銘木ボールペンに於ける壱級の材としての「島黄楊」と「アカシ」の軸ー使う程に「感謝の念」が涌く銘木ボールペンとは?ー
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尤も其れ以前に有権者はちゃんと政治のことを勉強して居ましたか?
いや勉強以前にちゃんとアベ政権はオカシイとさう認識して居たのでせうか?
野党がダメだと云うが其れはやってみなければ分かりません。
兎に角むしろ惰性でもって其の自民党に全部を任せて御勉強を自らせなんだ人人こそが壱番惡い。
さうですね、まずは🗾共産党に是非頑張って頂き🗾がイザ革命國家となればまた違う展開でもって至極面白いです。
すわ革命か!!
とか言いつつみんなが其の辺を走り回る様などを思い浮かべるとボクなどは何だか嬉しくなっても來る。
とさう至極不眞面目にしか現在わたくしは政治のことを捉えて居ません。
さて昨日はアノ「東大寺」を樂しく観光して居ましたのです。
NHKオンデマンド | 究極ガイド 2時間でまわる☆☆☆ 2時間でまわる東大寺 (nhk-ondemand.jp)
但し此処で観光するのはすでに参度目ですが何遍行ってもまた良いものです。
【速報】東大寺の参道で車暴走 2人搬送うち1人意識不明 (msn.com)
すると今日こんなことが起こりましたのです。
怖ろしい話です、いや何がって此の怖ろしい迄の偶然の壱致こそが。
ちなみにかう云うことをシンクロニシティ - Wikipediaと言いますがわたくしの場合には此のことが何故か強く起きます。
でもって文房具のことですが兎に角私共は毎日が其の文具浸けなのです。
其処こそがおそらくは壱般の方方と違う部分かと思う。
特に本日のやうに「雨天」の場合は机上にて日がな壱日「筆記具」などと戯れて居る場合が多い。
其れも昔はPCがそも無かったので眞の意味でさうして居たものでしたが今やPCにて観光などもやれますので其れをやりつつ文具浸けをやれば其れはもはや極樂世界のやうなものです。
しかも珈琲や紅茶などが其処にて飲み放題なのだから。
またスナック菓子なども食い放題でもってして。
さらに本日より銘木ボールペンをまた壱本使い始めた。
其の軸の素材は御蔵島産の島黄楊です。
御蔵島産の島黄楊は木素材としてブランド品となって居りー特に関東圏ではさうなるやうですー壱種得難い物となって居る。
要するに所謂江戸指物などで使われたブランド素材だと言えるのではないか。
其の島桑の方がかって木製品などに使われ有名でしたが例えば「黄楊の櫛」としての知名度はまた高いものがある。
ですが壱種古臭い物でもまたありわたくしなども五拾歳頃迄は其の存在すら知らなんだのです。
要するに触ったことが無く且つ見たことも無かった。
【将棋駒】御蔵島つげと薩摩つげ、結局何が違うの? (tengudo.jp)
但し其の将棋の駒に使われて居ることダケは知っても居た。
尤も個人的に将棋や碁などにはまるで興味が無い。
されど父が碁をうつ人だったが故に家には其の大きな碁盤などもまたあります。
ですが興味が無いので小学生の頃には其の碁盤に那智黑やら貝の白い石を並べ只遊んで居たものでした。
其れもそも将棋や碁は意味が無いやうにもまた思って居たりもした。
そんなものをやる位なら人類の未來を是非考えるべきだらう、位にほんたうは常に思って居りましたのです。
だけれども、将棋の駒、其れも確か黄楊の駒の方がまた家にはあり、其れを中学生位の頃に触ってみたりもまたして居たものでした。
すると其の感触が普通の物質とはまるで違うのです。
かう何と申すか、兎に角「すべすべ」でありまさにイヤらしい程に感触に優れて居りますのです。
故に其の感触の良さダケは其の後半世紀位に亘りわたくしの中にさう残っておった。
だからどうのかうのでは無くまたかの藤井先生がどうのかうのでも無くわたくしに取り将棋の駒とは兎に角其の感触のみだったのです。
嗚呼さう言えば小学六年生の頃には所謂「軍人将棋 - Wikipedia」なるものが流行り其れは「大将」だの「少尉」だの「タンク」だの「地雷」だの「飛行機」だのそんなものが駒になった要するに子供用の将棋なのですが其れには確かに嵌まり学校の放課の時間にいつも友達と其れをして居た記憶だけはいまだ御座ります。
でもって其の御蔵島産の島黄楊が軸材に使われる銘木ボールペンを得ましたのが昨年のことです。
昨年自分は「最後の筆記具蒐集」に精を出して居り丁度其の折にヤフオクにて兵庫県の方より「島桑根杢倶樂部」製の銘木ボールペンが多数売りに出されて居たのでした。
「島桑根杢倶樂部」とは東京の木工職人さんである樫原 正明氏が主宰される銘木ボールペンを愛好するが為の壱つの世界観のことです。ー東京工房ー
かってわたくしは其処での御得意様でもまたあった。
ですがわたくしの場合は常に両義的に動きますので實は三重県の杢杢工房さんの方での御得意様なのでもまたあった。
またさらに白状すれば埼玉県のアマチュア木工家のIIJIMA氏ーすでに故人ーの銘木ボールペンの御得意様なのでもまたあった。
兎に角さうして何処でも御得意様になるので銘木ボールペンの数ばかりが兎に角増え其れも次第に専門の方での「万年筆」の世界を圧迫するに迄至ったのでした。
では何故わたくしが其れ程迄に「銘木ボールペン」の世界に嵌まったのかと申せば其れはひとえに其れが「自然素材」を其の軸に用いて居るからなのでした。
さう「銘木ボールペン」は其の大部分がまさに「自然物」なのだった。
「自然」由來の物はまた文明が作る物とは異なり其処に「命としての息吹き」のやうなものを感ずることが可能となる。
要するに超アナログな品品なのです。
そんな「超アナログ品」だからこそむしろ其処に「訴えかけて來る」だらう何かが潜む。
特に合理的に須らくが支配される現代社會に於いては其の価値がむしろ際立って見えても來やう。
ですので其れこそ本質的には其の価値に優劣などは無いのだと言える。
其れも別に高級や低級との差が其処にある訳では無く只文明的創作物であり科学的合成物とは違うであらう価値が其処に拡がるばかりなのだ。
よって極端な話木製の鉛筆壱本からもまたそんな価値を味わうことがまた可能となることだらう。
とは言え銘木素材を使わずとも筆記具には「自然」が含まれて居ます。
要するに「自然」を加工することであくまで文明は製品を創るのであり其の科学的なまた技術的なレヴェルがむしろ低い段階に於いてはそんなアナログ的な価値がまた色濃く残って行くのですから。
けれども筆記具愛好家ともなりますと自然とまたより「訴求力の高い」御品の方へと擦り寄って行くこととなる。
要するに物の上での「ヒエラルキー」を駆け上って行くことともまたなる。
物の上での「追求」とは常にさうしたことでありよって其の追求の段階にもまたしかとヒエラルキーが存する。
ハッキリ申せばかく言うわたくしは其の上の方にて泳ぎ切って來し者です。
其れももう長く其れを続けて來しが次第に耄碌の度が高まって來ても居りよってこんな疾走を後五年もやれるかどうか、でせう。
尚銘木ボールペンの職人さん方は自分よりも年上の方が多く其れでもって製作を終えられたりまた亡くなったりもするのであります。
わたくしが日頃最も頻繁に使う銘木ボールペンは軸の長いIIJIMAさんの作品ですが此の方などもすでに亡くなられて居る。
また樫原 正明氏も御病気になられ此処五年程はヤフオクの方に出されて居ないやうだ。
ですが兎に角樫原さんの作品はまた作り其れ自體に高級感がありかねてより好きだった。
しかしながら拾年程前は蒐集すべき銘木ボールペンが多過ぎ實は其れ程樫原氏の作品の本数を持って居た訳では無かった。
であるからこそ昨年よりさうして関西のコレクター氏より放出された御品を集めて回って居たのでした。
其れがまずはアカシー赤節ー軸の作品です。
木材の等級について (yoshidaseizai.co.jp)
さて其のアカシとは何かと言えば要するに檜の赤い節のことです。
ですが其のアカシの部分のみで製品が作れることを我に限ればまるで知りませんでした。
此処中部地方は檜の産地である木曾が近くにあり其れでもって檜の筆立てなどが大抵の家には有るのですが其れでも其の「アカシ」のこと迄はついぞ知らなんだのでした。
其れにアカシとはつまりは節のことで節は普通木材としての等級ー利用価値ーとしては低くなる訳です。
但しアカシの部分のみで製品を作るとなるとすでに其のこと自體が稀なことー難しいーとなり逆に稀少価値として大幅に価値が上がるのです。
兎に角わたくしは其のアカシの材にこそ惚れ込んだ。
アカシの材は強くて硬く要するに樹脂状でもって見た感じは木材と云うよりはプラスチックなどの感じに近くなる。
ですので銘木ペンの軸にはむしろ最適な素材となる。
また触れた感じなども檜の材とは異なりプラスチック的な感じとなる。
さらに凄いのが其の色合いでせう。
要するに其れは「赤」っぽい軸となる。
此のように兎に角赤い。
されど此の品を得る以前からすでにアカシの材の銘木ボールペンを参本程持って居りました。
また其れ等の方がより鮮やかに「赤い」アカシ材となって居たりもする。
ですが此の品は使うが為に得ました。
其れも太目の物ですのでより使い易い訳です。
此の品は昨年の夏以降ずっと使い続けて來て居る。
但し金具の色を金鍍金の物に交換して居ます。
此の軸は重めで筆記全長は140mmですが其の重さが38gある。
尚重いペンは短かくなければなりません。
重いペンは良く言われるやうに自重でもって書く訳ですのでペンが長いと扱い辛くなる訳です。
さてこんな「赤い」アカシ材を軸に用いたペンはある意味で究極的な筆記具となる。
万年筆の方でも勿論有ればまた欲しいところながら其のやうな🖋を此れ迄に見たことは無い。
さて先にも述べたやうに今回使い始めたのが「島黄楊」の軸の銘木ボールペンです。
其れも昨年得て寝かせて置いた物となる。
「島黄楊」の方も金具を変更して居り塗装された「黑」の金具を付けて居る。
なのでか壱種凄みのあるペンです。
軸も太く筆記全長は146mmで筆記重量が39gとなる。ー黑のキャップが完全には嵌まらず其の分全長が長くなるー
共に拭き漆程度の軽い塗装仕上げとなって居り木材其れ自體の感触を樂しむことが出來る。
其の「感触」のみに限れば「島黄楊」の方がより良い。
されど軸材としての等級で申せばほとんど同じで要するに壱級の材となる。
そんな「島黄楊」と「檜のアカシ材」は共に得難い自然素材であることはほぼ間違い無いことです。
ちなみに「島桑」の方はどうかと言えば其れは「ギン」などと表現される「輝く光澤」を持ち其れは其れでまた得難いものなのですが。
「島黄楊」にせよ「檜のアカシ材」にせよこと銘木ボールペンの素材としては「高級材」です。
ですが「高級材」であるかさうではないかに限らず其れは元元「高級」なのです。
また其れは自然の恵みとしての物は須らく高級であると云う事實にこそ繋がる。
「高級」か又は「低級」かと云うことはさうある意味では人知を離れたところにこそ存する価値である。
其れもたった今🗾の有権者の皆様には自由民主党による政治の「低級さ」が身に沁みて御分かりになって居ることかと思われますがまあ其れは権力が腐敗し齎されるだらう「低級さ」のことであり元元小賢しい人知によるものなどはほとんどがむしろ「低級」なんです。
ですがキシダ首相はキシダ首相でもってたった今必死コイてやって居ります。
なので最近は何だか彼が不憫でなりません。
何だか壱番惡い時に首相になっちゃったかなと云う感じが無きにしも非ずでせうか。
尚樫原 正明氏は早稲田大学を出て居られ其の点では首相のキシダさんと同じです。
自分にはその早稲田大学が大好きなのに行けなかったとの恨みの部分がまだ少しはあります。
今年自分は高齢者ですのにいまだに其れを思って居ますのでおそらくは墓に入る直前まで其の恨みを持ち続けて行くのでせう。
キシダー、フレッフレッ、フレッフレッ、キシダー!。
ちなみにそんな「高級材」の「島黄楊」と「檜のアカシ材」の銘木ボールペンはそんな墓に埋めるよりもどなたか欲しい方に御譲りした方が余程幸せなことでせう。
兎に角其れ程に素晴らしい御品がまさに其の弐本の樫原作品なのだから。
またそんな自然の恵みに日日寄り添いかうして使用し得ることに對しわたくしは今心より感謝致しますのです。