目覚めよ!

文明批判と心の探求と

ドキュメンタリー パンデミックのとある日ー最も危惧される肉体的破壊ー

結局パンデミックとは文明の諸価値に対するひとつの問ひかけであり否定其のものなのでもまたあった。

即ち文明の奉じて居た価値がとりあへずは其処に全否定された訳だ。

 

其れは文明の持続不可能性に対する全否定なのでもまたあるのやもしれぬ。

ならば其の持続不可能な文明は今後どう再構築されていくべきなのか?

 

其のことに就ひては既に様々な意見が出て居ることだらう。

 

 

其の新世界秩序に就ひてかうしてハラリ氏を始めとする知性による提言が今後も続ひて行くことだらう。

勿論さうした社会的な変化は否応なく人間の生き方を改変していく筈だ。

ユヴァル・ノア・ハラリ「年末までに我々は新しい世界を生きることになる」

 

其れは社会は変はり得なひと云ふことと同時に社会は変はり得ると云ふことを指し示すことなのでもまたある。

 

但しわたくしは其れでも猶社会が変はるとは信じて居なひのだ。

何故ならわたくしは社会の本質とは悪だとさう規定するに至って居るからなのだ。

 

なのでどちらかと言ふとキリスト教的に文明は滅びて行くのだとさうも思って居る。

要するに社会の善意などと云ふものに就きまるで信じて居たりはしなひ。

 

現在の状況にせよ無論のこと楽観視することなどはとても出来なひ。

さうしてコロナウヒルス其れ自体が悪ひのでは無く結局社会が悪ひのだと云ふ結論である。

 

敵は外側の黴菌やら怪物では無く人間の内面での思想的な選択がそも誤って居るが故にかうした抽象的に規定されし現在を生きざるを得ず其の抽象領域へコロナウヒルスが具象的に殴り込んでみたら抽象度の高ひ文明故に其れに歯止めがかからず一挙にやられましたと云ふことであるに過ぎぬことだらう。

 

なので要するに価値への社会的選択其のものが悪ひ。

=人間の内面での価値への選択が悪ひ。

 

要するに其の価値観が悪ひ。

残念ながら其れが誤りだ。

 

 

第一現在にせよそんな価値もクソも無く生きるか死ぬかの人々がおそらくは多く居るのだ。

わたくしはさうしたところへと社会的に追ひ込む社会と云ふものを決して許しはしなひ。

 

要するにそこそこに努力し生きて来た人々を社会のせひー社会の不始末ーで殺して仕舞ってはイケナヒことなど当たり前のことなのだ。

 

要するに神風ウヒルス特攻隊にはやっぱり反対だ。

また政府+官僚の無能振りにもやっぱり反対だ。

 

其れも思想の左右では無く兎に角大反対だ。

 

 

要するにわたくしは泣き叫び窮状を訴へて居る。

批判と云ふよりもさうして死ぬ、死ぬと泣き叫び今多くの人々を殺さうとして居る國家に対し人間性のかけらさへもが無ひとさう糾弾して居るのだ。

 

だからわたくしはまた左翼に戻った。

左翼的アナーキストにまた戻って仕舞った。

 

だから、かう云ふ時に右翼のみなさんは普通ガマンをしもはや死んでも良ひ、むしろ切腹しやうとさう腹を決めておひでだ。

 

確かに其れは偉ひ。

左様に余程に腹が据わって居なければかの三島先生の如くに自ら腹を切り断頭されることなど出来やう筈が無ひ。

三島先生はさうして首がちょん切られたのだぞよ。

 

だが、今わたくしはまさに其れとは正反対のことをして居る。

まさにおまへのせひでみんなが経済的に殺されるとさう社会に対して泣き叫んで居るのだ。

 

其れは全部が社会おまへのせひだ。

 

社会おまへの選択が悪くしかも教育がなっていなかった。

だから國民の心のレヴェルが下がり、こんな時に限って夫婦同士で手を繋ひで歩ひたり、お寺の境内にて陸上競技のトレーニングをしたり、其ればかりか實はお寺の参道にて一輪車にて子供と親が平気で遊んで居たりもする。

 

即ち日本人の精神はもはや地に落ちた。

もはや誰も其の堕落を救ふことなどは出来ぬ。

 

だがわたくしの関心事は今は其れどころでは無ひ。

今申したひのは、かうして人間を平気で殺す社会の無能さと無慈悲さのことだ。

 

 

だから、其処は何処が平等なのか。

何処が豊かなのか。

何処が進歩なのか。

何処が人権なのか。

 

まさに憲法で其れを理念的に規定して置きながら其の理念をまるで達成することが出来ぬ無能なる社会機構の故にまさに其れを今徹底的に糾弾しておる。

 

いや、結果的には糾弾して居るのでは無ひ。

かうして泣き叫び神佛へと此の苦境を訴へ続けて居る。

 

 

どだひ宜しひですか?

 

まずは何度も申して居りますやうに真面目に働ひた人には等しく近代的な価値の享受が約束されて居ることこそが近代的な國民國家としての基本的要件です。

であるから、真面目に働かなかったこと以外の理由でもって店が潰れたり会社を解雇され其れでもって首をもし吊るのならば其れは全部が社会ー國家ーの責任です。

 

なので、内閣総理大臣及び閣僚ー國会議員ーと官僚組織は其の社会契約を誠実に履行する責務があり其れはたとへ自らが死んでも成し遂げねばならぬまた👪が一家離散となっても成し遂げねばならぬさらに裸一文となりつまりはルンペンとならうとも成し遂げねばならぬ一大事のことだ。

 

だから今すぐに皆其れをやれ!

 

さらに憲法違反、つまりは憲法による規定其のものをなひがしろにした罪刑が其処にはしかと組み込まれても居やう。

よって為政者は罪人として潔く刑に服さねばならぬ。

 

司法の判断を待たずして其れは余りにも時期尚早なのでは?

いいや、其れで良ひ。

此の際司法の判断など待っては居られぬ。

つまりは待った無しでの破壊であり殺人だ。

 

 

お分かりですか?

近代國家とはさうした権利義務関係の誠実な履行により國家と國民の関係を成り立たせて居るものです。

 

ところがもしもだ。

もしも日頃は國民をこき使ひ其処で生じた儲けからピンハネして御座る國家がもしも其の権利義務関係を誠実に履行出来ぬのだとしたら一体どーしますか?

 

もはや其れは國家の崩壊でせう。

もはや根本での権利義務関係の崩壊でせう。

 

ですから、其れは厳密に履行されるべきものであり決していい加減に即ち適当にして置きほとぼりがさめたら何とかなるなどと思って居ては金輪際イケナヒものだ。

で、もしや其れが出来ぬとさう仰るのであればもう我我國民は國家になど従ひ必要はまるで無ひのであります。

 

ズバリ税金も納める必要が御座らぬ。

ところが國はまた自治体は税金だけは何故か毟り取る。

 

だからオカシヒと述べて居るのであります。

 

いや、確かに免税したり減税して居る自治体もまた確かに御座ひます。

なのですが全てが一律にさうなって居る訳では無ひ。

 

要するにバラバラの施策と化して仕舞って居る。

其れは誰もが等しく権利義務関係を享受出来ることを規定する戦後憲法に対する憲法違反其のものだ。

 

 

で、ハラリ氏の未来秩序の話はどうなりましたか?

 

そんなものはつひ忘れた。

余りにも日本政府の対応がお粗末で其のお粗末さが兎に角腹立たしく其れどころでは無ひ。

 

実際マスク一つまた消毒薬一つがいまだに用意出来ぬさらにウヒルス検査一つ出来ぬ政府に何で従ふ必要などがあるのだ。

いや、此れは公明党批判では無くあくまで自由民主党厚生労働省への批判です。

 

で、わたくしはそんな日本の為政者に只尻尾を振りつつ従って居るだけの大衆の感覚が兎に角分からぬ訳です。

其れでもって休みになればなった分だけさうして遊んではイケナヒところでもって遊んでばかり居る訳だ。

 

 

其の新世界秩序はあくまで抽象的な社会の構造上の進歩の話でもまたある訳だ。

だがわたくしは遥か其れ以前での社会としての問題のことをかうして述べて居るのだ。

 

社会は其の社会の構成員が成り立たせて居るものであり、其の部分としての生活が社会構造上成り立たなくなるのであれば其れはウヒルス其れ自体に罪があるのでは無く危機感に薄ひ統治機構其のものに罪があるのだ。

でもってわたくしはまさに其の部分を泣き叫んで居ると云ふこととなる。

 

さうして泣き叫んでも解決されぬのでは?

いや、であるからこそむしろ泣き叫ぶ。

 

ズバリ其れは宗教が泣き叫ぶものでは無ひからだ。

宗教は祈り、さうしていつしか善人と化す。

 

 

其れは其れで大事なことだ。

だが宗教には出来ぬ喚き散らし、泣き叫びの態と云ふこともまたある。

もしや其れが文學としての領域なのではなひか。

 

人生の不条理に押し潰され太宰はさうして泣き叫びつつ心中する。

まさに其れは誰が見てもみっともなく決して褒められたものでは無ひ人生の結末だ。

 

だが何より太宰は正直だらう。

 

こんな不条理な生などイヤだとさうして其処でもって喚き散らし、泣き叫んだらう。

わたくしはまた其れも大きな価値なのだと最近はさう思ふやうになった。

 

尤も働き盛りの頃はそんな太宰の責任放棄の様が大嫌ひなのだった。

然し誰もが太宰のやうに正直に苦しひとさう言はねばならぬ時があるのではなからうか。

 

 

まさに今こそが其の時なのではなからうか。

 

また芥川もそんな自らにふりかかる生の理不尽さにほとほと嫌気がさしておった訳だ。

芥川もまた死を選んだが或いは其れは正直な泣き叫びの態でもまたあったことだらう。

 

わたくしは其の正直さにむしろ感動して居る。

そんな思ひでむしろ今此の胸が一杯だ。

 

 

正直では無く、適当に誤魔化して、さうして人の苦をしり目にじぶん達だけ手を繋ひで歩き其れでも君等は人間のつもりか!

人間ならばこんな時むしろ大ひに泣き叫んで居なければならぬことだらう。

 

 

うはあー、苦しひ、苦しひ、もう死ぬ、死ぬ。

今晩食べる御飯ももう無ひ。

 

其れに現金な妻は店が潰れるとサッサと出て行きました。

其れに子供も最近余計に勉強しなくなり通知表などはもはやオールⅠです。

 

其のやうな人としての苦難の道、荊の道を社会は個に対し絶対に強ひて居たりしてはならぬ。

だが事實上今後の社会は其れを個に対し屡強ひて来ることだらう。

 

何故なら災厄の度合ひがグローバルにグレードアップされて仕舞って居るからなのだ。

ところが現代社会は一律に合理化されて居るが故に實は具象的な危機管理能力が限定されて仕舞っても居る。

 

即ちWHOなども結局ほとんど役には立たなかった。

結局其々の國にて個別に対応して行く他は無ひ。

 

つまり危機ー危険ーだけが大幅に増強されて居るにも関わらず其れに対する対応力は至極限定されたものとならざるを得ぬ。

要するにかような國家存亡の危機の折に好んで同盟國や世界全体の弱小國家のことを助けてやれる余裕などもはや何処にも無ひ。

 

其のやうな危機をまさに生んだのは全てが社会構造上の又は社会としての思想の持ち方の上での問題でありウヒルス其れ自体の危険性なのでは實は無ひ。

 

 

尚、今回は宗教にても救はれぬ其の至極現實的な人間の苦しみのことを述べて来て居る。

結局宗教にて心は救はれるのだとしても所詮飯を食はねば皆人間は死んで仕舞ふ。

 

其の時にはむしろ泣き叫び喚き散らして死んでやれ。

其のことでむしろ社会のあり方其のものに抗議し其れを恨み抜き死んでもやらう。

 

 

其れはまるで宗教とは違ふ心のあり方ですが。

だから其の肉体的な苦だけをさうして社会のせひにして仕舞へと云ふことなのだ。

おまへ達のせひでかうなって仕舞ったぞとさう肉体の死でもって訴へて行く他は無ひ。

 

其れは知性的な人のやることでは無ひ。

いや、むしろ知性的な人のやることだ。

近代國家に於ける法秩序を遵守する限りはむしろさうでなくてはならぬ。

 

さうして近代國家に於ける法秩序の意義を日本の為政者達は是非今一度學び直すべきだ。

宜しひですか、御飯が食へねば誰も國家の為には働けませぬ。

 

学校行かねば子供は學べず従って将来の社会の構成員にはなれません。

また誰も死んでも働かうなどとは思って居ません。

 

其れでも働かせて居るのは要するに社会が悪ひのです。

さうして社会の末端ばかりを利益から切り捨て合理化するのでいざ危機に至ると社会を回せなくなるのです。

 

ところが、金持ちー資本家や特権階級ーも今後はより大きく税金を毟り取られて行く可能性がまた高くあらう。

なので、社会は須らくが持ちつ持たれつ、なのだ。

 

であるのにあへてさうした強欲な組織なり利権だのを守るから余計に危機の折に其の下の方から崩れて行く訳だ。

だから今問題となって居るのはまさにさうした社会崩壊の危険性の高さです。

 

 

其れも此れも労働を合理化し派遣社員だの低賃金労働などを資本側の言ふ侭にやり続けて来た自民党新自由路線が選択した誤った道なのであり全くのところ其れは自業自得での社会的選択のことであるに過ぎぬ訳だ。

 

で、其の下が崩れると果たして社会はどうなりませうや?

そりゃ上も崩れませう。

 

 

其れはかのピケティ氏が述べて居たことでせう。

トマ・ピケティ「新型コロナの危機は重大だが、社会変革のきっかけに」

さう此の新型コロナによる危機はあくまで社会全体としての危機なのだ。

 

かうしてピケティ氏が仰るやうに、資本主義は勝利したのでは無くむしろより悪ひ選択によりより抽象的な資本主義=金融資本主義として選択されるに至った可能性が高ひ。

すると貧富の差はより極端となり下の方での社会的崩壊が始まって来やう。

 

つまりは下の方での命の危険が常に其処に生じて来やう。

また其れはハラリ氏の仰るやうな神人間による個への搾取構造よりもむしろより現實的且つ切実な問題だ。

 

つまるところハラリ氏は抽象的な歴史の流れの上から文明の崩壊を見詰めておひでだが、ピケティ氏の場合はまさに具象的に経済の面での文明の崩壊を論じて居られる。

但し感染収束後の社会変革による新世界秩序を論じて居られる点では御二方とも同じである。

 

わたくしにも其れなりの考へが實はあるのだが本日は兎に角嫌らしく泣き叫び喚き散らして仕舞ったので其処を述べて居る余裕などはまるで無かった。

 

 

さて残念なことに新型コロナによる危機は此の侭続く訳だが、其の危機の期間が長くなればなる程に社会の下部構造の方がもはや持ち堪へられなくなっても来やう。

要するに社会の下部構造は常に弱く、しかも脆ひ。

 

其処が崩壊すれば上部構造の方ももはや崩壊して行かざるを得なくなる。

だから其れをも含み一つの社会の全体構造なのだと理解しておくべきものなのだ。

 

其れを違ふものとして差別するから結局は全体が壊れて行かざるを得なくもならう。

つまり資本主義は搾取の対象が皆死ねばもはや何処からも搾取することなど出来なくならう。

 

でもって其の当たり前の原理に気付かぬうちに資本主義が自滅するのであれば結局其れは強欲でもって節度の無ひ悪ひ経済システムだったのであり所詮全ては自業自得と云う縁起の理法其のものでのことなのだ。