目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

相変わらずの自己矛盾性の拡大

横浜市、退職金返還請求も 児童ポルノ容疑の元中学校長-朝日新聞デジタル
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150408-00000054-asahi-soci

元中学校長「1万2千人超買春」 児童ポルノ容疑で逮捕-朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASH483275H48ULOB001.html?ref=yahoo


中学校長を懲戒免職=女性教諭にわいせつ行為―千葉県教委-exiteニュース
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20150406/Jiji_20150406X316.html


世はまさに嘆かわしい時代となった。

昔ー昔というのは私が若かった三十年、四十年位前のことを云うーは考えられなかった事件や事故、紛争や戦争などが次々と起こる。


そうした現象の裏にはある大問題が横たわって居ることだろうと私は睨んでいる。

其れは一言で云うと人類の精神性の崩壊の問題である。


所謂お堅い職種の人や地位のある人なら其の精神性の根が大丈夫かと云えば其れは昔からそうではないのである。

むしろ個々人の精神の保ち方の方にこそ其の精神の根の在不在の基準点がある。

だが私が今問題として捉え考えるのはあくまで社会的な問題の方である。


人間の精神は其の多くを社会から規定され、また人間の行動も多くを社会から規定されて居るのだから。

そういう大きい問題の方で、現代の価値観、精神の在り方に異常が生じ始めて来て居ると私は捉えて来て居る。


其処は誰しも少し考えてみれば分かる筈なのである。

昔だってそれこそこんな事件の一つや二つはあった筈だったのだし、戦争といったってつい七十年程前までは始終戦争をして居たのだしで今よりは余程に滅茶苦茶である。

でもこんなにバカバカしいような、或いは目を疑うような、まさに空いた口が塞がらないというようなタイプの事件は少なかったように思う。


ーたとえば戦争は目的があって皆で必死に人殺しをして居るのであるから、これ、実は至極まともな行為である。其の行為自体は異常でもなんでもない。ただ其の行為を決定づけて居る国家という枠組みの意思決定が異常になって居るだけなのである。-



私は其の差異の部分がそのまま現代という時代の異常性の本質を指し示して居るのではないかと思うのである。

即ち本質的な価値、其処に当然にあってしかるべき価値の解体と無力化ー無価値化ーである。


一言で云えば、其処で本質的な価値の解体現象が始まって居るということである。

普通人間は規範意識や道義性などに基づきそれぞれに精神を規定されて居る。

其の道義性というのは道徳や倫理観や宗教やといったより上位の精神に関する概念でつくられて居るものの筈だ。


元より其れは個の単位や家族、親族の単位といった狭い範囲での考えでもってして規定されるべきものではないのである。ーエゴの範囲でもって規定されるべきものではないー

然し現代に於いては時代が下るにつれ其の規定が曖昧になるか壊れてゆき、逆に狭い範囲での規定を自らの信条として掲げることが増えて来て居る。

つまりエゴイズムに基づく自己規定をそれぞれに現代人は行って居るということになる。


そして其のエゴイズムに基づく自己規定からは、もはや誰も逃れなれない。

と云うことにもなろうかと思う。


だから私自身も其処からは逃れなれないのであるし、勿論貴方だって其処からは逃れなれない。

ただ私は自分の目に映じる事のすべてを語らなければならないという意欲のようなものに駆られてこうして時代そのものを論じていくほかはないのである。


明らかに其れを見る。

そして考える。


どうしたら良いのかということを一応は考えてみる。

どうにもならないことであろうことが分かって居るにしてもだ、一応は考えてみる。


そういうことである。




さて、其の本質的な価値の解体現象は社会制度や生活のあらゆる部分に入り込み加速されていくことになるだろう。

其れをもっと感覚的に表現すれば、色んなことが悪循環となり結局ちっとも良くなっていかないということになるだろう。


例Ⅰー三十年後には核家族に代わって単身世帯がスタンダードな生活のスタイルとなるー

所謂繋がりたい人間が多い割には逆に人間は孤立化して生きていかざるを得なくなる。孤立化すると人間は不安定となり其の結果社会はより不安定化していくことになる。
もっとも私のような自称詩人も元々物凄く不安定なのでむしろ安定化する方を常に望んで居るのであるが、作家は作家で物言えば云うほどに作家としては立派になれるが現実としてはだんだん生きにくくなっていくという矛盾性を抱えて生きて居ることだろう。


其れであえて現実化して暫く年上の人を口説いて居たが其れもなかなか上手くいかないのでまた此処へ戻って来た。


そんな風に誰しもなかなか大変である。

ーだからあくまで詩人や作家が其の自己矛盾性から逃れられて居るという訳ではないー


例Ⅱー今公園では五割程の割合で球技ー球遊びーをすることが禁止されて居るー

健全な球遊びや野山での遊びを禁止し、つまりは子供をスマホ浸け、PC浸けにすることで人間の精神の健全な発達を阻害するようなことをわざわざして居る。其れもかなりに喜んで其れをして居る。つまりは全的にアホな世の中だ。

我々は野山で遊ぶことでむしろ学校では教わらない素晴らしいことー本質的な価値ーを色々と学んだものであったが、哀れな現代っ子は周りに野山は無く球技もできず従って本質が何から何まで無いのに周りにはエロ動画やら早熟女子やらゲーム類やらと誘惑が実に多く全くひどい状況である。

これぞまさに悪循環でもってして自己矛盾性に満ちた現代の教育の実相である。


例Ⅲー女性の元気な今ー

多くの宗教が何故女性を縛ろうとして来たのかということにつき今一度考えてみる必要があり。

女性は元来自己矛盾性ーエゴイズムの発現過程ーが強く発現した生物である。

よって女性が元気な社会となると逆に社会は不安定化し矛盾性が色濃く社会に蔓延して来る。

第一今離婚、離婚といって浮かれ騒いで居る芸能人は一体何様のつもりなのだろうか。

男性を尊敬し掃除洗濯に勤しみ良い子を産み其の子を健全に育て上げ安定した家庭をつくるのが女の務めであるというのに之は一体如何なることであるか。

そう、女性がそのような枠に嵌って居る方が逆に社会は安定化する。女性が元気にー自由にーなればなるほど逆に社会は不安定化しかつ相対的に男性の力が減じられ未来が先細りになる。


イスラム教はーあのイスラム国に限らずー女性に厳しいが実は仏教でも女性には極めて厳しい。

仏教で女性に甘いのはダイジェスト版の仏教である大乗仏教の方だけで、釈尊はむしろ女性には極めて厳しい考え方を持って居られたようだ。

ー初期の経典にはそのような釈迦の考え方が垣間見える部分が多く存して居るー


女性が元気過ぎる今は、即社会が不安定な方向へ向いて動いて居るということを如実に示して居ることだろう。

近代以前に成立して居た人類の男性優位の社会は実は元々弱い生物である男性を持ち上げ元々強い生物である女性を縛ることでバランスを取った社会の在り方だった。

其れがいつから、一体いつからこんなんなっちまったんだ。

即ち女性は弱い→レデーファースト、という思想こそは誤りである。


正しくは、

男性は弱い→だからなるべく持ち上げて自信をつけさせ世を動かす、という思想の方がより望ましい。


間違った思想でもって長くやっていくと次第に自己矛盾性は拡大しやがては身動きが取れぬ程に社会が壊れて来る。ーバランスが取れなくなって来て仕舞うー

だから一応はそうなった時に私はどうすべきかということを誰しも考えておくべきなのである。