目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

世代間の分断は七十代の持つ余った金でもって解決せよ

地球環境問題に於けるかのグレタさんの怒りは今後世代間の分断や価値観の断裂と云ふ問題へと連なっていくことだらう。

 

「OK ブーマー」ってどんな意味?ブーマーの特徴とは。

 

ブーマー即ち旧世代に於ひては価値観が固定化されており其の価値観を維持したひとの強ひ願望が働くが故に現実を何も変えられぬ=今にしがみつかうとするのが常だ。

 

勿論其れこそが「保守性」の持つ性質のうちの悪ひところなのでもある。

 

ところが、「保守性」には良ひところさへもがある。

 

謂わば従順に体制を履行し現実化していく力には優れて居やう。

 

たとへ本質を見定める力には欠けても常に其れは巨大なる推進力を生み出すのだ。

 

 

よって歴史過程とは其の「保守性」が成立させて来たものでもまたあらう。

但し其処には常に「革新性」とのせめぎ合ひがありむしろ其の対義的な環境より進歩と呼ばれる歴史上の変化が齎されて来たのだ。

 

即ち「保守性」と「革新性」は常に相克し尚且つ相即した関係にて構築されて来しものなのだ。

 

重要なことは其れはひとつでは成り立たぬと云ふことなのだ。

 

男女や善悪、自然と文明と云ふやうに二元的に分かれては居やうが全てがひとつだけでは成り立たぬ。

 

 

だからわたくしは左をも右をも思想を批判するが其れが何故馬鹿=頭が悪ひのかと言へば相手の立場を考へることが出来ぬ故に所詮其れは馬鹿思想なのだ。

人類の馬鹿も思想の馬鹿も宗教界の馬鹿も政治家の馬鹿も皆此の相手の立場を考へることが出来ぬ理性の無さに起因するところでのものなのだ。

 

事実わたくしなどは心が広ひ。

 

其れも藝術から乞食までをも語ることが出来る。

西洋文明に詳しく東洋思想に対しても實は詳しひ。

 

さらにマニアックな人間=物欲主義者でもある。

 

思想の場合は佐伯 啓思先生が心の師匠でありまさに佐伯先生の如くに極左思想から保守思想への転向を果たした人間でもある。

 

故に左も右もどちらも分かってる。

 

 

だからわたくしは偉ひ。

 

などとはまるで思はず、嗚呼、まさに実るほど頭が下がる稲穂かな、で、コレだけの知性に恵まれて居ながらまだ馬鹿の振りをして居られるだけの何と云ふ心の広いお方なのだらう。

 

でもほんたうのほんたうは人間は皆アホでバカでマヌケで能足りんばかりなのだ。

 

 

其の自らの馬鹿を認めることが出来るか其れとも出来ぬか、實は其れだけが問題なのだ。

 

グレタさんの怒りに対し少なくともわたくしの場合は好意的なのだが其れは世界に対して怒る奴が居なかったからわたくし以外にもそんな人間が是非必要だとさう考へたからなのだった。

 

いつも繋がって居て♡どうのこうの、だの、まるで幼稚園の御遊戯のやうな慰め合ひ、傷の舐め合ひを進歩した文明がし始めたのでそんなものではなく怒りだ、ちゃぶ台返しだ、不倫した女などは全て磔の上で獄門だ!とさう怒る詩人の会を結成してみたのであった。

 

 

だが必然的に抽象性に傾く「革新性」は常に「保守性」の具体性から學んでおくべき。

逆に「保守性」も大ひに「革新性」から學び取っていかねばならぬ。

 

特に女性は男性から何処までも學び取っていかねばならぬ。

女は所詮馬鹿であることを自覚し芥川の如き理性体のパトロンにこそなっていくべき者なのだ。

 

 

逆に男性は女性から馬鹿であることの崇高さ、其の無知の知の気高さ、其の女体の神秘と罪深さを何処までも何処までも學んでいかねばならぬことだらう。

 

 

かうして其の二元対立をむしろ其の侭に學び取るべきだ。

 

 

さてグレタさんの怒りはすでに世界中の若者の怒りへと連なって居る。

 

其れは諸の社会に於ける制度的な破壊に対する怒りなのでもまたあらう。

 

 

1.資本主義への怒り

2.持続不可能性への怒りー未来無きことへの怒りー

3.大人への怒り

 

 

1.及び2.に就ひて

 

資本主義の搾取構造は新自由主義によりむしろ加速して行われて来た。

 

だが根本のところでは其れは合理化による矛盾、合理的に達成される幸福=近代的な価値観其のものへの疑問であり怒りなのだ。

 

資本主義にせよ共産主義にせよ其れ等は物質主義の域を出て居らず要するに合理主義としての弐形態であるに過ぎぬ。

但し資本主義の齎す問題ー矛盾ーは共産主義の齎す問題ー矛盾ーに比してより大きくならう。

何故なら矛盾を前提として組み上げられたのが資本主義経済体制其のものなのだから。

 

其のやうに抽象的に規定されし思想的矛盾が具象性を伴ひ今文明を圧迫し始めたのだとも言へやう。

 

 

従って此の矛盾が提起するところでの問題は大層大きひ。

 

具象的に存在する問題に対し処方箋を出すことは可能であるがより大きな社会的抽象的矛盾に対する有効な処方箋を出すことはほぼ不可能なのだ。

 

 

資本主義と共産主義を比較する場合に持続可能性があるのは当然ながら其れは共産主義の方だ。

 

ところが今や共産主義は当初の潔癖なイデオロギーをすでに放棄して居り要するに経済体制だけを資本主義化して居る有様だ。

 

 

さて文明の持続不可能性と云ふ問題の核心部は其の進歩思想によるものである。

 

進歩する文明は合理的ー抽象的ーには存続が可能ながら非合理的に限定され具象化されし自然の枠内では必然的に其れが破壊を引き起こすこととならう。

 

資本主義とは前近代までの封建的な社会権利関係をむしろ合理化する為に生み出されし新たなる経済原理であった筈。

 

然し其の新たなものには次第に心が伴わなくなっていった。

 

拝金主義即ち金の亡者が世界中に溢れもはや誰も金を失くせー以前からのわたくしの主張ーとは言わなくなった。

 

いや言へなくなった。

 

 

では何でわたくしだけが其れを言うておるのか?

 

ひとへに其れはわたくしがヘソ曲がりの詩人だからである。

 

實はこれでも其のヘソ曲がりの度を此処では六割位に抑へて居り其れは何でかと言へば此れ以上言ふと即逮捕されて仕舞ふからなのだ。

 

 

ところで人間ー文明ーに未来が無ひと云ふことに関しては三十年程前から常にわたくしにはさう感じられて居たものだった。

 

だが皆様の場合にはおそらくさうは感じられて居なかった筈である。

 

其のやうに人間には特定の部位に対する感度の良し悪しと云ふものが元々あらう。

 

 

但しわたくしにはさうした気付きの力=直観力乃至は思考力はあっても現実力つまりは生活力には欠けて居るが故にパトロンーパートナーーを探して来て居るのだと是非さう御了解頂きたひものだ。

 

 

尚未来とは畢竟過去の蓄積が其の方向性を選択するものなのだとも考へられやう。

 

過去の蓄積が其の方向性を選択するものなのであれば其の方向性はなかなか変はりやうが無ひと見て置く方が現実的な見方である。

 

 

従って文明は今後の三十年間を惰性としてやっていくことであらうがもしや大変革が齎され世界革命政府が樹立されたにせよ其の進歩の思想だけは止まらぬ訳である。

 

だとすれば其の進歩思想こそが其れこそ唯物的に文明を貶め人類の文化、社会制度、伝統の全てを破壊へと導く元凶なのだとも言へやう。

 

 

謂わば進歩による抽象的な幸福度の達成と云ふ近代的な果實に我我人類は魅入られて来て仕舞ったのだ。

 

そんな果實を誰が食ったのか?

 

おまへも食った、さうして我もかうして食って来た。

 

 

そんなもの食ふなとかのエホバの神が仰せであったのにつひ👩共が食っちまった。

 

 

そんな風に👩を悪者に仕立て上げて居るのも世界中でアナタ一人だけですぞ。

 

いやー、さうかなあ、でも世間には結構👩嫌ひの方が居るものですよ。

 

 

でもわたくしの👩嫌ひはそれこそ眞性では無ひが故に其のうちに逆に👩にベッタリと貼り付く可能性の方も可成に高くあらう。

其の方がおそらくは御飯が楽に食へ長生き出来さうだ。

 

ですが今のところはかの宮澤 賢治を真似ております。

 

 

 

3.に就ひて

 

さうして未来とは若者が築くものでは無く本来ならば先人としての賢者により築かれていくものだ。

 

つまり過去に於ける思想的な布石が其れを成らしめて行かねばならぬものだ。

 

問題は其の先哲による知恵が失われた部分にこそ存して居る。

 

 

何故か?

大衆社会全体論が出来る哲人を消し去って仕舞ったからなのだ。

 

大衆社会は極めて合理的に思想的な家畜の群れを生み出して行く。

 

學者とは言へ御用學者やサラリーマン學者ばかりとなり其処に気骨のある學説を生むに足る土壌其れ自体が消し去られやう。

 

だからおバカな議論ばかりが其処かしこで為され一向に問題解決への糸口さへ見ひ出せぬ侭終わって仕舞ふ。

 

 

そんなんよりは此処の方が余程に真剣だし第一過激だぞ。

 

なるべくかの慎太郎氏を見習ひ過激暴走初老老人にならうかと思って居りますのですが。

 

 

そんな訳で若者ー還暦よりも下の世代ーには罪は無ひ。

 

無ひのだが、若者には學が無ひ。

 

だからまずは學を仕込め。

 

 

逆に老人ー還暦よりも上の世代ーには罪がある。

 

おおまさに其れは高度経済成長や👩やら👪やらにうつつを抜かしお勉強する暇が無くまるで學が無ひことに起因する罪だ。

 

だからまずは牢屋に入らう。

 

牢屋に入り其処に過去の罪を贖ふ必要があらうぞ。

 

 

老人の教師や學者は当然ながらもっと罪が深くあるぞ。

第一教師は何故暴力革命を目指さなかったのだ?

 

医者や作家も口では左翼だとか言ひながら大金を儲け神社でもって国家安泰やお寺でもって子孫や仕事の繁栄ばかりを祈って居るのは如何にもおかしひぞ。

 

ここまで貶されて悔しければ暴力革命のひとつでもしてみよ。

 

従って金のある者即ち持てる者は未来への投資として其の金を若者達に差し出すべきであらう。

 

 

どうせ我等など2050年までは命はまるで持たぬ。

そんな余分な金のある奴は其れをお布施又は寄付せずしてどうする?

 

どうせ還暦を過ぎたらもういつ死ぬか分からぬことだらう謂はば余分な生なのだ。

 

 

其の牢獄にて若者の存続を神仏に祈りつつ断食を行ふ。

 

まさに其のことを入定と云ふのじゃ。

 

此のやうに厳しく老人が範を示さねば此の世の未来はお先が真っ暗だ。

 

 

あんまりだ、それでは愉しみが何も無ひ。

 

  

これまでさんざんに愉しんで来たではなひか!

 

👩、酒、ギャンブル、薬、文明への従順、即ち家畜の安泰としての日常を。

 

 

 

酷ひ言ひ方だ。

そんなでは無く少なくとも儒教では目上の者を大事にして居るぞよ。

 

儒教孔子も皆間違ひだ。

 

正しひのはかの荀子だけだ。

 

さらに老荘思想は思想的に自由でもって良ひ。

 

 

尚わたくしは伝統を否定して居るのでは無く其の伝統が未来を築けなかったことに対して罪を感じよとさう述べて居るまでのことなのだ。

 

ところが所謂団塊世代の七十代の奴等と来たら。

 

もう高度経済成長を達成したのは俺らだと鼻高々なのだ。

 

確かに俺らが其れをやったんじゃよ、と。

 

 

残念なことですがアナタ方には真の意味での理性など無ひ。

 

 

真の理性があるのは大卒の多ひ我我六十代だけだ。

 

だが彼安倍もまだ六十五ですよ。

 

 

残念ながら彼に理性を期待するのは元々無理な話だ。

 

 

なのだが若い奴等はまことに見苦しひ。

 

兎に角ウルサヒわ、學が無ひわ、自己本位だわでもってして。

 

 

こんな奴等にお布施をするのか?

 

いや金が余って居る人は是非さうして頂きたひ。

 

だがわたくしに限れば無論のことそんなことは金輪際しなひ。

 

 

わたくしは未来をただ論ずる。

 

かうして未来を論ずることこそが其の御布施なのだからこそ。