さて本日はまさに久し振りに家の近所の書店で本を買って参りました。
其の本屋は思想や文學の比較的レヴェルの高いものも扱う本屋であり謂わば昔風で知的な良い本屋です。
ところが最近は入ってもお客さんが居らず其れで三十分程様々な本を立ち読みして必ず何かを買って帰ることにして居る。
要するに其の立ち読み代のつもりで一冊買って来るのである。
尚私はエロ本や漫画本が少ない此の手の真面目な本屋こそが好きです。
しかも広く綺麗な店内だと云うのに何故お客さんが来ないのだろうか。
ーあのアマゾンがあるんで結局今実店舗は何処でもこんなものなのかー
しょうがないので書店の御主人は書店内につくった喫茶店でマスターをされて居るようだ。
尚此処には万年筆や時計の関連の雑誌やムック本も結構置いてあり、例の「趣味の文具箱」などもあるゆえ其れを立ち読み出来ることもまた良いところだ。
其処に養老 孟司さんの印象的なタイトルの本が出て居たので買って参りました。
養老先生の文明論はまさに的を射たものであり素晴らしいと個人的には考えて来て居る。
ただし先生の本はまだ読んでいないのですよ。
今回のが初めて買った本です。
其れで、此の方は非常に頭の良い方なのだろうなとそう思わされました。
TVなどではそんな感じには振る舞って居られないのですが兎に角相当レヴェルの高い思考力をお持ちの方でしょう。
脳化社会の特徴
- 人工空間の成立
- 仮想空間の成立
- 自然の排除
以上より抜粋して引用
今我我は確かに人工の世界のみを生きて居ます。
都市は其の人工物ー理性的規定物ーであり都市化が進むとやがてネット世界や仮想通貨、またはAIなどの仮想的現実が生じ、やがて自然的な秩序を排してより合理的でより計画性のある人工空間を生きるようになる。
とは云え其の脳化領域ー内在的理性領域ーを絶対化することなどは出来ない。
自然的な秩序には大と小の領域があり小の方の自然を排しても大の方の自然はやがて牙を剥く形で文明に迫り来ることでしょう。
然し文明は基本的にそうしたリスクの部分にはひどく弱い。
何故なら都市機能自体が脳化領域にスッポリと包み込まれたものであり想定外のリスクに対し常に備える程の大きさを備えるものではないからだ。
都市と云うものはつまりは非常に狭い内的な合理化世界のことであり、外在的に拡がる理知性を有する自然の大きさに比せばまるでゴミか何かの如き卑小なものである。
だから非常に限定された意味での計画性ー理性による未来の構築ーを成り立たせるものではあるが其れは自然界の法則性とは常に対立的なものでしかない。
近代以降の人間は常に此の脳化されし内在的理性の範囲を生きて来て居た。
また其の内在的理性の範囲を生きるが為に諸の環境に対する破壊を行って来て居る。
内在的な理性の欲するところでの欲望を成就させると云うことは、其処に必然としての環境破壊を生じさせる。
また地球温暖化も文明が内なる理性的欲望に突き動かされ為して来た行為への大きなツケの部分である。
近代主義もまた脳化社会ー内在的理性が主導する社会ーを推進する強力な援護者となって居る。
其処で謂わば人間のみに自由や平等や尊厳を与え人間以外のものには元より其れが無く劣った存在であるとの結論を下した。
要するに人間だけが計画された現在と未来の保持者となり自然はそうした合理性の届かぬ遥か彼方に追いやりそればかりか彼等を蹂躙して来るに及んだ。
非合理性をも内包する非計画的な理性の働きを内在的な理性の敵とみなし攻撃するに及んだのだ!
其処では自然と云うものは、あくまで内在的理性の欲望の成就の為には邪魔者扱いされてしかるべきものなのだ。
何故なら自然を大事にして居たらとてもこんな大文明を、ここまで都市化された人間の社会など望むべくもなかった。
だから自然の破壊と内在的理性の履行との間には顕著な因果関係が存して居り我我がまさに内部の理性を生きることにより其のことが引き起こされて居るのである。
内部の理性を生きること其れこそが即ち合理主義であり合理化社会のことである。
ところが外部の理性を生きること即ち外在的理性の存在を認めかつ非合理的合理性の意義をしかと見据えて居たならばこのやうな問題が生ずることはなかった筈。
だから具体的に云えば都市文明は誤りである可能性が高い。
都市化するにせよ其の規模を小さくして置けば人間の内部の欲望と自然との乖離が最小限に抑えられた筈だった。
高度な情報化による仮想空間、仮想現実の成立もまた内在的理性の欲望の履行そのものである。
仮想空間では自然が必然的に商品化され其れはどんな商品かと云えばズバリ其れは人間若しくは文明にとり役に立つか立たないかと云う基準でもって選別される何かなのだ。
また、長生きしたい、自由でいたい、幸福でいたい、などと云う欲望も内在的な理性が欲して居る欲望そのものである。
このやうに脳化、或いはわたくしの言葉で言えば内在的理性による欲望の履行が自然をぶち壊しまさに神をも畏れぬ蛮行の限りを尽くす現代文明の心の根っこに横たわって居る。
実際自然の排除は何処までも進んで居ることと思われる。
非合理的合理領域を、其の訳の分からぬ不確実な世界を兎に角文明は都市から遠ざけようとして来た。
其の割に確かに人間の中の自然としての寿命は延び様々な病気も克服されつつある。
然し其れはあくまで人為的な欲望の成就の領域である。
即ち其れこそが内在的理性による欲望の履行そのもののことである。
かように今人間はそして文明は自己の内部ー人工空間ーのみを生きるに至った。
我我に見えて居る全ての物事はすでに自己の欲望以外になく其処にどんな自然の浸透も許されずだ。
そればかりかかの非合理的合理領域はもはや遠くの何かとして霞んで仕舞って居る。
あんなに美しく、そして豊かな自然がもはや我我の内側には拡がって居ないのだ。