目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

病気ですので癒しが必要



働く人として尊重されない 疲弊する非正規社員
http://news.yahoo.co.jp/feature/200


こんな社会に誰がした?

ああ、其れは、歴史の必然であり人間存在の心理としての必然である。


だから全ては必然なのである。


資本主義社会とは必然的に不道徳な社会を建設しかつ人間を根本的に搾取する社会のことを云うのである。

どこまでも人間自体を搾取していく社会だということである。


従って資本主義社会は成熟すればする程人間は不道徳となり格差は拡大し人心は乱れて来る。

それではイカンので頭が良くて潔癖な左翼の連中が何とか社会を革命しなくてはならないとして二十世紀に頑張ってみたのだった。


ところが思想は結局欲望に負けた。


謂わば底知れぬ欲望の疼きが潔癖に勝った。




たとえ神父さんや教師でもやりたいことはやりたいという其の欲望のギンギン振りにはとても勝てなかった。


人間とは所詮は其の様な下らない生き物である。


ただアホなだけならばまだ救われようが、其れに輪をかけてギンギンの欲なのでもう本当にタチが悪い、これはもうとてもじゃないが救われぬわ。





ギンギンの現代文明ではイジメ全体主義が横行しギンギンではない真面目な人々を抑圧するに及んで居る。


其処では負け組に対する全人格的な否定、諸の人間としての権利の剥奪、無視などが横行する世の中になって居る。


つまりもはや真面目では生きていけない世の中なのさ。






尚昔チェ・ゲバラという革命家が居たがこの人などはまさに高潔さを絵に描いたような人物であったらしい。

Wikipedia-チェ・ゲバラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%90%E3%83%A9


然し、そうした理想を志す者には必ずや死が齎されるのであった。


事実彼は若くして死ぬことになる。


またかのジョン・レノンなども其の理想への殉教者である。



理想を持って生きるとはつまりはそうしたことなのである。



逆に小汚く生きる、人の見て居ないところで悪を為す者、つい神社や体育館の裏で淫行をして仕舞う者、或は潔癖であることを放棄しドロドロに腐っていく奴こそが生き延び、そして今日の繁栄したー一体どこが?-社会を築き上げるのである。


また環境を汚し宇宙を舐め切って放埓そのものに進んで行く文明も其の犯罪者そのものである。



従って真の意味での取り締まりとは法による取り締まりではなく、真理に対する取り締まりであり罪であることが無論のことより望ましいのである。



しかしながら、此の腐り切った世の中を其のうちに宇宙人が地球に飛来し治して呉れるかというと其れは全く期待出来ないことなのである。


一宇宙人は宇宙人で大問題をしこたま抱えて居る為、こうしてドロドロに腐っていく地球人を救う余裕など基本的に彼等には無いのである。


つまり彼等もまた欲望のドレイであり諸の淫行をつひ為して仕舞う者であるに過ぎない。



すると取り締まる側というものがもはや此の大宇宙の中には存在していないということにもなろう。


そうだよ、本当の本当は、もう誰も取り締まったりしては呉れない。


それどころかもう誰も注意しても呉れないのだ。



注意すれば、むしろ逆切れして刺されかねぬので注意出来ないのだ。


おまけに心ある者、真に真面目な者は必ず早死する。



まあ然し其れは社会の面で人間を見つめればということである。


そんな風に社会というものは治らないのである。

社会の病は決して治せない。



だから我々庶民は、個々の生を生きるだけのことである。

元々其れしか出来ないのだから。




社会というのは、煎じ詰めれば其れは自滅への道程ということである。


まさに自滅する為に我々人類は今を生きて居るのである。


社会的な意味での本質は矛盾である故に、遠からず我々は自滅するということである。


そして其れは真理なので決して誤魔化せないことなのである。


悲観とか、楽観とか、そうしたことではなく真理にとっての自明のことなのである。


つまり誰が何をしようが変えられない事実としての未来が用意されて居るのである。




然し、我々という実存には其れ以前に個々としての問題が山積みである。


其の問題を解決する為に躍起となり日々を生きる。


実際其れしか出来ないので我々はそうして居るのである。



世間には色んな苦があり、たとえば急に大金が入用になったり、家族が病気で入院したり、或はつい欲望に負けて警察の御厄介になってみたりと本当に色々とある。


我も今病気であるのだしー喘息になって居るようだー、知人に金を貸して居るしで色々とあるのではあるが、他にも色々と話を聞いてみると其れ以上に世間の人々も大変であり、曰く妻が癌になり転移して大変だったが何とかまだ生きて居るだとか、兄弟に変人が居てその世話をする為に還暦になっても結婚もせず頑張って居るだとか、或は急に金が必要になったが大金なので誰も貸して呉れず是非御願いに参りました、であるとか、全く本当に様々に厄介事が成立して居るものだなあとわたくしは今つくづく思うのである。




ちなみにわたくしの場合は病気との闘いということが矢張りメインとしての問題である。




なので最近は色んなところでA型やAB型の人の免疫の弱さにつき語って来ることが多い。


真面目で繊細なA型やAB型の人はB型やO型の人の無神経で病気にならないところを是非見習わなくてはならないのである。


ちなみにかかりつけの医者によれば、アンタはゴルフの練習のし過ぎで免疫力が落ち病気になって居る可能性もある、などと言われて仕舞った。


然し先生、運動は其の免疫力を最終的にはUPさせるのじゃないでしょうか。



また紫外線がいけないなどと言っても、太陽光線に素っ裸であたることこそが健康増進の秘訣である。


むしろ文明がこれはいけない、あれはいけないなどと無菌化された社会をつくろうとして居ることこそが病気である。


文明の根はだから病気である。





派遣社員を増加させていくこと、女性は労働力であると決めつける合理的全体主義こそが根深い病根を孕んでいよう。


本当は文明こそが病気である。


わたくしは病ではない。




そうは言いながらも現実的には病に倒れる。


其れこそが詩人としての宿命であり本懐でもある。






全く世の中には此の矛盾と病とが蔓延り過ぎて居る。


文明の免疫力を上げるのは、合理的全体主義からの離脱を試みること以外にない。


派遣社員の増加をはじめとする労働環境の悪化の問題や少子化の問題なども皆其の合理思想の蔓延という部分に端を発して居ることだろう。



合理思想は、人間を壊す、最終的には其れは人間の破壊にまで至る。


そうならない為には、庶民によるルサンチマンの振り撒き即ち社会に対し文句をどこまでも述べ立てていく根性が是非とも必要である。


然し、いざ病気になると、其の合理主義の権化としての医学や薬学の方の力に頼り切る他はない。





そして下らないところで癒されておくことが大事だ。


革命だの取り締まりだのという難しいことは考えない。


何より病気だから考えない。


病を得たわたくしはもう何の役にも立ちません。






急に責任者をやれと言われたってこんな病弱な体ですもの出来る筈がございません。


だから病気だと言って居るだろう、わたくしは今病気だ。


病気の人は休んでも良いのだし美味いものを沢山食べても良い。





是非栄養をつけ体を治さなくてはならないので。


其れから美人の看護師さんや知り合いの女性などを口説いて居たりしても良い。

ー勿論其れは淫行には当たらない。ー


其れから万年筆を買って居ても良い。

其れでふと気付くと、また二本買って仕舞って居た。




兎に角何をして居ても良い。

病人こそは最大限に癒され大事にされるべきである。


病人としての年金も欲しいところながら、其れはチト無理なようである。




兎に角癒さないともうわたくしは死ぬ。


そうしてすぐに死ぬ、死ぬ、と言いつつ皆に介抱して貰いなるべく楽して生きるのが昔からのわたくしの手だ。


だが根を詰めれば本当に病気は悪化する。



だから今詩人としては休職中なんです。

と言っても相変わらず女っ気は無く文房具と本とDVDに囲まれた日々なのですが。