目覚めよ!

文明批判と心の探求と

チェ・ゲバラとかのジョン・レノンが理想を語りし時代は去った

思えば二十世紀とは人間にとってまだまともな時代だったのかもしれない。


然し現在という時は、もはや人間が人間をして自己制御出来ない時代に入りつつあるのかもしれない。



其処では個人や国家の欲望ばかりが肥大化し、社会の本質としての秩序と道義心とが崩れかかって居る。


ただしあくまで見かけの上では社会は秩序立って強固に築かれて居る。


謂わば強固に合理化されつつ築かれし社会なのである。




此の世界からはみ出すことは無論のこと容易ではない。

虚としての秩序の維持だけに汲汲とする様なそんな社会をいつの間にか築き上げて仕舞ったのである。


国家の欲が其の虚そのものであり、個としての欲が其の虚そのものであり、そうした無秩序な欲の膨大な集積を合理的に捌きつつ虚としての文明世界は歩んでいく。



実際余りにも無体な其の欲望の持ちようだ。


過剰な消費と精神の腐敗とが此の虚の世界を覆い尽くす。




ところで何故こんなことになって居るのだろうか?

畢竟其れは必然の歴史の過程であると先にわたくしは述べた。




現代社会を形作る諸の全体主義も宗教の劣化も皆其の一点の曇りからこそ発していよう。


其の曇りとは、エゴイズムによる欲望の追求のことである。


エゴと欲の追求は、必ずや精神を腐敗させる。



此の欲望に基づくエゴの追求こそが人間そのものを腐敗させていく。




そして宗教は此の部分をこそ対象として存立して居たのである。

法律が、そして科学や経済の領域でもって取り締まることがかなわぬのが此の精神の領域である。



ジョン・レノンチェ・ゲバラが生きようとして居た理想とはまさにそうした精神の世界であったのかもしれない。



精神とは、其れは自己批判をも含む領域のことを云う。


近代以降の文明は何よりそうした内省の力を見失っていった。


つまるところ我々は今自分で自分が見えて居ない心の領域を生きて居る。


或は本質としての価値が崩壊したところでの虚の価値観の時代を生きて居るのである。




内省とは反省であり、其れは自分で自分の行為を裁く力のことである。


かっては存在して居た筈の其の力を我々は何故見失う羽目に陥ったのだろうか。



だから其れが合理主義による必然の帰結であるとわたくしは述べて居るのである。




他方で、合理的な思考は宗教改革から齎されたとする考え方もまた一方ではある。


つまるところ、結果として近代合理主義はキリスト教という元々は内省の力の枠内から必然的に生まれ出たものなのである。



であるとすれば、宗教は進化?して最終的に合理思想を生みだしたということにもなる。

ではなくて、単なる宗教の劣化が合理思想の胚胎に繋がったと考えることなども出来ようが。




いずれにせよ、合理思想の極悪非道振りはもはや明らかなのである。


近い将来に地球を壊し尽くし、また人間を壊し尽くすに至ることだろう合理思想の犯罪者振りはもはや明らかなのである。


尚、わたくしは先に自然界の合理性と社会の合理性との間には大きな隔たりがあることを示したつもりである。




自然界の理性は分解度が低く、従って自然を構成する生命は其の分解度の低い大いなる理性に護られ自らを客体視するというある種の嫌らしさを持ち合わせて居ない。

また其の理性自体が冥落した形でのものなので其れが個々の生命に理性として顕現して居る訳ではなく彼等は皆一様に本能領域を生きて居るばかりなのである。


しかしながら、個々に発現せし本能が積み重なれば其の膨大なエゴの堆積は臨界を超えやがては自然を破壊するに至ることだろう。


そうはならないように、自然は全体論としての理性を自ら隠し持って居るのである。

謂わばより大きな階層での理性による統御のシステムを構築して居るのである。



だからこそ自然は自ら誤った行為を行うという自由を持たない。


自由なようでいて、実は雁字搦めなのが自然界に於ける事象のあり方なのである。



雁字搦めなので、実は其れが信仰であり宗教でもある。

信仰でもなく宗教でもないように見えて実は其の様に全てが規定され切って居る。




対して人間の持つ理性は其のシステムに比せば甚だ不完全かつ厄介なものである。


まず人間の持ち得る分解度の高い理性は顕現度が高いつまりあからさまに出て来て仕舞う下品なタチの理性であるに過ぎぬ。


だからもう本当に欲が深い、エゴの領域に深く其れが兆して居るが故、其処で抑制が効かず自制心にも元々欠けていよう。


のみならずどこまでもクリアーな合理性に重きを置くが故に内省力にも欠ける。



こんなことをしでかせばおそらくは逮捕されるので止めておこう、であるとか、ここまで儲ければ全部の欲がまさに此の世に於いて実現されるが他のこと全体のことを考える場合に其れでは余りに無体なのでここらで止めておこう、であるとか、そうした止めちゃう類での話が全て死に絶え逆に逮捕されないようにコソコ ソと法の網を潜り抜けパナマの方ではしこたま税逃れをするというそんな世の中である。




其の様に元より顕現度の高い理性とは謂わば悪の権化なのである。


其の悪であり矛盾である文明が進めば人類は皆原始的退行現象により理性を剥奪され本能を生きるがままの状態へと立ち至る。


すると、本能領域での弱肉強食の世界が強化され、其処で派遣社員は人間扱いされないだの、或は女性は管理職に是非据えよだのと云われ毎日23時まで残業で絞られるのでいつしか腹の中の卵子は崩壊するわ、優しさの微塵も感じられぬひどい性格の女になるわでもうこれはロクなことにはならない。


揚句に国家はナショナリズムに偏ったところでの新帝国主義へと向かい始める。


排外主義を掲げ其の鎖国乃至はモンロー主義でもってして其の中から強い奴が立ち現れ世界を植民地化し他国の民を皆奴隷化するに至る。




だから我々の未来は所詮は其のドレイである。


其れも性のドレイではなく、強国または強国連合のドレイにされて仕舞うのである。



ですので、そうした未来とは全部合理思想による自明の未来のことなのである。



何も変な動きなのではなく、其れは歴史の必然としての合理的搾取の現実である。


なので歴史とは人間の人間による搾取の過程であり最終的には人間を放棄すること即ち自滅の過程そのものなのである。




其の腐った世の中に真正面から立ち向かうとかのゲバラジョン・レノンのように若くして殺されて仕舞うのである。


必ずやそうなるので、革命だの平和だのを世に訴えてはならない。




革命ではなく、取り締まりである。


平和ではなく、防衛である。



其の取り締まるべき対象とは、現代文明の能天気さーアホさ加減ーである。


防衛するものとは、国家ではなく共同体である。



現代文明のアホを今まさに取り締まり、都道府県を或は市町村を此の文明の魔の手から救い出す必要があろう。


そして奴隷制を排する必要があろう、近い将来に於ける。




自然に於ける本能の集積はヤバいようで居て其れはヤバくない。


何故なら自然は年中犯罪を行って居る訳ではない。


年中淫行を行って居るのはたとえば人間の教師に見られる典型的な資質である。



自然には其の様に分限といふものがあろう。


淫行文明はまさにのべつまくなしに自然を蹂躙しつつ其処でまさに自分のお家を壊しにさえかかって居る。



ひとつしかない自分のお家を好き好んで破壊しつつある馬鹿とは誰あろう、此の我々のことなのだ。

であるから其の馬鹿振りを治すことだけがまずは肝要である。



そして教師は決して淫行を行ってはならない。

   

尚、本当は合理主義こそが今まさに其の犯罪を行いつつある者である。

何故ならもはやチェ・ゲバラとかのジョン・レノンが理想を語りし時代は去った。


理想主義の屍が風に吹かれて虚ろに鳴るばかりなのである。


其の合理主義という魔の風に吹かれて居るばかりだ。


ちなみにチェ・ゲバラは喘息持ちの体であったらしい。

が、わたくしの場合はあくまで風邪なのかもしれない。