- ある問題に対して2つの選択肢が存在し、そのどちらを選んでも何らかの不利益があり、態度を決めかねる状態。葛藤。
- 哲学や議論、修辞学の分野において前提を受け入れると2つの選択肢の導く結論がともに受け入れがたいものになることを示す論法。日本語では両刀論法[1]ともいう。ージレンマより
此の世は複雑だと云ふ其の複雑さとは或る厄介さのことである。
要するに其れはまさに矛盾であり二律背反のやうなものが常に生には用意されて居ると云ふ其のことなのだ。
謂はば論理的にはー理窟的にはーどうしやうも無くなるであらう観念に於ける段階が其処にはしかと横たはって居る。
だから人間は何とか其の矛盾なり二律背反の状態を克服しやうとするのだが恐ろしひことに其れを合理化しやうとすればする程に其の合理化としての罠に捕らへられて仕舞ふ。
つまるところは其れが科学の自己矛盾であり嗚呼まさに恐怖の現實として確認されることなのだ。
尚わたくしは科学に挑むことの可能な稀なるラヒターだからこんなことは何処を見たって書ひてありはしなひのだ。
何故科学を批判出来るかと云ふに我は其の反対の文學の世界を知って居るからなのだ。
要するにもう長く合理主義とは反対のものを見詰めても来た。
さても其の合理主義、合理化の怖さとは何か?
わたくしはむしろ其れが生のあり方を狭めるものであるやうな気がしてならぬ。
尚わたくしは科学的で明快な論理をむしろ誰よりも好む人間なのだ。
わたくしは科学的な主題に対しあれこれと思考する癖があるのだが其れは哲學的な洞察を主とするもので数式のやうな還元性により導かれる結論なのでは元より無ひ。
其れでも結論はかうしてわたくしなりに導かれて行くのである。
尚最近わたくしが考へて居たこととは科学が陥るディレンマのやうなものに就ひてである。
- ある問題に対して2つの選択肢が存在し、そのどちらを選んでも何らかの不利益があり、態度を決めかねる状態。葛藤。
- 哲学や議論、修辞学の分野において前提を受け入れると2つの選択肢の導く結論がともに受け入れがたいものになることを示す論法。日本語では両刀論法[1]ともいう。ージレンマより
「科学が進むとより生きにくくなるにも関はらず文明は科学により幸せにならうとして躍起である。」
何故科学が進むとより人間が生きにくくなるのかと言へば、其れは要するに科学には心が無ひが故に合理化にてみんなが幸せになるとさう信じ込んで仕舞って居るからなのだ。
例1.ー原子力をやるとエネルギーが物凄く得られ其れによりみんながより幸せとなる
例2.ーゲノム編集をやると悪ひ病気も治せまた悪ひ出来の子なども良ひ出来の方へと変へられる
例3.-月や火星に宇宙基地を創りたひ。何故ならもはや地球が壊れ始めて居る。このままでは危なひ。早う宇宙へとみんなでもって逃げて行かう。
全くお話にも何にもならぬ幼稚な考へばかりで呆れて仕舞ふ。
なのだけれども、科学が言ってることこそはむしろほんたうのことなのだ。
其れもほんたうに科学が仕出かしたことの顛末を述べて御座る。
でも文學者達は此の狂った文明のおかしさを其の鋭ひ感度でもって見破り自決して行った可能性が高くあることだらう。ーまさに世捨ての境地にてー
要するにわたくしは何を言ひたひのか?
まさに其れは科学の自己矛盾性に就き論じて居るのだ。
「科学が進むとより生きにくくなるにも関はらず文明は科学により幸せにならうとして躍起である。」=かうしてほぼキチガヒでの盲信振り、つまるところはいつしかマッド・サイエンティスト状態へと陥って行くのだらう。
さて以前に笹井 芳樹氏と云ふ超秀才の科学者が自殺して居るのだが此の方は愛知県立旭丘高等学校ー超秀才高ーの出身者の方であった。
例のSTAP細胞の事件の折に全ての責任を被るやうな形にて死んで仕舞ったのだった。
当時わたくしは🏥に勤めて居て、色々と目の当たりにする職員の不祥事の数々に呆れ返り次第に人間不信に陥って行くかのやうであった。
バカ上司が小保方晴子はどうも色っぽひとか言ふのでわたくしはただ一言、こんなバカ👩に振り回されて居てはイケナヒ、とさう言ったのだったが事實其の後其の通りにバカ事件勃発となって行ったのだった。
まず皆様に知って頂きたひのが、科学は案外馬鹿である、と云った部分なのだ。
かってわたくしは電力会社の研究所に13年勤め其の科学の馬鹿さにちゃんと付き合って来ても居た。
さう云ふ部分はまさに内部告発でもせぬ限り分からぬ訳だ。
さうしていつも科学的な成果に振り回されて居てはいけなひ。
其れはわたくしが其処で最終的に學んだことであった。
でも、である。
でも現在地球を救へる可能性のある力があるのは其の科学技術によるもののみなのだ。
即ち還元的知性こそが文明の實質的な力を握って御座る。
だが文系の知性はまた其れとは違ふ領域から科学を見詰めて居る訳だ。
其の外部からの見方こそが科学にとっては其れこそ大事な視点であらう。
かうして科学は正しひ。
正しひのだが外側から見る限りはあくまで間違って居るのである。
でも宗教よりもずっと其れは確かだ。
ともしさう仰るのであれば其の認識こそがおそらく誤りだらう。
何故なら宗教はたとへ邪教であれ地球を破壊に至らしめるやうなことはしなひからなのだ。
逆に宗教は良しにつけ悪しきにつけ心の制御の仕方を我我に教へる。
即ち科学は心の面を欠くが故に極めて強ひ増幅力、拡張力のやうなものがある。
合理的理性⇔非合理的理性
合理的理性は謂はば+思考の塊であり進歩への強ひ力を生むものだ。
対する非合理的な理性ー人文、社会科学的な理性ーは其の種の推進力には欠けて御座る。
推進力には欠けるのだから近代以降は理解がしにくく人気が無ひ。
人気があるもの=正しひものとするのが最大多数の最大幸福なので要するに其れは功利主義が選び取る還元的思考なのだ。
ところが、最大多数の最大幸福と云ふ考へ方は赤信号をみんなでもって渡り易くして行くものであるに過ぎぬ。
尚、科学と🚺との相性は案外良ひ。
要するに科学技術こそが其の現實主義を進めて行くからなのだ。
以前からわたくしは現實主義ー現世利益的な思考ーは♀的なものだとさう考へて来て居る。
さうしていつの間にか其の現實主義こそが此の世界の価値を規定する中心原理ともなって仕舞った。
無論のこと其処には🚹による思考力が大きく関わって居る。
其の♂としての論理的に物事を考へる力が其の現實主義に於ける期待と結託した上で現在を成り立たせて居る訳だ。
現實的に役に立つ考へ⇔現實的には役立たぬ考へ
此の二元対立に於ひてどちらがより良ひか、又は正しかと問はれ役に立つ考への方を選ぶのが功利主義であり現實主義だと云ふことなのだ。
逆に現實的には役立たぬ考へを選ぶのが藝術や宗教であるかまた哲學の領域でもあることだらう。
で、結論的には他方に偏り選び取ると共に誤謬に陥り易ひと云ふことともなる。
たとへば科学者の中には本気で人類を宇宙生命に仕立て上げやうとする向きがまたあるのだけれど文系の妄想にていつも宇宙へ思ひを馳せて居れば實際に宇宙へ行かずとも其れだけで満足され得る筈だ。=想像力の涵養によりさうなる
さて其れでは其処にて果たしてどちらが馬鹿でどちらが利口なのでせうか?
其れは宇宙生命にならうとして居る方がむしろとんでも無ひ馬鹿科学者で只机上にて想像を愉しむ文系の役立たずの方がずっとお利口さんだと云ふことと必然的にならう。
要するに此の世の問題、即ち文明の問題、人類の課題とは須らく其の価値観のあり方ー観念としての立ち位置ーの問題なのだ。
観念に於ける制御ー抽象性に対する抑制ーが甘ひと合理主義に傾き易く逆の立場だと己の中での非合理領域が増し神秘主義的な結論へと傾き易ひ=悲観し自決へと傾き易ひ。
で、一般人は幽霊を信じて居るよりは科学を信じた方がマシだとさう思って居る筈だ。
ー但し一流大を出て居る位ではまず其の一般化は卒業出来ぬ。偏差値教育の勝者では無く考へる力の勝者こそが脱一般の精神の域へ達するものと相場が決まって居やう。ー
なのだがどうも残念でした。
可能性としては幽霊や超能力を信じて居ることの方がより安全で且つ安心である。
では何故非合理的知性は衰退して行って仕舞ったのでせうか?
其れは非合理的知性が結局役立たずだったからなのです。
元より其れではダメで、父ちゃんは兎に角一円でも多く稼ひで来ねばならずのみならず科学者様は夢想家の文人などよりは遥かに知的且つ高尚な知性の持ち主でもって偉ひ人ばかりだとされたばかりに。
でもそんな偉ひ人人がまた何でまたSTAP細胞事件のやうなバカ事件を起こしたりするのでせうか?
ちなみにかって宮澤 賢治は申しました。
其の「役立たずこそが一番偉ひ」と云ふやうなことを彼は正面切ってさう述べて居たのであります。
でも其れはもはや現代社會には通用せぬ価値観のことです。
要するに功利性ー現實性、現世利益化ーに毒され其の役立たずの眞の偉さを見失ひつつある。
さう申しますと何だか誰もが思ひ返したりもする筈です。
さう言へば中学や高校の頃に国語の授業でもってそんなことを學んだやうな気もする。
色んな詩人や作家が其処で変なことを言って居たやうにも思ふ。
でも結局は科学だな。
大事なのはかうしてちゃんと月給が貰へて👪を養って行くことだな。
だがおそらくは其の月給の多くの部分を今科学技術の力が成り立たせて居るのだぞ。
そんな訳の分からぬ魔道に落ちて其れでも君は其の現實主義を貫ひて行く御積もりか。
洗脳だ、そんなものはまさに洗脳の産物なのだ。
君は其の洗脳と心中する御積もりか?
さうして地球を破壊し尽くし宇宙へと逃げて行く御積もりなのか?
元より空想ー想像力ーと現實は違ひますが、概して自然科学は其れをごちゃ混ぜにしても居ります。
要するに観念領域ー抽象領域ーへと現實を引き込み突き進んで行くのである。
でも文學による空想もまた其の観念領域ー抽象領域ーへの接近其のものではなひか。
いへ其れは違ふのです。
文學は空想を現實化など決してしやあしません。
まるで一篇の詩のやうに甘美な夢として其れは終はるものなのだから。
一篇の詩とはさうした甘美なる夢のこと。
でも夢であるからこそ其れは救はれて居るのです。
かうして自然科学に身を委ねて居ると文明は滅ぶとさう仰りたひので?
いやさうでは無ひ。
先にも述べて居るが如きにもはや文明は其の科学技術にて救ふ他は無ひ。
だが少なくとも科学を信仰すべきでは無ひ。
では何故宗教は信仰しても良くまた何故科学技術を信仰してはイケナヒのか?
結局宗教は非合理領域へも分裂して行く。
即ち、
自力救済ー合理的宗教ー⇔他力救済ー非合理的宗教ー
とのことだ。
たとへば同じ大乗佛教でも禅宗は根本のところが観念的なのだが最終的には合理的に解脱することをこそ目指して行くのであらう。
逆に他力救済に合理性が無ひと云ふ訳でも無くよって其処には分離としての相剋し相即する関係が成立する。
信仰とは元来其の分裂を前提として営まれる一元的作用のことである。
ただあくまで其れは分裂されて居る。
だが自然科学及び科学技術は其の分裂を免れて居る。ー一元的分裂ー
抽象領域としてすでに一元化されて居るが故に純粋に目的論的ー合目的的ーなのだ。
要するに自然の有様と其はかけ離れて居るものだ。
確かに自然科学は自然を対象とするが其処で見詰めて居るものとはあくまで自然の部分である。
故に自然科学は自然の美しさを謳ひ詩を成立させたりすることが出来なひ。
たとへAIでも其れは不可能か?
最終的には言葉の羅列は可能だが其処には心がこもって居なひ。
科学技術を一言にて評すれば其れは如何にも一方通行であり其の癖分離度は大きひ。
現實⇔夢
其処ではまるで夢を現實化して居るかのやうだ。
でも宗教もまた解脱だの神の國だの何だので其れこそ夢の現實化なのではあるまひか。
だが宗教の目的は夢の現實化では無く此の世からの個の救済である。
なのでもしも現世にて夢が現實化したとすれば其の救済も何も無くなる訳だ。
そんな世界が果たして訪れるのでせうか?
いや、其れは無ひ。
無ひからこそ宗教の意義がまたある訳だ。
何故其れが成らなひのか?
結局は世界が限定されたものであるからだ。
対して人間の欲望ー観念的欲望ーはまさに限りが無ひ。
たとへばより高くて美味ひものが食ひたくなる。
より美女とねんごろになりたくもなる。
また幾らでも金が欲しくなる。
より良ひもの、高級なものにさうして惹かれ続ける。
其ればかりー世間的な欲ーに限らずより長生きしより繁栄を続けたくも社會は望む。
なる程、其の社會の欲望とは個の欲望とまるで相似形なのですね。
相似形なのだがまるで規模が違ふので社會の欲望は結局世界を破壊して止まぬこととなる。
なる程、すると自然科学ー科学技術ーとは人類にとりよりデカひ欲望を成就させる為の諸刃の剣なのですね。
まさに其の通り。
凄ひ進歩の裏側にはドロドロの破壊が起きて居るとさうしたことなのだ。
でも科学技術の内側からは其のことが見へて来なひか極めて見へにくくなる。
何故なら其れが文明の推進力其のものだからなのだ。
では其の文明の推進力を否定しまさに山にでも籠り座禅やら山行だのを繰り返しやり解脱、とまでは行かぬにせよ兎に角さうして修行しまくりでやって居れば個として救はれるとでもさう仰るのですか?
まあ其れもまさにマニアックな生の追求だが合理化洗脳され都会でくすぶって居るよりは其の方が合って居る人もまた居るのであらう。
重要なことはまさに其の文明の推進には暗黙の了解があり我我は意思表示をして居らぬにも関はらず其の破壊者の一員として生まれつき現代社會に組み込まれて仕舞って居ることだ。
其の抽象的進歩にこそ問題が存して居やう筈なので其処に具象的限定を行ふことで其の近代の呪ひのやうなもの、最初に述べたところでの文明のディレンマに対抗する術が得られやう筈なのだが結局は其れが成らぬのでむしろ抽象的により進めてみる。
すると様々に新しひ領域での考へ方が出て来るので最終的にはむしろ其れにて抽象的限定を行って行く他は無ひことだらう。
其の「破壊者の一員として生まれつき現代社會に組み込まれて仕舞って居る」個を理解するにはおそらく強靭な文系力ー気付きの力ーが必要なのでせうね。
いや其の位のことは文人レヴェルの方々なら誰しもお持ちになられて居ることかと思ふ。
其れに宗教家の方々などにも分かって居られることだらう。
問題は結局其の域へはなかなか到達し得ぬ大多数の人々が信仰を変な処へ刷り込まれて居ることにこそ存して居る。
だがあくまで合理化することでしか此の病んだ地球を救ふことなど出来ぬのだ。
だとすればみんなでもって此の侭に赤信号を渡って行く他は無ひ。
ヘッ、では皆でもって赤信号を渡って行く他文明の未来は築けぬと云ふ訳だ。
さうだ、まさに人間ー人類ーとは世界の必要悪であると言えるのやもしれぬ。
其れもさうして数々の煌びやかな価値を創出した挙句に持続可能性を放棄し自決して行く。
結局科学に為し得たこととは其の自決の道を引いたことと同時に最大限の力で其の自決を阻止すると云ふ相反する要素のことだ。
要するに自分等でもって地球の諸を破壊し最後に自らが破壊されぬやうに必死の思ひで文明を防衛する、と云ふやうな極端な作業に勤しみつつ科学は其の使命を終へて行くのやもしれぬ。
東京大学などがグローバル・コモンズをテーマに世界中の有識者たちと議論「持続可能な人類社会の実現へタイムリミットは10年」Tokyo Forum 2020 Online
尚地球が破壊されつつあると云ふ實感が一般人にはまず無く學者や其れに準ずる學びをする人々に限り其れがあることとなる。
一般人はさうして文明に洗脳されればされる程に眞實ー事の眞相ーへの感度は鈍くなるやうにさう飼育されて仕舞ふ。
だが地球の破壊への危機感を抱くことが可能な一部の読者の方々などは幸ひである。
其の文明の破滅を前提として現在を組み立てられて居るのだがらつまるところは其の危機感が齎す新たな認識でもってようやく人類のー文明のー価値観は正されることとならう。
よって次回は此の「グローバル・コモンズ」と云ふ新たな指標に対し意見を述べてみるつもりである。