目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

『文明が不幸をもたらす』クリストファー・ライアン著の書評2

 

所謂金儲けを始めあらゆる生活上の営為は観念が目的とするところのものでは無い。

観念とはむしろ其の種の實利性、現實上の価値構築を元来離れたものなのだ。

 

だが世間の人人はむしろ其の實利性の上で自らの意見を構築しあれこれと論じ合って居る。

または感性的な判断に従い其の価値構築の世界を論じ合って居る。

 

わたくしにはまずは其のやうな本能的な生き方がそも疑問であった。

何故其のやうに自分の頭でもって考えられて居らぬのかと云うこと自體に対しそも疑問であった。

 

 

だからわたくしは今観念でもって構築されし意見を何処かに発見するとまさに其れに擦り寄ることとして居る。

 

例えばお釈迦様やイエス様による説法などがまさに其の観念的、理性的意見である。

さらに多くの作家の方方による書物や理性的主張が込められた藝術作品に接するうちに自然と其れ等に引き寄せられて行くのは其処にはわたくしの意見にも似た自力での思考の跡が何より見えて来るからなのだ。

 

よってわたくしは大衆的な意見に耳を傾けて居る暇等は無い。

さうしてみんなでもって傷を舐め合いながら生を構築する其の生き方はわたくしのものには非ず。

 

其のやうな孤独と云うか孤高とでも云うかそんな性質がどうしてもわたくしにはありむしろ其の故にこそ長らく理性の苦しみを其処で歩んで来たのだと言える。

 

さてお釈迦様やショーペンハウアーの認識は現代人に取りとても大事なことなのだと思う。

だけれども其れは概ね人気が無いやうだ。

 

現代人はさうして自分の価値観を信じ生き其れと反するやうなことを言われると拒否感を示すのである。

其の自分の価値観とはしかしながら自分の頭でもって考えた価値なのでは無く現代社會がさう提供するところでの価値である。

 

 

まずは「進歩」と云う概念を現代人は普通信じて疑わない。

だから其れを貶されるともう我慢がならなくもならう。

 

また生活至上主義に関しても同様だ。

例えば現金な功利的生活を今すぐに止め僕のやうに自分の頭でもって考えむしろ其れとは逆方向へと価値ー観念ーを形成せよ。

 

などと言えば其れももはや我慢がならぬ筈だ。

 

だが其の我慢のならぬことを言うのがむしろわたくしの役目なのやもしれぬ。

 

 

其の意味で世間とは逆の視点から文明其れ自體を懐疑的に見詰める『文明が不幸をもたらす』原題 『死に至る文明ー進歩の代償ー』と云う本が指し示す文明観は其処に強い批判性を感じさせる。

第壱人類全體が文明が進歩することを疑わず要するにみんなでもってさうして御遊戯して居るのだから其れに対し違うよとでも言えばまさに其れは頭の狂った奴なのだ。

 

だがかって體制とは逆のことを述べ憲兵に殺害された大杉栄 - Wikipediaなども其の頭の狂ったやうなことを述べて居た訳では断じて無い。

むしろ自分の頭でもってして拾弐分に考え至極全うなことを述べて居たものとわたくしは見て居る。

 

さて大衆とは其の自分の頭でもってして考えず周りの意見から大きく影響され意見なり思想なりを形成し其れに生涯つき従う人間のことを言う。

従って實は大衆が馬鹿だとはあながち言えはしないのだ。

 

例えば高度な知的能力を持つ學者だのジャーナリストだのの中にも其の大衆性が根深く潜んで居るものなのだ。

逆に僕のやうに壱流大學を全部落ちたやうなバカであるにせよ其の後は確りと御勉強しむしろ其れ以上の考える力を培って来た人間は其の大衆の範囲を元より離れて居る訳だ。

 

でもってクリストファー・ライアン氏による文明論はまず其の反大衆的価値観、即ち知性主義の賜物ではないかと僕には感ぜられる訳だ。

みんながさうして疑うこと無くやって居る文明と云う御遊戯に対しまさに眞正面から批判か又は疑念を投げかけて居る。

 

 

其のことはまさに高度な知性のみが為せる業なのだ。

でもって僕は今此の本を読んで居てむしろとても愉しいのだ。

 

愉しい?

「進歩」の否定がそんなに愉しいのか?

樂しい。

 

其れもまるで春の目覚めのやうなウズウズする樂しさだ。

お前は何故そんなに反體制者なのだ?

 

いや別に反體制者なのでは無く観念的理想主義者であるだけのことですよ。

其の観念的闘争から進歩への疑念がそも生じて居るので同じ意見に接すると居心地が良いだけのことだ。

 

文明の其の死に至る病の様はもはや事實上隠しおおせぬことだ。

其れも國としての露西亜や中國が悪いと云うことでは無くむしろ文明其のものが病んで居ると云うライアン氏の意見に是非同調して置きたい。

 

 

さて巻頭にて述べられて居るのだがライアン氏の父親はかってとある男性から肝臓の提供を受け今を生きて居るのださうだ。

無論のことながら医療の進歩は人間が長く生きる技術を飛躍的に高めて来た。

 

だからあくまで感性の上からは其の進歩による恩恵を否定する訳にはいかない。

其れでも尚ライアン氏は其の文明による「進歩」の様を懐疑的に見詰めて居られる。

 

 

ー この本は、物語――オリジン・ストーリー――の物語である。文明以前、洞窟の壁にオーカーで絵を描いたり、火を操ったりする前ですら、私たちの祖先は物語に魅せられていた。人類初の発明は今もって最強だ。物語を語る者が世界を創造する。

(クリストファー・ライアン『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』 鍛原多惠子 訳 p22)ー『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』は、絶望ではなく<希望>を見出すために読むべき一冊。【書評・感想】|塩川水秋|noteより

 

むしろ哲學的には其のー抽象性に満ちたー物語を生きることが人間の能力の優れた部分であり且つ危ない面である訳だ。

ー抽象性に満ちたー物語とは所謂文化的な領域なのでもまたある。

 

宗教や哲學また文學を始めとする文化的領域こそが其の抽象的な理念ー観念ーの生みの親であり其の元を辿れば其れは言語により齎される抽象的思考力のことだ。

其の抽象的思考力にはされどかっては限界が常に設定されて居た。

なので其れは危険なものとはなり得ずあくまで地球の物理的な営為と同調して居た訳だ。

 

されどルネサンス以降は其の人間中心の理性主義がより合理的に働き始めた。

人文理性は必ずしも合理的では無いが対置される合理的な理性ー科学的理性ーが其れを凌ぎ其れも加速され肥大化して行った訳だ。

つまり其の物語性其のものに問題があるのでは無く物語性が合理化されたことにより大問題が生じて居るのである。

 

 

 人は過去の出来事について物語る。ところが、私たちが語る物語によって実際に起きることが決まる場合がある。物語がパラダイムになるのだ。オリジン・ストーリーは説明するだけでなく、予測し決定するからだ。私たちがどこから来たかを示す地図によって、今後どこに行くかが決まる。(p23)『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』は、絶望ではなく<希望>を見出すために読むべき一冊。【書評・感想】|塩川水秋|noteより

 

其の抽象的物語が合理化されるに及び文明に取り大事な価値は過去の體験では無く予測として須らく決定されて行くこととなる。

今ならばさしずめAIが予測して呉れる訳である。

 

實際に現在の物価高騰や政情不安などは地球の物資が具體的に不足し引き起こされて居るのでは無く社會的に齎された予測への不安が引き起こして居ることだ。

つまりは其れは具象的な危機であること以上に抽象的な危機なのだ。

其の合理化としての抽象的な物語がバランスを欠き具象性を圧迫し始めたのだとも言えやう。

 

 

ー私たちはみな自分たちが何者で、どこから来たかについて、次のように教えられた。


 先史時代、人類の祖先は飢え、病気、捕食者、隣人との戦いに明け暮れていた。もっとも強く、賢く、冷酷な者だけが、自分の遺伝子を未来に残すことができた。しかも、こうした幸福な者たちさえ、三五年ほどしか生きられなかった。ところが一万年ほど前、名前すら残していない天才が農耕を発明し、人類を野獣のような暮らしから豊かな文明、余暇、洗練、充足へ導いた。以来、ときおり小休止はあったものの状況は良くなる一方だった。(p23)ー『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』は、絶望ではなく<希望>を見出すために読むべき一冊。【書評・感想】|塩川水秋|noteより

 

我我は文明を築くことで「幸福な人間として生きる為の物語」を約五千年にも亘り紡いで来た。

文明は飢えと病気を放逐しさらに余暇を与え文化的洗練度を増し其れなりの満足を与えはした。

其れは獣共にはついぞし得ぬ文化的事業である。

 

だが其の陰では大量殺戮を生み富の偏在を許し管理化されし想定社會により生きて居る實感を奪い去った。

我が理解では文化とは其の分裂を許す物語其のものだ。

 

文化は抽象物であり故に安定はして居るが具象的な破壊や限定には極めて弱い。

 

 

ー道に迷ったら一歩戻るのが正しいのかもしれない。毎日のように大勢の人が、文明の神話が喧伝する生き方が孤独、混乱、不安、絶望につながる、という結論に達している。現代の暮らしのほぼあらゆる側面が再検討を必要としていて、私たちは祖先が暮らした環境に全般的なヒントを求める。自然分娩、動物の放し飼い、人工肉、有機栽培の果物や野菜、水平的な企業組織、シェアエコノミー、ノンバイナリーなセクシャリティと柔軟な人間関係、LGBTQの権利、ミニマリストのシェルターやパーソナルファイナンス、補完医療、幻覚剤を用いた精神療法……増えつつあるこれらのトレンドと似たような傾向は、古の世界の法則だった。(p251)

この本では、家畜化される前の人類の暮らしを理解することで、出産、子育て、仕事、お金との関係、幻覚剤を用いる精神療法、死との向き合い方のヒントが多数得られることを見てきた。こうした法則にかんする本やドキュメンタリー映画が毎年数十も世に出て、住みたい家、健康の維持や回復の方法、資産管理にかんする人びとの考えを変えつつある。(p251)ー『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』は、絶望ではなく<希望>を見出すために読むべき一冊。【書評・感想】|塩川水秋|noteより

 

現代文明、其れも21世紀の文明に取り致命的なのが本来具象的なものである筈の生活を抽象化して仕舞って居ることだ。

また環境破壊や地球温暖化の問題なども其の抽象的進歩が引き起こしたものなのだらう。

 


其の抽象的価値即ち妄想的価値としての進歩こそが具體性としての物理量を超えて仕舞うが故に破壊が引き起こされる。

即ち其の侭に「進歩」の物語に踊らされて居ればむしろさうする程に具體的に破壊を生み出して行かざるを得ぬことだらう。

 

 

ー 読者の中には、私が非現実的なノスタルジアに浸り、持説に合う証拠だけを選り好みしていると非難する人もいるだろう。それは私にも理解できる。驚くまでもないが、文明以前の人の生活にかんする肯定的な意見を言下に否定するのはたいてい文明人だ。人間の本質にかかわる議論は、とかく都合の良い証拠の集まりになる。この本がそうした自己満足の深みにはまらないようにするため、巻末に豊富な資料と参考文献を収めておいた。(p36)


黄金時代の神話は世界各地に広く見られるし、誕生してもない人類の無知ゆえの無邪気さに対する心理的な憧れに支えられている部分もあるに違いない。しかし、だからと言って、過去をより正確に理解することで現代を批判的に調べる必要性が否定されるわけではない。進歩の概念は普遍的に見られるが、時を経るにつれて物事は良くなりつづけるという確かな証拠はない。それに、進歩を妄信する心理的な動機は、ノスタルジアに浸りたいという衝動と同じくらい明らかに間違っている。(p36)ー『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』は、絶望ではなく<希望>を見出すために読むべき一冊。【書評・感想】|塩川水秋|noteより

 

其の「物語」でもってむしろ壱番バランスが取れて居たのが前近代的な価値観によるものだった。

前近代即ち合理化される以前の人間の生活はもっともっと人間に取り等身大でもって精神的な余裕のあるものだった。

 

すると文明、特に近代文明其れ自體が悪なのですか?

ま、逆にかうして世界をディストピア化し始めたのであるから矢張り其の本質は悪なのであらう。

 

特に最も危ないのは現代人に対する洗脳の度が酷いことだ。

即ち進歩が齎す価値をすでに盲信して居る訳だ。ーさうしてすでに家畜化されて居るー

 

 

ー「私たちの祖先の社会、身体、心理にかかわる基本的な原理」

徹底した平等主義と共有」・・・「互恵が基本であり、人に隠れて食べ物をため込むなどの利己的な行為は許されない。」

移動性/合流と分裂」・・・「集団は頻繁に合流や分裂を繰り返すので、争いが起こりそうなときや周囲の人的環境を変えたいときには、いつでも近くの集団に移ることができる。」

感謝」・・・「採集社会では、人びとは自分を豊かな環境と善意ある霊的世界に恵まれた幸福者と考えがちだ。土地が必要な物すべてを与えてくれるのだから。」

(p33より一部抜粋)ー『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』は、絶望ではなく<希望>を見出すために読むべき一冊。【書評・感想】|塩川水秋|noteより

逆に申せば此れ等の価値から我我文明人は隔てられて居る訳だ。

曰く、

平等と共有。

だが今あるのは不平等と占有のみだ。

 

移動性。

平等では無く國ごとにヒエラルキー化して居り移動などは出来ない。

 

感謝。

自然は豊かであってこそ感謝出来る。

心も豊かであってこそ感謝出来る。

 

 

自然をブチ壊ししかも心の貧しい現代人は基本的に何に対しても感謝など出来ぬ。

左様にそも文明の価値、其の根本での価値命題にこそ誤りがあるので文明は次第にオカシクなって行かざるを得ぬ。

 

じゃあ例えば山の中の壱軒家でもって文明を否定しつつ生きるのですか?

確かに其のことが最も望ましい生き方だらう。

 

だが其れは大金を持って居ないと無理なのだ。

だからね、むしろ過去を見詰めるのさ。

 

過去を見詰めてみたところ、意外と縄文人は自由だった。

勿論寿命は短かったにせよ其れこそケモノ並に自由だった。

 

 

とは言えケモノは本質的に不自由なのだ。

彼等はつまるところ本能の奴隷である。

 

♀と食い物にはすぐに飛び付く其のドレイなのだ。

だが今人間がやって居ることで最もオカシイことは人間の分際でもまさに其の本能としてのドレイをやって仕舞って居ることだ。

 

だが其れでは折角の知能の高さが泣くぞ。

お前達はそも利口だと云うのにそんなおバカばかりをやり其れではまるで幼稚園児よりも酷い御遊戯の仕方ではないか。

 

お前達はもう👽にでもおなり!

其れにもう宇宙の藻屑にでもなってお仕舞い!

 

おあずけ!

 

文明を今すぐに止めよ!

 

進歩反対!合理化反対!

 

 

其れと此の本にはグールドだのジャレド・ダイアモンドだのロナルド・ライトだのと云う此れ迄に我が注目して来た人人の思想に就いての言及がある。

 

其れとひとつ面白いことが書かれて居て其れはライアン氏がかって見たと云う「世界で最も悲しい動物園」に就いての記述である。

インドネシアにて陰気なコンクリート製の檻に入れられた数頭のオランウータンが錆びた鉄の柵の奥からこちらへと手を伸ばしたのださうだが其の時の彼等の悲し気な目を忘れられないのだと云う。

 

動植物園の類が好きなわたくしにも其れに近い経験が何度もある。

だが植物に関しては別に可哀想なのでは無い。

動物の方は🐒でもタヌキでも🐦でも何でも兎に角檻の中は可哀想だ。

 

ですが正直最近實は我我文明人こそが文明と云う檻に入れられた動物人間其のものではないかとさう思う。

嗚呼、其のドーブツ人間共。

 

さてもアナタは己がドーブツ人間では無いことを果たして証明出来ませうや?

でも僕はかうしてドーブツなのでは金輪際無い。

 

意外とケモノ臭い我ですがかうして常に理性的に考えて居るのでまさかドーブツ其のものでは無い訳だ。