目覚めよ!

文明批判と心の探求と

人間は自然を破壊するために存在している


科学正論:人間は自然を破壊する(エントロピーを増大する)ために生まれてきた.
科学正論:自然は人間の敵なのか.




『「人間は自然を破壊するためにある」
人間にとっては,人間だけが特別なのである.』以上より引用


コレこそがまさに究極的な知識人としてのご意見なのではないか。


どんな方かは存じませぬがこれぞまさに高度な知性による人間評または文明評なのだと言えやう。




其のエントロピーと云う考え方はかってSF小説などでも屡目にしたものでしたが正直文系人間にとってはなかなか理解が難しいものです。


即ち無秩序的破壊の方向にしか進まぬのが現象としての常で秩序的建設がそも其処では無理だと云う事を述べられて居るのだらう。


其処で文明はいや、我我は其の秩序的建設に邁進して来たとか何とか云うのでせうが其れは本質的には妄言であり嘘の類にしかならない。



何故なら其のエントロピー増大への方向性は善でも悪でもない此の世を律する性質自体のことだから変えようがないとの仰せなのです。



するともはやどうにもならない訳ですね。


夢だの希望だのそんな生易しいことではなく人間自身が矢張りと云うべきか破壊者そのものだったのだ。



其のやうな認識に立つことこそが正しくありのままに世の中を眺めると云う事だ。


これぞ宗教的次元とは別にまさに科学的に人間を規定する認識なのではないか。



科学が人間を幸福へ導くだの、社会=文明が人間を愛して居ますだの、アナタが好きだ末永く共に暮らそう、なんて言い草はもはや其処には通じぬ。



社会=文明は大衆的人間の飼育により搾り取るところでの余剰の価値で支配者層の富と云うか実存的価値を高めやうとして躍起なのです。


が、むしろ其れは破壊、其れも全的破壊への道の推進そのものである。


大衆は其の全的破壊の片棒を担がされて居るにも関わらず如何せん鈍感なので社会の仕出かして居る罪の内容には気付けない。



其れも永遠に気付けはしない。


気付いたのはゴッホとかゴーギャンとか、また或はジョン・レノンとかボウイ様とかまたはタゴールをはじめとする多くの詩人やマックス・ヴェーバー、そしてガンジーやキリストや釈迦だけなのだった。




ですから、其れは、まさにむしろ法則なのである。


或いは大自然の摂理なのやもしれぬ。



仰るやうに人間の良心だの、道徳だの倫理だの、もはやさうした精神性の問題ではないと云う事なのかもしれない。


だから何故宗教は破壊を食い止めることが出来ないのであらう。



また何故子宮思考は生命を尊重出来ないのであらう。


おそらくは其の目的自体がさういうことではないからですな。




利己性が局所的な, 他利性が大域的なエントロピーの増大(自然の破壊)に相当している. 大域的なエントロピーを増大するために, 散逸過程の中に低いエントロピーの部分ができれば, それを増大させる散逸過程が生じる. 大域的に増大するためにはマイナスであるのにもかかわらず, とりあえずエントロピーを増大させようとするという意味で, 局所的ということができるのである. 他利的な遺伝子が,グループ全体のために良い環境を作り出そうとすると, グループ全体のためにはマイナスであるにもかかわらず, そのグループの中では有利になる利己的遺伝子が現れるのである. 逆に言えば, 利己性と他利性の問題は,局所性と大域性の問題なのである. 以上より引用



面白いです。

利己性が局所的なエントロピーの増大(自然の破壊)を担当するのであれば、母胎と云うのはむしろ其の局所的な破壊の履行者なのではないか。


さらに利他性は大域的な破壊を齎すものであるとも。


そしていずれにせよ破壊のみを齎していくのだ。


よって夢だの愛だのそんなきれいごとではなく破壊者としての法則性のみが人間そのものの正体である。




エントロピー的に考えれば, 大域的・局所的に,「自然を破壊する速度(エントロピー生成速度)を速くする」 ためである. もし,今の人間と同じ評価基準をもつグループと, 別の評価基準を持つグループがあって, 後者の方が大域的・局所的に「自然を破壊する」能力が高いならば, 当然,現在の評価基準をもつグループは負けてしまい, 人間は後者の評価基準をもつことになったのである.
従って,人が「自然を破壊して何になる?」と考える理由も, 様々な競争の結果として, その様に考えることが大域的・局所的に, 「自然を破壊する」ことに適しているからなのである. あえて,この質問に答えるとすれば, 「自然破壊が全ての目的の元となるもので, 君がそう考えることも自然破壊のためだよ.」 でしょうか. 以上より引用



エントロピー的にはむしろ大域的・局所的に「自然を破壊する速度(エントロピー生成速度)を速くする」 為にだけ人間は存在して居ると云う事か。


まさにこれぞ性悪説と云うことだ。


       

人類は自滅だの何だのと云う事よりも先にまず破壊者として存在するのであり其れはむしろ大自然の摂理の上でーエントロピーの増大と云う原理の上でーさうなって居る。


だから自然破壊こそが人類の目的なんだ。


いや、まさに究極としての結論です。



希望も何もない、つまりは元も子もない結論です。



人類は自分だけは善なる存在だ、即ち偉い、しかも利口で天国へ行ける存在だなどと己惚れて居やうが明らかに其れは間違いだ。


わたくしも前回自分は作家で偉い、だから精神を磨き此処から皆で極楽へ行こうなどともつひ述べて仕舞ったのだが明らかに其れは誤りであった。



正しくは我我こそが悪魔そのものだった。


つまり元々悪魔として此処に遣わされて来て居るんだ。


或いは煩悩のカタマリである無明者として今此処に居るのだ。



だから其のままでは破壊者そのものとなると云う事である。


それこそ子宮思考だらうが理智であらうがお構いなしに全部を破壊へと引き摺り込んで行く地獄の過程でありかつ使者なのだ。



だからもう此処まで来るともはや二の句が継げられぬ。


此処まで来るともはやグウの音も出ない。



『繰り返すが,人間は自然を破壊するために存在しているのである. あるいは,大域的・局所的に自然を破壊することができるグループだけが, 生き残っていくのである. 自然を破壊しすぎるとことはいけないが, もう昔にもどることもできない.なぜならば, 戻るグループと進むグループが存在した場合, 戻るグループに未来はないのである. そのようなことを理解して,未来へ進む方向を決めていかないといけない. そうでないと,極大点に捕まってしまうか, 理想主義的で力が無く良くても無視されるだけである. ここで述べたような考えを元にした人間が進むべき方向については, 「そのために,今,力をいれるべき所は国際開発,原子力推進, 生命/情報科学技術の進歩である.」 で述べる予定である. 』以上より引用




してみると人間の未来と云うものはまさに究極としての自己矛盾過程だ。


つまるところ其処ではあらゆる建設がむしろ破壊の為の破壊の過程であり人間の生そのものが嘘であり病気であり間違いそのものとしての現象とならざるを得ない。


まあ其処で色々と言っては居りますがね。


愛だのどうだの、また生命尊重だの人権を尊ぶのだの、揚句に希望だの未来だの何だのと臭い言葉ばかりを述べ立ててさも自分等が偉そうな何かであるやうなことばかり言って来て居りますがね。


実際にはタダの破壊者、其れもそも破壊の為の破壊者としての存在でしかあり得ない訳だ。



なので必然としての破壊過程に勤しむ為にむしろ進歩が必要になる。


其れも勝ち残る為の破壊者としての進歩が必要となる。



最終的には其の進歩の力が自己矛盾化した時点で人類は自滅する。


ですがすでに自滅の五合目程にも来て居るのかもしれない。



此の方が凄いのはもはや過去へは戻れないことを喝破して来ておいでであることだ。


さうだタイムマシンと云うものは矢張りあり得ない。


わたくしは其処を無理にでもタイムマシン化することを考えてみた。



さういうのこそが人文主義の知恵だと考えて居たのである。


だが其の知恵は結局負けるのであらう。




古来より宗教は「大域的・局所的に自然を破壊すること」を厳に戒めて来た。


尚生殖も其の破壊への加担そのもののことだ。



宗教が生殖を抑え込むのは大前提としての破壊を抑え込んで行くと云う目的が存して居たからだ。


其れは其れで人間存在の本質を理解した上での戒めであった。


たとへエントロピー概念に与することがなくともこのやうに宗教は人間の破壊性を正しく理解して居たのだ。



ただしかのオウム教は逆破壊、そんな破壊者としての人類の抹殺を目して居たのだらうから結局破壊者であることには変わりがない。



其の破壊者としての人類の本質にどんな言葉でもって立ち向かうにせよ所詮無意味なことだ。


尚人類の一番の問題は無知にあるのだらうと近頃良く思うやうになった。


無知が生の階梯を己として引っ張り込むので此処にかうして現象化して仕舞う。



無知即ち無明がまさに破壊者としての人間の生を開闢せしめ破壊そのものを生じさせる。


宗教的な智慧はかって其のカラクリを見破って居たがあくまで其れは破壊を止める手立てとはなり得ない。



何故なら宗教もまた破壊の履行者としての一側面を有して居る。


かように破壊とは人間の本質としての側面のことだ。


いや破壊こそが人間そのものなのだ。



破壊は言葉では規定し得ずましてや思惟にて捉え切れない。


破壊とは人間の本性そのもののことだ。



だから人間とは、さて今年もお盆だな、ご先祖様の霊が家に戻って御座るのかな、などと思いつつ実際には魔性としての破壊を、其の自然への飛び切りの蹂躙を止めることなど実は出来ぬ。


如何にも善人ぶって、わたくしは仏教徒ですのよ、オホホホホホーとか言いながら兎に角性悪でもっておまけに淫蕩、しかもバカ即ち無明の域をクルクルクルクル回って居り其の実はおまへらこそが宇宙一の破壊者そのものだ。



其のやうな破壊者にはもはや盆もクソも無い。


出来るだけ早う此の世から去りなさい。


其れが出来ないのであれば、早う進歩しなるべく早う滅べ。



其れが其れだけがせめてもの罪の償いであり佛への帰依の形である。