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文明批判と美と心の探求と

新・文房具夜話ー第壱夜 白い文鎮とブナ材の白い万年筆の手触りとー

新・文房具夜話ー第壱夜 白い文鎮とブナ材の白い万年筆の手触りとー

 

 

 

 

歳をとるほど“ゆるく生きる”ことが重要になるワケ - 週刊アスキー (ascii.jp)

 

其の「テキトー人生」には元より賛成です。

其れも廿世紀迄はそんな「テキトー人生」を選ぶとまず「村八分」となったが今や其れどころではない。

 

何せ今や地球が壊れるかどうかの瀬戸際なので文明社會の御機嫌伺いの為に自ら進んで奴隷となり其れでもって兎に角毎日絞り取られふと気付くとすでに還暦だった。

そんなアホウらしい人生をやっとって果たしてドコがエエ人生だと言えるのか?

 

なのでもうそんな奴隷はコリゴリでありよって後はもうなるやうになれ、ほれ即ちレットイットビーでもってケッセラセラだ。

どだい社會がバカなんで此の世はもう御仕舞いだぞよ。

 

そんなもんは皆頭の良い人なら分かっとるわ。

ほーりゃほりゃほりゃほりゃほーりゃ皆分かっとるわ。

 

とのことでまーエエ加減堪忍袋の緒が切れたので自分の場合は「テキトー人生」へと突入致しましたのです。

 

其れでも「家事」や「生活」其れ自體が樂な訳では決して無い。

「家事」や「生活」其れ自體が樂な訳では決して無いが例えば野良🐈共の苛烈な生き方を観て居るとニンゲンは遥かに樂だとさう思わざるを得ぬ。

 

其れも美しい灰色の毛並みの子🐱がふと家へ來なくなったりもする。

或いは🚙に轢かれたのであらうか、其れともまだ生後半年だと云うのに何処かで子でも産んだのか?

 

いずれにせよ動物界の混沌振りはある意味ではニンゲン界よりもより厳しい。

だがニンゲン界は其れよりも基本的により罪深い。

 

さう罪深いが故にクリスト教などがかうして成立する。

また寺に限れば佛陀が崇拝されて居たりもまたする。

 

 

まあエエ、兎に角此処ニンゲン界はまともに向き合い生くるべきところには非ず。

老荘思想に迄をも精通する世捨て文人はさうゆるりと認識を變え身の回りのことダケに向き合うこととしてみた。

 

世界がどうあらうが「たった今ココ」にこそ現象は有る。

現象は本質的には妄想であらうが「たった今ココ」に展開する實存こそがまさに「物語」ぞ。

 

其の「物語」が悲劇であらうが喜劇であらうが其れとはお構いなしに時は過ぎ行き光は射しあらゆる世界の流れが其の場に再生される。

さう死んでからも其れが再生される。

 

其のまさにキリの無い舞台でありキリの無い演技であるところでの縁起の様こそが現象としての實相ぞ。

 

 

でもって本日は久し振りに晴れたので改造万年筆を壱本創った。

其れはブナの木管にて作った手触りの良い品である。

 

其のブナの木管は例えば堀田のカインズで売られて居る。

たまたま穴が眞っすぐに通った細目の丸棒があり木曜日に其れを求めてみた。

 

【楽天市場】ブナ木管 円柱 (5WH) 【直径24×200mm/内径13mm】:オカモク楽天市場店 (rakuten.co.jp)

 

 

本日は其の木管をCUTしキャップを被せ🖋化した。

所要時間は壱時間半程でたった其れだけのことで實は銘木🖋が壱本完成するのである。

 

昨日は木管の穴を鑢で擦り拡げるのに少少難儀をした。

其処に付けられた首軸及びペン先ユニットは80年代のプラチナ#3776の物となる。

 

キャップは「HUASHI 90」と云う中國のヴィンテージ万年筆の物となる。

其の「HUASHI 90」は巨大な🖋であり且つ廉価な品となる。

 

 

CHINA HUASHI 90 Fountain Pens Oversize Pen Have Box-1

 

此の「HUASHI 90」を求めたのがすでに五年程前となるがまずは其の大きさに得難さを感じたものだった。

以降「HUASHI 90」は改造万年筆の主に部品として使われることとなった。

 

 

CHINA HUASHI 90 Fountain Pens Oversize Pen Have Box-2

 

かうして巨大なスチール・ペン先が付き其れもまた改造万年筆の主に部品として使われることとなる。

 

またかうして廉価で且つ巨大な万年筆は🗾や欧米の🖋にはまず無いものと考えられやう。

 

 

さて改造万年筆や改造ボールペンは其の日其の時の気分でもって様様な素材を用い製作することが可能となる。

だが本職の職人が作る其れは概して高価なものとなる。

 

ですが自分でもって適当に作ればほぼ弐、参千円でもって常にやれる世界のものともまたなる。

 

 

勿論大きな🖋を作ることなどもまた可能となる。

ちなみに大きな🖋は概して高価な物となりがちである。

 

だが其れもまた自分でもって適当に作ればほぼ弐、参千円でやれる世界のものともまたなる。

 

 

さてニンゲンの欲望は常に大きくあるものなのでなるべく具象的に限定し其の範囲にて樂しむやうにして行く方がより望ましいことだらう。

即ち近現代の社會的価値として定着するだらう「よりデカい範囲での成功や執着」と云う概念は「間違い」であり「倒錯」の価値観其のものだらう。

 

正しくは「限定」した小さな範囲にてかうしてむしろ大きく喜んで居れば良いダケの話なのだから故に。

 

またなるべく「古い物」を活用し其処にてより「上質」である価値を求めて行くべきなのだ。

「古い物」には元より素晴らしい価値が眠り但し其れを発掘出來ぬのは「常に新しい物の方が良い」との社會的「洗脳」によるものだらう。

 

また所謂體制の違いや風土による感覚の違いなどもむしろ何ら関係の無いことなのだ。

さうした異質な物への偏見に捉われずむしろ積極的に世界中から安くて良い物を引っ張って來れば其れでもって良い話なのだ。

 

また最近自分はカレー物ばかりを好んで食いつまりはほぼ印度人化して來ても居る。

故にまずは自分が🗾人だとさう信じ込み其の🗾の常識と云うか世間體に盲目的に従う必要などは無い。

 

兎に角自分がやりたいことをやりゃあ其れで良い。

但し公共の福祉に反せず且つ犯罪の構成要件に該当しない限りに於いて。

 

 

さて此のところ相變わらず寒いこともあり母も自分も余り體調が宜しくは無かった。

だが次第次第に春の息吹きが感ぜられるやうにはなって來て居る。

 

其れも我が家では何せ其の春の息吹きこそが待ち遠しい。

 

では春の息吹きを感ずるが為に白い文鎮を求めやう。

でも白い文鎮なんぞはまるで冬景色ではないのか?

 

さうとも言えやうが自分に取り「白」とはむしろ「始まり」としての象徴の色なのだ。

例えば1と云う数字がまさに其の「白」なのだ。

 

また2は「赤」で3は「黄」である。

 

するとまたぞろ「共感覚」の御話ですか?

さう「共感覚」者はさうして数字や文字に色を感ずることが出來る。

 

まさに其の「共感覚」者こそがわたくし自身のことなのだ。

 

では4は例えば何色なので?

4は何故か「黑」なのさ。

 

兎に角「白」は1で其れがまさに「新たな始まり」の色となる。

 

昭和ビンテージ 縞瑪瑙文鎮1

 

さてもこんなに美しい白い文鎮である。

其れはまるで雪のやうでもあるがあくまで自分にはむしろ春風のやうにも感ぜられたのだった。

 

昭和ビンテージ 縞瑪瑙文鎮2

 

其れと此の文鎮は大きさ及び形がとても良く要するに文房具として自分が使うのにピッタリである。

尚自分は常に文鎮にて紙を押さえるのでは無くむしろ普段は文鎮を左手に握り其の模様などを見詰めつつ何かに就き考え込んで居たりすることの方が多い。

 

要するに其れもまた「観賞石」の壱つなのであり要するに気慰めに使うやうなものなのだ。

 

 

昭和ビンテージ 縞瑪瑙文鎮4

昭和ビンテージ 縞瑪瑙文鎮5

 

其れにつけても石と云うものはまた不思議なもので其れをよーく観察するに其処には縞模様やランダムな模様が認められ其れを眺めて居るダケで其の石の歴史、物の來歴のやうなことに迄つい考えが及ぶものだ。

 

兎に角石と筆記具は左様にまずは相性が抜群に良い。

其れ等が机上にあればむしろ其れダケで固有の美の世界を形成するのである。

 

だが現代人は常に忙しくして居り其のやうな美であるにせよ其れを見出しにくくもなって居ることだらう。

故にあえて認識する世界を机上に「限定」すると其のことがまさに分かる訳です。

 

なのですがさう「限定」せずに社會の模様のことばかりに気を取られて居るとむしろそんな身近にあることだらう美の世界のことをついぞ忘れて仕舞う。

だからこそ其れでは「損」だとさう述べて居るのである。

 

「損」と「徳」で言えば現代人が文明にかまけて群がりたくなるものの方がむしろ「損」であり且つ「不要」なもので其の逆に自己限定しかうして机上に春を齎す価値こそが「徳」であり且つ「美」でありまた何よりも「思考の基」となるものなのだ。

 

 

其処でふいに其の白い文鎮と白い改造🖋を並べたくもなる。

うーん、矢張りと言うべきかどちらも白い。

 

しかも大きさが似ている。

 

其れも文鎮の方の長さが201mmなので209mmの此の🖋とほぼ同じ位なのだ。

 

尚ブナ材の手触りの良さはまた格別なものがある。

銘木ペンに限ればあらゆる材の物を此れ迄にむしろ使って來て居るが其の中で最も好きなのが此のブナ材の手触りなのだ。

 

 

ビーチ材(ブナ材)とは?魅力的な3つの特徴と経年劣化など気になるポイントを解説 | 株式会社キノシタ (kk-kinoshita.co.jp)

ブナ材(ビーチ材)とは?魅力とおしゃれな事例紹介|SUVACO(スバコ)

 

ブナの材はこちらにもあるやうにまずは「白く」北欧的である。

北欧と言えばグレタ氏であるが別にわたくしはそんなグレタ氏のファンなのでは無くそんな「白い」物が存外に好きだと言うことに過ぎない。

 

例えば白い🌸などが其れも可成に好きである。

嗚呼早くモクレンが咲かぬものか。

 

さうだ其の満開の白い木蓮の下でもって此の白い軸のペンでもってなんぞ詩でもものしてみやうか。

 

「白」

 

其れは汚れなき魂をもさう表して居る。

 

其れもおおあんな白蓮華の🌸のことぞ。

嗚呼こんな汚れ無き百合の🌸のことぞ。

 

さうしてブナ材は何処か女性的な物ともなる。

何より其れは威張らず且つ化粧っ気が無くつまりは清楚であり嗚呼其はまるでわたくしのやうに常に控え目なのだった。

 

兎に角今は此の手触りにこそゾッコンとなって居る。

其れ即ち「ニンゲンの幸福」とはまさにさうしたことなのであり其れは體制の勝利でも株価の記録的上昇でも無くこんな實存的な内面としての勝利の様のことなのだから故に。