こんな🐍年での年頭の感ーソノ妄想的価値に生きるなー
さて今年は年頭よりまた難しいことを考えて居りソレが「価値の妄想性」との哲學的内容となる。
さうあらゆる価値に對し妄想するのがそもニンゲンなので矢張りと云うべきか「解脱」するか又は「信仰に生きる」こと以外に彼等が救われる道はまず無いと考えられやう。
尤もソノ彼等の中には自分もまた半分は入って居る。
故にソノ「救われ難さ」に於いて自分もまた半分は救われ難い。
「肉を食べる」が90歳現役医師の健康の秘訣 血糖値も気にせず「好きなものを食べる」
されどむしろ「肉」は食うべきでまた糖尿も軽い場合にはさう気に病むことはない。
さう食いたいものを食えばニンゲンは元気が出てまた💩の出が良くなりつまりは體調が良くなる。
うん今日もまた凄く太くイイ💩が出た。
サアでは神社仏閣巡りですか。
いいえさうでは無く本日は人類が滅亡しないやうに神佛に祈りつつかうして作文をする。
さて年末には色んな事件が起きたが全部話しても為にはならぬので少しだけ話す。
まずは冬の🎇なるものを西八幡社の高台より観た。
しかも近所の人が集い参人で観ることとなった。
ソレでもって色色と話が出來面白かったと言うべきか。
だけれども🎇が終わったと思い家へ帰ると最後のフィナーレの部分が始まりソコは實に間が惡かった。
さても思い返せばココ(西八幡社の広場)で幼少時に映画などを観たものだった。
90歳の元東大教授・医師が考える「生きがいが健康長寿につながるのはなぜか」
嗚呼コノ世にはこんな素晴らしい御医者様が居られるものです。
先生が仰ることやまた御姿などが全部好きです。
著作の方などもまた是非読ませて頂きたい。
猶ワタシの生き甲斐とはズバリ「マイペースの生活」です。
ソレが失われる時に我が生き甲斐は失せる。
よって自分は今が壱番幸せなのだ、
らう。
また昨日はコノ番組をたまたまTVで視深く考えさせられた。
コノ「シスパーレ」峰の登頂を果たした世界的登山家が昨年の夏に弐人🏔で死んで居る。
K2西壁に挑んだ平出和也・中島健郎:世界的登山家の遭難と未踏ルートの挑戦 | 文春オンライン
未踏のK2西壁で命を絶つ 名クライマーたちの遭難 - 世界日報DIGITAL
ではナゼ年末年始に「🏔」なのかと言えばソノ自然と文明の関係性こそが現存在(ホモ・サピエンス)に取り最終的な課題となることだからなのだ。
さう我我ニンゲンに取り最も大事なこととは種族の維持でも文化文物の保存でも無く「自然」と如何に向き合いソレと共存するかと云うことにこそ尽きて居やう。
なんとなれば我我文明人がまずは理解出來ぬのは「自然」と云う非本來的なプロセスのこととなるからだ。
ソレがナゼ非本來的な価値と化すのかと言えば現存在の認識方法が自然界とは異なるからである。
言わば我我はそんな抽象的認識力が異常に発達した片輪の生命(ミュータント生命體)なのだ。
さうソレは優れて居るのでは無くむしろオカシイのだ。
オカシイからこそむしろ神佛が要るのだ。
つまりはニンゲンがソノ侭に欲望を噴出させればソレは即「非本來的なプロセス」とならざるを得ぬ。
さう、
非本來的なプロセス=文明世界
とのこととならざるを得ぬことだらう。
但しニンゲンには知によりソノ自らがオカシイことを悟る能力もまた与えられる。
またつまりはソレが理性や悟性からまた宗教的な見地よりさらに藝術として直観されるだらうインスピレーション(啓示)の部分となる。
が無論のことソレがやれる人は現存在(ホモ・サピエンス)の中でもおそらく壱パーセント位のものだ。
いや0.1パーセント程であるのか。
もしやアナタはソレをおやりになれる?
…やれる訳ねえですよ。
どだい年末に店でもって大喧嘩を弐つもして置いてこんな變人がそんな高尚なことがやれますか?
アンタまたナニをやらかしたの?
いえ単なる諍いですよ、ソノ諍い。
なので新年はかうして大人しく家に閉じ籠って居る。
全くテロリストの如き輩だな…。
さう言えば新年早早世界の各地で色んな酷いテロが起きて居るぞ。
じゃあソノ非本來的なプロセスに観える部分を逆転させ「本來的なプロセス」にてニンゲンが生きれば文明や地球は救えるのですか?
まあさうですがニンゲンは愚かでしかも弱い存在です。
つまりは顛倒的な価値を生きる=妄想としての価値を生きる者ですので眞理がまるで攫めて居らぬ。
またソコにて、
妄想としての価値=洗脳としての価値
ですのでむしろ努めて他とは価値観を共有せぬ生き方を選ぶ方がよりベターとなる。
ソレでもって先の登山での遭難の話に戻るが、
1.元來🏔は征服されるべき「自然」では無くむしろ抱かれるべき「大自然」
2.そもドコの未踏峰を登頂すれば名声が上がりより大きく儲かるなんてのはナンセンスな御話
3.かうニンゲンだもの生きてナンボ
コノ参点より近代型の登山至上命題は全的に批判し得る。
つまりは生死を賭けて未踏峰ルートを攻めるなんてのはまさに蛮勇と云うものだらう。
だがワタシはかの三浦 雄一郎氏が年寄りになっても肉をバクバク食うのは良いことだと考える。
また長生きをされた瀬戸内 寂聴氏などもまさにそんな肉食人種だったのだから。
竹下景子が明かす『北の国から』秘話 「最初に倉本聰先生から『真の闇をあなたは知っていますか』と訊かれました」
ソノ竹下 景子氏はナゴヤのイイトコの御嬢様(確か弁護士の娘)です。
さてソノ純文學作家でもない倉本 聰先生は昔余り好きではなかったが今や崇拝させて頂いておる。
元日で90歳になる倉本聰氏インタビュー「まだまだ書きたいことがある」衰え知らずの創作意欲と野望を語る|NEWSポストセブン
だがコノ人は余り難しい話はしないのでハッキリ申して何を考えて御座るものやら分かりません。
對して養老 孟司先生の場合は概ね話が難しい。
でも倉本先生はソレこそ強く文明に對し危惧を抱かれて居ることだらう。
またワタシ(自称の詩人)の場合もそりゃ並み大抵の危惧では御座りません。
ワタシの場合はソノ危惧感を情緒的に訴えるのでは無くあくまで理詰めにて吐き出しますので皆様にコノヤラウ!とさう思われて居ることだらう。
でもボクの目的はあくまでさう正直に述べソノ汚名を背負い没するとのそんなかなしいかなしい人生ですので兎に角壱文人としての悲劇的ライフです。
つまるところ遭難はして居ないが實は難破船のやうなものでアッチへ揺られコッチへ戻りふと気付くと「またやってもうたか?」とのもうほんたうに厄介な毎日を過ごしてる。
でも近現代型の「パワー」でもって押し切る如き即ち人を搔き分けまた押し倒し勝ち組となり金持ちにならうなどと云う価値観はどう考えても宜しく無い。
さうでは無くじぶんのやうに動植物と會話することが可能となれば此の世はスッカリ救われると云うのに實に惜しい。
とは何時も思って居ります。
ですが矛盾するやうですが現在自分が欲し志向するものとはズバリそんな生き抜く上での「パワー」です。
ナゼナラアノ芥川 龍之介ではないですが理性詩人は理性バカリが膨らんでドーブツとしての力がドンドン減ったのでどうにも「生きにくさ」を抱えるやうになりつつある。
だから逆にドーブツのやうに生きられたならなあ。
おおまさにドーブツのやうに万年筆や石には飛び付くぞ。
だが酒と👩とギャンブルダケは御法度だよ。
さても倉本 聰先生の思想ソレ自體がどうも良く分からん。
ソノ倉本 聰先生はもしやアナキストなのか?
さて元日にワタシがして居たことは思い切りに普通の人がしないことでした。
例えばココにて主に木のことを五時間程學んで居た。木のメモ帳
ココは兎に角大層面白いところです。
話が面白く樹種などもまた網羅されて居り読んで居てほんたうに為になる。
また刃物の方での話なども有る。
兎に角他のナニを読むより面白いところだ。
人生はなるべく難しく捉え且つ考えでもなるべく樂しく何かを學び且つ樂しくモノと戯れる。
さう云うのが自分の処世訓のやうなもの。
ところが人は往往にしてソレとは逆のことをやりたがる。
ですのでまずはソコのところより正して行くべきではないのでせうか。
さう現代人が抱え込む闇の壱つの形がつまりは「全體主義」です。
つまりは「社會」に従うが余りに「惡」を知らず知らずのうちにやっちまうとの。
個人的にはまさにソノ「洗脳」を解かないと人類の未來は無いとさう考えて居る。
まあ人類の未來などにはほぼ関心を持ちませんのですがソレでもたった今人文者の壱人として言うべきこととはまさにソレであるとさう思わずには居られません。