偽善的な「裸の王様」へのきつーい壱言ーグレタ氏の生き様より學ぶ環境保護論ー
さて我我人類ー文明ーが果たして何を生きるものなのかと云うことを明らかにして行くが為には其処にまさに強靭なる「理性」の力こそが必要とならう。
其の「理性」の力の最上位のものとして佛教やクリスト教に於ける宗祖であり開祖である釈迦牟尼やイエス・クリストの法論が存する。
ですが其の「法力」ですら此の世を「正す」迄にはなかなか至らなんだ。
其れはおそらく此の世にはそんな善知識を拒むだらう何らかの惡の力が潜むからなのだらう。
さうした魔性の類と闘うことなどはしかしながら「法力」無き且つ諸欲にまみれし我我凡人には元より無理と云うものだ。
よって違う生き方でもってむしろ「生活至上主義」としての具象的展開に生きるべき、其れもむしろ徹底し其れを行うべき、と云うのが現時点での思想詩人の意見なのです。
だけれども世の天才的な人に限れば其の能力に応じ「社會と闘う」ことなどもまたあり得ることでせう。
例えばスウェーデンの環境活動家であるグレタ・トゥーンベリ氏などがまさに其の一人です。
環境活動家 グレタさん高校卒業 卒業の日も議会の前で抗議活動 | NHK | 環境
尚グレタ氏は現れるべくして此の世に現れたところでの現代文明への批判者でせう。
1.持続可能性の無い文明への批判
2.「偽善的」體制への批判
3.尻拭いすら出來ぬ文明の否定
また特に2.の部分が強く表れ出て居るやうに見受けられる。
即ち旧世代に於ける「文明への妄想」の持ち様に就き厳しい言葉での叱責が見られる。
但し其の「文明への妄想」は確かに近代以降は其の度が加速し行われて來たが例えば狩猟採集文化→農耕牧畜文明へと至った時点ですでに質的に文明は「大妄想」を抱くに至ったのだらう。
また文明とは基本的にそんな「妄想のカタマリ」みたいなものでせう。
さう「妄想のカタマリ」をベタベタ體に貼り付けて又は頭の中が全部妄想に浸った侭に我我人類はかうして弐千年、参千年を生き抜いて來たのでせう。
我我人類はかうして弐千年、参千年を生き抜くにあたり其処に壱つの知恵を獲得して居りまさに其のことが「抽象的な序列系」=「ヒエラルキー序列」のこととなる。
此の「ヒエラルキー序列」=「妄想的序列」をイザ組んで仕舞えば後はもう大層樂です。
特に「裸の王様」としての「ニセの権威者、権力者」に取り頗る樂で且つおいしいことだらう社會を築くことが可能となる。
ですのでもう其れをやれば「王室」だの「天皇家」は安泰であり後はもう民人を奴隷化し奉仕させれば其れで済む御話なのだ。
が、かって利口な独逸にマルクスと云う人が出でて「共産革命」なる思想を編み出しまた仏蘭西の王政に於いても「市民革命」なる概念が生まれソレでもって仏蘭西の王及び王妃はなんとギロチンの刑に処されたのでした。
まあしかしながら過酷な運命です。
其れも王と王妃の首が転がるとの實に樂しさうな見世物では御座りませぬか。
王様、アンタはでも何も着ては居ないよ!裸の王様 - Wikipedia
「ヒエラルキー序列」地獄は何時の間にやらこんな理不尽なこと迄をも引き起こして仕舞う。
すると文明其れ自體がそんな「裸の王様」的なものではなくて何なのだらう?
4.文明が「裸の王様」であることを指摘
5.所謂👩の第六感
尚グレタ氏は所謂「感が鋭く」ありしかも相当に「頭が良い」人です。
おそらく彼女は基本的に精神的に優れて居るが故に逆に不適応をかこつことともなったのだらう。
また「アスペルガー乃至は自閉症」であることはむしろ「まとも」な証拠であり何故なら世間とは所謂「偽善」として展開される価値の場であるのだから故に。
そんな「偽善」として展開される価値の場であるからこそむしろ「王様」に對し誰もほんたうのことが言えなくもなりませう。
さて其の「偽善者」としての世の中のことをかってイエス様は痛烈に批判なされても居た。
がそんな「ほんたうのこと」を吹聴されたイエス様は逆に磔の刑に処せられて仕舞う。
また御釈迦様は御釈迦様で「こんな王子様なんぞにはそも価値がネエから俺はこれから眞理を求めて修行するんだ」とさう宣言されまるで無壱文にて森の中に入って行かれた。
森の中でのどんな苦しみもまた人間界の苦しみよりはよっぽど樂だったがやがてそんな苦行の無意味さを御悟りになり菩提樹の下で瞑想に耽られたのだった。
こんな御二方の反體制振りを矢張りと申すべきかたった今我我凡人はしかと見詰めて置かねばならぬやうに思うのです。
王様、アンタはでも何も着ては居ないよ!裸の王様 - Wikipedia
むしろさう云う不穏な発言をする者に限り彼は「村八分」となり挙句には無視され刑を受けるか獄に繋がれるのです。
嗚呼なんて悲しいことなのだらう!おおなんて理不尽な世の中なのだらう!
でもって實際に王様はなんも着ては居らんのですが…。
でもって實際に文明は「妄想」しかやっとらんのですが…。
グレタが嫌われる理由は3つ!顔怖い・矛盾してるなど批判の声殺到? | 公式アタック35 (new-k-pop.com)
環境運動から共産主義に"転向"して、COPから追放されたグレタ・トゥンベリ | キヤノングローバル戦略研究所 (cigs.canon)
そもそんな賛否両論でもってして何かとカドが多いグレタ氏…。
ですがまあわたくしなどもさう何かとカドが多い人間ですので個人的には御仲間としてしか見ては居りません。
實際にグレタ氏はかうして強い批判に晒されて居ます。
尚グレタ氏の顔は確かに怖い。
其れもほぼ化け物並みに怖い。
ですがわたくしは其の「怖い顔」に限り好き♡だ。
逆にわたくしが嫌いなのが「ヘラヘラ顔」であり「ヘラヘラ嗤い」の方だ。
「ヘラヘラ顔」にて「ヘラヘラ嗤い」をする馬鹿が世の中にはむしろ大勢居てよって何だか怖いのでお外をまるで歩けない。
さらに「共産主義者であるグレタ」とのことですがまあ眞理の方と相性が良いのが其の「共産主義」なのだらう。
尚「共産主義」と言いましてもソヴィエト連邦や中國のやうな體制は厳密には「共産主義」體制であるとは申せません。
「共産主義」は最終的に「社會的価値ヒエラルキー」の解體を目論む理想主義の壱つでありまた其のことがより徹底されれば「アナキズム」の方へと進んだりもまたする。
其のやうな體制論は須らく理想論でありよって「ヒエラルキー序列」でもってむしろ駆動されて行く現實の上での體制とは其れ等が本質的に異なるものとなる。
さて「共産主義者」であれ「アナキスト」であれ實はそんな體制論の部分とは無関係に「地球温暖化」が進んで行きます。
故により本質的な問題とはそんなイデオロギー對立の部分では無くまさに「文明の持続可能性」の問題の方なのだ。
さう問題はあくまで現行型の文明に「持続可能性」が無いか又は低いとの御話なのであり其処を反故としてどうのかうのと云う御話では御座りません。
其の「文明の持続可能性」が無いが故にグレタ氏の批判が注目されるのであり其の逆にもしも「文明の持続可能性」が有ればグレタ氏の意見などは単にキチ外の戯言でせう。
「文明の持続可能性」が無いとのことは上に述べたやうに文明其れ自體が「裸の王様」である可能性がどうも高くありさうだ。
よって文明其れ自體が「裸の王様」であるのならば「共産主義化」や「無政府主義化」の方向性もまた考えて置くべきです。
されど其れ等の「理想としての體制」が事實上なかなか組み上がらない。
7.誰しも「今」が大事
8.誰しも「金」が大事
9.誰しも「自分」が大事
とのことです。
また此のことをやり遂げる為にはむしろ心を👹にして「偽善の仮面」を被り続けなけりゃならん。
だから體制どころではないでせう?
所詮我我ニンゲンはそんな「今だけ」、「金だけ」、「自分だけ」なのだから。
王様、おおおなんて美しい装束をお召しになって居ることだらう!!裸の王様 - Wikipedia
こんな利己主義化した偽善者共にはそも事の理が何も見えて居りません。
彼等に取り眞實や眞相などはどうでも良いことなのだ。
彼等はむしろ此の腐り切った體制であり文明をこそ維持したいのです。
其れももはや持続不可能な様が突き付けられて居るにも関わらず其れに固執しつまりはへばり付き批判の嵐が過ぎ去ることだけをむしろ待つのだから。
ー其れもまるで今の自由民主党みたいな御話ですがー
よって奴等偽善者が「革命」により断罪され且つ断頭されるに及べばむしろ其れで社會は救われませう。
なんですがすでに「革命」が成らぬ程に社會の腐敗と環境破壊とが進んで仕舞って居る。
おまけに「洗脳」が大規模に行われすでに大衆は文明の下僕に成り下がった。
革命!!
とさう幾ら叫べどもはや誰も踊らず、嗚呼もはや誰も眞實を語らず!
じゃあ職人技で行ったれ。
はい?果たして何のことですか?
だから誰もが進んで「職人」となるべきだ。
何故なら「職人」となれば其処にてようやくのこと地に足が付かう。
どだい其の「職人」はな、國やイデオロギーの為に人生を生くるに非ず。
「職人」は主に「己が技術」に固執し其れにて飯を食って行くつまりは具象的に其の場にて生きる。
だからまさに其れがほんたうの人間の生き方のことぞ。
なので彼等はウクライナの戦争も台湾有事も何も関係無く其の日其の時としての「瞬間=たった今」を生きる。
また藝術家ー文人をも含むーや宗教家なども主に其の職人としての生を育む。
なのでまさしく其処に生きるべし。
さう刹那に生き「文明による破壊ー犯罪ー」のことをむしろキッパリと忘れよ。
じゃあグレタ氏に同調しデモとかをやらんでも良いの?
良いの。
でも其れをしてもまた良いの。
じゃあ王様に「おみゃあは裸だ!」とさう言わんでもエエの?
エエの。
でも其れも言ってもまたエエの。
要するに「職人」に取りデカいことはむしろどーでもエエことなんだ。
重要なのは日日「良い仕事」をすることであり其れが具象としての「美」に繋がることともなる。
なのでむしろ人の言う事なんぞでもって動いてはならん。
つまるところアナタはまさにアナタであり其れが他でも無いたった壱つ切りの實存的価値のことぞ。
其の實存的価値を消し去ることはむしろなにものであらうがやれやせぬことなのだから。
其の實存的価値こそがおおまさに太陽の如くにまた月の如くに毎日現われまた消えて行く!!
人生の奥義とはまさに其の部分のことぞ。
であるからして自分のやりたいことをそんな「職人」と化しやり切ることこそが眞の意味での人生の「価値」なのさ。
ではグレタ氏はそんな「社會批判」の達人なの?
さうグレタ氏はたった今「社會批判」をすることでこそニンゲンを完遂して居られやう。
對して君等は何をするのだ?
僕はそんなことは出來ずでもプラモデル作りなどが上手いのです。
其れは其れはまた御立派なことで!!
そんな鬱陶しいことが良くもまたやれるものですね。
そんなプラモデルでな、其れも半世紀位前にな、確か白砂町だったか變な駄菓子屋に行くとな、何と其処に人體模型のプラモデルー理科室の人體標本の如き物ーが置いてあってな、兎に角其れが怖くて以降どうも人間が嫌いになって仕舞ったやうだ。
確か君もプラモデルが好きだったのではないか!
うん中学生壱年生の頃は確かにさうだった。
でも中学生弐年生の頃より主に観念の旅へと出立せり。
でもプラモデルを作る「職人」でもまた良いのですね?
…良い。
兎に角何でも良い、其れもニンゲンはやれることをやるだけですでに精壱杯なのであるが故に。
環境活動家グレタ・トゥーンベリ、たったひとりのストライキが世界へ/映画『グレタ ひとりぼっちの挑戦』予告編
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さて今回こちらを初めて具に視て感銘を受けた。
實際には其れが可成にハードな内容の社會との闘いであることが良く分かった。
其のことはおそらく自閉的傾向を持つ彼女に取り相当な重荷でもまたある筈なのだ。
だが同時に自閉的傾向を持つ彼女に取り「ほんたうのこと」を世に對し吐き出す救いの場でもまたある筈なのだ。
そんな心の奥底より絞り出したかのやうな「ほんたうのこと」はなかなかニンゲンの世の中には通用しないことが多い。
何故なら人間界はそも「ほんたうのこと」を前提に組み上げられる世界では無いのだから。
むしろさうして「偽善」だのさうして「保身」だの兎に角其の種での「美辞麗句」こそが求められる世の中であり逆に「ほんたうのこと」を言えば思い切りにカドが立たう。
しかしながら其の「カド」が立つことに對しある意味では耐性のある自閉的傾向者はまさに其れをやらんが為に此の世に生まれて來たのだとさうも言えやう。
つまるところ事の眞理領域ではむしろ「カド」が立つことと相場は決まって居る。
但し同時に其れは大多数の人人の生き方では無いことだらう。
さう其れは誰もがやれることなのでは無くそんな「使命」を帯びた特殊な精神の領域にて行われる「批判」であり「反論」なのだ。
グレタ・トゥーンベリ 世界を変えるメッセージ(字幕版)を観る | Prime Video (amazon.co.jp)
尚こちらの方は今回で参度目の視聴となるがとりあえずはまた視てみた。
グレタ氏がさうしてむしろ世界中を飛び回り「現實としての環境破壊」の様に接したことは彼女に取り大きな財産となったことだらう。
また同時に「環境を保全する方向性への取り組み」の方もまた體験的に見て行く訳だ。
だが我我庶民にはなかなか此の種の體験はままならぬものだ。
ままならぬどころか「環境問題」其れ自體がむしろ見えて來ぬところに我我は日日を暮らす他は無い。
其の中でも比較的我が意識が高くあるのは元元さう云う性格であり心理的性質なのだからであらう。
元元さうなのでかうしてワイワイと言うのでありさうでなければワイワイと言う必要などはそも無い。
グレタ氏に関しては兎に角彼女は彼女なりにやり切れるところ迄おそらくはやる御積りなのではないか。
其れも考えてみれば我我還暦世代の余命はすでに少ないのですが彼女にすればまだ21歳とのことで其の人生はむしろこれからでせう。
ー最近はCOP26について、
「私たちは一つの手段でそれに近づける技術的な解決策を持ち合わせていない。私たちは社会を根本的に変革する必要がある。これは指導者がこの危機について繰り返し言及するのに失敗してきた不愉快な結果だ。気候や生態系の危機は真空の中で存在しているのではなく、他の危機と直接、結び付いている」、「気候と生態系の危機はもちろん無関係に存在しているわけではない。植民地主義以降に逆上る他の危機や不正と直接結びついている。ある人は他の人よりも価値があり、それゆえに他の人を盗み、他の人を搾取し、盗む権利があるという考え方に基づく危機だ。根本的な原因を解決せずに、この危機を解決できると考えるのは甘すぎる」
などと、反資本主義的立場を明確にするようになった[64]、[65]ーグレタ・トゥーンベリ#トゥーンベリのメッセージ- Wikipediaより
さう、確かに技術的な意味での地球温暖化への對策には限りがある。
と申すか其れは微微たる變化にしかならない。
ならばより抜本的な變革を求めることとなるが主に其れは體制其のものの変革をこそ目指さねばならず要するに其れはアノ六拾年代に行われた政治的な闘争の流れと軌を壱にするものとなる。
だがまさに其の種の政治的闘争は失敗に終わって居る。
ならばと云うことで革新勢力は其の後も地道に活動を続けては居るが近年はむしろ世界的に右傾化の流れが目立って來て居り例えば我が國でも其の「右傾化の流れ」としてのアベ政権が長く続いて居た訳である。
でもって其の🗾國としての「右傾化の流れ」に誤りと申すか「驕り」があったことがたった今ようやく國民に知れるところのものとなり「ありゃ、アノ投票がもしや間違とったのか?」とさう後悔の念が次第に醸成されて來て居る始末である。
だがちゃんとソコんトコは勉強位して置かれては如何か?
少なくともそもアイツはバカだから票を入れてはイカン、とのこと位は幾ら洗脳民でも分からにゃならんのではごぜえません?
だから其の「搾取體制」であることがそもイカンのでありまた盗みはするわ、👩を手籠めにするわ、さらに大酒は飲むわ大金を掴むわで、そんなアンタ「反キリスト」であり「反ブツダ」の如きおおまるで👿其のもの、いやほぼ地獄の使者であり惡の権化である資本家及び大企業並びに金満家の奴等に鉄槌を下さずして此の世が良くなる筈がネエ。
だからグレタ氏はやがて革命家へと転身されて行くのやもしれません。
ですがわたくしに限り其の「革命家」を目指すのでは無くあくまで「世捨て」の方を御勧め致して居りますのです。
其れも市井の「職人」としての「世捨て」でありまた藝術や宗教による価値の履行者としての「職人」としての「世捨て」のことなのだ。
しっかし自分が21歳の頃は主に🚙と👩にしか興味が無かったですよ。
其れと比べると偉いなあ、其のグレタ氏は。
尚「世界革命」は無いよりは有った方が良いのですが此の世では常に「抵抗勢力」が根強く生き残り事實上其れは無理なんです。
またさらに此処🗾國の社會主義化などもまずは無理だ。
よって後はもう個に於ける「認識上の転換」へと希望を繋ぐばかりです。
個に於ける「認識上の転換」を最も大きく妨げて居るものはと言えば社會的常識でありつまりは「世間體」のことだ。
其の「世間體」をむしろ気にしないやうにするが為にあえて認識を個へと還元し「職人」化するのである。
イザさうして「職人」化すれば主義主張による観念的抽象領域を離れ独自の生き方をこそ其処に築くことが可能となる。
主義主張に於いて「脱資本主義」化することはあくまで正しいことですが其の正しいことに限り何故か其れが此の世には通らぬものなのです。
また其のことは先に述べましたやうに「偽善」者としての「惡」の積み重ねの部分がむしろ此の世を駆動するであらう原動力となるからなのだ。
さらに踏み込み語りますれば其の「善」や「惡」としての認識の流れすらもが多分に妄想的価値となったりもするものです。
左様に此の世のことはそも複雑で且つ怪奇なことの連続なので眞正面からぶつかればぶつかる程にむしろ絶望感は深まり次第に人間不信の度が深くなったりもまたすることでせう。
ですので「社會的」にはむしろなかなか答えは得られずよって後は「内面的な勝利法」の方に向かいつまりは認識論的に方向性を正して行く他は無いのではないか。
と其のやうに長年生きて居りますとまさにそんな「無常観」などにも晒されることとなりある種の「諦めの境地」などがまた出て参りますのです。
さて「環境問題」の本質部とはさても何でせう?
其の「環境問題」の本質部とは其れが極めて現實的で且つ具象的な問題であることです。
對して例えば「経済的停滞」や「不便さ」などの経済的な意味での負の要素は現實的で且つ具象的な問題であるとは申せません。
逆に言えば其れは何とか食って寝て生活する位ならば「資本」が常に求めるやうな「贅沢な暮らし」を人類全體が求める必要などは何処にも無いとのことなのです。
故に其のことはあくまで余分な価値=抽象的な意味での価値とならざるを得ぬ。
だが「資本主義」による消費生活はむしろ其れを強いる部分が大きく生じる。
故にまさに其のことにより価値観の上での「洗脳」がまずは起こり易くもなる。
「資本主義」による消費生活は決して理性的なものでは無く要するに本能の合理化のやうなものであるつまりは合理的に構成されるケモノーケダモノーのやうなものだ。
ところが近現代人はむしろ其の「資本の論理」にこそ組み伏せられ其処にて「∞の成長=∞のゼイタク」を追い求めて來たのです。
ですが其の「∞の成長=∞のゼイタク」を追い求めるのであればむしろ「自然に對する∞の搾取」が必要となり且つ下層民への経済的圧迫などが必須として其処には求められて行く。
要するに其のクソみたいな資本家や文明の推進者側に常に隷属して生きるとのつまりは「資本の奴隷」とされて仕舞う訳なのだ。
しかも、です。
しかも地球の破壊は其の侭に進んで行くのでやがては中流以下の人人の暮らしは圧迫されるに及び要するに金持ち共だけが其のカネをしかと握りつつ月や火星へと逃げて行かうとする。
とのまた庶民に取り實に不利益な體制こそが「資本主義経済體制」のことなのだ。
でもって我我ニンゲンを此の温暖化地獄の中へと引き摺り込んだのもまた「資本主義経済體制」であり「資本の論理」であるに他ならない。
さうして元來現實的且つ具象的な問題なのでは無くそんな抽象的に金の価値ー富ーのみを追い求めるのが「資本主義経済體制」であり「資本の論理」に他ならない。
そもこんな温暖化地獄へと文明を引き摺り込んだのは誰あらうズバリ申して「資本主義経済體制」であり「資本の論理」に他ならぬ。
かやうに「抽象的価値」の部分に惑わされればされる程により酷い目に遭う感じでせうか。
「資本主義経済體制」は普通會社を回すが為の良い経済の仕組みだとさう多くの方方は思う事でせうが其れは間違いでほんたうは常に👿としての破壊者のことを言う。
何故👿化するかと言えば其れはズバリ自然其のものを搾取するに至るからなのだ。
そんな「資本主義経済體制」は兎に角制限されるべきで間違っても其れでもって月や火星へと逃げるなどをしてはイケません。
イケませんイケませんイケません。
左様に不純なる異性交遊や贅沢参昧の成金生活などをしては金輪際イカン。
また「資本主義経済體制」は基本的に「止められず」且つ「止まらない」。
要するに其の何処にもブレーキが無い。
またつまりは其の暴走の果てに「地球」と云う大自然を巻き込み自滅する経済的な仕組みのことだらう。