目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

マルクス・ガブリエルの思想(重要)と世相を語るー壱 かうして嗤ひながら語る世相と眞面目に語るマルクス・ガブリエルの思想ー

ラーメン店の倒産ラッシュが必然でしかない訳 「1000円の壁」突破する仕掛けが生き残りの鍵だ

 

元より🍜と🍛は、此の世から決して消へてはならぬものである。

何故なら🍜と🍛は独身🚹御用達の食べ物だからなのだ。

 

とは言へほとんど店へは食ひに行かぬのだけれども。

 

其れは、

 

1.面倒臭ひ

2.値段が高ひ

3.今やインスタント🍜やレトルト🍛で充分にイケる

 

との理由が考へられやう。

 

まあ其れでも年に弐、参度は出向かぬ訳でも無ひ。

 

いずれにせよ資本主義がさうして今大幅に制限を受け変化することを強ひられて居るやうに思はれてならぬ。

 

コロナウヒルスによる具象的限定が社会と其の成り立ちー社会制度としてのーの部分を根本から揺さぶり変化を強ひて居るのだとも言へる。

 

 

ところが人間界は相変はらずまるで獣みたくにグオー、ギャオーとやってるばかりだ。

また其れは先にも述べたやうに年寄りになったにせよまるで変はりは無ひ。

 

人間は年寄りになってもまた人殺しをするのだしーさうしてアクセルとブレーキを踏み間違へて屡やって居るー金も欲しひのだし只性欲のみは次第に減って来て👩の裸には余り反応しなくなっても来やう。

 

かうして人間はどうも限りなく馬鹿だな。

 

若ひ人達は是非今のうちに👩の裸に確りと反応しておきなされ。

 

 

資本主義のブチ壊れの様はまさしく社会の問題なのだから兎に角社会的に何とかせよ。

 

社会の能力が低ひとそんな大問題には対処出来ずタダなし崩し的に社会が壊れていくばかりだ。

 

我はもう社会からは引退するつもりなので社会に残ったおまへらが何とかせよ。

 

社会からは引退したとしても人間からは引退出来ぬのでとりあへずはラヒターとして其のダメ社会をクソミソに貶してやっても良ひのだが。

 

 

「次につぶれるのはウチだ」トヨタ幹部が真顔でつぶやく自動車業界の危機感

 

ほりゃ、みひ。

 

えっらひことだでよー、これはー。

こんなTOYOTAが潰れたらみんなはどーするだー。

 

天下のTOYOTAが潰れたらみんなの会社なんかまーみんな潰れとるがね。

 

アンタはもうカネが入らんでいちんちー一日ー三百円でもって暮らしていかないかんがね。

女房をピンク産業にでも叩き売ってやっていかないかんがねーいってゃあどーするだー。

ーでも其のピンク産業自体が潰れかけとるー

 

だからTOYOTAはよー、織機をつくりゃー。

其の織機をよー、阿弗利加にでも売るんだぎゃー。

 

おまへは阿弗利加をバカにして居るな?

 

しとらんぎゃー。

みんなまっくろの土人だなんてまっさかおもっとらんぎゃー。

 

其れにオヒラは奴ー自称詩人ーじゃあにゃーよ。

 

 

おまへは一体誰だ?

 

 

👽弐だ。

 

うはあ、また嫌な奴が再登場して来た。

 

おまへは宇宙へ帰ったのではなかったか?

 

けっきょくココにおりたひんだぎゃー。

 

まあ良ひ。

 

此の際おまへも宇宙生命のひとつとして認めてやらねばなるまひ。

 

ありがとおー、また出て来るでよー。

 

 

ん?

 

何か調子が違ふぞ。

 

ひょっとしておまへは化け詩人ではなひのか?

 

 

良くぞ正体を見破ったな。

 

さうさ、オヒラが其の化け詩人なのさ。

 

ハーッはっはっはっはっはっ―のハー。

 

 

 

で、エメラルドの話がまだ済んで居なひのだがちょっとまた哲學上の命題が出て来て仕舞った。

 

マルクス ガブリエル コロナ時代の精神のワクチン

 

實は此れを視た。

 

其れでもって其処にガブリエル氏の精神の潔癖性を再確認した次第である。

 

矢張りと云ふべきかガブリエル氏はかの独逸観念論哲學の継承者であり発展者なのだ。

 

彼は現代文明、特に米國流のショー資本主義に対し違和感と云ふか否定的見解を根深く抱ひて居るやうだ。

 

其の精神の方向性其れ自体がまさに独逸観念論哲學の方向性なのではなからうか。

 

 

何かかう一発喰らったやうな感じすらする。

 

ガブリエル氏がこんな風に否定的に文明を見詰めて居たことを明確に知り愕然とした次第である。

 

番組ではイキナリかのカントによる定言命法のテロップが流れる。

「自由とは好きなように思い通りに行動することではない」

「自由とは誰かに命令されることなく 自らの意志で 自らを律して生きることだ」

 

かってカントは理性による批判哲學を完成させた。

其の理性とは何か?

 

謂はば其れは自らをも批判し律することだ。

 

だが普通人間は其れとは逆の方向を見詰めまさに其れを行動する。

 

たとへば👩の裸と理性、此の二元的要素があればみんなは👩の裸の方を見たく思ひ挙句にはガマンが出来なくなり其れに飛びつく。

 

だが理性を持ってる読者の方々や我は其れをむしろ慎重に避け理性の方に逆に飛びつく。

 

カントによる定言命法とはそんな人間の持つ獣性に対する宣戦布告なのでもまたある。

 

さうまさに其れは近代的な理性による獣性に対する宣戦布告なのだ。

 

但し其れは宗教的な闘争なのでは無ひ。

 

獣性を理性により統御することへの啓蒙としての認識でありまさに其れが近代の精神の幕開けなのだった。

 

 

彼ガブリエル氏はまさしく其の正統的な独逸観念論哲學の継承者だ。

 

人間の獣性は醜ひ。

何故醜ひ?

 

誰もが自分が一番だとさう思っておりさうして世の中をじぶんの思ひ通りに動かさうとする。

 

そんな権威、権力を我がものとしたひばかりにさう欲するのだ。

だがそんなものは所詮獣だ。

 

まさに666の獣なのだ。

 

ところが獣は感度が悪くしかも馬鹿だ。

 

なので自分がクソまみれでもってしかも地獄に堕ちて居ると云ふのに其の現實がまるで見へて居なひ。

 

其の逆に理性を我がものとすればお花畑も見へて来やうと云ふのに何時まで経っても汚物まみれで👩まみれで酒浸りでギャンブル狂ひだ。

 

 

そんな体たらくでもって何が國會議員だ?

何がCEOだ?

 

何が財閥だ、🐊ー麻生氏ーだ?

 

何がアベノマスクだ、「美しひ日本」だ?

 

おまへらほんたうにばかか?

 

 

もう詩人は社会を投げた!!

 

たった今社会を投げたぞ、詩人は。

 

 

だから其の醜ひ獣性の様、其の自らの醜ひ姿をしかと見よ!

大鏡にでも映ししかと観察してみよ。

 

うはあー、汚へ。

 

うはあー、こんなに汚かったのか。

まるで知らなかったな。

 

尤も其処で謝るのが我であり読者の方々だ。

 

大変申し訳御座ひません。

 

わたくしはつひ女まみれ酒まみれギャンブルまみれになって居りました。

 

其れでもってつひ理性を失ひ地獄へ堕ちるところでした。

 

でもこれからは眞面目にやります。

 

 

さうか、では眞面目になった其の証拠を見せよ。

 

へひ、これからはNHKオンデマンドばかりを視ます。

 

其れから大學の論文ばかりをネットで検索し読みます。

 

其れからカントの『純粋理性批判』も読んでみます。

 

読む恰好だけではダメだぞ。

ちゃんと理解せよ。

 

 

ヘヒ、理解致します。

もう死んでもやり遂げます。

 

さうか、おまへは偉ひ!!

 

おまへこそは人類の鑑じゃ。

 

おまへはたとへ馬鹿でも其の努力する姿まさに其れこそがホモ・サピエンスとしての智恵の鑑だ。

 

お褒め頂き有難ふ御座ります。

 

ではわたくしだけが救はれませうや。

 

 

オヒ、さうしておまへがドカン、ドカンと今蹴って居るものは一体何だ?

 

ヘヒ、其れは人間の頭で御座ります。

 

地獄の底から此の蜘蛛の糸を登って来るみんなの頭を蹴りまた地獄へと戻して居ります。

 

 

さうして居たところ突然プッツリと蜘蛛の糸が切れアナタは利己主義と云ふ無間地獄へと落ちて行きなすった。

 

 

 

兎に角此の番組によりガブリエル氏の「精神」に触れた。

 

彼の精神は何より現代文明に対し何処までも批判的だ。

 

其れと番組中ではベートーヴェンのピアノ・ソナタが流れて居た。

 

わたくしが愛する其のベートーヴェンのピアノ・ソナタが。

 

 

 

さて、ではガブリエル氏は今何をどう考へて居られるのか?

 

無論のこと多くの知性が感じて居るやうにコロナ危機に危惧を抱ひて居る。

 

だが其れは知性を持つ者ならば誰しも同じことだ。

 

わたくしの場合もかうしてもう長く其の危惧と向き合って来た。

 

 

まず、個人的には大枠にてガブリエル氏の考へ方に同意乃至は同調し得る。

 

其れは精神の方向性が同じだと云ふことをまさに意味して居る。

 

では何を指向して居るのか?

 

まず其れは唯物主義からの脱却である。

 

其の唯物主義の誤りから脱出する為の方法論として観念的なものを指向すると云ふ点に於ひて同意乃至は同調し得る。

 

 

ガブリエル氏はまるでヒットラー総統の如くに其れを誤りだとハッキリと否定する。

まずは其の点に独逸の批判精神をまざまざと見せつけられた。

 

日本人が元々考えられる民族なのにしがらみやら何やから何も言へぬ様とは其れは大違ひではなひか。

 

と言ってもガブリエル氏はヒットラー総統とはまるで違ひ逆にまさに民主的な哲學者である。

 

 

氏は「理性」とは両極端の価値を比較し其処から最適解を導き出す為のリスク評価であり意思決定の場なのだとさう述べられた。

 

まさにさうであり、合理性とはさうした分別智即ち分別による意思決定の場なのだ。

 

ところが、宗教は概ね其の主知主義による分別智の世界を重視しなひ。

 

其れは眞理領域と対立的に形成される反「信仰」の場であるからなのだ。

 

 

観念論は然し「疑ひ」の場である。

 

だけれども其の「疑ひ」の立場から最適解を導き出さうとして居る。

 

観念論はあくまで眞理を目指すのでは無くさうして現實としての最適解を探る為の「思考」の働きなのだ。

 

 

ガブリエル氏はまずは其の「思考」すること其れ自体につき考へることこそが大事だとさう仰る。

其の「思考」こそが最悪の思想である物質主義=消費資本主義の呪縛を解く方法だともまた仰る。

 

其処は全く同感だ。

其の民放のおバカCMをもう視たくは無ひわたくし、此のおバカな社会を隙あらば逃げてやらうと思ってるわたくしとしてはまさにピンポーン、なのだ。

 

だからと言ってアマゾンは否定して居なひのだしヤフオクもまた物の売買其れ自体を否定して居る訳では無ひのだが消費資本主義其れ自体はもう止めるべきなのだと思ふ。

 

物質主義に陥るとどうなるのかと言へば其れ即ち功利化ー現世利益化ーし諸価値を量的物質的なスケールでしかはかれなくなり要するに精神的には貧しくなる即ちおバカ化する。

 

 

まさに其れは最悪の錯覚だとガブリエル氏はハッキリと述べる。

 

そんなことを言ふ日本人はわたくし位のものだらうがガブリエル氏の場合はちゃんとさう述べた。

 

最悪の錯覚が続くとどうなるかと云ふに其れ即ち「悲劇の誕生」となり文明全体が肥溜めに落ちみんながクソまみれになり滅亡する。

でも其れはわたくしの言ひ方で、「幻想の犠牲」となると云ふのが彼の解釈だ。

 

 

「物質を楽しむ権利はある、但し幻想であることを理解せよ」ガブリエル氏

 

かのカントにせよショーペンハウアーにせよ、元々物質主義の範疇を離れ観念の世界を飛翔して居る。

 

即ちまさに其れこそが独逸が生んだ観念の領域なのだ。

 

だが國により其の観念の度が著しく異ならう。

 

実験國家米國では所謂自然主義なるものが勃興しソヴィエト式の唯物論と拮抗しつつ戦後の経済発展を成し遂げて来た。

 

だが其れを独逸の精神はほとんど否定的に見て居た訳だ。

 

何故なら独逸の精神にはまさに観念の系譜が存するが故にだ。

 

 

また何故かわたくしにも其の観念の系譜が存して居る。

 

わたくしはさうして所謂普通の日本人とは違ふ。

さうか困ったな、何でこんなんなってる?

 

もう早く洞窟にでも逃げたひ。

穴があったらすぐに其処へ逃げ込みたひ。

 

 

「思考そのものを考へることが唯物主義からの脱出である」ヘーゲル

 

「個としての體もまた思考の一部である」ーガブリエル氏ー

 

 

さうして彼は自然主義と唯物主義を手厳しく批判する。

 

つまりは米國露西亜もまるで認めては居らぬ。

 

アノ安倍君みたくまた小泉の変人みたくに米國に尻尾を振るのでは無くドーンと否定し伝統としての独逸の知性の流れをこそ主張して居るのだ。

 

流石は独逸人だ、西洋の利口だ。

 

 

でもほんたうに日本人は東洋の利口か?

ほんたうは馬鹿じゃなひのか?

 

早稲田大学はちゃんと早稲田大学なのか?

しかと頼むぞ、頼んだぞ早稲田。

くれぐれも馬鹿田大學にはならぬやうにね。

 

日本の知性を代表する大學がおバカ化したらもうお仕舞ひだよ。

 

 

米國流の消費資本主義を氏は「愚かな形而上學」だとして排斥する。

 

つまり物は思考以下のものであるに過ぎぬ。

 

故に物が豊かになり其れでもって幸せになれる筈が無ひ。

 

なんとなれば「思考」=「精神」こそが人間の基本にあるものなのだから。

 

但し厳密には「思考」とは哲學であり、「精神」とは宗教である。

 

だが其れは共に人文としての知性ー理性ーなのだ。

 

 

対して科学とは理性によるリスク評価の一部分でしか無ひものだ。ーガブリエル氏ー

 

其処で推進される合理性は全体の合理性から見ると逆に非合理性を孕むーあくまでわたくしの考へ、ガブリエル氏の場合はさうした全体論を採らなひー。

 

此の世界はまさに複雑で一つの領域からフォーカスするもので規定し得ぬものであり多様な価値の均衡を理性と云ふ合理領域から図るものである。ーガブリエル氏ー

 

其の哲學ー思考=観念ーを重視する部分がまさにわたくしの考へと一致して居る。

 

 

さうして科学的合理性は必ずしも合理的では無ひ。

場合によっては宗教による理性が逆に合理的である場合もまたあり得る。

 

尤も其の辺りのことはほんたうのほんたうに御勉強を進めねば決して分かっては来ぬものだ。

其れも女を断ちかうして脇目もふらずに御勉強して参りました。

 

さうか、おめでたう。

コレが智恵の冠だ。

 

うはあ、嬉しひなあ。

コレでボクは智恵者の一人になれたのだな。

 

其の代はりに社会からの村八分には耐へて行かねばならぬぞよ。

うはあ、苦しひ。

周りが全部おバカに見へ大層苦しゅう御座ります。

 

 

尚ガブリエル氏はデジタル的な社会変革の波に異議を唱へて居られる。

 

わたくしもまた根本のところでは其れを否定的に見て居るのだが不要な部分のデジタル的な合理化と云ふ意味での変革に限り其れには賛成する。

 

デジタル思考とは電脳回路のことなので思考其れ自体ではまるで無ひものだ。

 

其の「思考」無き世界であることこそが實は最大の問題なのだ。

 

 

わたくしが受ける感覚では、「主客転倒」と云ふ感じがずっとして来て居る。

 

主とは思考であるにも関はらず其処に科学的な解釈即ち科学技術が居座って居る。

 

だが元来其れは客の方の出来事であるべきなのだ。

 

なので一流大学を出て居ても考へる力の無ひ奴が多ひ。

 

其の科学技術により折角の出来の良ひ頭がやられて仕舞ひ思考力を奪はれて居るのだらう。

 

 

でもわたくしはまさに其の思考力の権化なのだ。

 

またいつものことだが威張って居るな。

いや今回ばかりは見逃して下され。

 

何せ難しひことを話して居るので君と会話するとゴチャゴチャになりまるで話が纏まらなくなります。

 

 

ガブリエル氏は哲學は「精神のワクチン」なのだとさう仰る。

 

即ち基本的に世界の「精神」が病んで居ると云ふ認識に立たれて居る。

 

大衆ー自らは考へぬ人ーとインテリー自ら考へられる人ーとの境目にあるのがまさに其の認識の差なのだらう。

 

考へぬ人にとっては世界は病んで居るとおそらくは認識されて居なひことだらう。

 

でも考へる人にとってはとっくの昔から世界は病んで居る。

 

其の世界の捉へ方にも色々と選択の幅がある訳だが知的な人はむしろ抽象的なものの誤りの部分を指摘する傾向がある。

 

 

一例としてわたくしの認識を示せば、

 

其れはまさに社会が病んで居るのである。

 

ところが其れは自然が病んで居る訳でも無く神佛が死に絶へた訳なのでも無ひ。

 

あくまで社会としての認識即ち認識としての選択が誤って居るのである。

 

他方でガブリエル氏の見解は個をも含めた精神としてのパラメーターに誤謬が生じて居ると云ふものだ。

 

其処は或は社会と個と云ふ対立概念を設定されて居なひのやもしれぬ。

 

 

何せわたくしの思考方法は古臭ひものなので全てを二元対立から導ひて行くのであるが新しひ哲學の場合には或はさうでは無ひのやもしれぬ。

 

なんだけれども世界が病んで居る、選択を誤って居ると云ふ結論に関しては實はまるで同じである。

 

但しガブリエル氏はコロナ危機をほとんど悲観的に捉へられては居なひやうだ。

 

むしろ此の危機は新たな理性による啓蒙の時代の始まりでありモラルとしての進歩の時代であるとさう捉へられても居る。

 

即ちコロナ危機がまさに精神の進歩を促して居るのだとさう捉へられて居るかのやうだ。

 

 

ま、其処はわたくしも以前からさう思はぬ訳では無ひ。

無ひのだけれどいつものことながらより悲観的にも捉へて居る訳だ。

即ち具象的に自己崩壊する文明、其れも観念的にでは無くさうして現實として🍜屋が潰れ観光業が崩壊し✈会社や🚢会社が潰れたりもして行くことだらう。

 

其の修復は無論のこと大変なのだがおバカ政府には其れを立て直すことなど難しく其れだけでは無く地震、雷、火事、オヤジと今後何が起こるかまるで分かりゃあせぬ。

いや、ちゃっと違ふ。

種の絶滅だ、こんなクソ暑さだ、魚は獲れぬは、農業もダメだはでああーもう何処にも食ひ物が無ひ!

 

やうし此の際隣の家の犬でも食ってやらう。

ワアオーン、キャンキャン。

 

ボオゥ―、ボオゥ―。

 

いやー、🐕の丸焼きは今回が初めてだなあ。

 

あれ、意外とイケるのかもね、ヘッヘッヘッのヘッ。

 

 

コロナ危機がまさに精神の進歩を促して居るのだとしてもだ、まさにこんな具象的な現實が観念性を飛び越へて齎されたら一体どうするのだ?

其れこそ哲學の話どころでは無ひのだぞよ!!

 

と云ふ部分こそがまさに女性原理としての現實性の部分から危惧される未来である。

 

 

パンデミックは革命」ーガブリエル氏ー

 

やっぱりね。男性原理はどうしても革命のことを考へますよね。

但しガブリエル氏による其の革命とは社会主義革命では無く精神の革命のことでせう。

 

「チャンスを逃せば文明は崩壊する」ーガブリエル氏ー

 

 

番組中でガブリエル氏が結構過激なことを仰って居るのでちょっとビックリも致しました。

ー他方で思考の極端を避ける、最適解を導き出すのが理性の働きだとさうも述べられては居るのだがー

 

男性原理は、其れも知性はどうしてもアレかコレか、〇か✖かで物事を論じて仕舞ふ訳でして哲學と雖も其の傾向からは脱却し切れぬ部分なのでせう。

 

でもガブリエル氏が述べる新実在論としての哲學は誠に深淵なものです。

 

「正しく錯覚せよ」ーガブリエル氏ー

 

我我はもう長く消費資本主義、其れも新自由主義による抽象的な利益獲得としての虚の世界に安住して来た。

先進國にせよ発展途上の國にせよまさに其れをみんなでもってやって来た。

 

然し其れは錯覚だと氏は述べられた。

 

さう唯物思想、進歩主義、経済成長至上主義による錯覚なのでせう。

 

だけれどもあくまで哲學的には其れは錯覚であり誤りなのです。

 

 

其れも先の主客転倒の話に繋がります。

 

物を豊かにしたりまた其の物をシンポさせて行くことでは人間は決して幸せにはなれぬ。

 

いや幸せ云々では無く、それではいつしかまともでは居られなくなるのです。

 

其れは何でかと申しますとまさに主客が転倒して居るからです。

 

 

ではどうしたら良ひのですか?

 

主客転倒を直せば良ひ訳です。

 

尤も其れを社会的に直すのか、また内面的に治すのかと云った課題が生じませう。

 

内面的に治すのは宗教の課題なので現實的には社会での選択を変へよとわたくしは申しました。

 

尤も本質的には其れは内面の課題なのでもある。

 

であるからこそわたくしは宗教の役割として其れを提示して来た訳だ。

 

 

ガブリエル氏の場合最終的に其れは「思考」の変化だとさう捉へられて居るやうだ。

 

其れぞまさしく独逸観念論としての面目を保つと云ふことなのだらう。

 

だがいずれにせよ其処には「気付き」が必要となります。

 

「気付く」即ち「目覚める」ことです。

 

 

其の「目覚める」ことを氏は學問的に為し遂げられて居るのではなからうか。

 

「目覚める」ことで「思考」其れ自体が変化致します。

 

思考とは単なる考へでは無く其の考へる人間を本質的に規定するものです。

 

即ち思考の質が悪ひか誤って居るが故に必然的に危機を招き自己崩壊へと至らざるを得ぬ。

 

尤もわたくしの場合以前はもう少し「信仰」の方に寄った考へ方をして居た。

 

 

只宗教を長年に亘り學び宗教其れ自体に劣化が生じて居ることに気付きました。

 

其処で自然科学の暴走を食ひ止める為に人文の智恵を磨く必要があるとさう判断した。

 

文學を始めとする藝術の意義を再確認し其れに対しより大きく価値を見出して行く必要に迫られた訳だ。

 

勿論哲學も其の主要なファクターなのです。

 

 

哲學とは何か?

勿論其れは考へることだ。

 

 

其れも客観的に見其れを分析した上で考へるのでは無く主観をも交へた上でより統合的な知見を得ることだ。

 

わたくしにあり人には無ひ性質がまさに其の深く物事を「考へる」ことが出来る性分でした。

 

其の哲學をも含めた人文的な理性の働きにより「考へる」ことで社会的崩落を食ひ止めやうとしたのだとも言へる。

 

 

でもデカルトが言った「考へる」ことは近代的な分析的理性のことなのです。-元々デカルトは数学者-

 

理性には対義的なもうひとつの側面がありまさに其れが人文理性です。

 

現在のわたくしの思想は其の人文理性による価値観の転換、人文理性による気付きと価値の再構築を図って行くと云ふものでむしろ信仰のことなのではありません。

 

でも信仰が出来る人ならばむしろ其の方が良ひのだとも申せませう。

 

 

ガブリエル氏が番組中で述べられて居たことで印象的だったのは「ウイルスを通して我我は物よりも上位の現實に触れて居る」と云ふ概念でした。

 

此処には少し引っ掛かりを感ずるのですがー観念的現實を上位に設定すると価値ヒエラルキーが生じて仕舞ふが故にー、観念的現實と物質的現實を比較してみれば其れはどう考へてみても観念的現實の方が精神的に豊かでまた反省力を保ちつつ生きて行くことが出来やう筈。

 

かうしてウイルスを通してしか我我には見へて来ぬことが確かにある。

 

其の例としてガブリエル氏は自然の様が見へるやうになった、独逸ボンの公園に緑のオウムが居ることが初めて見へて来たとさう仰る。

 

其れは一種の気付きであり意識のあり方の変容なのだらう。

 

無論のこと其の変容はコロナウヒルスにより唯物的な進歩が限定され齎されしものだ。

 

 

また以前述べたやうにわたくしは35年間🚙に乗り其の間はみしろ足元の自然や風景などには目も呉れなかった。

 

まさに其れが文明の齎した視野狭窄の様なのだ。

 

ところが自転車でもって移動するやうになり初めて身近なところに美や眞實があるものなのだとさう気付かされた。

 

さう其れがむしろ観念の世界を豊かにする、または感覚の部分まで降りて行って何かを直接把握する方法なのだ。

 

 

また其処で語られて居るものとは、まさしく限定だった。

 

即ち此の限定こそが必要不可欠なものだった。

 

限定こそがむしろ心の目を開かせ感覚を回復させ観念を正しひ方向へと向けて呉れるのだ。

 

 

其の正しひ、正しくは無ひ、と云ふ事は決められなひのではなかったか?

 

さう其れは切迫して居なひ部分に限れば決められず諸価値は其処で相剋し且つ相即するより他は無ひ。

 

なのだが文明は切迫して居り、其れ即ち環境問題や資本主義経済の存続に於ひて今まさに其れは切迫して居やう。

 

其のやうな問題ではまさに待った無しに逆方向へ舵取りを行ふ即ち限定することこそが有効であり且つ正しひ選択とならう。

 

 

ガブリエル氏の仰る其の「精神のワクチン」とはまさにコロナ危機其れ自体のことなのやもしれぬ。

 

コロナ危機はさうして精神のパラメーターを変へる。

危機が可視化され見へぬ存在がやるべきことを指し示す。

 

新自由主義によるグローバリズムと云ふ究極の搾取構造、其の限度を無視した欲望の流れが終焉しつつあるのやもしれぬ。

あらゆるものを不安定化した其の流れに抗ふものは畢竟観念の流れ、思想の転換、発想の転換にこそかかって居るのやもしれぬ。

 

興味深ひことに、ガブリエル氏は佛教に於ける唯識論を持ち出され「現實は物質により成立するものでは無ひ」とも此処で仰られて居た。

 

其れが何を意味して居るのか?

みんなが確たる事實として認識する其の現實とはまさに虚妄の現實ー虚妄としての錯覚ーであるに過ぎぬ。

 

其れもさう相対分別する認識を選び取って居るからさう見へて居るだけのことであるに過ぎぬ。

其の呪縛に寄り掛かるからこそ余計な欲望に振り回され観念としての自我をも腐らせて行って仕舞ふ。

 

其の物質の呪縛から解き放たれる時此れ迄とは違ふ新たな認識の地平が開かれるのだらう。

 

 

では貴殿は唯識説を信奉されて居るのですか?

 

唯識論ー観念論ー⇔唯物論

 

唯識論と観念論は厳密には異なるものでせうが此の際細かなことは考へずまずは上でのやうに対比させます。

 

重要なことは自己ー個ーによる直観であり、わたくしの直観とは前回申しました如くに二元対立に於ひて相剋し尚且つ相即する関係が成り立つと云ふものだ。

 

 

従って唯識論ー観念論ーと唯物論の間にもまた相剋し尚且つ相即する関係が成り立つ訳だ。

 

故にどちらが正しひと云ふ問題なのでは無く分離された選択の問題であるとあくまでわたくしには理解される命題である。

 

但し文明がすでに切迫して居る可能性がむしろ高くあらう。

 

其の場合には唯識論ー観念論ー側がより重要で且つ正しひ選択となる可能性が高ひ。

 

 

然しあくまで其れは人文知性としての認識であり信仰による正邪とはまた別の観念領域での話とならう。

 

左様に概念ー抽象的分別ーは須らく二元分離、二元対立することからは免れ得なひ。

 

故に宗教は眞理として其れを統一の方向へと持って行かうとするのだ。

 

 

でもアナタ様は其れを統一なさらなひ。

 

もしも統一されたらそも認識は生じなひ。

 

二元分離、二元対立して居るからこその現象であり認識なのだ。

 

其の現象の正邪、善悪をどう判断されるので?

 

だから其れは選択以前の問題であり本質的には宗教の次元でしか決め得ぬことなのだ。

 

なんだけれども、文明として持続可能性が絶たれ✖✖✖ー大滅亡?ーの世界となるやうでは如何にも其れではダメなので唯物主義から足を洗はねばならずまさに今コロナ苦による限定が其れを推し進めて居るのだとも言へやう。

 

 

アナタはアホなコレクターでもまたありませうがそんなんでもってさうさも偉さうに哲學だの説法だのをして居られる御身分なのか?

 

もう其の質問其れ自体が相当にイヤらしひ。

アホだからいつも其のアホも認めて居るじゃ御座りませぬか。

 

さうしてあくまでアホですが難しひ話ももかうして言へますよと云ふことでお話して居るのですから其れをブチ壊さぬやうに是非して頂けませんか。

 

 

で、アナタは観念論を信奉されて居るのですか?

其れはサヒコーに知的な営為なのでせうか。

 

たとへば此の世で一番価値のある認識上の選択なのでせうか。

 

またイヤなところを突ひて来るな。

観念論の末裔としてのガブリエル氏の話をして居る最中に観念論なんて屁みたひなものですよとさう言へる訳が無ひはな、此のボケが。

 

さうですね、認識上の価値ヒエラルキーの設定は矢張り避けたひところながらまさにほんたうに文明がヤバければ観念論を信奉するに足る切迫した理由があることともならう。

 

なる程ね。

 

 

では此処での言説を伺ふ限りに於ひてはアナタはまさに🚺嫌いのやうに見へますがほんたうのほんたうに👩遊びよりも御勉強の方が大事だとさう考へて居られるのか?

 

 

さうですね、其れもあくまで選択の問題ではなひでせうか。

でも野良猫は♀🐈の方が可愛ひものです。

 

でもやがて野良🐈が増へるとなるともうエラヒことでせうな。

 

 

福井でクマに襲われ男性2人けが 北陸新幹線の工事現場

 

うはあー、でも🐻もまた殺されて可哀想ですね、人間はもう進歩を止めるべき時に来て居るのではなひか。

 

ところでアナタは死ぬる瞬間までさうして人間の営為を批判し続けるのでせうか?

 

まあまた何処かに入信しなひ限りはね、結局さうなることだらう。

 

第一ガブリエル氏もドンドン言ってるので日本人の知性もまたドンドン言っておくべきなのではなひでせうか。

 

其れでは愈西田哲學の領域への突入ですか?

 

まあガブリエル氏も可成に西田哲學寄りの思想なのですし、其れでもってまた西田哲學の話もしたひところなのですがむしろ其れは福岡先生の特集の折にでも書かうと思って居ます。

 

 

アナタは何故👩遊びを…?

 

兎に角しつこひのでコレ以上の質問はカットさせて頂きます。