尾木ママ 政府の3学年優先登校案を批判「成長に影響しかねません」
なんでも良ひのですが尾木さん、出来ればそんなところで急にまた憲法の話など持ち出さなひで頂きたひ。
まさにあんたも前回持ち出して居るのでは?
わたくしのはちゃんと政治史を學んだ上での憲法違反のお話です。
かうして文明崩壊は学校崩壊へと即繋がる話ですので無論のこと甘く見て居てはなりません。
子供の人権を重視する余りに学校もやれなくなるのであれば其れはまさに本末転倒なのであり要するに子供又は学生は勉強する上に於ひて初めて人間となりませう。
要するに過保護にされ過ぎあらゆる危険から守られ其ればかりか子供だって一人十万呉れると云ふのですから、其れこそ子供其れ自体が社会をナメてもかかりませう。
勿論教師もナメてかかられ、其ればかりか父ちゃん、母ちゃん、爺ちゃん、婆ちゃんもまたナメてかかられませう。
其の点ではわたくしはまるで左派では無く子供は兎に角厳しく鍛へ上げて行くべきだとさう考へて居る。
特に小学生の段階での躾こそが大事である。
だからたとへ小学生でも殺人をやった奴は死刑にすべきだ。
また死刑制度は是非存続すべきだとも考へて居り逆に獄門晒し首などの処刑制度を是非復活すべきだとも思ったりする。-特に不倫妻に対するお仕置きとして-
大學生へ金を与へる件に就ひても確かにバイトが減り大変なのではあらうが全部が全部に五万も十万も与へたりして其れで良ひのだらうか?
学生などみんなネットで買ひ物をして遊んじゃうぞ。
棚から牡丹餅の現金を握りしめ其れを全部バイクだの車だのに使っちゃうぞ。
だから、学生と云ふのはそもそも自分で働き儲けて居らぬのだから半分人間では無ひ。
だからこそ人間になるべき其処で不断の努力を為し社会の役に立つ大人に、其の社会の構成員になるべく兎に角勉強、勉強、またお勉強だ。
其れはまだ人間では無ひ故にまさにさうなのであり、其れを何を勘違ひしたものか左翼教育が子供さん方は偉ひ、教師よりも父母よりも爺婆よりも何よりも偉ひ。
子供は神ぞ、佛ぞ、我が國の宝ぞ。
其の現行教育制度の根幹には人権の拡張主義による過保護としての現實がある。
だが、子供達はやがて知ることとならう。
此の世は学校で教へられたやうに平等な社会では無くまさに無慈悲な競争社会其のものであることを。
勿論其れは資本主義と云ふ経済システムがまさに其のやうに社会を規定して居るからのことであるに他ならぬ。
尚、此の競争に就ひては無制限に認められるべきものでは無ひとさう矢張りと言ふべきか左翼的にさう思ふ。
何故ならじぶん自身が元々競争だの他人を蹴落としじぶんが進むことを望んで居なひ人間だからなのだ。
みんな其々で良ひのじゃなひかとあくまで理想論的にはさう思ふ。
要するに欲望丸出しにて一番になりたひ奴も居れば其処に捉われて居るまさに其の心の様を冷笑して居る芥川だの我のやうな気質の人間もまた居る訳だ。
重要なことは其の一番になりたひ奴と其れを冷笑しつつ否定する奴の間には価値の優劣などおそらく生じては居なひと云ふことなのだ。
何故なら近代的な民主主義國家に於ひては思想や信条の自由が保障されて居やうから一番になりたひ奴こそが大馬鹿者でそんなの捨てて橋の下で自由に生活して居るルンペンさん達の方がずっと尊敬に値する人間だ。
などと思おうがどうしやうが其れはまるで構はぬ訳だ。
要するに其の資本主義的価値ヒエラルキーを全否定するにせよ其れは自由だ、自由。
だが普通は其れをやると社会から村八分にされるが故に誰も本心を言へぬだけなのだ。
かように社会と云ふものはまことにバランスを取り難く萬事に於ひて難しひものだ。
だからこそ其れを素直に泣き叫び挙句の果てには全否定するのが文學の本質であり宗教は其れを神佛への祈りへと変へ逆に全肯定化して行かう。
全否定も全肯定ももう止め仙人化し又は脱俗していくのは其れは宗教の側でも聖人のみに許される精神の領域だ。
問題は社会其れ自体の側にはさうした矛盾を乗り越へる力、不条理や理不尽さを解消する力が常に欠けて御座ると云ふ厄介な点だ。
であるからこそ文明は事實として興隆と滅亡を繰り返して来て居る。
さて、しかしながら本日は暑ひ。
晴天に恵まれ気温は上昇しつひに三十度C程にもなった。
其れでもって地球温暖化の方がより心配にもなって来た。
此れだけ急に暑くなるのだとすると、まさに今年の夏が思ひやられやう。
つまりはコロナ禍と温暖化による被害が今後同時に襲ひかかって来やう。
其処からしてさても一体全体人類は何を仕出かして仕舞ったのだ?
で、こんな状態で夏休みに六時限も七時限も勉強出来る筈が無ひ。ーエアコン無しの教室もまたある故ー
其の問題に関連してオカシヒと思はれるのが日本人は盆以外に所謂バケーションを取ろうとはしなひことだ。
其の日本人の勤勉振り、働き者の面が最近わたくしには働き🐜や働き蜂のやうに見へて来尚且つ其れが気持ち悪くて仕方が無ひ。
休暇中のわたくしは今日もまた朝早うから相生山へ出向ひた。
其処でまた石も拾ったのであるがそんな話を細かく聞きたひ人などもはや何処にも居らぬ筈。
8時~10時頃まで兎に角あちこちを動き回る。
丁度新緑の季節にてロケーションとしては最高だ。
木々の若葉の下あくまで具象的に其の新緑の黄緑と青空の色の対比を愉しむ。
ところが10時を過ぎた辺りから案の定人間の声が遠くの方で聞こえ始めた。
其れが次第に近づき鬱陶しひこと此の上無ひ。 人気上昇中?!相生山
だが今日は「爆弾穴」を是非見に行くのだ。
要するに戦時中にB-29が爆撃した折の爆弾の破裂穴のことです。
直径15~20m米程はあったでせうか。
兎に角直に見ると爆弾の恐ろしさが痛感されます。
残念ながら共に穴の状態が良くは分かりませんのですが相当に深くて大きな穴が實は二つばかり出来て居ます。
何故こんなところへ爆弾が落ちたのかと言へば産業都市である名古屋市南部には様々な軍需工場などもまたあったことでしょうから其れを高空から爆撃すれば爆弾が逸れて落ちこんな山の中で爆発しておったのです。
さて問題は其の「戦争」其れ自体が極めて抽象的に規定される価値だと云ふことです。
即ち其の勝ち負けはあくまで抽象的な価値です。
いや、勝っても負けてもあくまで其れは國が栄へたり滅んだりと云ふ具象的な価値のことだ。
いーや、さうではありません。
其の國が栄へたり滅んだりすること自体がまさしく抽象的に規定されし価値だ。
何故ならあへて戦争せずとも國が滅び皆が餓死する訳ではなからう。ーかの瑞西のやうにー
だけれどより栄へるつまりはより大きく國力を蓄へより贅沢に暮らしたひ向きには確かに勝利が必要でした。
つまるところ戦争とは其の前向きな欲望と滅びとが一対になり齎されるものなのです。
だが其の前向きな筈の欲望は果たして人類にとり望ましひものでせうか?
翻り思ふに、現在の此の経済力や科学技術力に寄り掛かる文明も其の前向きな欲望をより抽象的に焼き直しただけの話で其処ではまるで基本構造が変はって居なひ。
即ち其の価値観たるやまるで同じだ。
要するに自國が経済的技術的に一番になりたく、もっと限定して言へばたとへば韓国などには金輪際負けたくは無ひ。
ですが其の勝利でもって競争相手が滅亡する可能性もまたある訳だ。
そんなことを言って居たら生き抜ひてはいけません。
さうか、では、死のう。-芥川と太宰が決した途としての-
宜しひですか、此処こそがまさに大事なところです。
戦はずとも、實は餓死する訳では無ひ。
但し植民地化される虞は全亜細亜に於ひて確かに御座りました。
然し其れも結局は其の抽象的価値の相手になること自体を放棄すると云ふプロテストでもまたあり得やう。
即ち抽象的価値に対し抽象的価値でもって応ずれば二つも原爆が落ちませうし相生山に幾つも爆弾穴が残るのです。
重要なことはかって二人の文學者が生へのやる気をさうして全否定して居ることです。
其れも並の作家では無かったですよ、まさに傑出した作家の御二方がです。
かうして前向きなのは一見良ひやうで居てほんたうはまさにクソくらへでの価値観ですよ。
其れが左翼の価値観なのか文學の価値観なのかまるで良く分りません。
いや、そんなことはむしろどーでも宜しひ。
要するに競争、競争、進歩、進歩とやって居ると其の戦争とまるで同じことだと言って居るだけのことだ。
其の価値観の抽象性に於ひてむしろまるで変はらぬものである。
其のやうに文明つまりは社会が近代以降に奉ずる価値は須らく抽象的にまたより抽象的に規定されしものだ。
抽象的価値に対する具象的反乱、乃至は諫めが文明の抽象的現在に齎されし災厄の本質的意義だ。
ではコロナもさうして温暖化もみんなさうした文明の行き過ぎた抽象性が齎して居るものなのですか?
其の通りだ。
其の抽象性こそが全ての鍵を握る犯人だ。
たとへば金、つまりは此れも抽象的現在が此処に生じさせて居るもの其のもの。
金が無くとも生きられませうや?
いや、無ければ結局死にませう。
だが生きて居る限り其れを具象化する努力を放棄すべきでは無ひ。
戦争をまた科学技術の暴走を阻止し暴力や技を具象化する努力を放棄すべきでは無ひ。
ウルサクなって来た相生山から逃げやうと山道を歩ひて居たところ、何と山の大樹の下に🚙が一台止められて居た。
勿論其処は普通は🚙が上がれるやうなところでは無ひ。
わたくしが最も疑問に思ったのは、道に止めて置けば良ひものを何故彼がたったの五十米の距離をリスクを冒して山を登り其処に🚙を止めたのかと云ふことだった。
さうして其処に現代人の陥った心の病の部分を如實に見た思ひがした。
結局彼ー運転者ーは自分本位に物事を合理化して御座る。
わたくしは其の合理化こそが世を滅ぼすのだと思ふ。
勿論コロナウヒルスの蔓延もまさに其の合理化が齎したものだ。
天白川へ出ると其処には👪連れが一杯でのみならずテントなども二組張ってあった。
嗚呼、懐かしひなあ。
カブスカウトの頃が兎に角懐かしひ。
ー尚わたくしは11歳の頃だったか、カブスカウトの組長として朝霧高原にて開かれた世界ジャンボリーにかって参加して居たことがあった。ー
かうして山や川に子供と其の親が沢山来るやうになった。
其処でもって自然の大切さを是非具象的に分かって頂きたひ。
眞に大事なものは抽象的現在では無く具象的現在であることを其処からしかと學び取って頂きたひものだ。