目覚めよ!

文明批判と心の探求と

文系と理系の程良きバランスとは?

 

さて世界とは何だ?

 

世界とは母ちゃんの胎の中から生み出されしものだ。

 

いずれにせよ母ちゃんの胎の中から生み出されし世界は矛盾化する。

 

だから我等は悩む。

 

悩む=苦しむ。

 

其の苦がイケナひ。

 

さうお考へになられ釈尊が仏法を此の世に示された。

 

 

謂わば究極としてのマイナス思考から仏法は出発して居るのだ。

 

但し古代印度での解脱思想は皆其の究極としてのマイナス思考から出発して居た。

 

たとへばジャイナ教なども勿論其の究極としてのマイナス思考からの解脱を目的とする教へである。

ジャイナ教 相対主義と断定の回避

 

「4.性的行為をいっさい行わないこと」と其処にある。

と云ふことは子孫を残すことは否定されて居る。

ではどうやってジャイナ教は存続していくのであらう?

 

いや、おそらくはどこかでタネが撒かれて居るのであらう。

 

佛教にせよどこかでタネが撒かれて居なければ僧自体が存続し得ぬ筈。

どこかでタネが撒かれるのはある意味自然なことだ。

 

 

ジャイナ教の禁戒は仏教に於けるものよりも厳しひと屡言われたりもして居る。

 

ーアヒンサーを守るための最良の方法は「断食」であり、もっとも理想的な死はサッレーカナー(sallekhanā)、「断食を続行して死にいたる」ことである。マハーヴィーラも断食の末に死んだとされ、古来、段階的な修行を終えたジャイナ出家者・信者のみがこの「断食死」を許された。

だが、ジャイナ教徒にとってのアヒンサー(不害)は、身体的行為のみならず、言語的行為、心理的行為の3つを合わせたものとして理解されなければならない。人を傷つけることばを発することや人には気づかれなくとも心の中で他者を傷つけるようなことを思うことさえもジャイナ教徒は罪と考えるのである。これこそがアヒンサーの厳しさである。

また、例えば動物に襲われたときにも自衛のために動物を傷付けてはいけない。つまり、アヒンサーを忠実に守るためには死をも覚悟しなければならない。これは現世の身体は不浄のものであるから肉体に執着してはならないという考えに裏打ちされている。ージャイナ教より

 

 

ーつまりは🐻や🐗や🐍にもし襲われた場合にもむしろ喜んで食われなければならぬ。ー

 

 

現在の、其の生を至上のものとして善きものとする考へ方は謂わば欲望の合理化により成し遂げられしものなのだらう。

 

もう少し具体化すると、子宮の欲望が合理化されるに至り生を望ましきもの、至上のものへと押し上げていったのだ。

 

無論のこと其れは近代的な価値観の成立のことでもある。

 

近代とはさうした人間の根源欲を合理化する過程のことだ。

 

だが普通は理性がむしろ死を見詰めるのである。

 

 

だから大昔の思想はギリシャであれ印度であれ中国であれ皆死を見詰めつつ展開されて居りしものだった。

ところが近代以降其の死への思想が隠匿されるに至る。

 

つまりは生のみの思想、生へのベクトルを持つ思想のみが選択されるに至った。

何がおかしひと言ってそんなにおかしひ=不可解なことなど他には無ひ。

 

 

いずれにせよ思想は其のやうにむしろ必然としての合理過程を歩んで来たのだった。

だが其れを「悪ひ」合理化即ち悪の合理化だとわたくしは述べて来て居るのだ。

 

其れは単なる欲望の合理化であるに過ぎぬとさう述べて来て居るのだ。

 

 

言ふまでも無く近代的な思想は其の合理性の元に育まれて居やう。

 

我我が今かうして文明の齎す利便性や快楽を享受し得るのも其の合理化のお陰である。

 

但し過度な合理化即ち過度な抽象化は我我をして破滅の淵へと落とし込むことであらう。

 

わたくしは一貫して其の合理化が齎す弊害ひいては破滅につき述べて来て居る。

 

 

其処でもって着目し世に提示するのが世間での価値観とは正反対での価値乃至は価値観のことである。

 

正反対のものは往往にして其処に火花を散らし互ひに否定し合ふのが常であらう。

 

だがかっては其の正反対のものこそが社会の枢要な価値を占めて居た。

 

何故なら現在とは異なり概念としての視野が広くまさに極楽から地獄までをも包括する精神世界であったが故に。

 

 

逆に合理化は其の幅を極度に狭めつつあらう。

要するに抽象的価値に寄り掛かり過ぎ価値自体の幅を見失って居る。

 

 

わたくしは其の様を欲望の合理化として捉へる。

近代以降合理化は文明の隅々にまで及んだが最終的に其れは価値自体、価値観自体を合理化するに至る。

 

其の抽象的に履行される合理主義としての神格化こそが人類の可能性を限りなく狭めやがては文明をして破滅へと導くことであらう。

 

 

さて問題は、禅宗にせよジャイナ教にせよ何故それ程までに厳しく人間の生を戒めるのかと云ふ部分であらう。

 

其れは欲望に忠実であることつまりは放逸であることが幸福には繋がらぬことを先人達が何より知って居たからなのだらう。

 

其のやうに欲望に放逸であることは逆に命を縮め虚としての価値の構築に邁進するだけのことともならう。

 

但し其れは人間としては極自然なことなのだ。

 

或は自然としても極自然なことなのだ。

 

 

但し自然は外部から強制的に限定されて居やう。

 

合理的に規定されし物理法則にて彼等は永遠に縛り付けられて居るのだ。

 

人間の肉体とて勿論さうである。

 

 

人間の肉体とはつまりは自然なのだ。

 

人間はさうして自然から離れる訳にはいかぬ。

 

ところが近代以降其の限定性を離れて仕舞ふ。

 

其の限定こそが楽園の泉其のものだと云ふのにあへて其れを離れて仕舞った。

 

つまりは其れが真の意味での失楽園の様だ。

 

 

どうして離れたかと云ふに、理性を内側に持つことによりつまり智慧の實を食ふことによりまさに抽象的に其処を離れたのだった。

 

ところが肉体はいまだ其処に縛り付けられた侭だ。

 

其の最大限としての自己矛盾の領域を今後現代人は生きて行かざるを得ぬ。

 

 

即ちかの神話が真の意味で成立するのはむしろ現代社会に於ひてのことであらう。

 

 

肉体と云ふ物質性ー具象性ーと精神と云ふ観念性ー抽象性ーに於けるバランスの喪失即ち失墜の様をこそ神話が描き出しても居やう。

 

近代とは其の失墜をあへて自虐的に課す過程のことを言ふ。

 

抽象度の高ひ欲望の解放が其の失墜を謂わば合理的に履行し且つ永遠に支持した。

 

 

まさしく今詩人は其の崩落の様を一つのイメージとして見ることが出来る。

 

されど其こそは恐怖の出来事なのだ。

 

ほんたうに怖ひものとは其のぜんたひによる破壊である。

 

 

が、確かに内なる破壊も怖ひ。

 

誰しも自己の崩壊を何よりも懼れることであらう。

 

だが元よりわたくしには見へるものが違って居て、其の違ったものを何とか言語化しやうとする試みこそが此のブログでの内容なのだ。

 

わたくしが懼れるものはむしろ世の滅亡などでは無くわたくしと世間との断滅のことだ。

 

 

世間には其の折々に其れに見合ったタマシヒの者が生まれて来やう。

 

即ち末世には末世での価値観が決まって幅を利かすのだ。

 

 

正直なところもはや我我は可成に偏向せし価値観に操られて居ることだらう。

 

勿論其れは間違っても居らうが其れを見定め批判する其の力自体が其処にはもはや失せて居るのだ。

 

 

だから我我に出来ることとは只一つ今現在を流されつつ生きていくことのみ。

 

其の現在には未来は含まれて居なひので今が良ければ其れで良ひ。

 

今日が無事に終われば其れで良し、何とか今年が終われば其れで良し。

 

 

だがほんたうは其れでは良くは無ひ。

何故なら人間としてのぜんたひの価値観が治って居なひので良くは無ひ。

 

故に文明が進む程にむしろ不安が、さうして危険がより大きなものとして我我に覆ひ被さって来やう。

 

事実として特に最近はさうなりつつある。

其れは根本での文明の価値観が誤謬だからこそさうなる。

 

 

あるがままに全てはあり生は感謝すべきもの。

 

とさう聖者は仰ひますがあるがままではやがて現代文明は滅びませうぞ。

 

確かに生に対し感謝はして居りますが感謝だけでは文明は滅びませうぞ。

 

 

ですからわたくしは聖者などでは無ひ。

 

何度も言って来て居りますがかの宮澤 賢治と同じで修羅道を歩む者だ。

 

阿修羅には真理はすでに見へて来ても居ります。

 

 

居りますが何故か闘はねばなりませぬ。

 

見へ過ぎちゃうが故にどうしても現代文明の頭をひっぱたく必要があり詩人等はあへてさうして社会に挑んでいくのであります。

 

元より我我の行く道は荊の道であり其処に幸せな家庭を築かうだの金持ちになりたひだのそんなことでは無しに兎に角ぜんたひの幸福、ぜんたひの過ちにつき述べ続け其れが即ち我我の仕事であり唯一其処に成し得ることなのだ。

 

 

よろしひですか?

 

わたくしが述べて居るのは其の文明の価値観が抽象化され過ぎ其れにより具象的に規定されて来しことー歴史的に規定されて来たことーが次第に破壊されていくと云ふことをまさに述べて居るのだ。

 

 

折角の年末ですのでもっと分かり易く言ひませうか?

 

👩の欲望ー価値観ーを野放しにする➡エロ動画がタレ流しになる➡性が合理化される➡性が壊れる➡最終的には人間も壊れる

 

権威、権勢などの権力欲を野放しにする➡保守としての害毒が最大化する➡権力が合理化される➡権力が腐敗する➡最終的には人間も壊れる

 

伝統的価値がなおざりにされる➡左派進歩思想が暴れ出す➡進歩其のものが合理化される➡目的化されし進歩が暴れ出す➡最終的には人間も壊れる

 

 

要するに思想の右でも左でも無ひ。

もっともっと根本的なところでの破壊が社会に生じて来るのです。

 

21世紀の破壊とはさうした一種の聖域無き破壊なのです。

 

其れは労働環境の破壊であり結婚の破壊でもあり👪の破壊でもあり精神の破壊でもある。

 

さらに環境の破壊、生態系の破壊、温暖化の破壊が止めをさそうとして待ち受けて居る。

 

そんな時にそんな暗がりでカップルでもって何をいちゃつひておるのだ?

 

カップルなどもう止めよ!

 

 

むしろ修行へと走らう。

まさにジャイナ教の如くに死を見詰めつつ潔癖に生きるべし。

 

だが修行ばかりでは身が持たぬ。

何故なら現代はストレス社会であるが故に。

 

では酒を飲もう。

また👩遊びへも走りたひ。

 

其の二つはやっぱり✖。

 

酒を飲む位なら菓子を食へ。

女に触る位ならヲタク化せよ。

 

さらに本を読め、一万冊の本を。

さうして自然に親しもう。

 

 

たとへば山へ行きヤッホーと叫んでみやう。

 

ヤッホー、ヤッホー。

アラ、こだまでせうか?

 

いーや、誰でも。

 

 

 

それでは皆様、良ひ御年を。

 

 

 

アレ冬休みの教材はどうなってますか?

一番大事なことをスッカリ忘れて居るのでは?

 

 

ヘッヘッヘッヘー、どうも申し訳御座らぬ。

 

 

地球そして生命の誕生と進化 【完成版】

 

-本動画は丸山茂徳先生並びにHadean Bioscience(冥王代生命学)研究グループが、平成26年文部科学省科学研究費補助金・新学術領域研究事業として、太陽系や地球の誕生を経て生命の誕生と進化の過程を最新の研究成果に基づいて映像化しています。-

 

 

冬休みの宿題とはコレです。あへて理系でのお勉強を致しませう。文系と理系がむしろぶつかり合ふ、せめぎ合ふことにより即ち相剋し相即し合ふことにより真理への道筋が其処に示されることであらう。

まさにコレは真面目に創られたところでの素晴らしひ地球の進化史です。

 

但し批判もまたあらうかと思われる。

特に今後の地球の寒冷化説に就ひては様々な批判的解釈が成立することかと思われる。

 

尚個人的には此の種の俯瞰的視野からの合理的解釈による生命誌、宇宙誌のやうなものがとても好きだ。

博物館や科学施設などで流されて居るかうした啓蒙的な科学解説の映像が元々とても好きなのだ。

 

元より其れは文學とは正反対のものながら兎に角大変好きだ。ー其れ等を視るとむしろ文學作品などよりも心が落ち着くものだー

 

 

地球の中心"コア"への旅

 

こちらなどもなかなか見応へがあった。

 

我我は地の上に暮らして居ながら地球のことにつき實は何も分かって居なひ。

だが自然科学はすでに此処まで其の物理的な歴史を解明しつつあるのだ。

 

元よりわたくしは其の理論的成果を否定する者では無ひ。

されど社会と自然科学上の成果とは程良いバランスの上に構築すべきものだとも考へて居り、要するに現状の侭では極めてバランスが悪くなる故何とか其れ等を切り離すべきだとも考へて来て居る。

 

 

スペシャルドラマ ストレンジャー~上海の芥川龍之介 ~A Stranger in Shanghai

 

 

多分此のことを書きに一度戻りませうがとりあへずは詩人も冬休みに入らせて頂く。