「全體主義」を脱する方法とは?ー老子流の「デタッチメント」に於ける理想の社會ー
「ギャンブル性強い」と懸念も、「異次元緩和」へ黒田氏の決意…日銀会合13年議事録 (msn.com)
其れはだから其の「黑ダ」と云う惡どい🐵ー其れも人間以下の🐵ダーが財界だの何だの訳の分からぬ強欲資本主義人間共に押し切られさらに米國と云う強欲資本主義體制にも押し切られさうした非道なことを押し切ったので余計に🗾の経済状況は追い込まれ即ち「みんなが貧乏化」したのである。
なので其れが「ギャンブル」でなくて何なのか?
そんな危ない「ギャンブル」などをしてはイケませんとあれ程学校の先生が仰りさらに此の世の中でも所謂中流以下の人はまさかそんなギャンブルなどには手を染めず其れこそ懸命に日日働いて居るのです。
其れも此のクソ暑いにも関わらずさうして額に汗しつつ毎日毎日働き其れももうパンツや靴の中までもがびたびたで其れでもって給料がたったの拾五萬なのです。
さらにボーナスが拾萬位です。
と云うことは年間のボーナスの額が約弐拾萬円です。
あはははははー、もう御話にも何にもなりませんことよ、おほほほほほー。
さて其の「黑ダ」に就いて独自研究をかって致しましたのですが何と彼は「スーパーで物を買ったことが無い」人間なのださうな。
まさにそんな上流家庭の「御坊ちゃま」でしかも勿論東大出ですので何でも御手伝いさんが買うて下さりつまるところは「物の価値か又は金の価値」がまるで分からん訳だ。
だから庶民が冷や汗を流しつつ五千円以上物を買い込みスーパーのレジで其れを払う時の其の何とも心苦しい感情を彼はまるで知らず要するにそんな貧乏とは無縁なのだからして。
また其れだけには非ず。
即ちアノコイズミ體制やアベ體制などの其の「偉さうに改革をする」おおまさに嘘コキの保守派體制こそがまさに其の日銀の「生活が何たるかを知らぬ」トップとつるんで居ったのだった。
…もうダメだ、こりゃ。
ま、其れはまず絶對に直りませんーよりによりそんなアホを組織のトップに据えることだらう🗾國固有の癖其のものがーので自分に限り其の政治的視点とはまた別の観点より🗾社會を批判して参る所存です。
さてではそも「惡」とは何か?
其の根本的な問いに就き此処数箇月に亘りわたくしは考えて参りました。
まず其の答えとは「惡とは社會的に齎されるものだ」とのことである。
何故なら例えば惡人と善人の割り合いが例えば半分ずつであれ惡人が活躍せんが為にはまず「社會的な素地」のやうなものがまずは必要となる。
即ち、
「社會的な素地」=「社會的な場」
である。
要するに其の「社會的な場」其のものがむしろ「惡を増幅させて行くであらう全體主義的な傾向」を初めからむしろ帯びて居る。
故にかって老子は「小國寡民」を説き「社會的な場」其のものをより小さく保つこと=「社會を限定すること」こそを文明社會の理想として考えた。
老子の小国寡民(しょうこくかみん)を分かりやすく解説! 現代とは真逆な理想の国家とは? | ハナシマ先生の教えて!漢文。 (oshiete-kanbun.com)
まずこちらで其の漢文のハナシマ先生が「老子の小國寡民は現代社會とは正反對の世界観だ」と云うやうなことを述べられて居ますが其のことはまさに其の通りです。
さうして現代社會はすでに「老子の理想」とはむしろ眞逆の世界を歩んで居るかのやうだ。
また其の「そんな社會の理想とは眞逆の世界を歩む世界であるからこそ次第に滅茶苦茶になって行く」訳です。
さて問題は其の「滅茶苦茶さ」が何処かで止まれば良い訳ですがどうも其れが期待薄です。
其れでもって先に述べたやうに我が國の國や組織のトップに限り「眞の意味での苦労を知らん」人間がやりつまりは余計に生き辛い社會を拵えて行く訳です。
でもってアノアベなどは勉強さえして居りませんでした可能性がまた高くあった。
其れはもう然し「人間では無い」話でせう。
少なくとも壱國の首相たる者は毎日拾時間位は御勉強しなければまず國は回って行きますまい。
いえ其れもまた理想論であり現實的には「勉強して居ない奴」に限りさうして組織を動かして行くものです。
いやあ怖ろしい世界ですね、全くのところ。
ー・小国寡民は、現代とは真逆の国家のあり方ですが、実際に歴史を見てみると、老子の言い分がよく分かってきます。便利な道具や国際化には、相応のデメリットやリスクがあるからこそ、老子は最低限のみの道具で人々の往来を制限しようとしたのでしょう。
・今更、道具の発展や往来を止めることは難しいですが、これらのデメリット・リスクに留意し、できる限り減らしていく努力はしたほうがよいと思います。ー老子の小国寡民(しょうこくかみん)を分かりやすく解説! 現代とは真逆な理想の国家とは? | ハナシマ先生の教えて!漢文。 (oshiete-kanbun.com)より
ですが其の「老子の小國寡民」が問題として提起されるのは所謂「高等教育」での素材なのであり中等教育に於いては無論のこと考えなくても良い問題であり課題なのです。
従って此処『目覚めよ!』の場とはまさに其の「高等教育」の場なのです。
であるからこそ読んで居てまさにイヤになるやうなところばかりをよりにより穿り常に問題提起して行くのであります。
つまりはそんな厳しい「高等教育の場」こそがまさに此処なんです。
でもって僕には「高等教育」をやれる程の偏差値がそも無いのでかうして皆様と壱緒に考えるべく此処を立ち上げた訳だ。
さて個人的に其の「老子の小國寡民」こそが理想の文明社會と成り得るもののやうに思う。
まさに其の「老子の小國寡民」こそが「デタッチメントされた社會関係の場」なのだ。
そんな「デタッチメント」とは「理性的限定」のことであり其れこそ我が國にもかっては「幕藩體制」なる鎖國體制が存在した。
また其の「幕藩體制」は非常に優れた面を持つ政治體制です。
但し「将軍家」=統治者組織が威張る部分こそが現代の🗾社會にはそぐわぬ部分です。
ですが「幕藩體制」は相対的に現代🗾の統治體制よりも遥かに「限定的」ですのでむしろ其処からこそ大いに學び取るべきです。
或は其の「幕藩體制」には「老子の小國寡民」制などもまた70パーセント位は入って居たのやもしれません。
だから「将軍家」=江戸が必要以上に威張らない限り「幕藩體制」に是非戻すべきなのやもしれません。
だから結論としては江戸を🗾の首都として認めるから「もはや必要以上に江戸ダケが威張るな!」とのことです。
だから其れは尾張もまた三河もまさにさう認めると云うことです。
しかしながら関西は兎に角癖が物凄く強くありますので其れを認めるかどうかは分かりません。
ひょっとすれば神戸と大阪とアノ何かとややこしい京都とがくっつき江戸を侵略する虞などがまた御座ります。
まあですが尾張とまた三河に對しては江戸は威張っても良いのです。
愛知県人はさうして惡人のやうに壱見見えるが實は善人が多くつまりは生眞面目な人が多いのです。
また信長公は「人を信じなかった」のでは無く「人を信じ過ぎ簡単に裏切られた」との歴史上の解釈などもまたある程です。
信長公はさうしてある意味では「世間知らずの藝術家気質」の人であり要するに所謂「権謀術数」を持ち合わせて居らず酷く「不器用」な人であった可能性が高い。
其の眞逆がむしろ秀吉公です。
また其の弐極分化するところこそが尾張の本質部であり故にか兎に角「天才」が出易い地盤なのだと言えることでせう。
さて其の老子の考え方は兎に角「デタッチメント」壱本槍です。
其れも考え方の質としては個人的にピタリと合うものとなる。
尚「デタッチメント」は基本的に現代社會の方向性とは逆方向です。
ですがおそらくは現代社會が完全に行き詰まることだらう2050年以降は「其れを是非やっとくべきだった」などと語り継がれるやうな思想なのだと思われます。
いやだからこそ其れを先取りしたった今論じて居るのです。
個人的に現代社會は例えば「さらなる合理化」により救われるものでは無いやうに思います。
無論のこと科学技術による「さらなる合理化」の部分は是非必要かと思われるがおそらくは其れ以前に「思想としての誤謬」がまさに全體主義化し現代社會を席捲して居ることでせう。
よってまずは全體主義による「洗脳状態」を脱することこそが文明に取り喫緊の課題です。
尚全體主義による「洗脳状態」は恥ずかしいことでも何でも無く人間は半分位元元🐵なのですから半分位は其の🐵知恵しか無くよって野原を走りながらつい肥溜めに落ちることなどもまたどうしても御座りますのです。
だから其の恥ずかしさは此の際かなぐり捨てて下され。
もう其れどころでは無く今こそが人類存続の瀬戸際であるとさう認識しまさに其の「洗脳状態」を脱する他は無い。
高いIQ:世界で最も賢い国 (starsinsider.com)
ほらね、かうして調べてみますと何と🗾人はIQの平均値が106.48でもって世界壱だったとのことです。
尚流石に独逸人も百を超える頭の良さですが何と上位6位迄は亜細亜ばかりが食い込んで居ます。
韓國、中國、香港、シンガポール、台湾と來てトップが🗾人だ。
だからそんな御利口の國なのにまたよりにより組織のトップにはさうしてアホが据えられる訳です。
でも凄いですね、僕なんぞは多分IQが精壱杯でもって100位でせう。
其の代わりに多分EQが200位はありませう。
兎に角たとえどんなに恥ずかしくてもそんな「洗脳状態」ダケは解かねばなりません!!
ところで老子は何故「社會を限定」したのですか?
とても良い質問です。
では早速にお答えします。
ナチス・ドイツの悪名高い女性たち (starsinsider.com)
まずはこちらをとくと御覧あれ。
こちらでのかっての独逸人女性達は皆「惡人」とされて居ますが果たして其れは本当のことなのか?
確かに「惡さうな顔付き」をした女性もまた中には居ます。
ですが其の「惡」とは当時の独逸社會がむしろ蔓延させて居たものであった可能性が高くある。
つまるところ其の「惡」とはまさに戦前のナチス體制としての独逸社會が創り上げたものでありつまりは其れをこそ「全體主義」と云うのである。
また当時の🗾でも全く同じことが言えるのです。
但し其れー全體主義ーをそんな枢軸國側だけに限定すべきではありません。
どだい米國が原子爆弾を🗾に落としたのは其れは「全體主義」の成せる業です。
つまり連合國側は連合國側としてまさに「全體主義」をやっておったのです。
さらに戦後は戦後で「経済成長」と云う「全體主義」が主に先進國家を席捲して行った。
「全體主義」とはまさに其のやうに「社會がやらかす犯罪」のことだ。
また其の「社會がやらかす犯罪」のことは壱義的になど解釈されぬものだ。
だから其のイデオロギーとして壱義的に正義のある側が「全體主義」をやらかす訳です。
でも当時は独逸も🗾もまたかの伊太利亜も壱義的に正義のある側だったのです。
さらに連合國側の鬼畜米英や露西亜やまた中國なども皆壱義的に正義のある側だったのです。
故に其の「全體主義」にていずれ世界は滅びませう。
もう社會科詩人としてたった今此処に断言して置きますがまさに其の「全體主義」にてやがて世界は滅びませう。
…怖過ぎる。
でも良かったじゃないか、👻屋敷へ行かずにかうして背筋が凍り付いて…。
ところで👻は居ますか?
うーん、👻はむしろ人間の社會の中に居るぞ。
其の👻こそがまさに「全體主義」だらう。
其の「全體主義」を此処参拾年余り🗾社會はむしろ立派に成立させて來て居る。
まさに其れは自民党の「将軍家」化でありアホ総理を始めとするアホトップ體制の樹立のことである。
ではどーしたら良いのですか?
どーしたら此の🗾は世界壱の理性の持ち主らしくちゃんとするやうになるのですか?
だから其れが「老子の小國寡民」のことであり同時に「デタッチメント」としての価値を逆構築することだらう。
また威張り無しでの「幕藩體制」の復活のことなどでも良い。
さうして「社會を限定」するからこそ「全體主義」は起こらなくなる。
そんな意味での社會の限定は兎に角何でも縮小して行くことの方が良いのだ。
さうして最終的にはまさに夢も希望も何もかもを縮小して「限定」すべきだ。
うーん、すると惡とは「全體主義」のことでまさに其れが破壊者=👿のやうなものなのか。
さう其の「全體主義」こそがまさに其の破壊者であり「惡」の正體なのだ。
すると彼女等ナチスに関わった女性達は元元惡の手先では無かったのだと?
人間とは元來善と惡が相剋し且つ相即することだらう現象世界の住人なのだ。
故に場合により「善人」としての比率が高まることもあればまた逆に「惡人」としての比率が高まることもある。
要するに生まれながらの「善人」や「惡人」は居ないのである。
但し社會関係が「善人」であることや「惡人」であることを規定する部分の方が實は大きい。
故に惡い社會の中では何時の間にか「惡人」であることの比率が高まり且つ其れが全體主義化する。
ならば「現代人」などもむしろ危ないのだと?
むしろ戦時中以上に危ないものとさう社會科詩人には思われてならぬ。
また其の「全體主義」の中では概ね「善惡のケジメ」が次第に付かなくなりがちとなる。
要するに「惡業」に麻痺して仕舞いつまりは何でも良いことになって仕舞いがちなのだ。
なる程、だからケジメと云うか潔癖さと云うか要するに夏休みの門限は18時きっかりであり「不純なる異性交遊」やギャンブルや酒浸りになってはイケないのですね。
まさに其の通りでのことだ。
また其の「全體主義」は利口程むしろなり易いものと來てる。
エエッ?では🗾人がむしろ壱番危ないのか?
正直申せばむしろ世界壱危ない。
だからむしろ🗾人は其の知性力を是非発揮し「全體主義」を根絶せしめ文明による「洗脳状態」から解放されて行く必要が是非あらう。
「洗脳」と言えばまた如何にも言い方がどぎついが自民党の壱党支配をもう長く続けて來しことがまさに其の「洗脳状態」でもある。
但し其れは政治面に限ることでは無くむしろ🗾人は肩書や権威、また権力などに騙され易いのだと言えやう。
だから肩書や権威、また権力の多寡で人を判断するのでは無くむしろ「デタッチメント」することが出來るか否かでもって人を判断する方が良い。
ちなみに最後にまた宗教の話に戻り恐縮ながら、🗾の大乗佛教の宗祖の方方などはむしろ例外無く腰が低く兎に角まるで威張っては居ない。
よってまずは「デタッチメント」すると云うことは「敵をも赦す」程の腰の低さでありつまりは「マイナス領域への共感力」の有無こそが問われる場なのだ。
逆に権威、また権力さらに肩書などに擦り寄ることだらう現代社會に於ける常識的な意思決定こそが「誤り」なのだ。
其のやうな意思決定を続ける限りに於いて其の「全體主義」としての「惡の履行」が止むことなどは無い。
そんな嵐の如き惡の所業が過ぎ去った後に残るのはもはや骸と化した地球ばかりである。
即ち現代文明による飽くなき欲望の追求が其の美しき星其のものを喰らい尽くす訳だ。