目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

天網恢恢疎にして漏らさず

進歩の根底にあるのは文明による欲望の追求である。

元来其の欲望には常に理性による抑制が不可欠であったことだらう。

だが合理化と云ふ目的性が至上のものとなるにつれ其の理性はむしろ合理的に抑へられていった。

 

欲はバランスを失すると必ずや己へと突き付けられる刃ともならう。

本能、其れは小さき範囲でのみ正常に機能するバランスを有するものだ。

 

 

 

ウイルスを世界に拡散、大国化を急ぎすぎた中国の罪

 

-中国の古典である『老子』に「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」なる言葉がある。お金儲けや軍事力の増強だけに邁進しても、豊かで人々が安心して暮らせる国を作ることはできない。敵は意外な方向からやって来たようだ。-

以上より

 

 

「天網恢恢疎にして漏らさず」

《「老子」73章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。

 

 

かって老耽による智慧がさう述べたところでのもの。

 

天=道=大宇宙の摂理の張る網は人間の眼には目が粗く何も諌めては居なひやうに見へる。

しかれども其れは常に人間の営為を見詰め諌め続けて居る。

 

人間の行ふ悪事の様をしかと見届けて居る。

よって悪事をなせば必ずや捕縛されやう。

即ち天罰を被る。

 

 

但し其れは中國一國による罪には非ず。

 

さう其れは文明による罪でありまさに文明が被るところでの罰なのだ。

 

では現代文明は一体どうすれば良ひのだらうか?

 

勿論其れは前々から分かって居る。

 

たとへば其れは資本主義による抽象的な価値ヒエラルキーの解体であり地産地消による共同体レヴェルでの限定的経済活動へのシフトである。

 

ところがすでに資本主義は高度な金融工学へと移行して居る。

 

其れはまさに本職の経済学者等が逃げ出したくもなるやうな拝金地獄なのだ。

 

 

たとへば大問題としてのアマゾンの森林伐採なども其の金融工学やらウォール街の銀行家などが深く絡んで居るともされて居る。

 

資本主義は其のやうにすでに悪魔に心を売り渡した金儲けだけのシステムへと変貌を遂げた。

 

かっては資本主義にも良心はあった筈だが次第次第に其の金儲けへの欲望自体が大きく合理化されて行って仕舞ふ。

 

でもって、其処で彼等が何を言って居るのかと言へば環境破壊よりも金儲けの方が大事だとさう述べて居るのである。

 

だが環境破壊は金銭的価値にも還元し得るマイナスとしての価値なのではなひか?

 

たとへばアマゾンの森林が消失すれば其れは地球規模での環境の損失を被ることであり其の損失額はおそらく五千兆円以上である。

 

或は其の倍額ともなりさうだ。

 

金儲けの為に環境を破壊するとはまさしく其れは悪魔の所業であらう。

 

 

 

其の悪魔と云ふものが現代には實在するのである。

 

悪魔はさうして資本主義の上層部に明らかにすでに巣食って居やう。

 

キリスト教は勿論さう云ふ神をも畏れぬ所業に対し猛烈に反対して居る。

 

なのだが其の悪魔の力が大き過ぎ宗教の力だけではもはや如何ともし難ひレヴェルなのだ。

 

 

悪魔と云ふものは佛教に於ひてもあり結局其れは悪業を積むことへと至る大煩悩のことであらう。

 

其のやうな大煩悩がすでに世に蔓延して来ても居やう。

 

さても煩悩とは個としての欲望のバランスにて打ち克っていかねばならぬもののことだ。

 

 

即ち身体の欲するところに従ひ飯を食ふのは其れは其れで良ひのである。

但し大食などしては決してならぬ。

 

即ち心の欲するところに従ひ趣味に凝るのは其れは其れで良ひのである。

但し無制限に何でも欲してはならぬ。

 

 

さて其の文明の抽象性はおそらく今後に於ひても大きく変はることは無ひことだらう。

 

其れは理念的に信仰される宗教のやうなものなのだ。

 

科学技術や資本主義による数的還元の世界言ふなれば金の亡者であり便利さだけを追求する世界と云ふ合理化されし神を信仰する近代の宗教なのだ。

 

其処ではもはや人々はキリスト教や佛教を信じては居なひ。

 

神佛は結局其れ等合理主義の神に信仰を奪はれて仕舞ふ。

 

 

或は信仰ばかりに限らず欲望其れ自体の合理化が行われて居るのやもしれぬ。

 

わたくしが皆様に述べたひのは其の合理化に対し盲目的に従って居てはいけなひと云ふことである。

 

個は其のやうな只の家畜のやうな存在であってはならなひ。

 

眞の敵、世に蔓延る其の悪魔の正体とは何か?

 

其のことを是非個による判断で見定めねばならぬのだ。

 

眞の敵である世に蔓延る悪魔の正体とは最終的には人間自身である。

 

 

お分かりだらうか?

 

己自身の悪魔と闘ふことこそが人間の生の目的の全てなのだ。

 

 

何故其れが目的たり得るのかと言へば、事實としてかうして人間は次第に欲望に負け壊れてもいかう。

其れは欲望其れ自体が悪ひのでは無く欲望の持ち方が大き過ぎることでバランスを失ふことだ。

 

何故なら大きな欲望を遂げた時にこそ大きな破壊が齎され得やう。

 

対して小さな欲望を遂げたとて其処にどんな破壊も齎され得ぬものだ。

 

だからまずは其の欲望のスケールをじぶんでもって測れるやうにしなければダメだ。

 

其のスケールは大き過ぎる。

 

だから自分には合はぬ。

 

合はぬものはむしろ否定すべきだ。

 

 

欲望の持ち方が同時に抽象的に過ぎるものも大ひに警戒していくべきだらう。

 

そんな不必要な抽象性による具体策を今後文明はさらに加速させ我我個へと強ひて来ることだらう。

 

或は宇宙への移住への投資なども今後我我に強ひて来る可能性すらもがある。

 

 

まさに金儲けや途上国の経済的自立を推し進める為に森林伐採や森林火災を推し進め地球を壊した挙句に其の宇宙への逃避である。

 

一体全体どんな文明なのだ?

 

無論のこと現實とはSF映画でもホラー映画でもあってはならぬ筈なのにまさしく現實的にSF映画であり破滅映画での類となりつつあらう。

 

 

此の文明は左様に頭が悪く腹がドス黒く現實と妄想との区別さへ付かぬ倒錯文明であるに過ぎぬ。

 

重要なのは個としての我我が其の正体を正しく把握することなのだ。

 

但しまさにさうした認識に至る為には文明による洗脳を解かねばならぬこととならう。

 

 

實は其れすらもがもはや容易ならざることだ。

 

 

洗脳が解かれた後はまずは社会其のものを疑っていかねばならぬことだらう。

 

其の抽象的な合理性の追求其のものに大きな罠が仕掛けられて居るであらうことを知っていかねばならぬ。

 

知性とはむしろさうした全体性の把握の為にこそ使ふべきものなのだ。

 

知性とは無闇に利益や便利さを追ひ求める為に使ふべきものでは無く全体の危機を覚り其れに備える為のものでなくてはならぬ。

 

 

さて、感染症の拡大其れ自体が文明に於ける危機意識の無さを今浮き彫りにしつつあると見ても良ひことだらう。

其の感染症其れ自体ー其れは所詮は自然物としてのウイルスーに問題があるのでは無く金さへあればさうして動き回る人間の欲其れ自体が大きなリスクを抱へ込んで居るのだ。

 

なので問題は感染症一つには止まらず今後の気候変動による社会活動の制限の問題や其れどころか人類の生存を脅かすやうな生態系の破壊による飢餓の問題などにも直接関わって来ることでもある。

 

ところが文明はなるべく此れ迄と同じに全てを稼働させて行きたひものだ。

 

どだひ資本主義による経済システム其のものが休むことを許さぬ「今の利益」だけを追求し続ける社会構造なのだ。

 

だが文明は文明の外からの要素にはからっきし弱く其れでもって疫病が蔓延したり気候変動や地震や隕石の衝突などで容易にストップして行かざるを得ぬものなのだ。

 

其のやうな時にこそむしろ「立ち止まって自分で考へる」ことさへもが可能とならう。

 

勿論わたくしのやうな文明への批判者はさうならなくても常に「立ち止まって自分で考へる」ことばかりをして来て居るのだが。

 

 

だが皆様にとってはまさに今、今こそが其の千載一遇のチャンスの時ではなからうか。

 

では一体何を考へるべきなのか?

 

 

まずは身を守らねばなるまひ。

 

世間には衛生観念に欠けるアホな奴が多ひ故確りと防御しそんなアホをなるべく視界から遠ざけよ。

 

次に文明のこれからのことを少しは考へてみやう。

 

 

果たしてこんなんでオリムピックなど出来るのだらうか?

 

オリムピックなどそも要るのだらうか?

 

オリムピックも万博ももはや要らぬのではなかったか?

 

 

何故なら今や文明は次第に切迫した大問題を複雑に抱へ込むこととなった。

 

そんな状況でもって一体何がスポーツの祭典なのだ?

 

 

ところで21世紀に入りスポーツの世界が可成に異常化して居る。

 

暴力問題やら薬物使用の問題やら高騰するプロスポーツ選手の収入の問題などで。

 

スポーツの世界は其処にもはやフェアプレーの精神を失ひつつあると言っても過言では無ひ。

 

また野球選手の年棒が高過ぎるのも有名になりさへすれば地道に働く安月給のサラリーマンよりも人間として上と見る成果的合理主義の蔓延により齎されしものだ。

 

 

さうして薬物を使用しても何ででも兎に角一番になりたひ。

コレもまさに成果的合理主義が行き過ぎて居ることを示して居りおまけに厄介なことに其処には国家間の国威発揚競争が絡んでもおる。

 

かくして人間の限界への挑戦としてのスポーツの世界がもはや腐り切って来て居ると申しても過言では無ひ。

 

また其の人間の限界への挑戦が進歩の思想と上手く重なり合っても御座る。

 

つまりは人間はドンドン良くなると云ふ近代的な進歩概念が其処にこそ色濃く反映されても居らう。

 

 

だがそんなものはウソだぞ。

 

第一弐番では何故イケナヒんですか?

 

一番を目指す思想は其れこそ日教組では無ひがヤッパリおかしひ思想である。

 

さうでは無く、金子 みすゞのやうに所謂みんなちがって、みんないい。

 

とあくまでさう言はねばならぬことであらう。

 

 

真宗のカレンダーなどにもまさにそんなことが書ひてあり其処からすると仏教と云ふのは案外左翼系の思想なのではなからうか。

 

 

オリムピックなど莫迦莫迦しひことはもう止めて仕舞へ!

 

 

兎に角次第次第に体制内のことがそんなむしろ保守的な部分こそが壊れて来ると云ふのがわたくしの社会に関する理論なのだ。

 

畢竟其れは合理化が諸制度を厳しく締め付けることにより壊れて来るのである。

 

スポーツの世界もある種の伝統性がまたあらうが、其の部分が合理化により極端な成果主義へと陥り壊れていくのである。

 

と云ふか、そも人間の肉体には限界があるのだからそんなにまで努力して記録の更新を求める意味其れ自体が無意味である。

 

 

では人間は努力などしなくても良ひと仰るので?

努力し過ぎるのは逆に良く無ひとさう述べておるまでのことだ。

 

 

さうして全てがやり過ぎてはイカン。

 

過ぎたるは猶及ばざるが如し。

 

文明に対しては只此のことのみを申し上げたし。