2.今何が進みつつあるのか
さてこれまで述べて来たやうに文明とは抽象願望を過度に追求していく現象だと云ふことです。
人権の拡張然りまた幸福追求への権利然りで其処ではまさに何処までも人間中心主義を貫かんとして居る訳です。
然しあくまでも其れは抽象願望なので實は具体性には欠けておりませう。
もしも具象的な願望であるならば当然ながら其処には現実上の諸の制約が課せられーまさに此の世は限定物なのでー其の制約により観念的にも結局制約が生じて参りませう。
ところが近現代と云ふ時代の価値観には實は此の具象物としての制約が存して居なかった。
其処は諸の科学技術の暴走からも明らかにさう判断されることです。
ですので其の価値観其れ自体が誤りなのです。
其のやうな抽象願望の肥大化が人間の分を超へ自身を悪魔化し止めどなき欲望の現在が形作られるのだと言へやう。
尤も其れは理窟です。
何故さうなるのかと云ふ部分をわたくしが言葉でもって考へた挙句での其の結論です。
なのですが、實は物理的に破壊が突き付けられて来て居る。
日々誰もが当たり前に世界はずっと続くとさう思ひつつ生活して来ておりませう。
誰しもがさう思ふのだし、むしろ逆に人間であればさう思ふことこそが当たり前のことです。
が、残念ながら其の思ひ込みは如何にも甘ひ希望的観測であるに過ぎぬ。
まずは文明に今突き付けられて居るのは其の産業革命前の世界の平均気温に対し+1.5度までに抑へねば自然による暴走、即ち壊滅的な被害の拡大が文明に齎されていくと云った部分です。
然し+1.5度は早ければ十年後にも達成されやう筈です。
何故なら文明は何も変わらず其れどころか変へやうが無ひからです。
抽象的願望、其の社会的な観念世界に安住し切って居る我我にはもはや其のやうな危機に気付く力さへ無ひ。
其の気付く力とは結局精神力のことでせう。
其の精神力が社会的に奪われた時代こそが特に此の戦後世界なのです。
要するに其のやうな弱ひ精神に改造されたかまたは洗脳され切って居るゆえタダ其の抽象的願望に摺り寄っていくばかりでのことです。
+1.5度以上の温暖化が齎されれば其の後は加速度的に温暖化が進行するであらう可能性が高ひ。
で其処でもって壊れるのはまず自然の方ではなひかとわたくしは考へるのです。
いざ+1.5度ともなれば、其の後短期間のうちに+2度となる虞もまたある。
最終的に2100年にたとへば+4度となるとします。
ところが此の数値は生態系の崩壊と同時に文明の崩壊をも予言するものです。
実質的には+4度ではすでに灼熱地球ーロックストローム博士による概念ーとなって居り地球上の生命は其の多くが死に絶へて居ます。
すでに其処は終焉の世界だと云ふことだ。
ですがおそらく時間はかかることでせうがやがて地球は再生するのではなひでせうか。
但し人類は其処にほぼ死に絶へて居りませう。
其処まで行く前段階として+1.5度、また+2度と云ふ基準があります。
然し+2度ともなれば生態系の破壊が加速度的に進んでいく筈です。
ですので+2度にしてはもはやダメだと云ふことです。
ところが+1.5度は早ければ十年後に達成されやう筈。
遅れたとしても二十年後、三十年後にはおそらくはさうなって居る筈だ。
ところが+1.5度でも生態系の破壊は進んでいくのです。
其ればかりか實は+1度の現在でも生態系の破壊は進んでおります。
+1.5度ともなれば加速度的に氷床が融け海水面が上昇することでせう。
其処へもって超大型台風や集中豪雨が頻発するやうにもなる。
然し其れ以前にもっと怖ひのが人間にとっての食料不足でせう。
食料不足は最終的には共食ひの段階にまで至るのやもしれませぬ。
ですので、まさに其れは人類の危機であり地球環境の危機なのです。
ところが我我は今まるでさうした認識に至って居りません。
何故か?
文明の価値観に洗脳されて居るからなのです。
まさに其処を感度の高ひ人々が社会に対し訴へて来て居るのです。
さて先回述べました東京でのデモで主導的な役割を果たしたのが立教大学四年生の宮崎 紗矢香氏でした。
其の言説を視聴した限りでは彼女もまた聡明な女性です。THINK TANK - 気候変動の解決策とは?
其れでも女はバカー全体としてはーだとわたくしは思って居ますが、もう余り其れは言わずに彼女達に世間との闘ひをお任せしやうかとも思って居ります。
特に環境問題に関してはむさくるしひ我我男性よりもむしろ女性の方々こそが闘士としては向ひて居るのではなひか。
其の彼女が日本の社会はダメだと仰って居ます。
何故なら企業へ面接に行った折に環境保全の観点につき企業姿勢として問ひ正すと決まって面接官に逃げられたのださうです。
要するに利益が第一で環境は二の次なのですから環境保護のことなど企業にとりどうでもイイのでありませう。
其れもデカい企業でもさうして逃げを打つのでありますから、中小企業、零細企業などは環境保全もヘッタクレも無く其処でタダタダ利益が欲しひのみ。
環境問題よりも毎月生き延びることの方が余程に大事である。
かように環境保全よりもじぶんの生活の方が誰しも大事だ。
環境問題よりもじぶんの属する組織の維持と発展の方がずっと大事だ。
人間は誰しもさう考へる。
だが其の考へこそが誤りだ。
と其のやうなことが言へるのはタダ詩人ばかり。
作家の方々はもう少し現実的なのでもう少し人間クサひことを述べるが詩人の方はとんでもなく人間を離れて居るので自己の小宇宙の中からのみ人間を注視し貶すことが可能だ。
流石に大学生らしく彼女はまた気候正義ーClimate Justice(気候正義)とは ーと云ふ概念につき述べます。
「Climate Justice (気候の公平性)とは、先進国に暮らす人々が化石燃料を大量消費してきたことで引き起こした気候変動への責任を果たし、すべての人々の暮らしと生態系の尊さを重視した取り組みを行う事によって、化石燃料をこれまであまり使ってこなかった途上国の方が被害を被っている不公平さを正していこうという考え方です。
気候変動防止の取り組みの中には、かえって環境を破壊したり人権を侵害してしまう取り組みも存在します。温室効果ガスの削減とともに、自然生態系や社会に配慮した取り組みを実施し、持続可能な社会の実現を目指します。」Climate Justice(気候正義)とはより
気候正義とは、さうした所謂南北問題だけではなく世代間格差の問題をも人権保護の観点より見詰めるものです。
即ち我我五十歳以上の世代がまず環境のことなど二の次にした上で経済発展を成し遂げて来た訳です。
環境保護の観点を反故にしつつ美味しひものを沢山食べやりたひことをやり其の上女にも触って来ました。
其のやうにしたひ放題して来て居りますが其れが不公平だと云ふのであります。
何故なら今の十代、二十代の若者は其れこそ2050年辺りから気候変動により死亡する可能性もまた高ひ訳だ。
老衰ではなく気候変動で死ぬる可能性が高ひのであれば其れは如何にも不公平です、と彼女は述べる。
全く其の通りだ。
我我旧世代はごく最近まで自分の子や孫が気候変動でもって死に絶へるなどとはまるで思ってなど居らなんだ。
それどころか、気候だとか地球だとかさうしたデカひものは不変かつ永遠だとさう信じ込んで居たのであります。
ところが近現代とはまさにさうした領域にこそ食ひ込む問題を抱へた時代だったのです。
ですから、何故もっと近現代史を勉強して来なかったのだ?
無論のこと其れは学校と塾の社会科の教師が悪ひのです。
テストには出なひ社会科としての近現代の領域をこそもうイヤと云ふ程に學んでおく必要が御座りました。
但し其の人権保護ですが、あくまで其れは無制限に認められるものでは無ひ。
国家の事情によりまた共同体や企業の事情により其の人権が著しく制限される場合さへもがありませう。
ではあるのですが彼女が仰って居ることは全くの正論です。
我我が今もしも二十歳でしたら其の不公平さに兎に角怒りまくることでせう。
いずれにせよ皆様も次第に何かとんでもなひことになりつつあるな、とさうお気付きになられたのではなひでせうか。
左様に気候変動の問題とは人類にとり究極的にヤバひ問題なのです。
1.生態系の破壊
2.希望ー未来ーの破壊
3.文明ー歴史ーの破壊
に直結する巨視的なレヴェルでの問題です。
要するにほんたうに地獄へと堕ちる問題こそが其の環境ー温暖化ー問題なのだ。
であるからこそ文明としての価値観の再構築が急務なのだ。
ひとつの考へ方として、政治家や経済界の人々、また企業の要職に就く人々がEQレヴェルの低ひ人々ではかうした改革はおそらくは成らぬ。
其処でまずは逆にEQレヴェルの高ひ人々をさうしたポストに選んでいく必要もまたありませう。
しかしながらEQレヴェルの高ひ人々に限りそんなことには元より興味が無く社会を批判したり社会其のものを冷ややかな眼差しで見詰めて居たりもまた致します。
わたくしですか?
わたくしはもう最近人々にバカにされておるばかりでのことで。
もうまるでパワーが湧かぬ故おそらくはボケ老人にでも見へるのでせう。
兎に角デカひことばかりを考へ過ぎて来ましたので矢張りと云ふべきか何処か精神としてのバランスを欠ひて居るのやもしれぬ。
尚日本国では再生可能エネルギーへの転換率は先進諸国の中ではほぼ最下位なのださうです。
即ち再エネと云ふ概念其のものが日本国には定着して居なひ。
何故か?
日本国はあくまで近代化としての勝利者です。
だからこそ多くの発展途上の国々から羨望の眼差しでもって見詰められて来ても居やう。
なのですが、我我日本国民は其の近代化こそは善の価値だと信じ込んで参りました。
其れも戦後まさに国民一丸となって近代化は善であり神であるとさう信じ込んで来て居ります。
ですからそんなものは神では無ひ。
其れはまさにウソの神だ。
なーぜそんなウソの神を君達は信じ込んで来たのだ。
挙句の果てがこんなザマだ。
嗚呼まさにもはや直しやうが無ひ。
尚宮崎 紗矢香氏は大人ー既存の社会ーへの怒りをグレタさんのスピーチより學んだのださうです。
矢張り怒るべきところは正しく怒らねばならぬ。
とさう思われ温暖化対策並びに環境保全に対する運動を始められたとのこと。
此のやうに一部では確かに世界は動き始めて居ます。
或は変わり始めて居ます。
でも大衆はほとんど変わってなど居なひ。
特に齢を重ね金もたんまりある大衆は社会に対しては何の不満もまた心配も無くタダ問題は死が間近に迫って来て居ることだけだ。
ですが若者はまさに死活問題なのでかうして立ち上がって居る訳です。
今75歳のまた85歳の大金持ちがしこたま地球を搾取し絞り出した富、其の大金のパワーにより實は地球が大病となり明日をも知れぬ命なのだ。
其のやうにあくどく儲け生き抜いて来し高齢者こそは必ずや地獄に堕ちやうぞ。
なのでご安心めされ、搾取者はたとへどんな金持ちでも地獄へしか行けぬものだ。
其の価値観の再構築ですが、其れも良く考へてみれば近代的価値構造を一度解体し再構築せねばならぬのでまさに至難の技である訳だ。
つまりは地球温暖化の問題にはいつの間にか人類が直面する全問題が組み込まれて居ります。
其れは大問題の上でのさらなる大問題なのです。
そも文明としての心掛けのあり方、歴史過程としての近現代の意義、自然と人間の相剋の様、資本主義としての欲望の社会の推進、また人口問題など大問題が複合的に絡み合って居り要するにデカ過ぎる問題であり無論のこと個として解決し得るやうな問題にはまるで非ず。
であるからこそ一級の危機意識でもって向き合わねばならぬ問題なのに何故か素知らぬ顔でもって我我は今日は何ぞ美味ひものでも食おふ、だとか、嗚呼アノ子は妙に色っぽひなあ、だとか、今度は是非欧羅巴旅行だな、だとか、兎に角もう現世利益の追求を繰り返すばかり。
ではズバリ言わせて頂きます。
其の危機意識の無さからこそ破滅は生じて参ります。
但しわたくしの場合欲望の追求を全否定する訳では御座りませぬ。
むしろヤバくは無ひ部分でもって欲望を成し遂げつつ死んでいくのが我我に成し得る唯一のことです。
要するに世間からは少々外れた上で諸のマニアックな追求を行ふのはむしろ善の行為です。
但し物理的な破壊はすでに差し迫って来て居ます。
だから其のマニアックな追求も節度を持って行ふべきだ。
でもマニアックな酒や薬や女の追求だけは絶対にダメですよ。
だがグレタさんなどは何やら次第に色気が出て来て居るやうで爺は其れだけがとても心配だ。
くれぐれもウソの神だけは信じ込まぬやうに。
くれぐれも文明は今後も安泰だなどとする誤った認識を持たぬやうに。
くれぐれも死者と宗教を常に大事にし死を前提とした上でしかと現在を抑制するやうに。
くれぐれも安倍政権など信じ込まぬやうに。
くれぐれもかの國の環境相を野放しにせぬやうに。
くれぐれも大食ひなどしてはならぬ。
くれぐれも欲に目が眩んだりしてはならぬ。
くれぐれも地球とは常にお友達で居やう。
いや、地球の奴隷が我我なのだ!
地球こそが我我の御主人様だ!
企業活動を即刻全部止めよ!
企業など無くなった方がずっと世の中はまともになれる。
では生活費はどうされるので?
其れこそ國が支給すべきだ。
動かぬでも毎月金が入る。
まさに其れこそが理想の生活よ。
其れに動かぬ方が地球環境にとっては良ひ。
沢山のウイルスが動き回るからこそ地球が病気になっておる。
これからはもう動かぬ静かな人々が増へる方が良ひ。
さうだ、そんな風にココんとこが好き、などと日がな一日図書館でもって読書でもしておれ。