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「オリヴァー・トゥイスト」と世界帝國の貧民窟ー結果「社會問題」ばかりはちっとも進歩せずー

「オリヴァー・トゥイスト」と世界帝國の貧民窟ー結果「社會問題」ばかりはちっとも進歩せずー

 

 

 

 

池田大作氏死去で宗教界に禁断メスが入る可能性…連立解消論浮上の自公"崩壊ドミノ"で彼らが最も恐れること (msn.com)

 

かうして自由民主党は所謂集票組織としての宗教団體と密接に結び付いて居た訳だ。

他方で創価學會が目指さうとしたのは「広宣流布」との拡張主義であり其れは日蓮宗に於ける宗教的な過激主義の原理化なのだと思われる。

 

其の意味では日蓮宗並びに日蓮正宗共にかってのクリスト教的である。

クリスト教はかって自分等ダケが正しいと世界に對し其の「広宣流布」を行い實際に未開の國の多くがクリスト教化され元來信心して居た神を否定するにも及んで居る。

 

ではクリスト教は邪教かと云うにジーザス・クライストによる「救済思想」其のものはほぼ間違いには非ず。

尤も新興宗教の教祖が説く「釈迦やクリストの生まれ變わり」としての其の胡乱なる「救済思想」ほどウソ臭いものもまた無い。

 

實際に其れはウソであり其れも大ウソである。

其れは教祖の頭がそもおかしいのでそんなことになって仕舞う訳です。

 

 

でもアナタの頭も變じゃないの?

いや自分の場合は壱見狂いながらも話が最終的には常に「御勉強」の方向へと向くであらう。

 

だから其れがまさに「人類の教師」としてのやり方なのだ。

對して狂いつつしかも話が最終的には酒池肉林の方向へと向くのこそが👿のやり方のことぞ。

 

 

国民から税金を吸い上げることしか考えていない…尾張の農民たちが告発した「1000年前の税金地獄」の異常さ (msn.com)

 

まさかかってこんなことがあったのか。

まさに恐るべき話である。

 

また大昔より惡が體制の側に巣食って居たことが此のことからも良く分かる。

其の「惡」は民衆の側にも無論のこと皆無ではないのですがより大きく問題となるのは権力と惡が結び付くことにより社會其れ自體が腐って仕舞うとのことであらう。

 

 

立憲民主・泉健太代表の仰天認識 腰抜け野党が「消費税減税」を公約から外すトンチンカン (msn.com)

 

立憲民主党は現状でダメなのですからむしろ過激に「革命」でも目指したら如何でせう?

其れでもって党が壊れたらもう政治を辞めるとのことでひとつどうでせう?

 

また石破を何とか引き抜いて党首にでも据えればさう過激化せずとも自民党とは闘えませう。

さらに「🗾保守党」と連立し何とか政権をやってみませう。ーさう河村氏と組むー

 

 

第29回 19世紀東アジアと帝国主義 | 世界史 | 高校講座 (nhk.or.jp)

 

さて元社會の先生はまた「世界史」の復習をして居りましたが其れが兎に角滅茶苦茶に面白い。

かうして「世界史」の復習をしますと近世~近代の辺りで文明世界が抱える惡が出尽くして居るかのやうである。

 

でもって結局「近代」を成り立たせるのが「産業革命」です。

 

第25回 産業革命と社会問題 | 世界史 | 高校講座 (nhk.or.jp)

 

なので其の「産業革命」の部分を復習してみたところ、所謂「社會問題」がまさに其処から噴出して來るのでした。

ですので例のマルサスの「人口論」などもまさに其の「社會問題」としての究極の形での「人口爆発」の問題が論ぜられて居ります。

 

「社會問題」の例

 

1.環境破壊

2.貧富の差の拡大

3.人口爆発

 

とのことであらう。

 

1.と2.は文明社會が「工業化」して著しくなるであらう問題です。

3.は必ずしも「工業化」とは関係無く例えば「農業の高度化」などで食糧の収量が増えれば其の侭に人口は爆発的に増えることとなる。

 

ですから「工業化」と「農業の高度化」が複合的に合わさる形で所謂「社會問題」をより深刻に成り立たせて行くのです。

 

 

マルサスは然し英國に於ける文明の発展は本來的な形のものでは無いとさう述べて居る。

即ち「農業の高度化」→「工業化」こそが本筋だとさう述べるのだ。

 

ところが實際には「工業化」→「農業の高度化」を英國は主にして來て居る。

だが其れは順序が逆だとさう述べるのです。

 

マルサスはクリスト教に於ける「神」の概念に就き精通した人物です。

故に最終的に其の「神」の認識の側からものを述べて居られるやうに見受けられる。

 

つまりは経済學者ではありますが基本的な部分はむしろ神學者です。

故に「功利主義=合理主義」の側からでは無くむしろ人文學としての側から世の中のあり方を批判するのです。

 

特に1.と2.によりかって英國倫敦の街はスモッグに覆われまた貧民街があちこちに拡がって居たやうです。

ですが倫敦と言えばまさに世界壱の帝國であった英國の首都でありつまりは🗾に於ける東京のやうなものだ。

 

そんな立派なところで何でまたスモッグやら貧民窟やらが生じるのであらう?

なので確かに其れはかの夏目 漱石が悩む筈のことです。

 

そんな世界の壱流のところによりにより腐ったやうなものが生じて居るのですから漱石がもうイヤになっちゃうのは至極当たり前のことだ。

当時の英國と言えば所謂帝國主義を推し進め多くの「植民地」を獲得しさらに「産業革命」を成し遂げた世界壱の先進國家であり猶且つ伝統を重んじる國家でもあった。

 

ですからそんな最高の國でもって何でそもそんなサイテーなのが出て來て仕舞うのだらう?

そんなことをつまりは文明の矛盾としての「社會問題」のことを考えて居たら突然幼い頃に観た映画のことを思い出したのです。

 

 

其れは小学生の低学年の頃に観た「オリヴァー・トゥイスト」なる映画です。

此の映画を父と観た覚えがある。

 

父は若い頃に多くの本を読んだプチ・インテリでしたが公僕として役所に酷使され特に当時は帰宅時間がいつも遅かったのです。

故に此の頃に父と遊んだ記憶はほとんど無いがある日映画を観に連れて行かれたのである。

 

其の「オリヴァー・ツゥイスト」なる映画の内容の記憶がすでにほぼ無い。

だが兎に角暗く陰惨な感じのする映画であったやうに思う。

 

實は其の「オリヴァー・ツゥイスト」を是非また観たいとさう思いつつ此処拾年ばかりが過ぎ去って居た。

でもってアマゾンのプライム・ヴィデオでもって探してみたら何とスンナリと其れが出て來た。

 

Amazon.co.jp: オリバー・ツイスト(字幕版)を観る | Prime Video

オリヴァ・ツイスト (映画) - Wikipedia

 

まさにコレである。

 

オリバー・ツイスト - Wikipedia

チャールズ・ディケンズ - Wikipedia

 

元はそんな英國の國民作家であるディケンズの名作である。

其の「オリヴァ・ツイスト」を昨夜観てみたところである。

 

…まさに大感動す!

映画はまさに当時の倫敦の下層民の悲惨な人生の様を描き出して居る。

 

だが先にも述べたやうに当時英國は世界に冠たる文明の壱等國だったのだ!

じゃあそも何でそんな國のしかも首都でもってそんな悲惨な生の様が展開されて居たりするのであらう?

 

つまりは其れが文明の引き起こす矛盾により生じる「社會問題」の姿なのだ。

即ちそも「社會が惡い」んで「全部が良くなる訳では無い」のである。

 

 

でもソレ今とまるで變わらんではないか!

だからそも「社會」は變わりやうが無い訳です。

 

變わりやうが無いから何処までも何時迄も「全部が良くなる訳では無い」のである。

 

さうだったのか。

では果たして何が良くなるのだ?

 

まあ國としての體裁、まずはソレをこそあらゆる国家では整えたがる。

でもって國としての體裁を整えてから余力があれば下の方を支えやうとするのですがもう其の頃にはそんな余力はすでに無い。

 

ぎゃあ、なんじゃそりゃ?

じゃあ王室や天皇家の立派さのみがまずは存続して居れば貧民の方は死んでもエエとさう仰りますので?

 

…別に幾ら死んでもエエんです。

だから其れが立憲君主制での基本的な理念です。

 

故に仏蘭西ではかの「仏蘭西革命」が勃発した。

ですがそんな「仏蘭西革命」に對し英國人はむしろ距離を置き冷静に見詰めて居たかのやうだ。

 

マルサスの立場もまさに其の種での立場でせう。

要するに彼マルサスの言いたいこととは「革命」では無く「神への帰依」=「神への認識の転換」だったのだらう。

 

 

いずれにせよ倫敦の貧民窟は当時まさに物凄いものだった訳です。

また戦後の🗾も1950年代迄は至極貧乏で、自分が小学壱年生となった1966年頃でさえ結構貧乏でしたのです。

 

当時家の便所は汲み取り式でさらに風呂などは薪にて焚いて居りましたものです。

処が其の薪にて焚く風呂の風情の凄さは壱度経験した人でないと決して分からぬ。

 

また風呂の小さな硝子戸を開くと丁度家の門の横の松の枝振りが観賞出來る。

其の文人風呂の風情たるや以降壱度たりとも経験し得ぬものであった。

 

さて此の辺りのこと迄をも含め考えますと「進歩が良い」とは壱概には決め付けられぬものと考えられる。

ですが映画でもって描かれる倫敦の貧民窟の様はまた其んな風呂の話ともまるで違い悲惨其のものです。

 

其の「生の悲惨」と云うことがすでに此の映画によりわたくしの幼心にしかと刷り込まれて行ったのだった。

「生の悲惨」と云うことを以降常に慮るからこそ中学参年の折りに「人類の人口問題と食糧問題」との「社會問題」に就きレポートを纏め上げたのである。

 

 

尚映画『オリヴァ・ツイスト』はそんな当時の倫敦の暗部としての社會問題に焦点を絞るものですが其れでも最終的には所謂「ハッピー・エンド」となる作品です。

其れが通俗小説としての帰結であるのか其れともクリスト教的な意味での「樂観性」の部分であるのかどちらとも決め難いものです。

 

但しディケンズはアノ漱石や芥川のやうな純文學作家では無いことからも前者の比率が高いやうにわたくしには思われてなりません。

ですがそんな通俗性の部分こそが此の悲惨なる現代社會に對する壱つの救いともなり得る部分である。

 

即ち「オリヴァ・ツイスト」が野垂れ死んだりするのでは無く彼は所謂「エエとこの子」となり優しい祖母や教養ある祖父の元へと戻るのです。

さうしてオリヴァをたぶらかした惡人は全て死んだりまた逮捕され貧民窟もまた少しは良くなり其の後も文明が続いて行く訳です。

 

さうでなければまさか父は小学低学年生の我を連れワザワザ映画館迄行かなかったことかと思います。

尚丁度其の頃母ともまた映画を観て居りましたものです。Amazon.co.jp: ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘を観る | Prime Video

 

 

「東京五輪のセレモニーをやるから2日間だけどいてくれ」路上生活で体験した“ホームレス排除”のリアル《行政からの無言の圧力も》 | 文春オンライン (bunshun.jp)

 

まさに此のホームレスの問題もまた「社會問題」其のものです。

其れは云わば「社會が富を配分出來ぬ」ことから生じるであらう不均衡であり不平等の問題です。

 

自分が此の「社會」はダメであり無能だと言うのは其の不均衡であり不平等を放置した侭で只「シンポ」を続けることに慣れ切って仕舞って居るからのことです。

「シンポ」をしたと言うのであればまずは此の理不尽な社會の構造ソレ自體を變えてこその「進歩」でせう。

 

ところが此の社會はそんな19世紀の頃と本質的には變わっては居ない訳です。

其れも金力を持つ資本家共に政府や日銀は振り回され他方で貧民窟は何処の國でもいまだ貧民窟です。

 

そんな社會ではダメだと僕は声を大にして言いたい。

だから矢張りと云うべきか「高校講座」での復習程大事なものはありません。

 

尚「高校講座」には「日本史」や「地理」などもまたありますので其の全てを視て居るだけで人生の半分が過ぎ去って行きますがドッコイ其れがまた實に御勉強になるのです。