目覚めよ!

文明批判と心の探求と

内在する理性の推進は精神の崩壊に繋がる


勿論、前近代にも社会に矛盾は生じて居りました。

結局人間が生きると云うことは矛盾そのものでしょうからもはや遥か昔から人間は矛盾だらけです。

ですが其の矛盾のスケールはどうも小さかったもののようです。


今のやうにバカでかい矛盾ではないのでまだしも生き抜いて来られた訳だ。

でも現在は可成にヤバくなって来て居る。


矛盾のスケールが兎に角大きいので予測すらつかない状態である。

其の巨大化こそはおそらく科学万能主義が齎したものである。



だが確かに科学は凄い。

科学のお蔭で人間は逆に予測可能な未来を手に入れた。

全てを合理的に管理することで一カ月後の、または一年後の、或いは十年後の明日を予知するやうにさえなった。



ただし其処に自然の猛威による改変が加わるとそれだけでもう人間は何も分からなくなって仕舞う。

未来どころか現状の把握でさえ覚束なくなる。



ここからしても理性と云うものはどうも自然には歯が立たない。

と云う事は理性とは自然とはかけ離れたものなのでしょうか?


理性と云ふものはどうも人工楽園であり謂わば人間の内なる理想のやうなものである。

尤も人間の理性に限ればどうもそうだと云うことですね。

対して自然の理性とはあくまで彼等にとっての外側の理性です。




其処の違いがどうも大きいのではなかろうか。

内在する理性と外在した理性の在り方の差が、必然としての其の本質的差異が破壊と継続の分かれ目であり男性的だとか女性的だとかの性格の違いなのかもしれない。



ところが人間もかっては其の外側からの理性の規定を否応なく受けて居た筈だった。

神が或は非合理的合理領域が其の部分を受け持って居られた筈。



そして其れは其れで良かったのです。

神にせよ仏にせよ、或いは非計画性にせよ、そうしたものにマイナスの規定を否応なく為されて人間は謙虚さを持たざるを得なかった。



然し近代とはそうした非合理的合理領域を消滅させた後に成立させる内的な合理過程のことである。


ゆえに非合理的合理領域は現在自然及び肉体にのみ存して居る。



と云う事は、都会でも田舎でも人間はある種の計画性の内側に生きて居て自然を生きて居る訳では元よりない。

つまりは理性の範囲内のみに限定し自らを生きて居るのだ。

其の様や脱自然と云うべきか或は反自然と云うべきか、兎に角自然として規定されるべきところを断ち切って謂わば新たな道を、新たな生き方を自ら好んでして居る訳である。




けれど其れも段々酷くなることなのであってたとへば前世紀には其れが人間を圧迫する程のものではなかった。

いや、矢張り圧迫はして居た。

たとへば核兵器ひとつを取ってもまさにそうだ。



理性の範囲内のみに限定し自らを生きると云う事は、其の内在的理性に世界を委ねて仕舞うと云う事だ。

即ち我我の住する世界とは其の内在的理性そのものと化して居る。



従って我我の外部に今世界は無いのである。

外部に拡がる筈の自然でさえ、其の内在的理性のフィルターを通して認識されたものでしかない。



そうした意味では近代以降自然は二重に破壊されて居るのである。

ひとつは前近代までの物理的破壊過程であり、近代以降は其処にさらに観念的な意味での破壊課程が生じていよう。



ところが原始退行化した合理化領域は逆に理性的展開を放棄しまさに本能領域へとなだれこんでいく。

すると、理性による破壊の為の破壊ではなくなった自然は突如として人間の内部で牙を剥き人間の精神そのものを蝕んでいくのである。



と云う何やらややこしい原理にて人間の精神は蝕まれていくと云うのがわたくしの考えの上での論旨である。


尚此処で問題なのは其れが戦争や貧困、環境破壊と云った外的な要因ではないと云うことだ。


あくまで内部崩壊であり即ち内的な秩序の崩壊であり堕落であり滅亡なのである。

まあ兎に角恐い、酷く恐い。



其処はちと言い過ぎだったのやもしれぬ。

しかしながらどうにもこうにも、最近何やら此の考えがほんたうのことになりつつあるやうな気がしてならない。



どだい一体何でこうも現代人は頭おかしくなりつつあるのでせうか?

どうも変だ、おかし過ぎる。


第一仮想通貨ってあれは一体何だ?

一体誰があんなものを流行らせて居るのでしょうね。


何だかもう変なことばかりが起きて居る様な気が致しますか或はわたくしの気のせいなのでしょうか?



いずれにせよ其の変なのは自然と縁を切り内在的理性ー内的合理性ーを生き始めた人間にとっての必然としての歴史過程であろうことはまず間違いないことだろう。

内在的な理性は外在的な理性に比して絶対化し易く反面外在的な理性を相対化して仕舞う癖があるやうにも見受けられる。

よって現代の理性は外在的には元より存在せず謂わば想定内での内部宇宙をのみ、理性によるより限定されし範囲の現実のみをぐるぐると回って居るに過ぎない。


謂わば堂々巡りをしているだけのことなのだ。



然し其れが昂ずればやがて自然との乖離が決定的となり人間の精神世界が極限まで狭められていきやがては其れが崩壊する。



うーむ、一体どうなるのか、予想だにつきませんが少なくとも其の内的崩壊こそが外的崩壊よりもずっと危惧されるべきことです。

ですのでわたくしはこれまで此処で人間の精神を問うて来て居たのです。

精神とは一体何なのでしょうか?



うーん、そうですねえ。

拘り、ですかねえ。

何に対してかと言えば其の精神自体に対する拘りのやうなものなんでしょう。


人間はだから其処で悪あがきをして居りましょう、其れも常に。

犬や猫よりは確実に悪あがきでしょうな。

虫や細菌よりも明らかに悪あがきです。


神様はそんな様をご覧になって矢張りお怒りになられて居るのではないだろうか。

また仏様はどんな風に思われるのだろうか。

いえきっと笑って見ておいでなのでしょう。


ばーか、バカバカ此の馬鹿等めが。

莫迦が進んで宇宙一の理性ばかになる。

其の様を慈悲の心でもってしかと見据えておいでで御座いましょう。