『TAROMAN』からイキナリ勃発した藝術家岡本 太郎氏との壱世壱代の闘争ー+神社巡りの続きと名古屋の御雑煮の御話ー
昨日述べました其の彼田原 総一朗氏の認識上の問題とはズバリ「固定観念」にこそある。
即ち「日本はかくあるべき」との固定観念が強過ぎると新たな価値若しくは異なる価値を同時理解することが出来なくなる。
ですが何度も申し上げて居るやうにあえて其れを「同時理解」することがまさに御勉強を成し終えた知性の到達点でありまた同時に眞の意味での藝術的認識のことである。
藝術とは其のやうに「美」と云う価値を固定化して捉えない何かである。
また實は動物的な意味での感度の世界ー感性の世界ーに於いても其の固定化した概念認識をしては居ないのです。
其の固定観念に捉われて居る限りは僕に言わせれば「眞の意味でのインテリジェンス」の持ち主なのでは無い。
さうして「眞の意味でのインテリジェンス」の持ち主はむしろ普通からすれば変な認識をして居ること=理解不能な認識其のものの持ち主なのだから。
さてもおそらく皆様には僕の認識がまともには見えては居ないことでせう。
でも其れは当たり前のことなのですよ、何せ僕は詩人と云う文人でありタダの壱般人では無いのだから。
まあ但し「自称の文人」であるところにはあくまで大きく問題が含まれて居さうなのですが。
さて本日は午前中に、
を視て居りました。
ところがTVのある台所はストーヴが無く至極寒いので居間へ行くと何と母も其れを視て居たので半時間余りは共に其れを視た。
ですが此の番組は明らかに「カルト」番組です。
でもってまた何でこんな番組を母が視て居たかと言えば要するに我に影響され「教育TV」のファンと昨年の後半辺りよりなったが為にです。
また高校講座の日本史や世界史なども母は視るやうになりました。
要するに民放のおバカ番組よりもむしろ其れ等が良い訳で其れと我が家は藝術には強い家系ですのでまた母も藝術家のことなどは良く知って居りますのです。
其れでもって其の岡本太郎 - Wikipedia氏は藝術家として壱級の人で兎に角凄い人だがむしろ其の凄い認識を築き上げたことは母である「岡本かの子 - Wikipedia」氏の影響が最も大きかったことだらうと云う話となって行った。
昔の藝術家は皆さうだったが彼女の生き様もまた壱種壮絶なものでした。
但し自分に限り其の作品をまるで読んでは居ない。
ですがかって女学校壱の文學少女であった母はおそらくあれこれと読んでも居たことでせう。
さうです、我もまた其の母の血を受け継ぐ「自称の文人」なのだった。
ですので母のことなどは全否定出来ないが自分から見て「主婦」としてはまるでダメなのが正直家の母ちゃんなのだ。
なんだけれども其の母から産み落とされかうしてわたくしは今自称の文人をして居る訳です。
さて其の『TAROMAN』其れ自體は「ウルトラマン」仕立ての岡本 太郎的活劇との設定で如何にも不眞面目なのですが實は眞面目な部分もまたあり要するに「非眞面目」な番組です。
其れも例えば、
[TAROMAN] 岡本太郎式特撮活劇「でたらめをやってごらん」前編 | feat.森の掟 | NHK - YouTube
[TAROMAN] 岡本太郎式特撮活劇「一度死んだ人間になれ」前編 | feat.未来を見た | NHK - YouTube
[TAROMAN] 岡本太郎式特撮活劇「芸術は爆発だ」後編 | feat.太陽の塔 | NHK - YouTube
のやうなもので「パロディ」的な要素がまた其処に強く入るので或いはバカバカしいとさう思われる方が多いことかと思われる。
ですが其処には岡本 太郎氏の言葉がふんだんに盛り込まれ其れこそ「何だ、此れは?」とさう凡人は思わされることでせう。
尚自分の場合にはあくまで岡本 太郎氏に限らず文學や繪画其れに音樂などに長く接するうちにまた様様な人文學的な努力を重ねるうちに所謂「太郎さん」的なことが言えるやうに何時の間にかなりましたのです。
従って岡本 太郎氏の発言内容はほぼ實感的に分かります。
其れは自分が偉大な藝術家だなどと威張って居るのでは無くあくまでプチ藝術家として我もまた「成って」居りますが故に其の自己の認識と相似形としての彼の藝術的発言の内容が悉く理解されるのです。ー要するにさうして認識其れ自體が「重なり合う」のですー
さて其の『TAROMAN』を本日は長くやって居り其れも新春特番のやうな形にて壱時間近くやって居たが番組中に愛知県美術館での「岡本 太郎展」の情報が出て来るのでもしやと思い後で調べてみると其れは本当のことでした。
展覧会 岡本太郎 | 展覧会 | 愛知県美術館 (pref.aichi.jp)
かうして何と岡本 太郎氏の作品を直に観られることとなった。
まさに壱世壱代の大勝負の時が巡って参った。
岡本 太郎氏の作品を直に観て果たして我は其処に何を感じ何を想うのか?
其のことは今自分自身にもまるで分からぬことだ。
無論のこと壱藝術家として我は其の其の闘争の舞台に立つ積もりである。
でもって其処からどんな太郎評であり岡本 太郎論が紡ぎ出されて来るのかと云うことである。
嗚呼、今日『TAROMAN』を視て置いてほんたうに良かった。
かうして早速本日より戦闘態勢に入りつつもまたある。
本日午後からはこちらを訪れた。
此処からは分からぬが此の神社は高台の高級住宅街にありまた鬱蒼たる杜に囲まれた素晴らしい場所にある。
此の神社はかって勤めていた🏥の近くにあり当時は其の杜を訪れ屡散策などして居たりもまたしたものだった。
其の杜には所謂筆柿のやうな小さな柿の實が多く生り其れが結構落ちて居るので其れを拾い食ったことなどもあったものだった。
懐かしいのでつい🏥の横の公園や外周路の方へも寄ったが其処ではかうして景観は変わらずとも年月は流れたと云う思いが何故か強くしたものだった。
其れはほぼ近所の👪連れや御年寄りしか來ない神社なので其れこそ熱田神宮や伊勢神宮のやうにワンサカ人が居て鬱陶しいと云うことなどは無い。
故にほぼ我に取り理想的な神社である。
尚其の神社に「人を精神的に救済する」ことなどを求めてはならない。
其の自然崇拝と其処から派生したところでの自然の神格化とを推し進める神の領域は本來人間とはまた別の原理にて育まれることだらう聖なる領域である。
だけれども我我はさうして決まって氏神に出向き「無病息災」や「家内安全」などを祈り願うものと相場は決まって居る。
なので其の氏神への祈りと救済宗教への帰依、信心とはまた別の話として認識して置くべきものである。
故に其れを否定してかかる宗教なりイデオロギーなりはむしろ危険なものであるのだとも言えやう。
特に自分の場合はかうして兎に角自然が好きなので其の自然と戯れることを目的に神社を訪れることなどもまた多い。
さて帰りに東八幡社の前を通り家へ帰ったが其の掲示板の方に「九日に予定されたどんど焼き」のことがあった。
其の「どんど焼き」を此れ迄に観た覚えが無いので九日には是非訪れてみたい。
かうして生きて居ると様様な予定が自然と入るやうになって居る。
また其のことは藝術家であれ凡俗の民であれまるで同じことなのである。
また自分は其れ等を掛持ちつつやる人間なのでまた余計に忙しいものと來てる。
だからまた暫くの間御休みをしたい。
其の間にとりあえずは掃除機を買って来てまた掃除がしたい。
さらに「萬年筆の取引の上でのトラブル」に就き考えてみたい。
ちなみに今夜は所謂「御雑煮」を作り食した。
名古屋めしレシピ|正月といえばコレ!驚きのシンプルさ「名古屋の雑煮」 (nagoya-meshi.com)
全国のお雑煮・名古屋編 | お雑煮研究所(お雑煮やさん) (zouni.jp)
さて左様に此処名古屋での所謂御雑煮は實は究極的に「シンプル」なものなのだ。
無論のこと家の雑煮もまたシンプルであり其れもハッキリ申せば上での例よりもよりシンプルなのだ。
1.角餅ー焼かずでのー
2.餅菜
3.創味のつゆ
要するに此れダケで煮る。
其れも家の場合には「鰹節」だの「蒲鉾」だのややこしいものは壱切使わない。
要するに此の時期はすでに「おせち料理」にて腹が満腹だ。
また「おせち料理」に限らず何故か年末年始は何処からか食い物が届きまさに食うもんダラケである。
そんな時によりにより何でそんなゴタゴタと煮た雑煮を他県のみんなは食うのだ?
よって逆に無茶苦茶に「シンプル」な雑煮の方がむしろ美味いのである。
だから其の名古屋人の弐面性の部分、即ち其の究極としての合理主義と逆に味噌煮込み的なゴタゴタの様が他県の人にはまるで理解されない。
だが其の弐面性こそがかの信長公の性格としての基調を成す部分であらう。
なのでよそ者共にはそも其れが分からんだけの話よ。
またつまりはさうして「名古屋人的な感性」は常に理解がしにくく多分日本壱気難しいことだらう。
要するにかの岡本 太郎氏並みに気難しいのである。
でもって其の複雑なる心性がそも分からんからさうして「名古屋飛ばし」ばかりをされる。
なんですが實は精神的には可成に高度な部分を持ち合わせておる。
また三河はまた少し違い静岡ー駿河ーの方により近いのではないかと思う。
要するにさうして弐面性があり壱種「気難しい」=藝術家肌なのが尾張藩の否名古屋人としての特徴なのだ。
でもってシンプルな其の雑煮を我は結構たらふく食う。
例えば本日食ったのは餅が七つだった。
其れに無論のこと静岡産の「正月菜」を澤山入れて煮込んである。
また其の餅と菜だけの雑煮こそがむしろほんたうに美味いのだ。ー鰹節などは入れてみてもまた良いのかもしれんがー
兎に角そんな訳で新年早早藝術上の大課題に直面することとなりもうこんなトコには來ていられなくなった。
でも無論のこと捨ててなどは居ません。
何せ此処は僕の魂が宿る場なのですから。
其れではまた。
ー但しまた近くJINHAOのスーパー万年筆のことに就き書く予定で居りますー