーだとかクローン人間だとかはたまたアノフランケンシュタインみたくに人間が人間を創れば或はもっと理性的に人間が生きられるやうにならんのですか?
まあ何処から生まれやうが同じでせうね。
すると現存在は結局救われやうが無いのだと?
うーん、其れは結局難しい判断だね。
結局のところ其の分裂的相対認識が近代を成り立たせて来て居るのだが其処では限定的価値判断としての獣性が暴れ回り緒矛盾を拡大して行く訳だ。
其れも壱言で申せばそも其の根本のところでの矛盾を放置した侭で相対認識領域ー善悪での価値対立ーを拡張させて行くので其のドッカーン!と云うのを自らが抱え込んで仕舞うことと必然的にならざるを得ない。
また要するに其れが現存在としての自爆だと云うことでせう。
うーん、しっかし其れでは先行きが如何にも暗い御話ですねー。
ま、結局其れを抜本的に解決するのだとすれば現存在は其処でニルヴァーナを目指すしか他に方法が無いのかもしれぬ。
エッ?
でもキリスト教でも救われるのではなかったか?
其れもあくまで限定的には。
だからキリスト教やイスラム教での救済ー壱神教での救済ーと佛教での救済は現實的救済と本質的救済の違いがある。
で、壱體どーしろと仰るので?
私達庶民はかうして只飯食って屁コイて寝るのが幸せなんだが…。
いやまさに其れを釈迦などは「苦」だとさう仰って居られたのだ。
じゃあ壱體何が愉しみで生きて居なさるのだ?
個人的な見解では今を愉しむのは悪いことでは無いが其れを未來へと繋げやうとする試みは全て邪なものとならざるを得ぬやうに特に最近はさう考えて来て居る。
即ち今に対し財を蓄えたり家の存続を願うやうな守りの姿勢と云うものは特に今後の現存在の価値観として相応しいものだとは思えない。
でも今を未來へ繋げることこそが心のバトンなのだと前回さう述べて居られたばかりでのことですよ。
だから其れが繋がらないことがそも此の現代文明に於ける最大の難点なのだ。
逆に今に固執せずなるべく放棄した形でもって価値を繋げると云う形でないとすでに其れが繋がらない訳だ。
ですが今みんながソーシャル・メディアにてかうして繋がって居りますが…。
まあ其処で幾らバカ凡石が連なったにせよせいぜい其の屁コキの仕方が上手くなる位のことでまさか僕のやうな哲學者になれるとは思わないなー、わあーはっはっはっはのーはー。
しっかし相変らず口が悪いですね。
そも何でそんなに口が悪いんですか?
さて何ででせう?
きっと頭が良いのだらうね、わあーはっはっはっはのーはー。
でもって其の現存在としての理性的闘争は今どうなって居るので?
カントに於ける理性としてあるべき理想論は然し實現することが迎えられなんだ。
其れも部分的には實現したー国際連合の成立などでーのだらうが要するに其の根本に居据わる獣と理性の対立がそもまるで解決されなんだのだと言える。
さうか、すると結局は最終的に其の内なる獣と理性との対決ですか。
もしや其のことがアノハルマゲドンのことなのでは?
いや我もまた今さう思った。
ハルマゲドンとは結局其の獣性と理性の対決の場であり其れは現存在の外側の戦争では無く内なる闘争の世界となることだらう。
いやあー、閻魔様の裁定の部分からこんなハルマゲドンとしての善悪の最終闘争にまで話が膨らんで来るとは…。
ところで其の善悪とは善が理性でもってして悪が獣性なのですか?
まあさうだとは限らぬことでせう。
何せ其れは、
理性⇔獣性
大脳前頭葉ー新皮質ー⇔大脳旧皮質
とのことですので、
其処には常に相剋し且つ相即する関係性が存ししかも単独では概念設定されずで故にどちらが良いとは言えぬことでせうが、ところがあくまで近代に取っては理性が善であり獣性が悪なのでせう。
尚純粋な意味での佛法は其の分別概念をこそ否定的に扱うのでそも其処では理性も獣もまた無く神も人間も無く實體と虚ー空ーの区別すら無いと云うそんな価値設定其れ自體を本質的に抹消して行く精神的な働きのことだ。
どうも話が難しい。
分からんで結構、分かったら僕の存在意義が逆に無くなっちゃう。
其の理性的闘争とは常に理性がケモノと闘って居ると云うことだ。
しかもケモノは内外に亘り蔓延って居る。
實際ケモノは何処にでも居る。
学校や職場やコンビニや公園などにも。
其のケモノは🐈や🐕とは違う?
違う。
其のケモノは🐗や🐻とは違う?
違う。
🐊でも🐍でも無い?
🐊でも🐍でも無い。
彼等は自然其のものであり其れは本質的にはケモノだとは言えぬ。
其の恰好はあくまでケモノだがほんたうのケモノは常に人間の心の中にのみ居る。
宗教詩人さん、今日はどうも話が怖い。
あったりまえだ、たまたま今日はかうして真面目に話をして居るので…。
そも其の恐怖と云うものは須らく人間の其の分裂した心のあり方が生み出して居るものなのだとも言える。
即ち自然其のものが恐ろしいものであることなどはむしろ無い。
さうか、ではコレがアナタがお嫌いな大蜘蛛の焼死體です。
ううぇええええーい。
またコレがアナタがお嫌いな🐛の焼死體です。
ぐうぇええええええーい。
またコレが…。
壱體其れは何だ?
其れは死んだ猫の霊です。
アナタに可愛がられて居てでも去年死んで仕舞ったトラとシロの霊です。
涙…。
幾らなんでもお前はやり過ぎだ。
お前等はもうかうしてやるわ。ーと強く首を絞めたが何故か死なないー
うわあー、怖っ。
コイツ人間じゃねえ。
そもお前は壱體何者なのだ?
へへへへへのへ。
オイラは堕天使だよ。
かうしてまたお前の様子を窺いに来たのだ。
そんな訳で何時の間にか其の👿とお友達になって仕舞った我は其の後半時程に亘り神の存在証明に関する命題に就き奴と話し込んで居たのでありました。
さてまさに、其のハルマゲドンこそが、
大脳旧皮質 - Wikipedia⇔大脳新皮質 - Wikipedia
の対立の様でせう。
まずは此の対立関係であり分離関係こそが即善悪対立の関係性へと重なることでせう。
ですが其れをどちらがより優れて居ると判断することなどは差し控えたい。
さうして自然とさうでは無いものとの対立関係、言わば非合理的な要素と合理的な要素の対立関係は實は人間の心の中にのみ展開されるものです。
自然の場合には其の対立関係が概念的に設定されず従って自然と云う物理的現象の枠内でそも其れが規定されるので本質的には対立其れ自體が設定され得ない。
ですので、おそらくは其のハルマゲドンは起こり得ることでせう。
どだい神と云う概念は人間の概念的分別の作用、抽象的認識の作用と深く関わって居るものです。
其処からしても其の概念的分別の作用、抽象的認識の作用に対しまさに運命としてハルマゲドンが用意されて居ると見ても何ら不思議なことではありません。
でも佛教にハルマゲドン的な教義などは説かれて居ない筈だが…。ー法滅盡經と云うものがありますが壱般に偽經であるものともまたされて居ますー
ー御釋迦樣が末法の世を説いた經典 『法滅盡經』 不動明 (asyura2.com)
其の佛教も結局壱神教化して行ったのですから其処からしてもむしろ何が起こってもおかしくは無いことだらう。
ですので近頃わたくしはどうも此の辺りが気になり仕方が無いと云うことだけを是非お伝えして置きたかったのです。