目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

パンデミックの哲學的な解釈ー+徳川 忠兵衛の天丼のことー

結局此の社會には元々まともなことなど望み得ぬと云ふのがわたくしの知的探求としての結論でした。

即ち其れが悲観としての實相です。

 

事實此の世ではとんでもなひことが屡起こり得る訳だ。

たとへば家族が突然交通事故にて死んだり家が火事となり自分も含め一家全員が焼死致しました。

 

などと云ふこともまたあり得るのです。

 

まさに運命だとでも申しますか、縁起による諸事象の組み合わせによりそんな悲劇が現實に引き起こされるのです。

 

 

悲観⇔楽観

辛ひ、苦しひ⇔楽しひ、幸せだ

地獄⇔極楽ー天國ー

 

そも此の世がこんな構造にて成り立って居るので實はどちらか一方に擦り寄ることなど出来ぬ訳だ。

まさしく其れは観念其のものがそんな二元対立により成り立つと云ふ眞理を指し示すことでもまたある。

 

逆に申せば観念が有るからこそ苦樂と云ふ相対概念が成立して居るのです。

さらに申せば観念が無くなるー滅し去るーことで此の相対分別地獄を脱け出すことも可能なのだ。

 

まあ其の辺りが人間の精神に可能な認識での最も高度な部分での思考でもあらう。

 

其の観念を無くす方法には自力と他力があるのだと思ふ。

 

自力救済は釈迦の中道の論理による解脱への方向性であり、他方で他力救済とはまさに信仰による人間の救済のことなのでせう。

 

尤も現代人には其の自力救済は所詮無理なことなので信仰を持ち他力救済して行くより他は無ひことだらうとわたくしは見て居る。

 

 

でも宗教詩人さん、楽しくて尚且つ幸せなこともまたあるのであれば其れは其れで良ひことではありませんか。

と、時代に洗脳されたみんなは決まってわたくしにかう反論されることでせう。

 

ですが時間の経過と共に此の世に於ける分離ー劣化ーはより酷くなると云ふのが實相です。

つまるところ此の世は良くなって行くところでは無くむしろ悪くなって行くところなのです。

 

 

エッ?嘘だあ。

 

だってみんな学校で先生から「此の世は良くなって行くんだよ、其れが進歩だよ。」とさう教はって来て居ます。

 

さうか、じゃあまさに其の教師がバカだったのだね、其れももう近代思想に完全に頭の中身をやられた大馬鹿者だよ。

 

エッ?まさか、教師にはバカが多かったのですか?

 

いや其処は教師だもの、むしろみんなよりはお利口だよ。

 

でもさうして社会に従ふやうな奴は概ねバカ教師だぞ。

 

 

良くなる⇔悪くなる

 

まさに此の関係こそが實は裏腹なんです。

 

即ち良くなると云ふ分別概念にはすでに悪くなると云ふ状態が濃厚に含まれて居る訳だ。

 

 

なので良くなることに酷く拘り過ぎると逆に酷く悪くなる可能性を自ら招き寄せて仕舞ふ訳だ。

 

現代文明のあり方を一言で評せばまさにそんなことになりませう。

 

現代文明は人間を進歩させるー抽象的に進化させるーことで懸命に全てを良くしやうとして来て居ますが其の認識自体が實は誤りなのだ。

 

 

つまりは良くなると云ふ概念の中にはむしろ悪くなる、其れも極端に悪くなると云ふことの可能性を生じさせて仕舞ふ訳だ。

 

そんな哲學めひたことは自称詩人、まさにおまへだけの意見でもって他には世界中で誰も言ってなど居なひ。

だからおまへの其の考へこそが間違ひなのだ!

 

そんな多数決のやうなことを申されましても、其処はもはやわたくしにはどうしやうも御座りません。

わたくしはさう直観される部分だけをかうして述べて居るのでありそりゃ詩人の意見なのでまるで人の考へとは違ふことかと存じますが其処でみんなが聞く耳を持って呉れねばわたくしもかうしてピーチクパーチク言ってることの甲斐がまるで御座ひません。

 

 

では、人間は進歩しなひ方が良ひの?

さう、人間は進歩しなひ方が良ひの。

 

だから何度も申して居るように人間は具象的現在を生きる方が良ひ。

でも其れは禅だとか釈迦の佛法に於ける考へ方でもはや現代人には事實上不可能でせう。

 

なので其処では逆に抽象的未来を生きる他無くなります。

 

抽象的未来⇔具象的過去

 

此のやうに文明は分裂的時間を生きて行かざるを得ぬ。

 

其の場合には抽象的に未来に存する問題を解決して行くより他は無くならう。

其れも具象的過去即ち歴史に學びつつさうして行けばより望ましひ訳だらうが。

 

 

ですが、より根本的には、

 

抽象でも無く具象でも無ひ現在ー時間を滅した今ーを生きて行けば解脱することだらう筈です。

 

でも其れは我我馬鹿現代人には無理なので、イヤイヤながらそんな他力救済での分裂過程をやっていく他は無ひ。

 

 

ところで座禅を組むとそんな時間を滅した今に到達するのでせうか?

 

そりゃ知りません。

わたくしはかうして頭で考へるタヒプなのでむしろ座禅は組まぬのです。

其の思考を最高度に突き詰めていくとどうなるかと云ったことだけを今はやって居ります。

 

で、文明はそんなアナタにとりすでに大馬鹿者なのですか?

 

いや其れは今に始まったことでは無く正直申しますればずっと以前から近代文明其れ自体がバカだとさう感じても居りました。

 

なる程、だからこんなものが書けたのですね。

 

 

で、貴方は結局何をどうしたひのですか?

 

いやかうして世の価値観を批判して居るだけのことです。

 

かうして理詰めでもって文明を負かしてやらうとさう思って居るだけのことです。

 

 

さうですか、其れにつけても尾張の人らしくイヤな奴ですね。

実際かうして尾張人が正直者過ぎるのも考へものでせう。

 

 

さて今日本のみんなの価値観はさうして現世利益主義ー+思考ーの方へと傾き過ぎて居ます。

 

其の現世利益主義こそが科学主義に基づく無神論により展開されて居るものです。

 

ですが其れでは人間はまた社会は幸福にはなれなひ。

 

何故か?

 

良くなる⇔悪くなる

 

まさに此の関係こそが實は裏腹なんです。

 

即ち良くなると云ふ分別概念にはすでに悪くなると云ふ状態もが濃厚に含まれて居る訳だ。

 

 

悲観⇔楽観

辛ひ、苦しひ⇔楽しひ、幸せだ

地獄⇔極楽ー天國ー

 

他力救済は此の二元分裂としての世の価値観を信仰により一元化して行くことの為の教へです。

 

ですが、世俗の価値観ー世俗による価値ヒエラルキーーを奉じて居る限りは其の信仰への契機を見出すことは難しひ。

 

此処の読者の方々ーインテリっぽひ方々ーは別として、日本のみんなー大衆ーは文明の創り出した価値観にほぼ洗脳され切って居ることだらう。

 

 

即ち便利で快適に生きる為には何千万もする家やマンションに住み車も必要でしかも住まふ美人妻が是非必要だ。

 

其れに出来の良ひ子をもうけ彼等を最終的には東大にでも入れる。

 

つまりは其れが最高の価値だ!

 

とさう思って居ること自体が實はサヒコーに馬鹿なのです。

 

 

其れ、實はひとつも要りません。

 

アナタに必要なのはむしろ信仰、其れだけなのだ。

 

其の観念的ー抽象的に構築される価値ヒエラルキーー欲望こそが現代人をしてむしろ∞地獄へと閉じ込めて行くのです。

 

で、わたくしの今の考へですが、

 

まずは其の分裂の幅を縮小することだけに留意して来て居る。

 

其の幅を縮小するー限定するーことで価値対立其れ自体を小さくして行く訳だ。

 

 

家→今のボロボロ家で結構

未来への夢と希望→今感じられる小さな歓びこそが大事

美人妻→女は所詮馬鹿なので次第に興味が無くなって来た。むしろ自分にこそ興味が御座る。

🚙→どうしても必要な時にだけ借りる

出来の良ひ子→自分にもし子が居れば是非早稲田大學に行かせたひとさう思って居たのだったが事實として子は何処にも居なひ。まあ我の子ならば早稲田位は楽に入ることだらうがもしも其れがバカ息子で成人式に酒飲んで暴れるやうな子であるのならばもはや我慢がならぬ。なので我は子など要らぬのだ。

 

デカひ墓→わたくしは墓には金輪際入らぬとさう遺言しておくつもりである。わたくしは将来死んでから文人の園へ行き宮澤 賢治や芥川 龍之介の下のお世話をすることが夢なのでまさに忙しくて墓なんぞには入って居られぬのだ。

 

左様に拘るもの、拘る範囲をより限定し小さくすると云ふのがわたくしの思想であり宗教なのだ。

 

勿論可能なのであれば田舎にでも是非移住したひところなのだが事實上今はなかなか其のエネルギーが出なひ。

 

 

そんな訳で今陥って居る社會の問題とは自分と無関係なものでは無ひのである。

 

社會⇔個

其処に相剋し且つ相即する関係が成立する以上無関係ではあり得ぬ訳だ。

 

だがもしも社會が誤った思想を持って居たのだとすれば我我個は為す術も無く其の誤った思想による破壊の波に蹂躙されて行かざるを得ぬことだらう。

 

現代社會は誤った思想に陥って居りまさに其れは合理化による進歩思想のことだ。

 

また其の合理化による進歩思想に我我個は洗脳されがちなのだ。

 

だが価値は元来+と-の側面を生ずるものと相場は決まって居る。

 

さう人間の価値観とはさうした二元対立ー二元分裂ーを引き摺るものであらう。

 

 

だから社會を幾ら良くしやうとしても逆にむしろ世は悪くなって居る、其れは何故か?

 

合理化による科学万能主義が両面を見詰めて居なひことによるものだ、其のやうな一義的な生の理解が逆に我我の生のあり方其のものを破壊して行くのだ。

 

故にコロナウヒルス其れ自体が悪魔なのでは無くコロナウヒルスを世に出すやうな経済の追求や自然破壊を重ね続けて来たこと自体が悪魔としての人間の仕業だったのだ。

 

 

西欧近代社會とはキリスト教に於ける善と悪との二元対立を基調に展開される価値構築の世界のことである。

 

其のやうに大きく社會其れ自体が分離ー分裂ーされて居る訳なのでつまりは振れ幅が大きひ。

 

なのでホロコーストだのかようなパンデミックだのが時に出現するのではなからうか。

 

いやキリスト教が悪ひと言って居るのでは無くむしろ西欧近代社會にとってはキリスト教こそが正教となる可能性が高ひ。

 

つまるところ此処日本は神道にて現世利益を追求し他面では大乗佛教として他力救済もまた目指して行くのであるから何が何だか分からぬ宗教的地盤を有して居るとも言ひ得る訳だ。

また其の大乗佛教にせよ禅宗だけは釈迦の佛法に近ひ自力救済としての性格を帯びて居る。

 

 

だから禅が偉ひと云ふのでは無くもしや禅はキリスト教とは相性が悪ひのかなとさう思はぬでもなひ今日此の頃である。

其れにもしや禅は👩嫌ひではなかったか?

 

さうだなあ、でも風狂の僧である一休さんなどはむしろ👩が好きだったよね。

 

密教などもまた👩を否定せぬが他方では即身成仏などとも云ひ其処はまんま分裂佛教であらう。

 

兎に角お釈迦様は結構👩嫌ひでしたので佛教は基本としては女人禁制なのでせう。

 

でもキリスト様は👩子供には結構優しかったのかもしれませんね。

 

 

嗚呼、さうか。

キリスト教の根本には人間存続、社會存続への強烈な意志が御座りませう。

 

何となれば人間絶滅、社會崩壊ではキリスト教も何もあったものじゃ御座りません。

 

が、佛陀の場合は人間絶滅、社會崩壊のことを否定も肯定もしなひのではなからうか。

 

以上、

1.現代社會に必要なのはむしろ他力救済としての信仰の力であり、

2.でも信仰を持てぬ程に頭が良ひのならむしろ宗教を突き詰めて考へてみやう。

3.現代社會の崩壊の様は必然的な結果ー縁起による必然的な歴史過程ーであり、

4.世界の破壊は個としての価値観を正さずば止むことが無ひ。

 

と云ふやうな点に就き論じさせて頂きました。

 

 

悲観⇔楽観

辛ひ、苦しひ⇔楽しひ、幸せだ

地獄⇔極楽ー天國ー

 

かうした観念的な価値対立を引き起こして居るのは畢竟人間の認識上の癖=相対分別によるものであり、無論のこと其れを消し去る為には根本的には佛陀の教へか又は禅による自力救済が必要となるが事實上現代人に対する社會的な洗脳を解くことは困難だ。

 

なので他力救済としての宗教への信心を持つか又は考へとして個々の価値観をまずは正して行かねばならぬことだらう。

価値分別が大きく振れ過ぎて居ると他極へ振れた折にドーンと破壊が生じやうからなるべく其の振れ幅を小さくして行くことこそが望ましひ。

 

即ち、

経済ー金ーが一番大事なのでは無く、

 

また家の存続や墓が大事な訳でも無く、

 

さらに妻や子が大事な価値なのでも無く、

おまけに學歴や職歴に大きく価値がある訳でも無く、

 

むしろ信仰の力の方がより大事な力なのだ。

 

 

たとへば君のマンションも口座の残高も其処に大きく価値がある訳では無く、

 

むしろ信仰の力の方がより大事な力だ。

 

信仰を持てぬ場合にはまるでかの自称詩人の如くに兎に角突き詰めて考へ欲望の範囲をより小さくし同時に拘るものの対象をより絞って行かうではなひか。

 

 

実際に悲劇は起こり得る。

まさに此のコロナ禍こそが其の悲劇だ。

 

其の悲劇の誕生はしかしながらむしろ必然のことだった。

 

悲劇は現代社會に対し常に起こり得ることである。

 

逆に其れが想定外になって居ること自体が誤った認識でありまた洗脳によるバイアスがかかった価値観のものなのだ。

 

わたくしが根本的な問題だと述べて居ることはむしろ其の認識に於ける誤謬である。

 

其の認識に於ける誤謬に気付けぬ人間の社會のあり方こそが間違って居るとさう述べて居るのだ。

 

つまりは其の心のあり方が曇って居る、無明としての迷ひの価値観に裡沈んで居ることだらう。

 

 

社會⇔個

 

さうして社會が悪ひのは個としての認識の問題でもまたあると云ふことなのだ。

 

其の個としての認識上の誤謬を是非反省すべきである。

 

大抵の人間は周りが悪ひので自分もまた悪く染まりがちだとさう考へて居ることだらう。

 

だが實際にはまずは自分が悪ひので周りもまたさう染め上げられて仕舞ふことだらう。

 

 

尚、釈迦は人間の外見には惑はさるなとさう述べられて居たさうだ。

 

逆に現代人は外見に拘りがちだ。

だが幾ら外見が良くてもコロナ感染すれば誰もが死に瀕せざるを得ぬことだらう。

 

またどんなに金持ちであらうとコロナ感染すれば誰もが死に瀕せざるを得ぬことだらう。

 

人間の中身とは即ち其の心のあり様のことなのだ。

 

内面に持った価値観の正邪こそが其の人間の眞の価値を決めるのだ。

 

 

尚、昨日はお天気も良く金シャチ横町の徳川 忠兵衛にて徳川 忠兵衛 お持ち帰りの天丼を初めて買って来た。

其の天丼の評価から申せば🌸🌸🌸🌸である。ー五段階評価の四ー

さうして大変お得である。

 

尚天丼は非常に難しひ食べ物だ。

まさに其れはうな丼と同じ位に難しひのだとも言へやう。

 

天麩羅は元々江戸のものなのか尾張には余り美味ひものが無くそればかりかわたくしの場合は安くて美味ひ天丼にしか興味が無ひ故これまでに80点ー及第点ーが取れる天丼を食ったことなど無かったが今回初めて其れが食へなかなか嬉しかった。

 

で、詳しくは知らぬがかの徳川 家康の晩年の好物は天麩羅だったとのことだ。徳川家康の好物とは。長生きの秘訣は食生活にあり!?

家康公は健康ヲタクだったにも関はらず何故でっぷりと肥へて居たのかとずっと思って居たのだったが其の謎がようやく解けた。

 

要するに齢を重ねてから逆に天麩羅に嵌り腹が出て居たのだったらう。

で、徳川 忠兵衛の天麩羅も其の家康公に因んだものであることらしひ。

 

徳川 忠兵衛はどちらかと言へば高級店でありたとへ持ち帰りの🍱であるにせよ使ってある素材が良くー油の方も勿論〇だー其処は安心して食することが出来る。

なのに千円なのだ。

 

だから其処が何より良ひ。

但し昨日は何と14時までの営業だった。

 

14時までに自転車にて行くとの予約を入れようやく🍱を受け取ったのが13時55分であった。

 

ー今は大変ですね。

 

ー實は休業するかどうかを決めかねて居り暫く休業して仕舞ふかもしれませんのでまた電話にて予約された上でお越し下さひ。

 

其の天丼には海老が弐尾も入って居て他にもカシワだのイカだの具材が多く入り従って千円と云ふ値段は如何にもお得である。

 

ちなみに此処には味噌天丼なるものがあるさうだがテイクアウト用には用意されて居なひ。

 

 

金シャチ横町は名古屋城のすぐ際にあり名古屋城に人が入らぬ限りすぐに終わって仕舞ふものらしひ。

 

名古屋城は閑古鳥が鳴ひて居り其処は仕方の無ひ部分なのであらう。

昨年までわたくしは此の金シャチ横町を通って勤め先から帰ったのだったが帰る時間には皆店は終はって居たので徳川 忠兵衛を訪れたのは實は昨日が初めてのことだった。

 

天丼は何せ油ものなので腹持ちが良くすぐに腹が空かぬところがわたくしは好きだ。

 

さても名古屋のみんな、徳川 忠兵衛の天丼をもっともっと買ってあげやうではなひか。

 

でなひと金シャチ横町店が潰れちゃうかもしれぬのでな…。

 

尚味付けは濃ひ目の醤油味にて少し個性的なのだがわたくしは好きな味である。