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文明批判と美と心の探求と

「近代型文明の持続可能性」を人文學の視点より読み解くー+一休禅師の批判力のことー

「近代型文明の持続可能性」を人文學の視点より読み解くー+一休禅師の批判力のことー

 

 

 

 

ひろゆき氏 少子化対策で子ども一人で1000万円支給を提案「プラスでしかありません」 (msn.com)

 

まさに仰る通りです。

 

 

さて現代文明に取り喫緊の課題があり其れは「近代型文明の持続可能性」の大問題である。

 

まずは其の大問題に就き弐つの考え方が生じて來る。

 

1.其れは考えても何ともならぬので個としてはむしろ考えない

2.むしろ徹底的に考え自分なりー個としてーの解を得る

 

自分に限りむしろ此の弐面を同時にやって行く。

だから場合により此の大問題に関する思考を「放棄」もするし逆に場合により「熟考」して居たりもする。

 

其れはわたくしの哲學的態度であり要するにまるで壱般的なものでは無からう。

 

3.其れに就き考え込んで行くとむしろ「認識論」だの「宗教」だの人文學や社會學での分野の話となりまた文學だの藝術の御話と何時の間にか化すことなどもまたある

4.だがどうも概ねさう云うのこそが正しい方向性を持つ「思考」となるのではないかと自分ではさう決め付けて居る。ーひょっとすれば其れはバイアスなのか?ー

 

其の「認識論」だの「宗教」だのが混じる「持続可能性」に就いては要するに哲學的課題なのであり自分の場合はむしろ其れが最も大事なことのやうに思えてならない。

要するに「科学的、技術的課題」と云うことにして仕舞うと「そも何でこんなんなったか?」と云う問いの部分が為されず要するに其の「破壊の根本原因、罪の主因」とのことが放り出されて仕舞う。

 

要するに其れでは「根本的な解決」には至らない。

「根本的な解決」とはむしろ哲學的、宗教的な意味での対策であり問題解決のことなのだ。

 

さて今日何故わたくしが「近代型文明の持続可能性」に就き論じて居るかと言えば本日午前中にたまたま飯を食いつつ「高校講座」をTVにて視ていたところ「化学」と「地学」の番組でまさに其のことが取り上げられて居り其れもまるで「社會科」の講座のやうで驚いたからなのである。

 

さうまるで「社會」の話ばかりだったのだ。

 

NHK高校講座 | 地学基礎 | 第40回 第4編 私たちの空と海・地球のこれから 持続可能な社会に

NHK高校講座 | 化学基礎 | 第40回 化学が拓く世界(2) ~持続可能な社会と科学技術~

 

其の「社會」=「近代型文明」に「持続可能性」が無くつまりはお先がヤバいことだけは確かなことだ。

そんなそも「お先がヤバい社會」なので「無視」して置くのも確かにインテリゲンチャとしての壱つの態度の表明だ。

 

つまりは「逃げる」。

其れにもう還暦以上の歳の奴は其れこそ御先が短い。

 

だから自分の場合は其の「逃げる」ことを非難したりはしない。

むしろ「逃げ」られる人のことを偉いとさう思ったりする。

 

また「逃げ」られぬ人も例えば精神的に「逃げる」ことなどは出来る。

其れは其れで其処まで行ければむしろ大したものだらう。

 

だが今「社會的」にドップリ文明に浸かった人などは其れこそ「逃げ」たくても逃げられやせぬ。

されど其れは其れでまた「運命」である。

 

では「逃げ」ずに「立ち向かう」とどうなるのか?

其の「近代型文明の持続可能性」の無さに對し立ち向かうと。

 

とりあえずはまさに其れが科学的な意味での立場である。

だが科学は「良心」として其れをやる訳では無いのだ。

 

科学はとある命題を完遂せんが為に其れを行う。

其れは「人類の幸福の為の科学及び科学技術」との価値を成就させんが為のことだ。

 

つまり科学はあくまで人類に取り〇でないと要するに✖、其れもまさに✖✖だの✖✖✖ですと「そも科学なんぞ要らん」と云う御話となり實際に其れは半分正しくつまりは科学を半分にした方が明らかに文明の持続可能性は出て來る。

 

なんですがすでに「近代型文明」をむしろガチガチに築いて仕舞って居る我我現存在は其の科学をまさか全否定などは出来ぬのだ。

其れもまあ壱部には科学を全否定するに値するやうな宗教的な立場などもまたあることかと思うのだが其れは其の特殊な領域にて行われることであり我我現代人が普遍的に選び取るやうな立場なのでは無い。

 

が、要するに實は其の方が話は早くなるのである。

つまり文明の全體が「近代型文明」を止めて「前近代型文明」の方にシフトして行くだけで其の「近代型文明の持続不可能性」の大問題は概ね解決する。

 

とどのつまり其れは文明に取っての「-」のベクトルをあえて取り入れるとの御話である。

自分はどちらかと言えばそんな「理想論」の方が良いやうに思う。

 

だけれどもまさに其の「理想論」には其の實現の可能性が壱パーセント位しか存して居ない。

 

で、現實的にはあくまで、

 

1.地球温暖化は加速され進んで行く

2.森林破壊及び海洋汚染はより進む

3.資源は減って行く

 

さらに、

 

4.文明社會はより混迷し次第に人心は荒廃する

5.止まらぬ搾取により資本主義が壊れて來る

6.みんなが「現世利益教」だけを信じるやうになる

 

との文明の末期症状がより酷くなり世に現れ出て來る。

 

でもって佛教やキリスト教も現存在の心を救うどころでは無くなって來る。

何故なら信者が減りにも関わらず伽藍や聖堂ばかりは維持せねばならんので兎に角金欠となる。

 

たとえさうではあれ現存在は日日飯を食い稼ぎまた子を成し「文明の今」を生きて行かざるを得ない。

何だか其れも可哀さうだが「社會」があくまでさうなってるのでさうするより他は無い。

 

近代型の文明はさうして自らを「限定」することが出来ずに次第に壊れて行くことだらう。

だから後は「近代科学」が其れを阻止するかどうかと云うことにこそ掛かって來る。

 

と言うことは、むしろ今後極めてキツイのは自然科学者の方となる。

其れ見たことか、此れ迄さんざんそんな「科学浪漫」を追求して來た其のツケが自然科学に對し回って來たのだ。

 

だがもはや其の「科学浪漫」の追求は出來なくなる。

だから壱刻も早う科学者共はリヤカーを引き此の母なる地球の修復の旅に出なくてはならぬ!

 

 

NHK高校講座 | 地学基礎 | 第38回 第4編 私たちの空と海・地球のこれから 地球環境の考え方

NHK高校講座 | 地学基礎 | 第39回 第4編 私たちの空と海・地球のこれから 人間活動がもたらす自然環境の変化

 

NHK高校講座 | 化学基礎 | 第39回 化学が拓く世界(1) ~くらしを支える科学技術~

 

尚「高校講座」は至極為になるのでこちらの方なども漏れ無く視て置く方が良い。

 

さて「地球の破壊」はあくまで「近代型文明」が仕出かしたことにて我我庶民が其の責を負う訳では無い。

 

庶民は所詮「アホ」なのでそんなデカい文明に對しての批判力などはそも無い。

また學者が悪いかと言えば彼等も所詮は「全體主義としての文明社會」に組み込まれ生きて御座るので本質的に其れが惡いと云うことなのでも無い。

 

では果たして何が犯人なのだ?

其れは「近代」と云う時代其のものがむしろサイコーに惡い奴なのだ。

 

ではかって近代を啓蒙したカントやルソーなどもまた惡人なのか?

いや彼等はむしろ善人の部類だらう。

 

でもって最終的には誰が惡いのか?

其れ即ち「全體主義としての近代」こそが其の犯人だ。

 

でも其の「全體主義としての近代」は断頭も出来ないのだし其れに牢屋へも入れられない。

さうなんだ、だから話がややこしいのだ。

 

 

要するにまさに生じて居る問題のスケールがデカ過ぎる訳だ。

 

であるからこそ此の問題はむしろ内面化して捉え其れ即ち「個としての近代理解」の部分へ還元して行く方が良い。

其の「個としての近代理解」には〇と✖の価値観の對立が生じるが其れもより正確には、

 

〇✖⇔✖〇

〇〇⇔✖✖

 

との對立関係が生じ其処にて何を選択するかでまた其の個としての生き様が変わって來やう。

ちなみに我の場合「近代的価値」には元元否定的でありつまりは「✖✖」なのだらうが實際には現代科学への期待値も含めて「✖〇」の立場を取らせて頂いて來て居る。

 

ところが現代人にむしろ最も多いのが「〇〇」の立場なのだ。

つまりは其れが「近代的価値」と云う「全體主義」に洗脳され且つ踊らされて仕舞って居る訳だ。

 

其れでもって個が理性的自律性をより高め「✖」の価値を何処かに入れて行けば世の中は少しずつ変わるやうな気もまたするのである。

逆に言えば「批判」若しくは「否定」することは惡いことでは無くむしろ其れぞ「理性的」な態度なのだ。

 

まさに其れとは逆に「批判」若しくは「否定」することが出来ぬ精神性こそがそも「誤り」なのだ。

 

 

【BS11】「偉人・素顔の履歴書」『日本一有名なお坊さん・一休宗純 編』第61回見逃し配信(2023年2月4日放送分) - YouTube

 

さてたまたま昨夜はこちらの番組を視聴したが此れを視て初めて分かったことがあった。

其の一休さんはまさに「批判力」の塊のやうな人だった。

 

自分は此れ迄に何度か一休さんのことを書いて來、其の度にある程度は調べ書いたのだったが其の折に知ったこととはまた別に彼の「批判精神として過激」な部分が此の動画の内容に出て來正直驚いたのだった。

 

禅の坊主としての彼は其の意味で壱筋縄ではいかぬ強烈な個性を持って居た。

其の行いや言説はある意味では滅茶苦茶ながらむしろ彼は多数派の日本人が持ち得ない「個としての批判精神」をしかと持って居る。

 

尚自分は其の「環境問題」や「文明の持続可能性の問題」に對し「個としての批判精神」を出來る限り重ねて行くべきではないかともまた考えて來て居る。

具體的にはアノグレタ氏の「文明に對する怒り」のやうなものをむしろ皆が持ってしかるべきなのではなからうか。

 

 

尤も自分の場合は勿論其れがあるからこそかうして此処にて「文明批判」をして居るのです。

なので問題はそんな批判者とはまるで違う他の人人のことでせう。

 

其れも「文明」に對し批判的な方方を除いたところでのズバリ「洗脳人間」の方方のことです。

また其の「洗脳人間」は決して「社會」に對し逆らったりはしないものだ。

 

要するに御利口ー小器用ーなのだが肝心としての心の本質部がどす黑いと云うそんな感じがどうしても我にはして居る。

またつまりは其れが「近代と云う時代」が生み出す「利己主義」としての形態其のものなのだ。

 

なので最終的にはまさに其の「利己主義と云う偽善者」を撲滅することを目指し我は何かを此処にて述べて行くのです。

 

 

「空 kuu」 時間は存在しない!?【宇宙一わかる仏教的解説】 - YouTube

 

さてこちらでは至極分かり易く質の高い解説をされて居るものと思います。但しアノ問題の多い親鸞會の講師の解説ですので其の會には勧誘されたりせぬやうに。

でも間違ったことを述べて居る訳では無く内容はあくまで眞面目でもって至極面白い。

 

特に「阿弥陀佛」がそも何で生じる必要があるのか?との点に関してやっと分かったやうな気がまた致します。

ではあれ個人的には其れこそ「一休さんの反抗」の方がより凄い感じが致します。

 

尚此の動画でも上手く喩え説明されて居ますが凡夫ー壱般人ーと聖なる世界の認識は根本的に對立します。

 

7.凡夫は「世間」を眞實と見「法」ー佛教の世界観ーの方を夢幻の如くに見る

8.勿論佛や菩薩は「考え抜いた」上で思考を放棄するが凡夫はそも最初から何も考えて居ないー人生設計とか會社でのプレゼンだの👨‍👧‍👧主義だとかさう云うものは「思考」では無いー

9.概ね凡夫の価値観は佛や菩薩の価値観とは正反對のものとなる。

 

なので「自分は精神的に偉い」とさう思う人は此の7.及び8.及び9.の部分に該当して居ないかと云うことをしかと見定めてみるべきです。

で僕などもまたさうなのですが自分勝手に「眞理」にほど近いところに居る凡夫だとさう思って居る訳で要するに認識上常に何かを間違えて居るのです。

 

でも7.と8.は結構自分なりにみんなとは違うことをやり且つ考え要するにかうして社會ばかりを小馬鹿にして文句を垂れる訳ですがむしろ其れは正しいことでせう?

さても此の人の動画はかうして結構面白いので今夜夜中まで視てみやうか?

 

 

9.に就いて

 

其の佛様や菩薩様の価値観、又はキリスト様や聖人様の価値観の方こそが「現實」であり且つ「眞實」なのでありアナタの周りの社會的事象は虚仮つまりは其の全てが「ウソであり幻」なんだ。

まずはソコが分かりませんと凡夫としての認識論は治しやうが無い。

 

自分の場合ソコでの認識だけは治ったやうですが實はソコからがまるで進みません。

また「物は決して嘘をつかない」などと最近思い始め余計にどっか變なところへと認識が潜り込んで居る可能性などもまた御座ります。

 

左様に宗教と云うことは「認識を正す」ことの為にあるのだと思う。

でも八割、九割方の凡夫の認識が此の7.と8.と9.の部分に引っ掛かる筈ですので是非自己チェックをして置く方が宜しいやうです。

 

 

さて其の認識の方が正されませんとずっと此の「虚妄分別」の世界に縛り付けられた侭です。

其の認識を正すのは自力救済と他力救済のいずれにせよ可能なのだと思われる。

 

でもって「虚妄分別」の世界には其れこそ「持続可能性」が無く要するに時の流れと共に周りと自分自身がより惡くなって行く。

ですので其れこそ宗教的には「文明の持続可能性」を科学技術的に高めることなどは余り期待出来ません。

 

宗教的にはあくまで「凡夫としての認識」を転換せしめる以外眞理への途は閉ざされて仕舞う。

だから宗教とはまさに其の個としての「認識の転換」の為にあるのであり其れは教祖の為にあるのでもまた社會の為にあるのでも無い。

 

ですが最後に反宗教のやうなことをあえて述べます。

 

 

其の虚妄分別にて虚偽の苦しみを受け喘ぐ其の凡夫としての現代人の「苦痛」はあくまで「無い」のでは無く「有る」。

要するに所謂「生老病死」の苦もまた「社會の不条理な様より生じる」苦もかうしてしかと有ります。

 

またミサイルが飛んで來て其れがたまたま運惡く家の近くで爆発し體がバラバラになる時の其の苦痛と言ったら!!!

さらに2100年頃に其の地球温暖化にて焼け死ぬのも近い将来に生態系の破壊で飢餓状態に陥ることなども確かに此の世に起こることです。

 

とどのつまりは仮想現實の世界で虚妄の分別をすればまさしく其れが「眞實」と化す訳だ。

だから此の社會ー現代社會ーの様が至極ヤバいのはまるで嘘なのでは無い。

 

其れも無論のこと本質としては嘘だが其れを實體視する限り其処での「苦樂」は常に本物と化す訳だ。

よって「近代型文明の持続可能性」を高めることを最終的に誰もが願わざるを得なくなる。

 

其れでもって科学技術の進展の方をまた新たに見詰めると云うこととなる。

其の科学技術の進展の方は「認識上」の転換とはまた別箇での壱つの世に對する反抗の試みでもまたあることだらう。