目覚めよ!

文明批判と美の探求と

ドキュメンタリー パンデミックのとある日ー文明としての抽象性への反省Ⅱー+美味しひステーキ🍱のこと

コロナが壊した「“そもそも限界”だった働き方」ウイルスと共生する未来 「不愉快な」現実、受け入れる時

コロナ禍への鋭ひ論点をも含む素晴らしひ社会時評だ。

 

其の「生物的な限界」を否定するシステムを抽象的に現代社会が成り立たせて来たことがまさに問題の核心なのだ。

わたくしは其れを直観的に気付き此処二年ばかりの間はことある毎に「肉体性」の無視と言ふ表現にて其の部分を論じて来て居た筈だ。

 

わたくしにはさうした気付く力がある故正直に其れを書ひて来ても居た訳だ。

尚此の「肉体性」の無視=具象的現在の否定の様こそがまさに文明の陥った誤謬であり魔道としての部分である。

 

「生物的な限界」を無視した抽象的な経済システム=金融資本主義並びにグローバル経済の流れに対する批判は心ある學者の間で此れまでにもしつこく行われて来て居た。

勿論わたくしも何冊も其の種の本を読んで来て居るが其の内容としてはいずれもが近ひ将来に訪れることだらう経済的崩壊への危機感を顕わにしたものばかりだった。

 

つまり其れは具象的に齎される危機なのだ。

最終的には物理的にさう困難に直面して仕舞ふ、極めて現實的に生物的な恒常性の維持が其処に断たれるつまりは死の危険にさへ人間が晒されて仕舞ふ。

 

其の危機は👽でも猛獣共でもまた邪教でも無く要するに合理化された文明自身が自分でもってわざわざ用意したところでの破壊であり滅亡の危機なのだ。

また何度も述べて来て居るやうに其れは縁起の理法の上でのまさしく必然的な現象としての流れのことだ。

 

尚此の記事中に引用されて居るジョナサン・クレーリー氏の説はわたくしにとり大変興味深ひ。

 

『24/7 眠らない社会』ジョナサン・クレーリー著

現代社会は余分な時間を個に対し与へることは無ひ。

人間其れ自体を抽象的に規定する社会は最終的には眠らずとも良ひ社会を築き上げて行きたひ。

また眠らずとも働き尚且つ不老不死としてこき使ふことの出来る人間であって欲しひ。

 

何故なら其の方が社会の利益が極大化されやう筈なのだから。

合理化を何処までもしていくつもりなのであるなら最終的には仕事は全て効率化しロボットに任せる方がより確實でもって経済的だ。

 

だが現實的には仕事は複雑なので其の全てを効率化しロボットに任せることなど出来なひ。

だから其処でロボット並に酷使され謂はば使い捨てにされる人間以下での層が自然と組み上がって仕舞ふ。

 

従って現代社会は人権の擁護を声高に唱えつつ實は人間其れ自体を一歩間違へば死ぬレヴェルにまで搾取し続けて来た。

其れは何でかと言へば勿論合理化し利潤を最大化し支配層が肥へ太り思ふがままの現實を築き上げたひが為だ。

 

 

また其ればかりでは無く其の人間の身体性即ち肉体性と云ふ具象性に関して人間主体が改変されつつあり即ち抽象的な価値に適合するやう肉体其れ自体がすでに変へられつつある訳だ。

まさに其れが具象的身体から抽象的身体への流れのことなのだらうとわたくしは思ふ。

 

其のやうに人間の肉体は次第に抽象化されて行かざるを得ぬことであらう。

抽象化すればやがては性欲も無くなりさらに部分的にはサイボーグ化などされて行くのかもしれなひ。

 

問題は然しかうした人間の改造ー心身両面にわたるーへの大衆の無感覚性である。

大衆とはつまるところ鈍感な社会の🐕である訳なのでさうしたヤバひ部分に就ひての気付きはまるで期待出来ず其れでもって文明が滅ぶ時には結局其れに殉死して行くより他は無くならう。

 

 

さうした面ではわたくしはまるでそんな大衆では無ひのでかうして此処を始め色々と語り始めたのだった。

だが多くの読者は其れを信じてなど居なかったことだらう。

 

さうして信じて居るのは👪であり社会であり経済ー金ーであり科学技術の齎す価値としての恩恵の方なのだ。

要するに文明の奉ずる抽象的な価値程怖ひものは無ひ。

 

また此処には「死の受容」と云った論点もまた出て来て居る。

 

此の部分もまたわたくしが屡論じて来て居る視点だ。

現代社会は兎に角死を隠蔽し其れをまるで抽象的に扱って仕舞ふ。

 

だが現實には其れはまさに一人一人としての具象的な死である他は無ひ。

ひょっとすれば戒名だの墓だの何だのそんなものも或ひは死の抽象化なのやもしれぬ。

 

 

今のわたくしの感じ方で言へば、コロナ死とはそんな文明が抽象的に構築する死に対する拒絶としての死のことだ。

そんな死を死ぬることしか出来ぬのだとすれば其れはもはや許されぬーあってはならぬー社会的な意味での野垂れ死にのことだ。

 

つまり我我の死とはあくまで具象的に齎されやうが文明は其の死の形を受容出来ず其処で合理化即ち抽象化さへして仕舞ふのだ。

 

其の人間の肉体性の崩壊、肉体性の忌避などの論点は合理化の問題、つまりは諸価値の抽象化の問題ともしかと絡む人間が特質として抱へる最大の問題なのやもしれぬ。

つまりはもはや人間がありのままの生と死をすでに受容出来なくなって来て居る可能性が高ひ。

 

しかしながら其れはどうも個に於ける問題なのでは無く社会的にさう規定されし問題其のものなのだ。

 

コロナ死か又は温暖化による熱中症による死で個はあくまで實存としての全価値の崩壊を体験して行かざるを得ぬ。

ところが社会の側は其の死を統計的に処理することしかもはや出来ぬ。

 

今日はコロナにて十人死にました。

だが其の死には果たして社会的な責任は求められて居るのだらうか?

おそらくは誰もが仕方が無ひ不慮の死として扱はれて仕舞ふばかりなのだらう。

 

だがほんたうは此れは社会が強ひた死だ。

現代社会と云ふ倒錯の価値観が生み出した人災による死其のものなのだ。

 

其れが只統計上の数字の死として扱はれることに対し何故貴方方大衆は抗議の声を上げやうとせぬのか。

此の社会に於ける生自体への合理化こそがあらゆる現代に於ける悲劇を生みまさに声にはならぬ苦しみを、もはやどんなに泣き叫んだにせよ周りに届きはしなひ心の上での欠乏を我我人間に与へ続けて行くやうにわたくしには思はれる。

 

 

さて、また此の記事中にもあるやうに新興国などでは工場が止まり其の分大気汚染物質の放出に歯止めがかかり綺麗な空気や空が取り戻せて居たりもする。

さうするとあんなに綺麗にヒマラヤの山々なども見へる。-釈迦の故郷の近くにあるかのヒマラヤが-

 

また野生動物が活動を停止した街中に現れ楽しそうに闊歩して居たりもする訳だ。

さうして其れこそがむしろ良ひことではなかったか。

 

人間のヤバひ活動がさうして無くなればかうしてすぐにでも自然は回復することだらう。

自然はさうしてあくまで具象的に現在を生きて御座る。

 

だが人間よ、汝等は何処までも罪にさうして欲にまみれ抽象的な欲望を遂げやうとして行くことだらう。

 

然し抽象的な欲望は崩れ去るのもまさに早く一瞬のうちに巨額な利益を失ったりもする。「投資の神様」5・3兆円の赤字、「残りの人生を米国に賭ける」

所謂あぶく銭にて儲けやうだなんて、そんなことをして来て居るからこそコロナ禍となったことにつきおそらく投資家などはいまだに気付ひて居なひことだらう。

 

つまりはコロナ禍は欲望を抽象的にしか規定出来ぬ末期の資本主義が招き寄せたことだらう断末魔の姿なのだ。

さうして生物的な限界=肉体性の放棄を画策し続けて行く成熟?した資本主義システムにより我我個としての人間の生命は常に危険に晒されて行くことだらう。

 

我我に死を齎す其のコロナウヒルスだの気温の上昇だのは畢竟さうした現象其れ自体に問題があるのでは無く其れを自ら招くに至る社会の仕組みの不始末さの方にこそ大きく其れが存して居るのだ。

 

 

左様に今回は社会への批判の度が少し激しかったので気分転換に是非以下をお読み下され。

 

 

さう言へば昨日はつひ欲望に負けあさくまにてサーロインステーキ弁当ー三百グラムの肉のものーをお持ち帰りしましたものでした。

其れはハッキリ言へば美味ひ!!!!ステーキのあさくま お持ち帰り🍱

 

が、其れは家にて肉を焼き直し其処に付属のタレをぶっかけつつ食ふべきものです。

 

尤も母ちゃんの分は焼き直ししませんでしたがわたくしの分はさうしてバリバリに焼き直す。

兎に角昨日は久々に肉を食った感じが致しました。

 

あれおまへは菜食主義では無かったのか?

 

いやどちらもイキます。

 

其の美味ひものに金が支払はれることで資本主義が回って居ることだらうがまさに其れを批判して居るおまへ自身が其れを矛盾だとは思はぬのか。

 

そりゃ矛盾でせう。

だが其れはわたくしにとりかうして批判のパワーとなるもの其のものです。

 

 

ちなみにステーキのあさくまは日進町に本店があり半世紀程前我が家では👪総出でもって屡其処へ出向ひて居たものでした。

佛と綽名されて居た御爺さんや女中上がりで家事に極めて厳しかった御婆さんも父も母も弟も皆で🚙に乗りあさくまの本店へ行ったものだった。

 

其処でサーロインステーキを注文すると其れが兎に角美味かったのです。

 

以降様々に美味ひものも食ひましたが昨日は半世紀振りに其の昔の味を思ひ出すことが出来母と二人でまさに極楽の様を味はってなど居りました。

ーあさくまの店舗は自転車で十分のところにあるがより近ひのがガストなのでそちらからデリバリーばかりをして居た為あさくまのお持ち帰り🍱がこんなに美味ひことに此れ迄つひぞ気付けなかったー

 

コロナと闘ふ為のあさくま🍱!しかも決して高くは無くむしろリーズナブルな肉🍱だ。あさくま🍱

尤も関東圏にもこんなに店舗があるものとは今回初めて知りました。