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文明批判と美と心の探求と

カルトな旅ー七 幻の大正、昭和の庶民の味ー

ついにあのゴメス超え…中日・ビシエドが外国人選手としてチーム歴代最多打点を更新 27日一気に4打点で (msn.com)

さうか、其れは其れは偉い外人さんだ。

だが名古屋は今最高に危険だぞ。

 

【愛知県】新型コロナウイルス感染者数・死者数の推移・累計グラフ:最新ニュース-NHK

故に我もまた何時死んでもおかしくは無い訳だ。

 

個人的に最近はコロナウイルスの数がそも増えて居るやうに思う。

其れに何せ我は超敏感者なのでまさに其れを体感的に把握することが出来る。

 

で、スーパーなどの密閉空間から出て来ると二日程風邪気味でもって体調が悪くなる。

無論のこと其れは若干のコロナを拾って来るのであらう。

 

 

が、兎に角マスク内にアルコール消毒液をべたべたにふりかけさうして特攻し、帰宅してからもさらにアルコール消毒液付きべたべたマスクを暫くは付けて居りさうしてコロナをなるべく死滅させる訳だ。

さらに良いのは本日のやうな天気の良い日に出来ればケツ丸出しにて日光浴などをすることだ。

 

するとコロナにやられさうな體がわたくしの場合にはすぐに回復する訳だ。

實際コロナはもはや何処にでも居り後は其れを體内で増殖させぬやうにするだけのことだらう。

 

 

尚先日は半年振りに名古屋城近くへ所用で出かけたが名古屋城近辺も此処弐年程は閑古鳥が鳴いて居り従って公共交通機関を使わぬ限り感染リスクは其れほどでも無い。

其れでもって用事を済ませた後に金シャチ横町の矢場とん 名古屋城金シャチ横丁店 - みそかつのお店 (gorp.jp)へ出向きお持ち帰りのロースかつ🍱ー味噌だれー1200円×弐を買い帰った後に母と其れを食したところまずは美味かった。

 

が、名古屋には實は美味い味噌カツが何処にでもあり別に其の矢場とん味噌カツが最高級であり其れが其の辺のものよりも倍程も美味いと云う訳では決して無いのだ。

矢場とん味噌カツは謂わば観光化されたものでもある訳で其れは京都の千枚漬けは確かに物凄く美味いがクソ高いと云うやうなもののことで従って別に安くて美味い訳では無く普通に有名でもって美味いと云うだけのことだ。

 

で、其の味噌カツを食ったのが實はほぼ壱年振りのことであった。

特に最近はスーパーでは無くドラッグストアにて買い物も済ませて仕舞う私であり薬屋には其の種のものは置いて居ないから自然とさうなるのである。

然しスーパーに必ず味噌カツがある訳でも無く何処にでもあるのは無論のこと普通の何もかけられて居ないカツレツの方なのだ。

 

昔は其れをレトルトカレーと合わせてカツカレーになどして居たものだが最近は400円位で其のカツカレー弁当も出回って居り従ってワザワザカツを買う事自体が無くなって仕舞った。

 

 

其の味噌カツにせよ何にせよ我の感覚では昔のものの方が美味かったやうな気がしてならない。

味噌カツは昔母が堀田ーセレブな瑞穂区でも相当に庶民的なところーの辺りから買って来て居たものが壱番美味かったのだし其れと家から南区の方へと少し下った辺りにあった「かたおか」と云うトンカツ専門店の味噌カツなどがまた絶品であった。

 

其の「かたおか」から家は良く出前を取って居たものだった。

さうして家の母は家事が嫌いで仕事だの社交だのが好きと云うまるでショーペンハウアーの母ちゃんみたいな人で私はそんな母がいまだにまるで理解出来ない。

なので私は所謂マザコンでは無くむしろ母への壱番の批判者なのだ。

 

だがさうした理由からむしろ美味いものが昔から食えて居たのである。

何故なら母がさうして外が好きな人だから帰りにデパ地下にて何ぞ美味いものを始終買って帰る訳だ。

 

 

ちなみに私は今其の「かたおか」の味噌カツを無性に食いたい。

だが「かたおか」はとうの昔ー廿年程前ーに店を畳んで仕舞った。

 

其のやうに失われた価値と云うものが實は此の世には満ちて居るものらしい。

 

 

ヤマダイ笠寺店 – スーパーヤマダイ (super-yamadai.co.jp)

尚此のヤマダイと云うスーパーは以前御話した笠寺観音に近い見晴し台の考古資料館を下りて行ったところにある。

此処にも其の味噌カツがある訳だが個人的に其れは矢場とん味噌カツよりも美味いのだと思う。

 

また此処は煮豚と言うのか其れとも豚の角煮と言うのか其れの異常に美味いものがありたまに出掛けては其れを大量に買って来たりもする。

南区にあるヤマダイは瑞穂区にあるやうな高級スーパーなのでは無いのだがでも何故か食材が良く安くてしかも何でも美味いのである。

 

高級スーパーで買ったものが何でも美味い訳でも無く我などは昨年高級スーパーのサポーレで買ったうな丼が喉を通らず其れを全て野良猫共に呉れてやった位なのだ。

 

うな丼と言えば時折母の様子を見に来る従妹が旦那と共に屡うな丼を買って来て呉れる訳で、其れでもって丁度壱ヵ月程前にうなぎ四代目菊川 栄店 (lillysolutions.com)の鰻🍱を食したのだったが其れもまずは美味かった。

 

とりあえずは此処の鰻を壱度是非食いたいとさう思って居たので丁度良いタイミングなのでもあった。

然し家は炭焼うな富士 (sumiyaki-unafuji.com)の靑鰻うな重のファンなので菊川とて左程凄いものだとは思えずされど無論のこと不味くは無くいやむしろ靑鰻では無いにせよ美味い。

 

だが鰻だけはそも難しいものなので出来ればスーパーなどでは買わぬ方が宜しいことであらう。

尚数年前より是非食ってみたいとさう思って居るのが、一本鰻のうなぎ四代目菊川 (yondaimekikukawa.com)である。

 

此の壱本鰻の迫力たるやまさに横綱級のもので、おそらくは此れは丁度壱ヵ月程前に食った菊川の鰻🍱以上に美味くも感じられることであらう。

 

なのではあるが、どうも今の私には其の「かたおか」の味噌カツの出前の品、アノ「かたおか」の親爺がいつも持って来た大量のキャベツ付きの味噌カツの味が、其れがどうしても忘れられずまさに幻の味覚と化して仕舞ってもおる訳だ。

また思えば其の幻の味とは其ればかりでは無い。

 

1.「かたおか」の味噌カツ

2.角政の天丼

3.月苑の天津飯

 

と云ったところであらうか。

 

いいや、そればかりでは無かった。

 

4.白砂の公設市場のおかめうどん

5.エイワストアの手作り🍱

 

と云うものが實はあり、其れ等が實はほとんど壱級品の味を醸し出して居たのだった。

 

 

6.コンパルのカツサンドメニュー紹介 - コンパル (konparu.co.jp)

7.コメダカツサンド スナック類 | 珈琲所コメダ珈琲店 (komeda.co.jp)

 

だが其の6と7は今でも手に入る謂わば普通としての美味なのだ。

 

 

ちなみにコメダは私の場合ほとんど行かない。

また私は店で何かを食う事自体が嫌いである。

 

昔はさうでは無くコメダなどへも屡行って居たのだったが近年はより偏屈化、変わり者化し外へ出ると大抵はまるで大作家の如くに威張るもので決まって応対を巡り喧嘩になるからなるべく外には出ないのである。

コメダもコンパルも観光料金化しても居り正直其の値段が高いと思う。

 

だが其のコンパルのカツサンドは私が中学生から高校生の頃に始終食って居たものなのだ。ーそれも家でー

だからコンパルのカツサンドだけはどうしても食いたくもなる。

 

だが實は此処拾年程は食えて居らぬ。

さて其の4及び5は今となってはまさに幻の味、もはや弐度と戻っては来ぬ究極の庶民の味として我の脳裏にさう刻まれて居るものだ。

 

果たして其れはどの位に美味いものだったのか?

君等は決して其の事實に触れることなど出来ぬ。

 

何故なら其れは遥か昔に此の世から消えた味だからなのだ。

 

では何で其れをいまだにそんなに拘り覚えて居るのだ?

 

いや男性と云うもの、其の🚹の拘りと云うものはまさにさうしたものなのだ。

つまるところ其処でもって終わりなのでは無い。

其れは「観念」としてかうして残る。

 

成る程、すると其れは久保田 早紀への愛がアナタの中でいまだに尾を引いて居ることとまるで同じことなのですね?

左様、まさに其の通りでのことです。

 

其の観念がむしろ永遠化して残って居るのです。

でも所詮👩は現實主義だから其の観念など無く其の場で終わりなのです。

 

つまり過去にはまるで拘って居ない。

だから華原 朋美でも何でもサッサと結婚して仕舞う訳です。

 

究極的には動物の♀は全て同じで其処には其の観念ー思い出としてのーなどは無い。

 

 

ちなみに3の月苑の天津飯は今でも食う事が出来る。

■中華料理 月苑・瑞穂区 | jinroku19のブログ (ameblo.jp)

まさにこんな感じです。

ですが此処はまずまず美味い。

 

エッ?最高に美味いのでは無い?

弥富通りから此処へ移転する前は確かにもう壱段階程美味かった。

 

我が中学生の頃此処から良く出前を取って居たものだった。

其れも大抵はラーメンと天津飯のセットであった。

 

此処へは五年程前から時折ふらりと訪れるやうになった。

だが實は其れ程安い訳では無い。

 

尚病院に勤めて居た頃金沢出身の理学療法士がセンターの機関誌にラーメン行脚の記事を書いて居たので此処も教えてあげました。

 

 

では具体的には語られなかったところでの2と4と5の味の本質とは何ですか?

其れはズバリ「手作りの味」であり年寄りの味のことだ。

 

昭和どころか大正時代生まれの人々が其れ等の店をやり天丼やうどんや🍱をさうして売って居たのだった。

個人的には此の参品の味は所謂昭和の味よりも優れて居たのだと思う。

 

で、味噌カツの場合は今のものよりも其の昭和の味としてのカタオカの味が最高だったので?

まさにさうしたことだ。

 

 

だから今私の中で味覚其のものがおかしなことになって仕舞って居る。

 

確かに今は何でもあり、高価なものは大抵何でも美味いことだらう。

だがどうしても其処からは紡ぎ出せぬものなのだ、まさにアノ眞の意味での職人技のやうな庶民の味は。

 

でもって、ほんたうのほんたうに美味いものが皆幻化して仕舞って居る訳だ。

其れも不思議なことにほんたうのほんたうに美味く絶対に無くなってはならぬ味の方からむしろ先に消え去って行ったのだった。

小泉改革以降、所謂規制緩和により小売業が打撃を受け大規模スーパー化して行かざるを得なくなった。其の折に此の種の古くからの本物の庶民の味の多くが消え去ったのだと思われる。ー