目覚めよ!

文明批判と心の探求と

『この国のかく醜くもなりぬれば、捧げし命ただ惜しまるる』


コラム 暴走老人の決意
http://sensenfukoku.net/column/2.php


『この国のかく醜くもなりぬれば、捧げし命ただ惜しまるる』                     上記サイトより引用


確かに、私にとってもかってこの歌ほど心苦しく感じられたものはなかった。

一体何の為に、かっての日本人は必死に日々を闘って来て居たのだろうか。


とは言え、私は所謂右翼ではない。

むしろ其の正反対で、理想論的には国家を否定するという極左の思想の方向性を持った人間である。

にも関わらず、こんなにも深く心に突き刺さって来る言葉というものが他には無いのだ。


それから、以下の点も深く気にかかる。

私はかつての戦争のすべてを肯定する者ではありませんが、しかしなお、あの戦が引き金となって白人が支配してきた世界の全ての植民地が解放され独立を果たしたという歴史的事実は誰も否定出来ません。私が若い頃会うことの出来たエジプトの大統領ナセルやインドネシアスカルノ大統領は、自分たちの独立は日本のおかげだと等しくいっていました。』 


まさに其の通りで、あの大東亜共栄圏という思想は完全に否定されてしかるべきものだったのかどうか、今もう一度良く考えてみる必要があるようにも思われるのである。

西欧近代という倒錯の時代の始まりにより、世界は地域性が分断されグローバルに諸価値が解体されていく
ー崩壊していくー世紀に入ったのだと言えよう。




やがて国民国家という概念の成立により世界は国家ナショナリズムまたは近代ナショナリズムとでも云うべき様相を呈するに至った。

つまり人類の進歩を共同体単位から国家単位のものへと拡大していって仕舞ったのである。

そうなれば必然的に国家単位での大きなエゴの対立の場と世界は化していくこととなる。

其のいつかは制御不可能なものへと至ることだろう国際的なエゴの対立を避ける為のひとつの方策として
大東亜共栄圏という思想が成り立って居たのではなかったか。


さて皆様はその部分をどうお考えになるのだろうか。

誰しも普通に、つまり大きな災禍なく一生を送りたいとそう願って生きて居る。

然し誰しも自分を失わせるような外圧や強制には屈したくはないのだし少なくとも自分を保った状態で生きなければ意味はないともそう考えて居る。


されど現実には世界には侵略や搾取ということが横行して居り、其処で必ずしも自己実現しつつ安らかに生涯を終えられるという保証は無い。

個としてもそうであるのに、ましてや国家という大きな枠組みともなればより其の事がより大きく感ぜられて来ること必定である。


だから私の場合にはむしろ其の国家という枠組みに固執するべきではないとそう考えて来て居るのである。

其れは国家という統治単位を解体して共同体レヴェルでの平和共存をはかるという一種の理想論なのではあるが、元々存在に付与された
エゴの対立という自己矛盾性をなるべく小さくしていくという実は極めて現実的な方策なのでもある。


尚、最近私は自身がむしろ右寄りの考えを持つ人間なのではないだろうかと思われて来て仕方が無い。

いや、確かに最終的には国家は無い方がより良いのだろうし究極的には軍隊も無い方が良く逆に藝術、思想や宗教といった精神的なものの方にウエイトを置いて其処でのみ戦って居た方が実害が少なくて済むことだろう。

然し其れはあくまで理想論なのである。


其の意味ではあの共産主義も理想論なのであるし、第一人間存在の自由や平等といった概念さえもが其の理想論としての範疇を出ないものなのであろう。

現代のこの熾烈な競争社会に於いて本質的な
意味での人間存在の自由や平等といった概念の成立は絶対に実現不可能である。


それどころか、社会の底辺に居る人間には自由など保証はされては居らずまた平等などどこ吹く風で、実際には搾取され侵略されっぱなしで実際本当にもうヘロヘロなのである。

そうした社会的な不平等ということは確かにある。


また其の不平等な様や抑圧、搾取される様を促進して来て居るのはむしろ人権や自由や平等といった概念を憲法に謳って歩む近代国家そのものなのでもある。

其の諸悪の根源であるところの国家を解体して共同体単位での発展を遂げていく方が良いというのが以前からの私の持論である。



然し、
『この国のかく醜くもなりぬれば、捧げし命ただ惜しまるる』 という歌が訴えて居るところでの何らかのもの、そのものの大きさについて私は考えずには居られないのである。

確かに、この国はどうしてこんなに醜い国と成り果てて仕舞ったのか。


特に其の自然と共に精神こそが美しい筈であったこの国の、其の美しい筈の精神は今一体どこへ吹っ飛んで仕舞ったのだろうか。

然しそれも確かにこの国だけのことではない。

今世界では唯物思想の蔓延により人間の精神性が極限まで弱められて仕舞って来て居る。


もはや宗教の意義は形骸化し、その代わりにカネ、モノ、チカラへの信仰が日増しに深まり、其れも狭い範囲での、其の非観念的な即物領域でのエゴの発現にのみ人類は捉えられて仕舞って居り、其の白痴化振りの激化、其の堕落と罪への不感症の拡大、其の無知蒙昧な日常、現在性への自我の固執ということのみが近現代という時代を貫く信条として全世界を席巻しつつあるのだ。