目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

「温暖化非常事態」を視てー1ー

 

さて此の度16歳の少女が訴える 温暖化非常事態を繰り返し四度程視てみました。

何故なら結構内容のあるものでまさに大問題を真正面から取りあげた番組であったからだ。

 

1.グレタさんの活動に就ひて

 

まさにとんでもなひことになって居た。

つまり今やグレタさんの主張は世界中の若者の間で知られて居り実際に世界各地で温暖化対策を求めデモが行われて居たのだ。

例ー南アフリカでの400万人デモ、ニューヨークでの25万人デモ、また東京でもデモが行われて居る。

 

グレタさんは今や明らかに環境問題でのジャンヌ・ダルクとなって御座る。

彼女の訴へに心を動かされぬ大人はもはや居らぬことだらう。

 

グレタさんの主張の要点は以下である。

1.大人達ー我我旧世代ーは経済成長する代償として地球環境を壊しつつある。其の事実に対しまずは怒りを表明する。何故なら壊れた地球の上で今後長きに亘り生きて行くのはほかならぬ私達若者なのだ。

2.温室効果ガスの排出に就き真剣に考へなるべく早く止めるべき。

3.私達は分かって居るのに何もしなひ大人を決して許さなひ。

 

此の至極当たり前の主張がまさに初めて世界の若者達の間に浸透しつつあるのだ。

 

其れを視てわたくしは恥ずかしかった。

わたくしも確かに其の罪を背負ふ大人の一人だ。

 

だが普通の大人とは違ふぞ。

其れは君が此のブログを読んで呉れれば一目瞭然なのだ。

 

其れもこんなジジイがやったんだぞ。

もう足がもつれてヨロヨロしながら文明を手厳しく批判して来たのだぞよ。

 

 

尚、わたくしは、世間の大人達は何も分かって居なひと思ふ。

もう頭が固まって仕舞って居りおまけに文明に洗脳されても御座るので何にも知らぬうちにこれから多くの人々が熱中症で死んでいくのだらうとさう思ふ。

 

要するに旧世代のバカさ加減に就ひては此のわたくしが一番良く知って居る訳だ。

 

そしてつまりは其のバカさ加減とは全体主義が齎すものなのだ。

 

ところが、戦時中の日本国民のバカさ加減は裁かれては居なひでせう。

 

裁かれたのはかの東京裁判で絞首刑やら終身禁固刑となった軍人や政治家ばかり。

 

ですので、實は社会とは大衆のおバカさにむしろ支へられて来て居るのだ。

 

 

言ふまでもなく社会は人間が沢山居なひと社会にはならなひ訳だ。

 

其の沢山の人間が日々セッセと働くお蔭で社会は維持出来ておる。

 

だから社会は兎に角沢山の人間をドレイ化しておきたひ。

 

で、其の奴隷としての様は戦前でも戦後でもまるで同じだとわたくしは言ふておる。

 

社会はあくまでドレイなどでは無ひと言ふのだが其の實は明らかに奴隷なのだ。

 

 

だからオレはドレイなんぞご免だ。

 

と二十代の頃からさう思って居たので資本主義にはとても己を組み込むことが出来ず其れでもってわたくしは塾の先生になったのだ。

 

社会の言ふことを何でも聞く奴隷などになって其れでもってタマシヒが汚されたら人間もう終わりだ。

 

同時に宗教を追求し始めたのも其の二十代の終わり位からだった。

 

 

即ち社会は常に民を奴隷化しておきたひ。

 

さうして戦時中の日本国民のバカさ加減が裁けぬのと同じ理由で戦後の経済成長の責を日本国民に問ふことなど出来ぬ。

 

が、大人はバカであることはまさに其の通りのことで奴等が許せぬこともまた其の通りでのことなのだ。

 

まさに君等若者にとってはさうだ。

 

 

だがジジイでもあへて其れを大批判して来た奴は居るぞ。

わたくしがまさに其のジジイなのさ。

 

兎に角経済成長の責を問ふことは現実上難しひ。

ただし本質的には経済成長の為した罪は明らかだ。

 

尚、わたくしは中学生位の頃から経済成長はダメだとさう思って居た。

国語と社会科が得意だったわたくしは中学三年の折に世界の抱へる食料問題と人口問題に就き纏め夏休みの課題として其れを提出した。

其れが京大出の担任に認められクラスでNo.1の評価を受けた。

 

が、其の頃もまた其の後も社会問題よりもむしろ文學の方が好きで太宰や芥川ばかりを読み込んで居た。

 

詩の方にも興味はありすでにステファヌ・マラルメなどを読み込んで居た。-難解さでもって知られる象徴派詩人ー

 

当時のわたくしの文學熱はアンチ経済成長の思想的展開として齎されしものだ。

 

経済成長がダメだと思ひながらも資本主義の齎す様々な形での快楽に浸り込んで居た少年時代のわたくし。

 

其の矛盾こそが後に左翼思想へと走る端緒となった。

 

左翼思想では要するに計画経済ですね。

 

計画経済はのべつまくなしの自由な経済活動を本来ならば認めぬもの。

 

ところが共産主義での経済的破綻が露呈して今や露国も中国も経済的に自由化されて居る。ー露国は体制崩壊をも経験したー

 

 

然しコレこそが矛盾其のものでせう。

 

共産主義は思想的に潔癖だからこそ経済に制限を設けて居た訳でせう。

 

其処からも所詮人間は欲望には勝てぬと云ふことだ。

 

さう、欲望、實はコレだけが問題なのだ。

 

 

ところが社会は欲望の是非など問わぬ。

 

何故か?

 

欲望の追求が前提となって居るものこそが近代以降の社会だからなのだ。

 

だからもう其処で宗教の方へ進むしかなくなって来やう。

現代社会に於ける諸制度、思想は欲望の是非を問うたり其れを否定することなどそも不可能なのだ。

 

 

そんな社会的な問題、或は歴史過程を兎に角君等若者は問題として捉へ直さねばならぬことだらう。

 

だから其れは逃げなのではなく人間の本質を問うていくことなのだ。

 

裁かれるべきものが何なのか、真の敵とは何なのかと云ふことを根源にまで遡り問うていかぬ限り答へなど出ぬ。

 

 

が、其れも自然科学者が悪ひのではなく自然科学と云ふ世界に対する分析手法其のものが悪ひのです。

 

と言ふよりも自然科学に全的に依存して仕舞った文明のあり方其のものがオカシヒのだ。

 

ですが、確かに自然科学による物理的予測は常に正確です。

 

 

此の番組でもさうした予測のひとつが紹介されて居ましたが其れは恐るべきものでした。

 

即ち今後十年程が人類にとり最も大事なのです。

 

温室効果ガスを徹底的に削減していかぬ限り何と2030年に世界の平均気温が産業革命前より+1.5度に達して仕舞ふ。

 

 

2030年までに気温が1.5℃上昇? 悲惨な結末を避けるには大変革が必要だ

 

重要なことは、今現在すでに+1.0度なのです。

 

と云ふことは其れは可成に難しひこととなる訳だ。

 

まさに上にもある通りに文明の再構築が今求められて居ります。

 

尚理性的に勘の良ひわたくしはすでに三十代の頃より文明を再構築せねばおそらく此の文明は滅ぶとさう考へて居りました。

 

ではどうしたら良ひのか?

 

ですからまさに其れを宗教の分野にて考へて来て居たのであります。

 

確かに其の頃は実践的な宗教活動などにも勤しんで居りました。

 

 

文明の再構築に於ひては、価値観のコペルニクス的転回こそが其処に求められて参りませう。

 

即ち資本主義をもう止める位でなければ其の数値を達成することは出来ぬ。

 

たとへば資本主義を即刻止めて原始共産社会に戻りませぬか?

 

でも其れじゃあんまりだ、第一それじゃ苦しくてとてももたぬことだらう。

 

いや、違ふ。

 

實はカンタンなことだ。

 

大衆の頭の中を変へるだけでOKだ。

 

即ち文明による洗脳を解け。

 

其の頭の中が如何に洗脳されて来て居ることか君達は何も知らぬことだらう。

 

 

其の大変革と云ふのは、確かに文明の大変革のことなので大変なのですが實は物理的なこと以上に精神的なことなのです。

 

つまり人間と云ふものはたとへ粗食であれ三食食へて妻子がありまた妻子が無ければマニアックな趣味などあり其れも多くを所有せずとも充分に幸せとなれるのだ。

 

たとへば腕時計のマニアならば其れが三、四、五つ程あれば其れで良ひ。

 

たとへばわたくしのやうな万年筆愛好家も三、四、五本程あれば其れで良ひ。

 

さらに妻は不細工でも此の際構わぬ。

 

また子の出来の悪ひのは確かにアナタに似て居るからだ、我慢しやう。

 

 

其のやうに全てを限定して捉へる。

 

わたくしは苦もなくそんな生活に馴染んでいくことであらう。

 

たとへ掃除機無し、洗濯機無しでもやっていける自信はある。

 

 

ただし食ふ方は心配だ。

 

資本主義止めちゃってるので果たしてカレーライスが其処で食へるのかまた大好きな菓子が食へるのかが大問題だ。

 

おそらくは駄菓子のやうものになるんだろうな、駄菓子は大好きだからイイのですがね。

 

カレーライスと駄菓子が食へればわたくしはもう満足。

 

あとはキュウリの漬け物だけは欲しひ、

 

ピクルスでもどちらでも良ひのです。

 

または福神漬ならベストだが。

 

 

兎に角さうして貧しひながらも「楽しい食生活」でやっていくことだって出来る。

 

 

が、文明は決してさうはしていかぬことだらう。

 

即ちあくまで現状での電力消費量を維持した上で再生エネルギーの方にシフトしていく筈だ。

 

 

グレタさんは経済界に於けるダボス会議でも発言をなしたようだ。

 

即ち温暖化を進めぬやう化石燃料消費を抑へていくことを提言している。

 

また其処では責任銀行原則が採択され投資家へ化石燃料消費の為の投資を止め再生可能エネルギーの分野での投資を行ふやう国連から示された。

 

其処からしても次第に世界は変化して来て居る。

 

まずは多くの排出量を持つ企業の方が考へ方を変え利益よりも環境の保全と云ふ考へ方にすべきであるが其れこそ計画経済でも無ひ限り難しひことだらう。

 

資本主義と云ふ経済システム自体に多々問題があり故にどうしようもなければ逆に低成長か或は限定成長即ち温暖化させぬやうな経済規模を考へ資本主義自体を限定していくべきであらう。

 

 

このやうに今やグレタさんの活動は経済界にも働きかけたものとなって居る。

 

其の部分にはまさに驚かされた。

 

文明の再構築に至る端緒をまさにグレタさんの活動が行ったのだとすれば其れはタダの批判ではなく実質的な改革なのだ。