目覚めよ!

文明批判と心の探求と

抽象的でかつ具象的な矛盾ー経済学ーへの批判

其の科学的な思考でもって現実を規定すべきではないと云うのが私の考え方です。


即ち合理化されればされる程に人間は生きにくくなり追い詰められていく。


第一都市部ではもはや心を慰めて呉れるやうな自然が残されて居ない。



そしてさういうのは次第に人心の荒廃を加速させていくことであらう。


逆に非常に合理的に述べれば文明社会の崩壊は必然としての合理過程である。


つまり合理的に極めて合理的に文明は滅びの坂を転げ落ちていく。



まああくまで其れも合理的な帰結である。


物心両面に於いて其の合理化が極限まで突き詰められていくと云う事だ。



理性はさういうのをもはや食い止められぬ訳だ。


理性だと言って居るものがほんたうの意味での理性ではないので其処はどうにもならない。



だが近代はコレが理性だと云うのだが其れの何処がほんたうの理性なんだ?


そんなものは幼稚園児でも分かる筈だと云うのに分からないのはいつしか人間の眼が曇りカタワになって居るから己の真の姿を見通せないのだ。



全部がさうだ。


まさに幼稚園児から年寄りまで馬鹿ばっかりなので何一つ分からない。



どだい現象することが罪だなんて、君等に分かる筈もなくと云う事は人間は兎に角感度が鈍い。


逆に感度が鋭いと自然と此の世には居られなくなって来るので鈍感=大衆的感覚=無明=罪であり其の罪が際限なく膨らんでいき此の世は生き地獄にしかなり得ない。



物質的には精神は規定され得ないのでさうした渇望、即ち得られれば得られる程に乾く欲望の疼きのやうなものに苛まれ時の変化と共に文明は悪魔化して行かざるを得ない。



経済なんてそんなもので人間の心を圧迫してはいけないのだしまたあらゆる合理領域で其れをなして居てはいけない。



経済とはあくまで合理性の追求であり人間の自然化即ち法則化のことである。



然し自然界に金などない。



ところが場所により山奥の川などで振るいがけをすると金の小片が得られたりする。


だがコレは元より経済的な産物ではない。


其は自然としての合理化の産物なれど社会的な意味での虚の力には欠けていやう。


対して人間の営為としての金は自己増殖し屡人間の心を追い詰める虚の力そのもののことだ。



経済学が引き起こした二つの大罪

   



其の経済合理性も性的合理性も全てが同根、同じ合理化と云う病から齎されしものだ。


合理化即ち合理性の追求の部分には精神の領域がそも欠けて御座る。


其処では心の領域がそも欠けて居るのである。



心の領域で×な奴が其処で幾ら儲けても其の儲けなど一文の価値にもならない。


其処にはそも価値観の相違があらうからあくまで心としての価値観の領域からすれば其れは×だ。



また援助交際をして居るやうな心の腐った女子学生も最終的には心が腐って居るから地獄へ堕ちる。



或いは高ストレスにより苦し紛れに淫行や不倫へ走った教師や医師なども皆心が腐って居るから地獄へ堕ちる。


そのやうに性根の悪い奴は皆地獄へ堕ちる。



ところが君等のやうにここでかうして善智識と出あって居る人々は心が救われ間違いなく天国で救われる。


または極楽浄土へ行くことが出来やう。



其のやうに此処こそは精神の修練の場であり天国への階段を一歩一歩登って行く救済の場のことでもある。


さう此処そのものが合理主義の魔手から汚れなき心を救う宗教の場となって居やう。



されど救い、其れは仏教やキリスト教のみが担うものではない。



わたくしは今反合理主義者としての狼煙を上げ同時に合理化により毒された大衆共の心のあり方を救う。



おお我こそは救世主なり。


などとは無論のこと言わぬがもはやどうにも君等を助けたくなって来たことも事実だ。



何?其の前に自分を救えとな?


馬鹿者!


知恵者に向かって何と云ふ口のききやうだ!



だから何遍も言って居るやうにわたくしはわたくしだけは地獄には堕ちない。


何故ならもはや充分に地獄へ堕ちても来て居るからだ。



其の聖なる地獄のわたくしが現代文明はアカンと云うて居る。


経済学は悪魔だと云うて居る。



経済学の過ちは其れ即ち金に心を売ったこと、つまりは金の為に大事な貞操観念を売り渡したことに尽きて居る。


即ち強欲、其の心なき欲望の流れ、其のドス黒くさうして腐ったものの中に好んで頭を突っ込みいや全身を浸し其の汚れた金の為だけに其の欲望の檻の為だけに全てを賭け全てをかなぐり捨て邁進して来た。



其のやうな強欲が経済学がバカデカルトの合理主義と結びつきおお巨大なる虚のマネーを、キャピタリズムの強欲の果ての大矛盾と悪徳の栄えと破戒の数々を齎す。


おまへらバカホモサピエンスがなぜになぜにこうまで強欲で、しかも女が好きでしかも女の尻ばかりを追うのが好きでしかもおまけに金が好き。



あれ最終的にはどう考えても女の業と金が結びつく、どうしてもどうしてもたとへ悪女には非ずとも女共は皆金の亡者で欲の権化で等しく地獄へ堕ちる才覚の持ち主だ。



左様に経済学の悪は全て其の女の業へと還元されやう。


嗚呼かような文明の悪逆振り、文明の根性の悪さそして無知無明、其のやうな罪、まさに罪、罪としての無明、其の盲目的な意志、生きんが為の意志、邪な其の意志こそが悪魔としての女の正体だ!



はー、矢張りと云うべきか女こそが其の悪魔の正体じゃった。


経済学とは其れ即ちレデーファースト主義の別名のことじゃ。



さーて、ではたった今から経済合理主義を否定していくことにしてみたい。


あれ、然し其の否定が何故か出来ない。



まずわたくしは今炭酸水が猛烈に飲みたい。


其れでアマゾンで炭酸水を買おうと思って居るのであるが実はクレジットカードの期限が迫って居りしかもカードがMUFGカードへと移行される為大丈夫か?などとも思って居る。



いまや左様に一人の人間の生存要件を実質的に支えるのが経済領域である。


其れは生存要件を抽象的に支える訳ではないので具象的価値なのである。



ところが経済システム自体は抽象的に組み上げられることで其れが成り立って居る。


しかも其れが巨大化する一途を辿る。


どうも此の具象性と抽象性の間に横たわるものの雲行きが怪しいのではないかとわたくしは見て居る。




どだいわたくしは今でも高い萬年筆を買う。


すると其れは欲望と云う抽象性に対して具象化された欲望である訳だ。


此の具象性と抽象性の入り組み方が不純だと云うか節操が無いと云うか兎に角嫌な感じだ。



無論金など無い方が人間はより潔癖になれやう。


其の潔癖と云うのは天国への階段のことなのだ。



だから金に無縁でしかも女にも無縁な人間だけが天国かまたは極楽浄土へ救われて行くことが出来やう。



尚、生とは一言で言うとさうした悪魔との闘いとしての心理的な過程のことだ。


個々はそれぞれに悪魔との距離を設定され其の範囲を生きるやうに出来て居る。



悪魔とは距離が遠い人もあれば女のやうに元々自分が悪魔だったと云う悪い生まれの人もある。


では経済学者は悪魔か?


無論其の通りで悪魔じゃ。



生とは其の悪との距離を変化させる為の心的過程である。



だからわたくしのやうに善人でそして利口でしかも作家、と云う偉い人に限ってむしろいつも謙虚である。


いや、決して謙虚ではなかった。


むしろ言いたい放題であった。



しかもほとんどのものを悪魔化しても御座る。


でも悪魔は悪魔なんだからそこはしょうがないぞよ!



あくまで悪魔は悪魔で決して善人でも真面目でもないぞよ。


さて悪魔とは何だ、何のことだ?


悪魔とは欲望のことだ。


欲望こそが、いや欲望だけが此の世に巣食う悪魔なのだと云って良い。