「幻の糸魚川産黄翡翠」を引き込んだ其の奇跡の力とは?ー常に具象的に強い物文人の物を引く力ー
玉川徹氏、裏金問題解明は「政権交代しかない」野党に「憲法観は置いておいてもいいから共闘を」 (msn.com)
まさに仰る通りです。
正直、新NISAどころではない…実際に投資しているのは「高収入」の人だけ? (msn.com)
でも其れは誰が考えても分かるでせう。
そんな投資にカネを回すやうな余裕は惡人の金持ち以外には無い。
其の惡人の金持ちが余計に金持ちになるが為に其の「資産運用」なる惡の風習があるのであり其れはかってかのイエス・クリストが壱番御嫌いになられた👿の仕業其のものです。
其れに此処🗾國で其の投資でもってしこたま儲けるのはガッポリ稼いで税金を払わないー脱税するー自由民主党の議員などに限られて居りませう。
ほれカネなど幾らでもあるわ、ホレこんな風に幾らでも民百姓より毟り取ればエエんだわ。
おみゃあいっぺん断頭したろか!
若者がゴルフをしない理由“第1位”は…?1000人にアンケート【記事ベスト3】 (msn.com)
そんなゴルフって言ったってそもカネがネエんですもの、そんなもんやれる筈がネエですよ。
いや確かにわたくしは其れを参拾年程もやりました。
其れも結構金をかけて兎に角熱心にやりましたのです。
ですので其のゴルフのことは何でも聞いて下され。
其れもとりあえず五年程前まではドライバーショットで参百ヤード位は飛ばして居ましたのでまるで普通ではありませんのです。
でもってかかりつけ医で中学の先輩の一応ゴルフ・インストラクターとはなって居ります。
とはなって居りますが股関節をやられ現在は年間に壱球も球を打てない體となりました。
いくつ当てはまる?高い知能の持ち主に共通する傾向とは (msn.com)
うん、確かに当て嵌まる項目が多い。
するともしや僕も其の高知能者なのだらうか?
まあ誰でも此処の作文を視ればそんなこと位はたちどころに分かる筈です。
また其れは幾ら隠しても分かって仕舞うことだからむしろ隠さない方が自然なのかもしれません。
だから三流大学卒でも東大卒に勝てる…医師・和田秀樹が考える「本当に頭のいい人」に共通する人生の態度 (msn.com)
なる程、だから僕は其のタイプの人なんだ。
なる程、だから僕は頭がイイんだ。
どうして僕はこんなに頭が良いのかなとさう自問自答することの多い毎日ですがさうしてハッキリ仰って頂きますればもうたちどころに全てが分かる。
さうか、だから僕は過去の榮光に縋り御勉強することをサボった東大出の人よりもむしろかうして考える力があるんだ。
さて相變わらずわたくしは「物の海」を泳ぎつつそんな物の価値に関して思いを至らせて居たりもする。
其れも「物」とは何であり其の「物」が我我ニンゲンに取りどう作用するのかと云うことにまずは興味がある。
でもってまずは結論じみたことを述べれば「物」もまた畢竟「縁起」法則の内側のものであり我我ニンゲンの認識世界と相互に関連するものであるとのことである。
物⇔心
と其のやうに縁起的関係が成立するものなので其処に「相剋」し且つ「相即」する関係が認められまた其れが成立する限りに於いて「破壊」が生ずることは無い、との哲學的な解釈がまずは成立しやう。
其の「破壊」とはむしろ文明の御得意技で現代文明は兎に角何でも破壊するに至る訳ですがこと其のことを個の次元へと還元せしめ其処にて「物」と戯れて居る分は「破壊」になど至りやうが無いとの論理的帰結が其処に成立する。
逆に申せば「物」を社會的次元にて捉え其れを「加工」乃至は「改變」するに至れば其れは其の限りでは無いとの御話ともなる。
そんな訳で「物とも心理的に交流し得る」位にして置くことはニンゲンに取り惡いことでは無くむしろ良いこととなる。
何故なら其れは其処に「縁起」的関係をしかと築くとのことですので其れが盤石な限り其の「破壊」での惡因縁は生じないとのこととなる。
但し其れは動植物界に於ける認識作用とは異なるのです。
動植物界はむしろ「物」を其のやうに認識することが無い。
よって「物」を「物」として捉えやうとするのはむしろニンゲンの認識の側での癖のやうなものだらう。
ですがむしろさう「物」は心情的に捉えられてしかるべきものなのです。
物はあくまで物ですが其れでもかって此処🗾では其の物が神の壱部として機能して居たりもまたした。
まさにさう云うのが所謂「アニミズム」の世界観の内のものであり其れは前近代的な迷信の如きものに見えて實は至極合理的で且つ前進的でありまた肯定的な物との関わりの部分となり得るものだらう。
要するに物はそんな「神」でもありよって其れが「有り難く頂くもの」とならざるを得ない。
さう心より感謝しつつ其の「物としての恵み」を其処に受け取り尚且つ其の「物」とこそ共に力強く前進するのですから。
其の「前進」とは所謂欧米近代型の「進歩」概念とは質的に異なる。
「前進」には「後退」もまた「停滞」も含まれ必ずしも「新しいものばかり」となる世界観には非ず。
よって我我🗾人には今でも何処かにそんな「物」との付き合い方の「原型」のやうなものが受け継がれて居る筈なのだ。
さうおそらく其れは「遺伝子」として無意識領域の片隅にでも受け継がれて居るのではあるまいか。
と其のやうに「物」に関する理屈を形成する訳ですが其の理屈以前に「物」は「物」である部分がまたある。
でもってそんな理屈抜きでの即物性のやうな部分に惹かれると云う部分がまたニンゲンにはある。
ニンゲンは有情であり即ち心理的生物ですので常に其のやうに即物的では無い感情世界を認識する生き物であるが故に。
そんな物。
けれども物其のものはむしろ何処にも無い。
有るのはニンゲンの心理と物との関係性ー縁起的関係性ーのみなのであらうから。
さて此処からはそんなややこしいことは申しません。
此処からは壱つの奇跡に就き述べます。
奇跡と申しましても死んだ者が生き返るだとか左様な御話では無く只の石の話をしてみる。
只の石でも良い石であるとかまたは特別な石を得ることは常に難儀なものです。
でもって以下に黄色い石の御話を致します。
其れも黄色い石と自分との其の相性の良さに就き是非書けたらと思う。
さてコレが以前天白ゴルフ練習場ー相生山ーの裏山にて発見し持ち帰った石です。
さうして此れは黄色い「石英」です。
此の石はもう廿年程前に見つけた石であるが以降コレ以上の石を見つけられて居ない。
おそらくは以降数拾時間を費やし探したことだったらうが無いものは無いのです。
ですのでまずは此の石が何故わたくしの元に來たかと云うことがまるで不可思議なことなのです。
しかも自分は此の石を地面より掘り出したのでした。
私は石を拾うことはあってもまず掘ったりはしないのですが其の折は何故か其処を掘り此の石を掘り出したのです。
よってまずは此の石こそが奇跡的な石であり同時に物なのだ。
まさに其れが此の石です。
此の石はかってヤフオクにて長野県の出品者さんから求めて居ます。
此のやうに兎に角黄色い石とは何かと縁がある。
ところが黄色い石英や瑪瑙、また黄色い水晶や黄色い柘榴石などはむしろありふれた石なのだともまた言える。
ですが黄色い翡翠の場合はまず其れを得ることが難しくなる。
ですがこちらは所謂ミャンマー翡翠であり存外に色濃く黄色が出てしかも石の内部迄もが其の黄色ですのでとりあえず「黄翡翠」としては本物なのだと言える。
ところが其の長野の出品者さんがかれこれ壱年以上にも亘り「赤翡翠」を出品されて居て其れもまた可也の赤翡翠に視えつまりは其れが本物のやうに視える物であった。
されど其れは今年の初め頃についに売れて仕舞う。
つまりはまた其れも食指を伸ばしかけた時に消えて行った「物」となる訳なのだった。
其れもまた結局は「赤翡翠」には何故か縁が無いとのことなのです。
何処をどうしても何故か縁が無いのであります。
ところがさうかうするうちに今度は神奈川県の出品者さんが變な石を出されて居た。
まさに其れがこんな變な糸魚川翡翠であるが其の色やなんと黄色である。
其の黄色には何故か縁が深くある故にか250円ダケ値を上げたら運良く落札出來た。
其れでもって其れが丁度本日届きましたのです。
まず調べなければならぬことが、
1.間違い無く翡翠かどうか?
2.内部迄其の黄色であるか?
とのことであります。
ですが広範囲に翡翠特有の結晶が認められる此の石は明らかに「翡翠」です。
次に太陽光やライトの光を当て確認したところ内部はほぼ黄色です。
其れも厳密には檸檬色~黄色~薄緑色が見られ石の半分はほぼ純粋な黄系の色でした。
また石の質も良くよってほぼ全體が光を透過させる。
ですので其れは、
のだった。
では今壱度ライトでもって照らしてみやう。
うーむ、黄色い。
と申すかほぼ檸檬色である。
尚此の透過の画像よりはもっと色合いが鮮やかでもってしかも檸檬色に近くなる感じです。
ですが絶對に無いとは言い切れません。
ですが絶對に無いとは言い切れません。
何故なら此の世には何が起こるものか基本的には誰にも分からないからなのだ。
何がどうなりどう出るかとのこと其れ自體が實は分かりませんのです。
だからむしろ諦めずに其れは「有る」だとか「やれる」だとか思って置けば自然にかうしてまさに「奇跡的」なことが起きたりもまたするのである。
但し其れはあくまで「具象的」な範囲の現象のことですのでハッキリ申せば現行文明が21世紀を乗り切れるかどうかに就いてはとりあえず悲観的です。
ですが其れとはまた別にかうして個としての範囲ではかうして「奇跡的」なことが屡起こるとさう見て置いて間違いは無いことだらう。
4.「海焼け」かどうか
また此のことも重要な観点でした。
事實出品者さんは所謂「海焼け」の色と半ば判断されて居ります。
事實として糸魚川産の翡翠原石は川から海へと流れ出て長い間海水に浸されて居ると黄色っぽく變色して参ります。
例えばこちらの黄色い翡翠標本などが其の「海焼け」での黄色い翡翠原石だと言えることでせう。
ですが實感としては此の石とはまるで違う感じが致します。
兎に角石の中迄黄色くしかも其れが光に透け常に見えるやうな石ですので。
なのではあれ世間の常識からすれば其れは???となって仕舞うのです。
でも僕は常識なんぞまるで信じては居ないのでほぼ間違い無く此れはズバリ其の「幻の糸魚川産黄翡翠」なんだ。
でもって拾人中八、九人が此れは「ウソの糸魚川産黄翡翠」だとさう述べたにせよ其れは其の方方の見立て違いでありあくまで僕の正しい見立てではコレこそがほんたうに「幻の糸魚川産黄翡翠」なんです。
さてもアナタは此の「奇跡」の様を信じますか?
もしや君は信じて居るのかい?
信じるも何も其れはこんな「事實」であり「眞實」ではないか。
さうかでは「奇跡」が起きたのですね?
はい確かに起きましたのです。
ちなみに自分の引っ張る力は並以下でして要するに麻雀のツモの力やまた👩にモテる力などがほぼありませんのです。
其れはありませんのですが何故かかうして物の引きの方に関しては強い。
其の「物の引き」に限れば何でか知らぬが壱級の力を屡発揮致すのです。
ちなみに其の色翡翠の瓶の中にミャンマー産の黄翡翠もまた共に入れてあります。
其れでは交互に光を当ててみませう。
との結果が得られた。
また其の檸檬色~薄緑色の色合いが石の半分位の範囲に亘り出ても居るので翡翠であることもまた間違い無いことなのです。
ー通常翡翠の原石には緑色の透過光が出るものとさう決まって居るー
そんな訳でまた御安く得難い物を引っ張って参りました。
其れは全く不思議な現象のやうで居て實は我が壱念の強さが其れを成り立たせて居る訳です。
かうして縁起関係にある現象を規定するものはむしろ「壱念の強さ」なのだらう。
そんな「壱念の強さ」を保ち続けるニンゲンのところへこそ其の奇跡的な御品がついに引き寄せられて行くのである。
だけれども得意と不得意の分野がまた誰しもあるものなので最終的にあくまで自分の場合には「石」と「筆記具」に於ける引きが強いとさう言えることになるのであらう。