そんなアル・ゴア氏の「理性」と「良心」に心より感服すー「不都合な眞實2」に於けるアル・ゴア氏による現代社會との奮闘振りー
+何故か好きな「宮崎 美子」氏のこと
さて本日は晴れ間のうちにと洗濯を済ませ布団を干すがさうかうするうちにすでに曇っても來た。
どうも「地球温暖化」により次第に安定した晴天が続かなくなって居るものらしい。
其の「地球温暖化」は文豪のトルストイや太宰が生きた時代には問題とされて居なかったことであるが現代ではまさに大問題となる。
ソコを逆に申せば現存在として求める諸価値を其の「大問題」を前提とした上で變化させて行かねばむしろ我我人類は其れに圧し潰されて行かざるを得ぬ。
なのですが相變わらず世間ー現代社會ーは訳の分からぬ抽象的価値に對し壱喜壱憂しそんな難しいことはそも考えられずに國を富ますことだのまた平和だの愛だのそんな「理想論」のやうなことばかりを述べるに止まる。
だが御前等文人の方が余程に其の「理想論」者ではないのか!
いいやさうでは無い。
特にワシなんぞはまた極めて「具體的」で且つ「現實主義」で要するに半分はほぼ♀の価値観にさえ生きておるのである。
ああだからむしろ女嫌いなのか。
さうなんだらう、こんなワシが半分♀でしかもあくまでドーブツだから「理想」も何も無く「たった今」しか生きて居ないのさ。
ふーん、ヤッパリアンタは變わってるわ。
ワシが變わって居やうとどうしやうとかうして日日人類の仕出かす罪はドンドン溜まって行く。
うわあー、まるで「肥溜め」の如くですね。
おいおい、君のやうな昭和のジジイはいざ知らず今の人達は「肥溜め」なんぞそも知らんのよ。
だが御前もまたまんま昭和のジジイだらう?
まあ昭和に限らず多分百五拾年程前の人なのやもしれません。
また國籍や特定の場に「限定」されること無く自由にソコに出入りすることの出來るまさに「時と場の旅人」の如きものだらう。
そんなタイムトラベラーはたった今何を見詰めるのか?
いえ其れが机の上の物のみを見詰めて居ります。
果たして其れは何か?
1.翡翠の瓶
2.万年筆
3.ブラジル製の便箋
のみとなる。
また時折机の下に様様な🐈が出る。
様様な🐈?
さう黒猫やタイガー・ザ・グレートのやうな毛並みの🐈やまた時にペルシャ猫などもが出没する。
さても何匹居るのですか?
多分拾匹程度は。
要は其れ等こそが「具象的現實」の様であり露西亜のウクライナ進攻や米國の大統領選や我が國の政治の堕落振りなどはほぼ無関係なことであるとのこと。
すると空想詩人さんはそんな「實存的価値」に就き述べるのでありまさか「愛」や「平和」に就き述べるのではないのだと。
いや今年は「愛」のことに就き述べて居る積もりであるが其の「愛」はむしろ普遍化し得ぬと云うことをこそ皆様に是非御伝えして置きたい。
果たして「万年筆」は本日何を御使いで?
ズバリ「オマス」と「ヴィスコンティ」の角軸を使う。
其れも「オマス」の方が所謂パラゴンで「ヴィスコンティ」の方がオクタゴンとなる。
また可成にレアーな現代の万年筆を御使いですね。
かうして「コレクター」は常にややこしい物の領域を標榜して止まぬものよ。
要するに「壱般人」には理解出來ぬ領域をこそ常に志向するものだ。
「魅惑のコレクションライフ」 - あしたも晴れ!人生レシピ - NHK
さて本日はたまたま昼にEテレにてこちらの番組を視た。
さうして各分野での「コレクター」氏の熱意に圧倒されたものだった。
でもアンタもまた凄い方ですよ。
確かに万年筆の方ではかって凄かったけれど最近はむしろ其れを売りかうして石に換えても居るので…。
もしやソコに例の石マニアであるとよた 真帆 - Wikipedia氏などが出て居ましたか?
はい、「水石」を並べ出演して居ました。
さう石マニアには弐種があり「水石」マニアと「鉱物標本マニア」とに分かれる。
無論のことわたくしは後者の者ですがそんな観賞石の方もまた嫌いでは無い。
但し「水石」マニアには自然石を何かに見立てるとの下賤な趣味の部分がありハッキリ申してソコは嫌いである。
また所謂人に見せんが為の「ー装身具としてのー💎マニア」などもまたハッキリ申して嫌いである。
そもわたくしの石趣味はかっての欧羅巴貴族の如くに静かで且つ御上品なものとなるが故にそんなケモノの世界と壱諸にして貰っては實際困る。
ああまた出たな、そんな「精神の貴族」病が。
すみませんがどうしてもまた出ます、そんな高踏的貴族趣味の病が。
だが君はまさか其処迄石に金をかけては居らんのでは?
仰る通りで万年筆の五分の壱程しか金はかけて居りませんのでさう誇れるやうな石は元より無くつまりはまんま自己満足での世界のものだ。
さて七月が來ると同い年となるのが彼女宮崎 美子 - Wikipedia氏です。ーさう半年ダケお姉さんとなるー
何せ彼女は頭が良くまた翡翠マニアであるところなどが自分にソックリだ。
【石の話】翡翠(ひすい)の由来知ってますか?【趣味】 (youtube.com)
【石】国石である「翡翠」はなぜ奈良時代に表舞台から消えたのか!? (youtube.com)
さうまた實に良く御勉強されて居ます。
頭が良くまた翡翠マニアならまさにアンタとピッタリではないか。
さうなんですね、でも頭が良い👩はまた壱種気難しくてね。
さらに自分はまた其れに輪をかけて気難しいから彼女との御付き合いはあくまで難しいことだらう。
だがまた塾がやれるではないか。
まあやれさうですね、さう弐名先生が居れば。
でも「翡翠」の方がイイですよ。
そんな「モノ」の方がややこしくなくてイイんです。
あれアノ宮崎 美子氏ですら結果として「翡翠」以下なんですか。
まあ生ものですからね、何せ👩は。ーさう罪が深過ぎるとの意味にてー
【翡翠】日本の海に、謎の黒い影が現れました(黄色ヒスイの話もします) - YouTube
!!!
つまりは黄色系の翡翠原石が「有る」と考えても良いやうなのだ。
さて以下ではまた百八十度話題が變わり「人類滅亡」系での御話をさせて頂きたい。
尚「人類滅亡」系での御話を普通女性がすることはまず有りません。
有りませんがかの文豪トルストイにせよまた大宰 治にせよどう見ても所謂「破滅型」でありつまりは「人類滅亡」系での御話が彼等に似合わぬ訳でも無い。
つまり壱部の理性的な働きとしてそんな「人類滅亡」系での御話がまたどうしても出て來るものとさう考えざるを得ない。
ですが本日はそんな暗い話をするのでは無い。
さうでは無く彼アル・ゴア - Wikipedia氏の現代社會に對する闘いのことに就き是非述べて置きたし。
ところで現在自分が彼に抱く印象とはまさに以下のものとなる。
1.頭が良くつまりは「理性的」な政治家
2.所謂「環境問題」と闘う「心有る」人
3.實行力が有る人
Amazon.co.jp: 不都合な真実 (吹替版)を観る | Prime Video
Amazon.co.jp: 不都合な真実2:放置された地球 (字幕版)を観る | Prime Video
「不都合な眞實」の方を弐月に視聴し「不都合な眞實2」の方を昨日視聴したところとなる。
特に「不都合な眞實2」の方には大きく心を揺さぶられた。
また此の人は「本物の政治家」だともまた感じた。
即ち政治家にはハッキリ申して「馬鹿」が多いがアル・ゴア氏はむしろ「利口」の方である。
其れもおそらくはグレタ氏並みに「利口」なのだと思われる。
では「宮崎 美子」氏の利口振りと「グレタ」氏の利口振りとはどう違うのか?
其れは婆様と小娘の「子宮思考」の違いであらう。
「宮崎 美子」はでもまだ子が産めるぞよ。
其れはでも幾ら何でも無理と云うものです。
「宮崎 美子」は塾の先生位ならば無論のことやれるがまさかニンゲンの生産の方には向かぬことだらう。
でもあんな小生意気な「グレタ」なんぞより「宮崎 美子」の方が可愛くしかも美人だろ。
はい確かに「宮崎 美子」の方が可愛くしかも美人だ。
だから僕はもう「宮崎 美子」ダケでイイ。
其のすでに子が産めぬ「宮崎 美子」こそが「理想」の彼女である。
確かに…。
確かになんかアンタと合って居ますね。
彼アル・ゴア氏はしかしながらとんでもない現代社會との闘いを演じて居られる。
特にパリ協定 (気候変動) - Wikipedia採択に際し殊のほかアル・ゴア氏の尽力が大きかったことを此のドキュメンタリー番組より知り愕然とした。
またつまりは其れが所謂「気候正義 - Wikipedia」なる視点に支えられるものであるやうに感ぜられた。
だが現存在の暮らしはそも左様な「気候正義」などと云う抽象的な概念により支えられるものには非ず。
そりゃあ作家や詩人やまた宗教家などは別として庶民の生活を支えるものとは要するに體制であり國家の力其のものでしか有り得ない。
また所属するであらう自治體の力でありさらに會社の力の方となる。
であるからこそ作家や詩人やまた宗教家などは別としてそんな野垂れ死んだりまたルンペン生活をまさかしたくは無いので普通庶民は皆「社會」に従わざるを得ぬ。
でもってナゴヤ人などもまたナゴヤ市が木を伐り倒し大スタジアムを造る段となればまさか其れに文句は言えない筈なのだ。
でも環境詩人ダケは其れは絶對にやってはならぬことだとさう叫び続けて來た。
おお彼程に心根の清い、さうして「文明社會の横暴」を決して許さぬだらう潔癖な心の持主は居ないことであらう。
さうナゴヤの環境詩人がどんだけ叫んでも、また僕は「宮崎 美子」ダケでイイ、もう子孫などは何処にも要らぬから壱緒に塾でもやらうではないか、エエヨシコさん。
と其処迄思い詰めて語って居るにも関わらずみんなはアホみたいにコノ連休に何を食い何を遊びどんな👩をかどわかすかと云うことだけに血道を上げておる。
まあそんなおふざけはヨシコとしてもだ、兎に角此の文明の罪深さとは壱體何なのだらう?
とまあ環境詩人がやれることとはむしろそんなもんですがアル・ゴア氏の場合は何せ「力」がおありなので其れとはまるで違う。
例えば発展途上大國の印度がかって「火力発電所」を其れも数百もの発電所を建設する計画であった。
何故かと言えばさう石炭を燃やせば安くエネルギーが得られるからなのだ。
其れも「原子力発電」ともなれば所謂「核廃棄物」の問題が生じるが「火力発電所」ならば其れよりもカンタンに造ることが出來る。
なので當時印度政府はパリ協定を反故となし兎に角ドンドコ石炭を燃やさうとして居たのだった。
だが其れが非常にヤバい状況を招くこと位は政治家ならば皆知って居る筈である。
だが政治家は主に文明の下僕なのでむしろ誰も其れに反對し得ぬものと相場は決まっておる。
さう政治家が主に文明の下僕なので詩人の場合は彼等は馬鹿だとさう常に述べて來て居る。
また其の馬鹿の親玉のやうな奴等が老政治家には多いものと來ても居る。
ところが彼アル・ゴア氏ダケはまるで違って居た。
ナゼナラアル・ゴア氏はすでに「地球が危ない」とさう感じて居られやう。
また環境詩人も確かにさう思いますのですがでも究極的には世間は變えられやせぬとさう考えても居る。
だから「地球」は其れも2060年頃迄に「死ぬ」とハッキリ申してさう思うのです。
そんな環境詩人はかって左翼革命闘争やまた其の眞逆に右翼保守闘争の「思想」などにも走りかけたがでも最終的にはそんな観念的イデオロギー闘争の世界を放棄しかうして机上限定にて毎日遊んで居るのです。
其れもナゼ遊んで居るのかと言えば「思想」の転換で現代社會が助かるものでも無いことをすでに「見切って」仕舞って居るからのことである。
だが其れは其れでむしろ彼なりの「結論」であり同時になるべく「現代社會をボロクソに批判する」ことで新たな意味での人類の心的領域を切り拓くが為にやって参りました。
だから彼の「論理」ではあくまで人間の心的領域こそが汚れ切って居るのである。
でもソレはオウム教の論理と同じだらう?
いやオウム教や他の新興宗教では無くあくまで御釈迦様とクリスト様の教えにこそ基づくであらう「極樂浄土」への道をおお其の道筋を、其の「茨の道」をこそ世に示さんとして其れも壱種執拗に、嗚呼こんなにもクドクドとさう叫んで來しのにむしろみんなは「連休」のことしか考えて居らぬ。
故にそんな「連休」はもう君等にあげられぬ。
だから君等をむしろ「御勉強浸け」にしてやりたい。
そんな僻みのことなどはもう良いからアル・ゴア氏は其の時どうしたのか?
彼は何と米國No.1のソーラーパネルの企業のトップに電話をしたのだった。
さうして其のソーラーパネルの技術的ノウハウを印度政府へ無償にて提供することを取り決めたのだった。
はあー、だから彼アル・ゴア氏は「ノーベル平和賞」を受賞したのか。
まあ其れにてさうなったのかどうかは知りませんが以降印度政府は「巴里協定」に署名して居るやうだ。
パリ協定 (気候変動) #各国の削減目標- Wikipedia
パリ協定 (気候変動) #締結および署名国- Wikipedia
インド、35%目標に対し、28%の排出量削減を達成 | Data Center Café (cafe-dc.com)
尤も米國などはトランプ政権下で「巴里協定」からは離脱したがバイデン政権下では復帰して居る。
問題は米國やまた中國や印度などの所謂大國が大量に垂れ流す弐酸化炭素が地球温暖化を促進するとの部分でせう。
ですが現状で印度は可成に對策が出來て居るとのことです。
まさに其れはアル・ゴア氏の尽力によるところでのものが大きかったのではないか。
「不都合な真実2」この映画はアル・ゴア氏からあなたへ託された1通の手紙だ。 | TABI LABO (tabi-labo.com)
ノーベル平和賞 アル・ゴア氏が語った、環境とテクノロジーの「あるべき未来」 |ビジネス+IT (sbbit.jp)
其のITの世界其のものが結果として電力により支えられて居るものだからそちらの分野を推し進めることで人類社會はむしろ余計に電力消費が増えて行くこととなる。
逆に「社會の電脳化」を止めれば人類社會はスッキリし其れこそ「エッセンシャルな生活」を営むことが可能となる。
ところが人類の進歩過程は「不可逆的過程」ですので戻らうとしたにせよ其れは出來ぬ相談となる。
さて個人的に「気候變動」の大問題は「生物種の絶滅」と並列される人類に取り究極の問題なのだと考えます。
ですが其の問題を引き起こすに至った最大の要因はむしろニンゲンの内面にあり其れも具體的に言えば所謂「認識論」に於ける問題が元來ニンゲンの側には存するやうに思われてならない。
其れが要するに上でも少し語ったやうな部分でのことです。
人類の多くはむしろ哲學者や宗教家のやうな心理状態には無く要するに「社會のあり方」には基本的に逆らえない。
旧來での「社會のあり方」に抗うのがむしろ社會主義思想の方でせうが其の大衆的な意味での社會への追従的なバイアスにより社會革新を成すこと自體がそも極めて難しい。
Amazon.co.jp: 21世紀の資本を観る | Prime Video
ソコをこそかって突いて「資本主義社會」への盲従に對し強く危機感を示したのが彼ピケティ氏でした。
尤も自分は此の本を読んでは居ない。
其れも其の内容の大筋だけは知って居ますのですが。
ですが『21世紀の資本』と云う本をかって壱冊求めて居ます。
まさに其れは分厚い辞書の如き本でした。
でも其れを読まずにとある人に餞別として贈りました。
彼は元塾の経営者で且つ英語の教師でもあった人です。
彼が大学教授の女性と結婚することとなり其の御祝いの積もりの部分からもさう贈りましたものです。
ですがイキナリさう「資本主義批判」の本では大学教授の奥さんはさぞや面食らったことでせう。
でもって其の大学教授の人を引っかけたのが彼が主催した「ゴルフコンペ」だったのです。
當時は自分もまだバリバリにゴルフに精を出して居り彼とも何度か練習をしたものでしたが共に飛ばし屋でありドライヴァー・ショットの飛距離はほぼ同じ位でした。
但し彼が其の後どうなったのかと云うことはすでに分かりません。
さて「気候變動」の大問題はまさに人類全體の問題であり其れこそ「ニンゲンとは何か?」や「文明社會とは何か?」と云う大きな問いの部分とこそ密接に関わるであらう根本での命題であり課題のことです。
パリ協定とは?脱炭素社会へ向けた世界の取り組み |WWFジャパン
其の「脱炭素社會」にせよまた「持続可能な文明世界」との課題にせよ社會構造が變化しない以上さう価値転換を図ることは極めて難しいことになると考えざるを得ない。
4.「社會生活」其のものの持続不可能性
5.文明の浪費癖
6.「罪」への不感症=文明による価値観の洗脳過程
其れこそ「気候變動」の抜本的な理由の部分を考えて行けばかうした部分迄踏み込んで考えて行かざるを得ないことだらう。
他でも無い「社會生活」其のものに元元難が有り、また「文明其れ自體」に「浪費癖」がある故其れこそ潔癖な理性を持つ個が何を叫ぼうと文明による諸の破壊を止める手立てなどはそも有りません。
さらに「文明」の所業がそも「罪」であるとさう捉え難くもなってさえ居る。
また其のことが所謂「文明による全體主義」の成就です。
「文明による全體主義」の成就が成れば其れこそ「罪の意識」は消滅する。
ではどうすれば良いのかと云うことながら、「現代人は社會と個の関係性を今壱度問い直すべき」だと云うのがむしろわたくしの意見となる。
即ち「気候變動」はあくまで現代社會が推し進めて來し「環境破壊」のことですので元來我我個が望むところでのものでは無いのです。
要するに「社會」に對し常に疑いの眼差しを投げかけ「現代文明」の諸価値を無条件に信奉したりはしないこと。
まずは其のことこそが我我「個」に可能な「反抗」となるのではないか。
まさにそんな思いをかのアル・ゴア氏の「理性」と「良心」より學んだやうな気さえもが致します。