絶望した上でこそさうして自ら學びを進めて行けば良いー絶望した上で尚保ち抜くべき日本の文化的伝統ー
田原総一朗氏「だったらこの国から出て行け!」 朝生で出演者に激高→放送後に釈明して和解 (msn.com)
まずは此処で問題があるのはむしろ其の田原氏による「出て行け!」発言其のものです。
其の「出て行け!」発言には思想の上での「全體主義」の匂いが色濃く感ぜられる。
其れと「出て行け!」では問題は解決されぬばかりか第壱此の國はアンタの國ではそもありません。
かやうに年を取ったインテリ層は考え違いをしないやうに是非致しませう。
齢を重ねるとそも頭の中が硬直化しがちであり尤も僕なんぞはむしろ高校生、中学生の頃に戻りつつある。
最終的にはまた小学生をやりたい、いや幼稚園児の頃に是非戻りたい。
だから知性は最終的にまた赤ん坊に戻らねばならぬのだ。
赤ん坊の如くに純粋無垢なおおまるで動物の如き「弱き存在」とならねばならぬ。
田原、お前はしかしながら威張ってる。
だから此の際壱言だけ言って置く。
年寄りの癖に威張るんじゃねえ!!!
年寄りはな、もう體がガタガタで性欲の方も同時にガタガタだ。
そんな者はもう直に御迎えが來やう。
だから自分から山へ入り其処にて餓死すべきだ!!
いや違った。
もう大人しくストーヴやコタツの火に当たり其処にてションベンでも漏らして居れ!
まあ御正月早早下品な表現で!
馬鹿野郎!!
下品もクソもあるか!
だが問題は矢張りと云うべきか此の日本社會の閉塞感にこそある。
昨日其の閉塞感は「日本社會」のー歴史的構造的ーな問題でありまず解決不能であることを自分は述べた。
ーもっと若い人に発言させるべきとする指摘が上がったところで、たかまつさんは「発言させてください」と手を挙げ、「私は(『日本は立て直せる?』とする質問に対し)×にしたんですけども、理由としては日本社会でもう諦めがはびこってると思うんですね」と切り出した。
たかまつさんは「実際に日本は『社会は変えられる』と思う若者が2割くらいで、これは先進国の中でもものすごく低い数字なんですね。企業や政治を見ても、年功序列で変な慣習とかが残ってたりとか、非効率だと感じているのに惰性で続いていることが多いと思うので、私は若者に権限を委譲したりとか、若者がどんどん社会を変えていくことが必要だと思って。そのために私は、やっぱり教育が必要だと思うんですね」と説明し、ヨーロッパの主権者教育に倣うなど、日本の教育の仕組みを変えることが必要ではないかとした。
「私は主権者教育とか、子供にお金をかけるっていうことをやらない限り、これは『×』のままだと思います」と主張したたかまつさんに、田原氏は「あなたは、本心(から)×なの? 本当は日本は良くなると思ってるの、思ってないの?」と問いかけた。
たかまつさんが「思ってないです。だって」として説明を続けようとすると、田原氏は「だったらこの国から出て行け!」と激怒。困惑するたかまつさんに、田原氏は「この国に絶望的だったら、出ていきゃいい」とした。
たかまつさんは激昂する田原氏に怯むことなく「違いますよ」「(人々は)日本の教育にどのくらい本気でいるのか」として、教育の重要性を主張した。ー
田原総一朗氏「だったらこの国から出て行け!」 朝生で出演者に激高→放送後に釈明して和解 (msn.com)より
だが此処でのたかまつ氏の発言内容は至極ごもっともでありほぼ完全に正しい。
では何故田原氏は此の発言内容に對し激高したのか?
其れは「諦めてはイケない」との考えが彼田原総一朗 - Wikipedia氏の頭の中にはあるからなのだらう。
彼は御年88の半分死人でありまさに家の母と同年代の人なのだ。
かっては左翼だったが転向し今はむしろ軍國主義などに對しても理解を示して居るものらしい。
我もまた「軍國主義」を全否定するものでは無いのだが但しあくまで理想論的にはナショナリズムは要らん論理である。
要するに統治の単位其れ自體を縮小化しつまりは全世界を幕藩體制とすれば人類がより長続きすることだけはまず間違い無い。
だから其の統治の単位のスケールのことこそが大事なのであり主義主張即ちイデオロギーなどはむしろ何でも良いのである。
であるから共産主義體制としてのちっこい北朝鮮や中國や露西亜、また自由主義體制としてのちっこい米英や欧羅巴の國國、さらにちっこい日本や韓國などが共存していけば良いだけの話なのだ。
さても皆様お分かりだらうか?
まずは問題は其の「國がデカくなる」ことにこそある。
其のことは社會科の御勉強を重ねると必ずや見えて來る。
要するにデカいから価値観の上での對立がヤバくなるのである。
逆にちっこいとまた同時に對立もちっこくならざるを得ぬ。
だから「ちっこいことが良いこと」なのだ。地方分権 - Wikipedia
まさに其の地方分権で良いのだけれど封建制→近代的中央集権國家となるにつれ國其れ自體の力(威張りの力)がより増し其れでもって文明は弐度の世界大戦を経験しなければならなくなった。
まずは此の点から鑑みてもむしろ「第参次世界大戦」は起きるとさう考えて置く方が良いのやもしれぬ。
では何でそんなことになるのかと言えば此の地球上での體制がそも理想的な考えでのものにはならぬからなのだ。
要するに何処の國であれ皆「より儲け」て「より威張りたい」だけなのであるから。
だがそんなもんはほぼ動物界での社會闘争に等しい。
要するに🐒山のボス🐵とまるで同じである。
此のサル、🐵野郎!
ウッキッキー。
…全く困った奴等だ。
さてもお前等は人間として恥ずかしいとは思わんのか?
其の「ウッキッキー」の🐒共が「第参次世界大戦」をやり始める可能性が今60パーセント程にもなって来ておる。
だからそんな状況ではもはや「絶望して置く」他は無い。
なので其のたかまつさんの絶望のあり方はあくまで正しい。
逆に申すと軍國主義世代の80代の方方はむしろまるで目が覚めては居ない。
故にか「日本は何時迄経っても変わらない」のでさうしてまずは「絶望して置く」他は無い。
問題は其処からどう「個としての認識の舵を切る」かである。
たかまつさんは其れを「教育」の問題だとさう認識された訳でまさに其のことはほぼ完全に正しい。
但し「教育」には弐種があり其れは「人から學ぶ教育」と「自分から學ぶ教育」の違いのことである。
尤も今日本の教育には問題があり其れは「人から學ぶ教育」の形式化及び硬直化の部分である。
故に「人から學ぶ教育」→「自分から學ぶ教育」へとスムーズに移行することがむしろ出来ない。
要するに其の組織的に行われる公教育の部分にヘタリが生じて居りまた宗教的な部分だの哲學的な部分だのさうしたややこしい領域のことが公教育からすっ飛ばされて来たから学生共はゲームだのSNSだのアホ臭いものへと決まって走り今や其の頭の中身は🐵の子並みである。
だが何時迄もそんな🐒の子でおって良い訳がねえ。
🐒→人
人間とは少なくともそんな🐵なのでは無い。
そも人間とは何だ?
人間とは動物以外の頭を持った人人のことだらう。
だったらやったれ!
何を?
嗚呼まさに其の「自分から學ぶ教育」へと突き進まずしてどうする?
サア、今日から哲學書を連続で拾冊は読破して行かねばならん。
そんなことやったら恋愛もまたゲームをする時間も何処にもありません!!
馬鹿者!!!
哲學と宗教こそが此の生に於ける理解の基本ぞ!!
もうスパルタ式にて詰め込んでやるわ、どうだ、参ったか!
其のやうな努力なくして人間は人間に決してなれはしません。
人間とは「考える葦」であり其処を考えずに學ぶことなど元來出来ないのです。
尚そも若者には社會は変えられない。
其れは戦前に於いてもまた戦後に於いてもまた封建時代に於いてもむしろずっとさうでした。
但し志即ち気概のやうなものだけを彼等は持つことが出来た。
其れ即ちまさに其れが「社會に對する馬鹿野郎!」との思いのことだ。
其れもそんなクソみたいな社會がかうしてクソまみれになりつつ平気で動いて行くのです。
だから其れに對し「怒り」の思いをブチまけるのはむしろ当たり前のことだ。
ですが其の「怒り」さえもが此の社會の齎す「全體主義」により圧殺されるに及んだ。
故にもはや「怒る」=社會を罵倒する力に欠けて居ると云うのが正直なところです。
だが其の「絶望の淵」に立たされた今よりまさに立ち上がる他は無い。
逆に申せば此の「絶望の淵」からこそ日本人は立ち上がるより他は無い。
尚其の「絶望の淵」は何も今に始まったことでは無く戦前もまた戦後もさらに封建時代でも其の全てがむしろ「絶望の淵」のさ中にあったのだと言える。
若干違うのは現在「文明の滅亡」の段階が其の社會的な問題に對し重層的に重なり合って来て居る部分でせう。
そんな訳ですでに「個としての理性の範囲」を超える迄に社會的な問題がデカくなって仕舞って居る。
故にわたくしは其のデカくなり制御不能となった問題にはあえて個として見切りをつけ可能である範囲で自分のやりたいことをやれば良いとさう申して居る訳です。
其の観点からもたかまつ氏の発言内容は至極ごもっともでありほぼ完全に正しい。
また其れに付け加えて言えば「公教育による知識の上での選択力の涵養」の部分と「自ら御勉強することによる思考力からの選択力の涵養」の部分をむしろ両方やって行かねばならぬと云うことでせう。
従って女體及びゲームには壱切触れずに日日拾時間程は自ら御勉強して行かねばならない。
さうするともう便所へ行く時間もまた飯を食う時間も無い位だ。
アンタ其れスパルタ塾のやり方なのではないか?
さうですよ、まさに此処が其のスパルタ式の學習塾なのだ。
先生!
分かった、やっと分かったぞ。
選挙で自民党に投票してはならない訳が今かうしてやっと分かりました!!
偉い、偉いぞ!!!
君はなんて偉い人間なのだ。
もう君を🐒扱いしたりは決して出来ない。
逆に僕に教えて下さい、其の「自民党に投票してはならない訳」を。
さうか、では教えてあげやう。
何故なら其れが「全體主義投票」であり「全體主義選挙」だからなのだ。
うわあー、アタマが良いな君は!其れも僕なんぞよりもずっと頭が良い。
もう君の場合は「末は博士か大臣か」であることがほぼ確實だぞ。
其のたかまつ氏がいみじくも指摘した「教育」の部分が担う今後の日本社會への役割は極めて大きいと言わざるを得ない。
またもしも僕がまた小中学生に對し何かを伝える立場になるのだとすれば以下の如くに其れを述べて置きたい。
「絶望はしないよりもした方がずっと正直だ。だが絶望して数ある滝から飛び降りる位なら自分のやりたいことだけをまずは見つけてみるべきだ。其の文明社會が引き起こす問題は大きくなり過ぎすでにどんな人間にせよ制御不能である。其れこそ其の部分は神佛以外には対処することが出来ない。だから人間は威張れずまた人間の優劣も付けられない。其のことを常に思い描きつつ自らが決めた道を信じて歩みなさい。其の道とは社會が与える道では無く自らが切り開く道のことです。」
此処日本は完璧な國でも無くもはや壱等國なのでも無い。
だが其のこと自體に優劣が生じて居る訳では無い。
眞に情けないのは日本人が日本社會に洗脳され切って仕舞うことなのではないか。
其の洗脳の例
自民党なら大丈夫=洗脳
國會議員は全て偉い=洗脳
天皇及び皇室は神である=洗脳
👪は大事だ=洗脳
尚所謂「共同體主義者」である我の場合には地域や地元と云う共同體としての単位を重視するが其の狭い範囲の中では往往にして👪主義が持て囃されて居たりもまたする訳で其処に思想的な矛盾の如きものを屡感じて居たりもまたする。
尤も「共同體主義」とはむしろ左翼的なアナキズムと関連するもので要するに日本的な共同體原理のやうなものとは本質的に異なるものなのだ。
其れでも氏神様へ初詣に行けば其処にはそれなりの良さがある。
本日其処ー西八幡社ーへ出向くと何時もは閉ざされている社の扉が開かれ社の中で拝礼することが可能となって居た。
さらに拝殿の横に「中根銅鐸」のレプリカーかって此処より発掘された銅鐸のレプリカーが飾ってあった。
また町内會の人等が「ふるまい酒」を配っても居た。
其の壱つを貰いほんの少しだけ飲み後は母に渡した。
家へ帰ってからついでに東八幡社の方も見たくなり自転車に乗り出向くとこちらの方が立派な神社である。
拝殿の際には「どんど」が焚かれおまけに社務所にておみくじを神主さんらしき方が販売されて居た。
其の「日本的なもの」の良さは確かにある。
要は今後日本が文明國としては没落するにせよ其れ等の文化的伝統を守り抜く気概だけは忘れずに居て欲しいと云うことだけなのだ。