目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

『サバイビング・プログレス 進歩の罠』を再度視て思う事ーそんな「理性の良心」としてのドキュメンタリー作品を視て思う事ー

『サバイビング・プログレス 進歩の罠』を再度視て思う事ーそんな「理性の良心」としてのドキュメンタリー作品を視て思う事 弐ー

 

 

 

 

まあそんな訳で話は兎に角複雑です。

其れはまさに「文明の抱える闇」の部分が壱筋縄では行かずむしろ相互の要素が関連し合いつつ雁字搦めとなって居る部分でせう。

 

また誰もがまた此の「文明の罠」であり「暴走の罠」の当事者なのです。

其のことは誰も逃れられはしない事實です。

 

さらに言えば単純に申して此の世にて得る賃金の額に比例し「罪」は生じて参りませう。

まあ其の点ではわたくしをも含めビンボー人は大した罪などは犯しては居りません。

 

其れでも長年に亘り趣味の方でやりたいことをやれば普通弐、参千萬円分程は其れに注ぎ込んでも居ることでせうからまさに其れも✖です。

するとありゃ自分などもヤッパシ✖でしたか。

 

嗚呼自分もヤッパリ自然を搾取し奴隷としてコキ使い半死人と化して居たのですね!

 

「金持ちはもれなく地獄行き」

 

まあ其れがわたくしの論理での結論でせう。

 

 

7.経済の罠

8.科学の罠

9.生活(人口)の罠

 

さらに其の4.の部分には例えば以上での概念が含まれて居る。

此れ等の概念もまた實に厄介な命題でありつまるところ「個」としては解決が不可能な課題ばかりです。

 

かってわたくしは此処にて近現代の社會が生じさせる「矛盾」なり「破壊」なりが常により大きくなることに就き言及致しました。

近現代の「拡張主義」が必然として其の目的ばかりか不利益其のものをも實はさうしてより大きく齎して行かざるを得ない。

 

要するに「高望み」をし過ぎるのでしっぺ返しの部分がより大きく出且つ「破壊」する範囲などがより大きくなるのである。

 

 

「文明よ正気に戻れ!」

 

とさう述べて來て居るのは無論のことわたくし壱社會科詩人によるもののみでは無く結構多くの學者の方方が以前から世に對し訴えかけられて居ることです。

 

作品中ではすでに亡くなられたホーキング博士などが「ニンゲンは暴力的であり野蛮ですらある」とさう「理性的」な立場から述べられて居る。

またデヴィッド・スズキ氏などは強い調子で現代に蔓延するであらう経済學による抽象的な価値としての還元作用を批判されても居る。

 

さらに「ジェーン・グドール - Wikipedia」氏による自然破壊への警鐘の部分が描き出されてもまた居る。

個人的に其のグドール氏こそがまるでかのマリヤ様のやうな方でもあるとさう感じても居ります。

 

ママチンパンジー学者から環境活動家に | ジェーン・グドール | Jane Goodall |日本語字幕 | 英語字幕

 

ジェーン・グドール:地球の未来に希望を抱く5つの理由 - 環境ニュース (mongabay.com)

86歳の動物行動学者、ジェーン・グドールから学ぶこと。【ジーン・クレールが選ぶVOGUEな女性】 | Vogue Japan

 

 

※参考資料

「暴走する文明」ロナルド・ライト著 - 爽風上々のブログ (hatenablog.com)

 

また、

 

10.ニンゲンの認識其れ自體にそも自己矛盾性=惡=どーにもならんヤバさが有る確率が高くある点

11.ニンゲンは普通偏った認識しか出來ぬ点=双方向的に認識し観念化する能力には常に欠ける点

12.ニンゲンの認識が意外とほぼケモノである点

 

とのことがまずは哲學的に導き出されたところでの重要な観点です。

また其処からは必然的に、

 

13.其のケモノ並みの認識を改めニンゲンの「認識上の革命」をこそ目指すこと

14.まさに「内向型の天才」の意見に是非耳を傾けること

15.文明!おめえ、自分の「ケツ」は自分でもって拭けい!

 

さらに、

 

16.伝統的宗教を是非見直すべき

17.國會議員並びに地方議會議員数の削減

18.金持ちへの課税の強化

 

などを是非やって行って頂きたいところだ。

 

さらに出來得れば、

 

19.不倫及びふしだらな👩の撲滅

20.禁酒法の制定

21.ギャンブルの放逐

 

とのことなどを是非實施して頂きたいものです。

 

 

9.生活(人口)の罠

 

さて「ロナルド・ライト」氏は現代人は何せ多過ぎるので半分かまた参分の壱程に減らすべきだとさうも仰る。

無論のこと自分などもまた其れには同感でありとりあえずは「半分」にすべきだと正直思う。

 

ところが此の辺りの価値は壱般大衆に取りむしろ大きな価値ですので減るも減らすも無く要するにそんなことで制限されたらたまらん訳です。

まあ其のやうに大衆の認識とはほぼドーブツ並みなのですから。

 

また此の作品へのレヴューのところにも書いてあるやうに此のドキュメンタリー作品は其の現代社會への問題提起の仕方がほぼストレートであり所謂マイルドな大衆向けの内容なのではありません。

要するに「御茶の間」などではとても視られぬ作品です。

 

が、其れだけにか文明の批判者に對し「強いパワー」を発揮するものとなる。

従ってわたくしの場合はまた何度視ても「凄い!」とさう思わされる。

 

「文明よ正気に戻れ!」

 

さう批判を重ねることは正直に申して心理的に大變なこととなる。

問題は其れをして文明が變わり得るのかとのことですが壱言で申せば言わば「慣性の法則」のやうなものでたった今動いて居るものを「止める」ことはまず出來やしない。

 

でもってそもソレが出來ないのであれば自ら進んで縁するものを「限定」し同時に「懐疑の眼差し」を文明に對し持つべきではないかと思う。

ハッキリ申して此の世の中の其れも多数派の人人は「文明」での諸価値の方をむしろ「信仰」して居り其れを貶し否定的に扱う見方其のものを嫌惡して居るのです。

 

ですが其れではまさに「文明のやりたい放題」が進んで仕舞う。

よって文明に取り最も重要なのはまさに其の「批判的な眼差し」のことでせう。

 

但しそんな「批判的な眼差し」はむしろ己を見詰めることでこそ涵養されやう。

さうしていずれは「文明論」もまた「宗教」や「藝術」に於ける論点と重なって來る。

 

其のことがまさに「我我ニンゲンとは何者か?」との問いの部分でもあることだらう。