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「資本」による「洗脳」に就いてー「資本主義」を其れに對置されるだらう「マルクス主義」より読み解くー

「資本」による「洗脳」に就いてー「資本主義」を其れに對置されるだらう「マルクス主義」より読み解く 壱ー

 

 

 

 

 

百田尚樹氏ら「安倍応援団」が自民党批判に転じた理由は? 「日本保守党」国政選の初陣へ 衆院東京15区補選 (msn.com)

 

個人的に其の「日本保守党」には是非頑張って頂きたいとさう考えて居ます。

ではワタシは「右派」かと云えば其れは必ずしもさうでは無い。

 

但しアメリカの言いなりとなることや中國の属國化することが良いことだとは決して思わない。

要するに國家としての自立性をまずは保つことこそが此処🗾國の重要な目標となる。

 

國家としての自立性を持つのであればたとえ此処🗾が社會主義化するにせよ其れは其れで良いことです。

其の逆に右傾化するにせよまた其れは其れで良いことです。

 

が、わたくしが言いたいこととは其のイデオロギーをむしろ捨て去り「閉じ籠り國家」とした方がむしろ🗾のみんなは幸福となれる、とのことなのです。

つまりは「幕藩鎖國體制」の復活がむしろ最良の選択となるのではなからうか。

 

でもってさうしてイザ「閉じ籠る」のであれば「限定」された枠の中で思うやうに生きられるやうになる。

逆にアメリカの言いなりでは🗾の體制とのギャップがドンドン大きくなり様様なものが壊れませう。

 

また中国の属國となったにせよ🗾の體制とのギャップがドンドン大きくなり様様なものが壊れませう。

だがどちらかと言えば後者の方がまだマシなのかもしれません。

 

🗾の體制はそもさうして「特殊」なもので要するに「閉じ籠り」とは極めて相性の良いものとなる。

またイザ閉じ籠っても頭は良い=利口なのが🗾の民人なのですからまさかバカにはならないのです。

 

「徳川幕藩鎖國體制」の復活

 

兎に角其れが良いことだらう。

また首都は「浜松」か「岡崎」に置きませう。

 

つまりは其の「家康公」の御力にて再び🗾を統壱に導きますのです。

其の為にはまず「河村名古屋市長」を総理大臣に据えねばならなくなる。

 

でもって大村愛知県知事を追い出し百田氏に愛知県知事をして貰います。

だがもしも「河村名古屋市長」が総理大臣にでもなれば🗾國は相当に価値観が狂います。

 

まずはソコこそが狙い目でせう。

でもって「河村名古屋市長」は衆議院及び参議院による國政其れ自體をそも廃止するに及ぶことでせう。

 

また官僚なども居なくなるのやもしれません。

するとみんなが困るのであとはもう「新たな幕府」を開くしか手がなくなるのです。

 

ですがより「本質的」な意味での文明の問題点とは實は「政治」や「行政」の部分には無く「経済システム」の問題へと帰着致します。

つまりは其れが「資本主義社會」の履行の部分にこそ大きく問題が生じて居るのである。



「結婚を避け、子供をもたない」ほうが人生のコスパが良い…現代の日本人に起きている"憂慮すべき変化" (msn.com)

 

實は「資本主義」=「資本の論理」との現代社會に於ける本質部のことをよくよく考えてみませんと現代社會が齎す「闇」=「矛盾」及び「破壊」の理由を其の根本より明らかにすることは出來ません。

 

でもって壱つには「資本主義」のヤバさと云うことがまずは大問題となるのです。

其処にて「資本主義」=「合理主義」=数的還元値への「崇拝」其のものであることをまずは知って置く必要がある。

 

さう「資本主義」とはまずは何よりも「信仰」なのだ。

でもってソレが「邪教」である確率が現在ほぼ80パーセント程にも高まって來て居る。

 

とは言え我我無學な庶民は其の主義主張とは関係無くタダタダ毎日腹が減るばかりです。

腹が減れば無論のこと何かを食わねばならずそう云うのはほぼ全てが動植物の死體ですが其れにも関わらず其れをあえて食いませんと樂しくは生活などしていけません。

 

またわたくしなどは公園で配布される無料の🍱を食うことを夢みつつかうして部屋に閉じ籠りつつコカ・コーラーをストーヴにて温め其れを好んで飲んだりまた最近嵌まった埼玉の川島屋の創価でないさう草加🍘、兎に角コレなどをバリバリ、ボリボリとあれ今日はもう六枚程は食ったか、だが其れは幾らなんでも食い過ぎとちゃうか、でもまあ其れを飯の代わりに食ったのでとりあえずはエエか。

 

などと云う乱れた食生活をするタダの壱ジジイながらでも現代社會の事ダケは気になると申しますか正直「ヤバい」とさう思いますのです。

 

「かう腹が減るからさう資本に洗脳される」

 

まさに至言であります。

ところが問題は其の草加🍘ダケではすぐに物足りなくなりやがては肉汁の滴るあさくまのハンバーグ🍱やさらにステーキガストの🥩🍱に迄手を出し挙句の果てにより高級な江戸前の寿司や鰻🍜などをどうしても食いたくなって仕舞う。

 

要するに「欲望」に歯止めが効かなくなる。

また其のことと同じ論理にて百万を持ってる人は壱千萬を欲しがりさらに壱千萬を持つ人は壱億円を欲しがり壱億円を持つ人は拾億円、さらに百億円と要するに其の持つ金の額をほぼ無制限に上げて行くのです。

 

ところが其れは根本的に歯止めの効かぬ「欲望」ですので何処まで数字ー抽象的価値ヒエラルキーーを上げても満足されると云うことが基本的に無い。

と云うことは其の「資本の論理」其のものに予め「ケモノ性」の如きものが組み込まれて居ることとなる。

 

要するに其れは決して「理性的」な判断の場とはならずむしろ「弱肉強食」での熾烈な利潤競争へと企業を駆り立てて行くこととならざるを得ぬ。

またさうして「個」及び「社會」の次元にてまさに其の利潤競争だの「強欲」だの「😣出来ぬ感じ」が刷り込まれて行くこととなる。

 

つまりはさうした惡どい商法乃至は見境無く追及して止まぬ抽象的な数的還元値其れ自體がむしろ我我ニンゲンの本來あるべき認識を崩し去りまさに「洗脳」へと導いて行くことだらう。

 

でもって上の記事にて語られる「コスパ」の問題等も全ては「合理性による打算」が齎す弊害のことなのでありませう。

尚「資本による人間の家畜化」とはまさに其の通りのことで但し自分の場合は「資本の奴隷化」との言葉の方がよりイヤらしくて良いかとさう思います。

 

つまりはニンゲンが「資本の論理」によりすでに奴隷化され故にか主に「デカいこと」ばかりに興味が向けられる訳だ。

すると大衆はよりデカいカネを稼ぐスタアである大谷君や藤井君を羨ましく思いつまりはつましい飯を食いつつ大谷君や藤井君にやれることであらう「酒池肉林」の様を夢見つつもある始末です。

 

だがワタシに言わせればよりデカいカネを稼ぐスタア程「地獄へと堕ちる」ものです。

其の逆に「貧しき者」は幸いなり。

 

汝貧しき者は逆に天の扉を開かん。

 

 

「腹が減っては戦は出來ぬ」

でもセンセー、腹が減ってはもう壱歩も動けません!

 

…確かにさうだ。

實際かう腹が減っては「御勉強」も何も無い。

 

「御勉強」以前にまずは「腹ごしらえ」こそが大事なことだ。

「腹ごしらえ」をするにはまず現金が必要だ。

 

現金が無いともうどんな🍱も買えぬ。

現金が無いともうどんな石も万年筆も買えぬ。

 

じゃあ拾って來れば?

おお良いことを聞いた。

 

實際に我は良くモノを拾って來る。

例えば道端の硝子片ー其れも銀化せし硝子片ーだとか捨てられたラジカセだとかまた🏔の石だとかを。

 

さうか、では其の「拾い」の人生に於いてすでに「資本の論理」は超越され無意味なものと成り果てておる。

つまりは其処に「売買」が為されず本質的に其れはさう「盗んで來しモノ」となる。

 

いやでもソレをイチイチ犯罪だとさう喚く法律家などもおそらくは居ないことだらう。

即ち其れは消費財なのですら無いのだから。

 

 

さうか、じゃあお空でもって雲や虹と戯れたりまた海の中でお魚や貝と戯れたりさらに🏔の中で野宿したりすることにはまさに其のカネが壱切かからんではないか。

うーむ確かにさうだ、だから「仙人」と化しあえて進んで其れをやれば基本的には「0円生活」をすることとなり其の惡としての「資本の論理」に「洗脳」されずとも済むことだらう。

 

アンタでも其れでは至極腹が減りますよ。

…ヤッパリさうだらうね。

 

と云うことはむしろ世間の人人は進んで「自己家畜化」または「自己奴隷化」して行くとのこととならう。

 

 

そして進化生物学は、私たち人間自身に起こった自己家畜化も論じています。考古学、生物学、心理学などから多角的に検討すると、この自己家畜化が私たちの先祖にも起こってきたというのです。自己家畜化にともなう生物学的な変化によってセロトニンが増大し不安や攻撃性が抑えられ、より人懐こく、協力しあえる性質が人間にもたらされました。

進化生物学の研究者たちも述べるように、自己家畜化は今日の文化や社会環境を築くうえで非常に重要だったはずで、この変化がなければ都市に集まって暮らす今日のライフスタイルは成立不可能だったでしょう。

「結婚を避け、子供をもたない」ほうが人生のコスパが良い…現代の日本人に起きている"憂慮すべき変化" (msn.com)より

 

其の「自己家畜化」または「自己奴隷化」と云うのは言わば「経済體制」に於ける「合理化」での命題です。

今日世界では「資本の論理」が蔓延しむしろ其のことにより金のある國に限りたらふく食うことが可能となった。

 

逆に申せば今日でもなお金の無い國ではたらふく食うことは出來ぬこととなる。

 

ところがたらふくは食えずとも第壱次産業が成り立って居れば民人の多くが飢え死にしなくても良いこととなる。

ですので其の「資本の論理」を國是として全面的にはあえて取り入れぬ國家としてのあり方などもまた有り得る。ーたとえば「ブータン #経済- Wikipedia」のやうにー

 

またむしろさうした國の方が「資本の論理」による「破壊」を免れて居るのだともまた言えやう。

 

 

ところが最近、その生物学的な自己家畜化の進展よりずっと早い速度で文化や社会環境が変わっています。生物学的な自己家畜化の歩みと文化の歩みの速度にギャップが生まれ、リードする文化の側が「人間よ、文化の進歩にあわせてもっと自己家畜化しなさい」「資本主義などの思想にみあった家畜人になりなさい」と人間を引っ張っています。

その結果、文化や社会環境が人間の動物性をますます漂白していく現況を精神科医としての私は憂慮しています。

自己家畜化が進んだとはいえ、人間は、ホモ・エコノミクスである以前に動物としてのホモ・サピエンスでもあります。遺伝子を継承し、子々孫々の繁栄を求める動物の観点からみれば、最もコスパが良いとは、最も効率的に子孫や血縁者を残せることを指すはずです。

「結婚を避け、子供をもたない」ほうが人生のコスパが良い…現代の日本人に起きている"憂慮すべき変化" (msn.com)より

 

さう「文化」もまたニンゲンを追い詰めて行く可能性が高くある。

「文化」は普通良いものであり「文化人」などは皆偉く勲章すらもが出たりもまた致しますが逆にソコにはほんたうの意味でのゲージツ家は少ないことでせう。

 

要するに極めてバランスの惡い文化であり文明を近現代と云う時代が築いて参りました。

其れの何処が惡いかと言えば、

 

合理化⇔非合理領域=新たな脳⇔古い脳

 

に於ける其の認識上でのバランスこそが取れて居ないのです。

でもってあえてソコへ経済體制を捻じ込んでみますと、

 

資本主義⇔社會主義

 

となるがまた其の部分でのバランスが惡いが故に現代社會は失敗致しました。

より正しくは其れが拮抗する位のバランスでないと地球を救うことは元より無理でしたのです。

 

また其のことは資本の強欲のみならず共産党壱党支配による独裁的な権力構造がブチ壊したバランスなのでもまたありましたのです。

 

 

進化生物学者リチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)のなかで、「人間も含めた生物は、遺伝子からみれば(遺伝子を運ぶ)乗り物である」と比喩しましたが、今日の人間はまるで自己増殖する資本の乗り物のようです。

社会の隅々にまで資本主義の思想が浸透し、それを内面化した私たちにとって、資本主義の思想(ミーム)は生物学的な遺伝子(ミーム)よりも強い行動原理になっていて、子孫を残すのにふさわしい暮らしは、資本主義にふさわしい暮らしに上書きされています。

「結婚を避け、子供をもたない」ほうが人生のコスパが良い…現代の日本人に起きている"憂慮すべき変化" (msn.com)より

 

「資本の乗り物」=「資本の奴隷」

 

個人的に廿代の頃は其の「資本の奴隷」であることが何よりも生理的にイヤでした。

だから普通の企業には入らずあえて家庭教師→塾講師となって行ったのでした。

 

ですが「資本の論理」が本質的にオカシイ、まさに其れが「惡」だとさう気付きましたのがむしろ五拾歳位の頃でした。

三拾代~四拾代の頃はモノコレクターをやりますことに夢中ーまた其れが為に金を稼ぐことに夢中ーで且つ🗾共産党を強く批判してさえ居たのです。

 

故にまさに其の様や「資本の奴隷」状態にあった訳です。

ですが其のボーナスの分を得ませんとまさか高い🖋は買えやしない。

 

資本主義はかうして「逃れられぬ」論理にて我我庶民を縛り続け其の癖まさに理不尽な迄の搾取をこそ押し通すのです。

例えば其の五拾歳の頃に自分は研究所でもってとある現場の副責任者をして居りましたがソコへ製鉄會社ー大企業ーから出向社員が來て立場は自分の方が上ですのに同じ仕事をやるにも関わらず彼等のボーナスの額が倍、又は参倍もの額であることには心底打ちのめされた。

 

資本主義によるヒエラルキーとはまあそんなもんです。

むしろ其れがさうして「格差」により駆動される経済システムであることを知って置く方が良いことだらう。

 

また「文化人」などはまた其れ以上に「ヒエラルキー地獄」の住人ともならう。

つまりは無名のゲージツ家などはまさに食えませんのですし最終的にはゲージツを放棄せざるを得なくもならう。

 

 

こうなってしまった以上、最終的には、配偶や子育ては個人のものから社会のものになるしかないのではないでしょうか。

そもそも、世代再生産を個人のインセンティブに頼っているから少子化が進むのです。資本主義が浸透し、誰もが家族や子育てにまつわるリスクを合理的に考えるようになれば、ホモ・エコノミクスとしての私たちが子育てを躊躇し、配偶すらリスクとして回避するのは当然でしょう。なぜならそれらは投資事業としてはあまりに長期的でベネフィットが不確かだからです。

「結婚を避け、子供をもたない」ほうが人生のコスパが良い…現代の日本人に起きている"憂慮すべき変化" (msn.com)より

 

さうかうなって仕舞った以上は妻も子も要らんのです。

だから其れは資本による搾取が酷過ぎるからこそさうなったのです。

 

だから例えば廿萬の給料が倍にもなれば妻も子もドンドコ増える。

でもソレをアホの資本家共がやらんから世の中が滅びる。

 

尤も今凄い賃上げブームなのださうです。

但し輸出関連の大企業に限れば。

 

そりゃさうだ、國が彼等をしこたま儲けさせて來たのだから故に。

ですが🗾の中小企業は此の侭ではあと五年も持ちません。

 

さう中小企業はみな潰れるとして果たして大企業ダケが生き残れるのだらうか?

故に其のものズバリ資本主義社會の問題点とは、

 

1.搾取が酷

2.みんなが奴隷化

3.金持ちがバカ

 

との御話となります。

もうこんな腐った強欲體制は壱刻も早う止めるべきだらう!

 

でもまた他方では「資本主義地獄」の御陰にてかうしてモノ其のものが樂しめることともなる。

さうモノ其のものへの「愛」をこそ育むのが其の「惡」としての「資本主義體制」其のものなのか。