目覚めよ!

文明批判と心の探求と

うなぎの絶滅位食い止められないで一体何の為の科学か

   
実はわたくしはうなぎが好きです。

実はわたくしは可成に俗物で食欲性欲も人並みにありそうかと言って此処で披歴して居るやうな精神力つまりは至って高尚な部分もあるにはあるが勿論そればかりを追い求め生きている訳ではない。


尚、わたくしはうなぎの皮は食いません。

わたくしは神経質なのでうなぎの皮や鶏の皮の部位が嫌で全部食べ残すことにしている。

そればかりか兎に角魚が余り好きではない。



魚は調理時の臭気が強いので好きでは無くでも刺身や鮨は臭くはないので逆に好きである。

然し其の割に頻繁には食べていない。



鮨は高級スーパーのものを一カ月に二、三度買って来るがむしろ是よりも関亭と云う回転寿司で握って貰い持ち帰るものの方が旨い。

そんな訳で鮨は好きである。

だが其れも幼い頃には体が一切受け付けなかった。


当時の私の変わり方は度を越したものだったので、矢張りどう考えても元々わたくしはまともじゃないのかもしれない。

なので私にとってはむしろ普通のこと、当たり前のこと、まさに当然の如くの日常と云う事に関心がありしかも其処にこそ価値を感じている。


其の凡俗であることこそが何ぞ高級な価値であるかのやうに感ぜられて仕舞うのである。

でも其れはレデーファーストー女の欲望に自らの価値観を合わせると云う意味でのーなのではなく私が普通に感じている現実としての世界の価値観としての欲望が発して居る香気そのものなのだ。



常日頃より多くの欲にまみれし卑しいわたくしは兎に角色んなものを食うし兎に角色んな物を欲しがる。

大抵の場合半年ほどで色んな物が増えるので其処は余程気を付けて断捨離を行わぬともう部屋がグチャグチャになる。




さて、うなぎである。

此のうなぎが今本当にダメなんだそうである。


家の母が花展の方で仕入れて来た情報によると、今はもうウナギは養殖出来ずたとえ高級店でも出されているのは冷凍されていたものだと魚の卸業者がそう宣って居たとのこと。

要するにウナギの子が採れない。

ウナギの子が採れないから養殖など出来ない。

すると、土用の丑の頃には必然的にうな丼が食えなくなろう。



其れで、家では昨年の11月頃からうな重ばかりを追い求めると云う食生活を構成して来た。

いや、毎日うな重ばかりを食える程の金は何処にも無いが兎に角月に一度はうな重を食おうと云うことに決めた。



然し此のうな重と云うもの程難しいものもない。

まさに鮨と同じで値段が抑えられた形で旨いものを探すことこそが難しいのである。



ちなみに我が家では良くスーパーで売られて居るウナギの長焼きを利用しうな丼にするなんてことは金輪際しない。

ただしスーパーで売られて居るウナギの蒲焼が全部悪い訳では無く稀に其の場で炭火でもって焼き上げているものなどもあるゆえそういうのに限ると可成にイケるものさえある。

然しほとんどがダメである。

家は旨いうな丼だけが食いたいのであり変なうな丼は食わない方がまだましだと云う考え方なのでスーパーやコンビニで売られるウナギはまず買わない。



次に考えられるのが言うまでもなく専門店である。

然しコレもまさにピンからキリまでがある。


言うまでもなく値段が高いうな重はまず旨いだろうことは間違いない。

然し家にはそんな金銭的な余裕は無い故予算はズバリ一人前で三千円前後である。


此の予算三千円でもって、昨年よりどれほど苦労させられて来たことか。

実は隣の区の専門店ー庶民的な値段設定がなされている店ーで上うな丼を持ち帰りで買って来たリ同じ区の専門店が出前をしていることを知り其処からうな重の出前を頼んでみたりもしたのだった。



ところが共に旨く無かったのである。

特に同じ区の専門店の方のうな重は知り合いから旨いとの評判があり大いに期待して居ただけに物凄く落胆させられた。



或いは鰻自体の質が落ちて居るのやもしれぬ。


実は十年前まで家から一キロ程離れた繁華街に持ち帰り専門のうな丼屋があり家はここから良く買って来たリしたものだった。


ところが其のうな丼はたったの1500円なのに旨いのである!

普通の半額だと云うのに兎に角旨かった。



だが其れも今は無い。

またかってはうな川と云う日進市にある店のうな重が至極旨かったので屡訪れたものだったが其れも今は何せ車を持って居ないのでね。



だがもっと良く思い出してみたところ、そう言えば五年程前に母と鰻を食いに行った店のうな重が頗る美味であった。

いや、そればかりか実は三年前にも矢張り食いに行っていたのだった、確かにこの店に。しら河の御献立


しら河、実はこの店、私の知り合いの間では余り知られて居ないようだ。

其れもうな重が三千二百四十円でこれはもう安くて旨いのだとも言えよう。



それでわたくしはつい4日前にしら河へ行きうな重二つを求め家に戻って来た。

何せ自転車で買いにいくゆえ寒くてもたぬのだがただただうな重の為に、其のうな重即ち旨い物の為に歯を食いしばりわたくしは凍えそうになりつつ其れを求めて来たのだった。




それではまずは茶を入れておくとしよう。

次に永谷園マツタケの御吸物が定番のお品として是非必要である。



そうして食したうな重3240円がまずは旨かった。

自転車で運動した後だから旨いのではなく元々旨いから旨いのである。

驚かされたのが山椒の粉、あの振りかけるやつが物凄く香るもので其れこそがまさに家では初めての経験であった。

或いは店舗に置いてある山椒の粉とは別物なのではないか。

この粉がもっと欲しい、十程は是非欲しい、余分に金は払うからコレを是非売って呉れぬものか。



其れから飯が旨い。

元よりうな重の飯程炊き方が難しいものはない。

固めながらほぐれるやうに炊かなければならぬのだがまずは其れが出来ておる。



次にたれが旨い。

この旨いたれを適度に飯に混ぜておく其の混ぜ方、からめ方こそがうなぎ屋の力量の見せ所だ。

そして其の混ぜ方こそがまさに絶妙である。



さらに鰻自体も悪くない。

ただし高級品だとまでは言えない。

然し昨今鰻の身の質が落ちて居ることからすれば善戦をして居ろう。



兎に角食える。

うみゃあ。

下品な私は食うのが早いので五分程で食い終わって仕舞った。

常の如く皮は残すので其れを母にあげると代わりに身の方を呉れた。



されど母の愛よりも何よりも食欲、コレに縛られたわたくしは其れをも一分で平らげ如何にも満足げに腹をさすって居たのでした。


いや、実に久し振りにうな重らしいうな重を食しました。

ウナギではもはや思い残すことはありません。

昨今こうして日々うな重を妄想し兎に角そればかりに支配されておりましたがとりあえずはコレで本望です。



尚家ではひつまぶしなんてあんな邪道なものは金輪際食しません。

あれは、ウナギの質の誤魔化しが出来るウナギの食い方ですので兎に角いけません。

それと家はカリカリに焼かれた、謂わば関西風のうな丼こそが好きです。


けれどうな丼を食いにも行かず持ち帰るのこそが邪道だと云えば確かに邪道だ。

ですが持ち帰りのウナギ弁当こそが贅沢の極みなのですぜ。

兎に角家で食えますもの。

其れも冷めたうな丼さえ食えるのですぞ。


冷めたうな丼の独特の風味を知らぬアナタ方の感覚こそが片手落ちであり邪道である。

冷めたうな丼に熱い御茶とお吸物、コレがコレこそが食通のウナギの食い方だ。


ただし皮を食わないのは明らかに邪道だ。

其の邪道だけは今此処でキッパリ認めます。

すみませんが確かに私は鰻食いの邪道者そのものです。


ところでこうして鰻が食える日が果たしていつまで続くのでしょうか。

果たして科学の力で此のウナギ様を存続させることが出来るのでしょうか。