Wikipedia-吉田松陰ー思想
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0#.E6.80.9D.E6.83.B3
其処でネット上で少し調べてみたところ、尊王攘夷の思想とは云っても松下村塾の「攘夷」思想はかなりに特殊なもののように思われた。
つまるところ其れは「開国的攘夷論」であると書かれて居る人も居られそう云われれば確かにその通りであるように思われて来るのです。
事実後の明治新政府に於いて松下村塾出身者の何人かが政府の中心人物として活躍した為、松陰の思想は後の日本のアジア進出の対外政策に大きな影響を与えていったのです。
最終的には国家という枠組みは是非否定されるべきだろうとそう考えて居ります。
ただし、日本という土地、郷土の場が消えて無くなって仕舞ったり他国から侵略されたりすることを決して由とはして居ないつもりです。
だから其の点では私はむしろナショナリストなのです。
ですから国家への忠誠や愛ではなくして、共同体への忠誠や愛で十分であるとそう考えるのです。
そして其の小さいナショナリズムの範囲を世界中にー逆にー拡大していくのです。
戦が起こっても必然的に規模が小さいものとなる為、戦後の回復が容易となります。
この様に人類の活動は其の規模を小さくしていった方がより纏まり易くより多様でリスクの小さいものとなることだろう。
近代の猪突猛進型の発展はもう沢山なのでもっとスローにしかももっと小さく進んでいくべきなのです。
ー其のカメの価値を知らぬ愚かな人たちよ。
ちなみにウサギはカメを追い越して、其の様やまさに誰が見ても優秀だったのですが本当は馬鹿だったので結局はカメさんに負けて仕舞いました。
などという理想論をもう長く私は展開して来て居りますが、一般人でこの思想の真に意味するところを理解した人はまだ一人も出て来て居りません。
ー職場などで屡こうした論議をして参りましたが所詮は机上の空論だと思われて居たようです。其れでこの論を展開したことで尊敬されたことは一度もなくむしろ馬鹿にされ続けて来て居りますね。ー
近代という時代は、其れを一言で評せばまさにバランスを欠いた時代である。
人間は元来欲望のカタマリなので、所謂自己中に陥るとバランスなど取れよう筈もなく欲望の成就のみを目指し無限に突き進む。
自己中に陥ると、どうしても其の欲望の調節が出来なくなる。
第一京都の寺社などに油を撒いて回って平気で居る感覚の人間が増えて来て居るというのに、其れで一体何の調節なのだろうか。
つまりは煩悩まみれのアホ。アホだらけの巨大な群れだけが其処に存して居る。
吉田 松陰は確かに開国的攘夷主義者だったことだろう。
何故なら其の後も列強による侵略を許さず日本を保存したのは開国による近代化の力によるものにほかならない。
と言えばまるで右翼のようなもの言いですが、右や左は関係なく地域性や文化は是非保存されて居なければならないのだ。
松陰の思想とは或はまずこの日本の地域性や文化の保存を目したものではなかったろうか。
ー尚、私の場合はむしろ鎖国政策による幕藩体制を高く評価して来て居る。先に述べた小国寡民の統治システムはこの幕藩体制のよう なものなのだ。其れをむしろ世界中に拡げていこうというのが共同体主義者としての私の考え方の基底にはある。つまり幕藩体制の継続の方がむしろ本当の意味での日本の安定と幸福の継続だったのではなかったかとそう考えても居る。然し現実的には其れが不可能だったので松陰の思想も其の時点に於いては正しいとして見ざるを得ないのである。ー
現在の世界情勢の問題は、即欧米諸国による近代化の問題へと収斂していく。
世界が近代化すれば、其処での諸の限界は目に見えて居るのだ。
其処では自身が自然からの産物であるという事実を忘れ、母である自然自体を壊し、収奪の限りを尽くして居る。
ー逮捕だ、逮捕。本当は其処で人類みな逮捕なんだ。
そうだよ、お前たちこそは皆犯罪者なのだよ。ー
でも松陰先生は右の人なりに闘って居たのだ。
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし