再度「マルクス主義」を學ぶー1.「新自由主義」と云う至極厄介な搾取體制に就いてー
本日「マルクス主義」を今壱度學ぶ機會の訪れがあり。ー九月六日、京大大黑先生の記事をネット上に発見すー
さてかうしていつも「現代思想」にて頭がはち切れんばかりの思想詩人は其の「社會科」のことばかりを考え且つ其れに振り回され挙句の果てに気が御狂いになる壱歩手前迄常に精神的に追い詰められ其れでも尚やらねばならんことが壱杯で従ってどうのかうのと言って居る暇などは無くまさにイヤイヤながら今日も大掃除をし其のゴミダラケの態にて豆腐壱丁を食いついでに其れでは腹が減るのでちくわを胡麻油にて炒め其れを豆腐にぶちまけ其の味付けなどは全部が同じイチビキの醤油である。
要するに其の「思想的懸案」が常にあるので優雅に飯を食って居る時間などは其処には無い。
すると🐱共が何故か本日は澤山家に集まり其れ等が勝手放題に空きの段ボールの箱の中やまた衣類やさらに布団の軟らかいところなどを根城として居座るのであるが其れも決まって其の後がなんか痒くて要するに奴等は汚いのである。
さうかうするうちTVでNHKを視ると「さわやか自然百景」にて「八幡平」と云う処をやって居り其の回にまた大感動す。
しかも其の後「美の壺」の方で鋏を創る職人の技と云うのを視てまさに其れが近代合理主義を超える技なのではないかとさう考えでもそんな超絶技巧の鋏は高くて誰も買えんのだった。
其れもまたよりにより金満な馬鹿資本家やらアホ投資家共にしか買えぬのだった。
尚「八幡平」の回はまだオンデマンドの方に入って居りませんでした。
さうかうするうちシャワーを浴びようやく人心地がついて徐にPCの電源を入れる。
するとまたイキナリ「マルクス主義」での社會的闘争過程が目に飛び込んで來ちっとも休めやしねえ。
だからほんたうはもはや社會闘争詩人は此処には居らず「八幡平」にてバカンスを樂しんで居る筈なのであるが結局また其の社會との大闘争の世界に呼び戻され其れも最終的には「資本主義経済體制との抜本的闘争」をせぬ限り勞働者に取り「バカンス」などは無いのだと云うことをたった今此処に痛感した次第である。
マルクスが喝破した、資本主義の「原理的問題」……新自由主義と現代の貧困の真の関係とは? 21世紀と『資本論』第1回 (msn.com)
まさに素晴らしいさうして驚くべき社會分析力が示された記事です。
現代社會の抱える大問題とは畢竟「資本主義経済體制との抜本的闘争」なのやもしれません。
其れをかって「やれ」とさう仰ったのがかの独逸の天才思想家であるマルクスとエンゲルスだった。
大黒 弘慈 | 京都大学 大学院人間・環境学研究科 総合人間学部 (kyoto-u.ac.jp)
其れも流石と言うべきか京大の先生方はやっぱしかうして頗る頭が良いですね。
自分などもやっぱし彼等には勝てないのかなあ。
ーすなわち、労働者が産業資本による「搾取」に加え、金融資本によっても「収奪」されるところにこそ、現代の貧困の原因はあるのである。経済学者の伊藤誠はこの状況を「労働力の商品化」ならぬ「労働力の金融化」と表現している。
現代の貧困は、たしかに2008年の金融危機によって進行したと言ってよい。しかしそれ以前にこの現象は、新自由主義的な金融権力によって仕組まれた「労働力の金融化」の産物と言うべきなのである。
そう、新自由主義的権力は「貧困」の概念を現代に再導入しているのだ。ーマルクスが喝破した、資本主義の「原理的問題」……新自由主義と現代の貧困の真の関係とは? 21世紀と『資本論』第1回 (msn.com)より
さて皆さんは最近TVのCMなどに「投資」などの所謂資産形成を煽る如きものが多くあることをすでに御存じの筈です。
されど自分はかねてより其の傾向に大きく「違和感」を抱いて居ました。
何故なら今🗾の勞働者階級其れも中間層と下層の所得層は至って貧乏です。
其のことは自由民主党政権がまさにアメリカの言いなりとなりいまだ封建制社會の🗾によりにより「新自由主義」なる搾取権力を成立させて來しからなのだ。
其の「新自由主義」なる搾取権力を壱言で言い表せば「貧乏人から余計に金を毟り取るだらう生存権を破壊するに至る👿の儲け主義」とのことだ。
其の👿こそが大手を振って今🗾國中をうろついている!
ああ、怖い。
もう僕はそんな地獄の様に耐え切れない。
神よ佛よ其の惡を是非倒し給え。
ですが何時迄経っても神や佛が動き出す気配が無い。
何故だ何でだ理不尽だ。
そも不条理だ火事だ地震だ壱家心中だ。
でも其れとはまさか違うでせう。
違いました、どうも御免なさい。
そんな文學上の飛躍は無しとして眞面目な話たった今「資本の論理」が我我貧乏人を絞め殺さうとさえして居る!
つまるところ「コロナ」だの「物資の高騰」に痛めつけられて居る筈の我我の家計にさらなる魔の手が伸びて居りまさに其れが「勞動力の金融化」なのである。
つまりはそも「金が無い」👛の中からよりにより「なるべく多くの金」を毟り取らうとして居るのである。
つまり百円しか残って居ない現金を拾円ダケにしたいのである。
では九拾円は果たして何処へ行くのだ?
其れは「金融資本の論理」が全部頂くのだ。
ところが貧乏詩人は其の九拾円でもってフジパンの菓子パン弐個を何とか安売りスーパーにて買おうとさう思っておった。
其のフジパンの菓子パン弐個でもって何とか弐日間は生きられる。
ところがTVで變なCMを視たばかりに騙しの投資話に引っ掛かりしかも百萬もやられて仕舞う。
うわああー死んだ、やられた、もはやお仕舞いだ。
ところがそんな騙しの投資話であれ何であれ此の強欲資本主義経済の世では其れに引っ掛かった奴こそが惡いのだった。
無論のこと正しくは政権与党がむしろ貧乏人に金をバラ撒いてしかるべきなのであり其れも何でかと言えば「國」と云う社會は「金持ち」の力により回るのでは無くあくまで勞働力を提供する庶民の働きにより回るのである。
ところが資本主義経済體制の先進國である米國ではむしろさうでは無くつまりは金があるもの力があるものやれるものまた何処かへ原爆を落とすダケの其の「惡の力」のみが評価されまた社會を回すに至る。
エエッ、そんな👿國家でもってそもエエのですか?
だって米國もまた壱面では宗教國家であり惡を金輪際認めぬクリスチャンの國では無かったか?
そんな惡を認めぬクリスチャンの國に限り何故か其の惡をやることが多く其処は明らかにキリスト教としての根本矛盾の部分でせう。
「菩薩及び天使は惡を是認する」
もしやコレか?
コレこそが働きもしや侵略者はインデアンを皆殺しにしたのではなかったか!!
まあ余り深く宗教的に考えることなどは今回止めて置きませう。
でもってほんたうに投資話に引っ掛かったのか?
そも引っ掛かる訳が無いでせう。
兎に角元本とする金がそも無いのですから。
さう言えば確かにさうだね。
ーしかしことはそこに止まらず、経営者が唱導する労働への労働者の動員は、「自己責任」の名のもと、金融的破局のコストとリスクを資本家にではなく労働者に引き受けさせる「自己統治の術」へと変貌するに至った。すなわち金融権力が推奨する「従属=主体化」こそが、新自由主義的統治のかなめなのである。
新自由主義的統治はこうして、すべての労働者を「企業」つまり投資する主体に擬え、またすべての労働者を「負債」に巻き込む。その根底には「貧困」の前景化がある。今日、もはや絶滅したかに思われた「絶対的貧困」(飢餓)が再び浮上しているが、これには新自由主義的統治によって演出され利用されている側面があるのである。ーマルクスが喝破した、資本主義の「原理的問題」……新自由主義と現代の貧困の真の関係とは? 21世紀と『資本論』第1回 (msn.com)より
何と勞働者が金融資本のコストとリスクを主體的に引き受けるやうにそも仕向けられて居るのである。
つまるところそも「金が無い」勞働者からより金の無い「負債」状況へと彼等を巻き込むのである。
世界金融危機 (2007年-2010年) - Wikipedia
そんな「経済」の分野には疎い我ながら所謂「金融資本主義」が生む破壊的危機に関し関心が無いでも無い。
いずれにせよ其の資本主義による所謂「搾取體制」が其の新自由主義によりより抽象化、先鋭化し行われて居ることだらうこと位は何となく分かる。
尚全然違う話ながら🏥勤務の時代にとあるバイトのオッサンー元魚の卸業の重役さんだった人ーがUFJのリスクの少ない途上國の資源投資か何かで年に300萬位は稼ぐと言い常にデカいワゴン車の其れも新車でもって通勤して居たことを思い出した。
其のオッサンから色色と話を聞き名刺も貰ったが全く凄い人であった。
尚年収が例えば弐千萬あると毎年壱千萬は貯蓄に回せるので拾年間で壱億円を貯められるのだと言う。
そんな訳で其の人は實際にすでに億萬長者なのであった。
でそんな人がそも何で🏥の其れも駐車場整理のバイトに來て居たかと言えば要するに生活リズムを作る為なのださうだ。
さうか、ではアノMATHUMOTOさんに金を恵んで呉れとさう頼めば良いのだ!
でもアノ人は余り教養が無いからな。
でも教養と金回りはそも関係が無いのだね。
ーしたがって、新自由主義的統治に対抗するには「絶対的貧困」や「相対的貧困」の存在を指摘するだけでは不十分である。それらを強調すればするほど、逆に新自由主義的統治に手を貸すことに繋がりかねないからである。
現代の貧困は金融権力による「労働力の金融化」と「収奪」にその特徴があるにはせよ、その根底には、不断に更新され、決して満たされることのない「作られる稀少性」という根源的なレヴェルでの「貧困」という問題が控えていることを見過ごしてはならない。ーマルクスが喝破した、資本主義の「原理的問題」……新自由主義と現代の貧困の真の関係とは? 21世紀と『資本論』第1回 (msn.com)より
「自由主義的統治」とは19世紀にすでに行われて居た社會のあり方であり現行の「新自由主義統治」とは主に自由主義を奉じる學者により提唱されたもので20世紀後半から世界の経済圏を席捲して來し経済思想である。新自由主義 - Wikipedia
要するに世界がより貧乏であった弐世紀も前に布かれて居た経済體制のことなのであり其れが要するに儲け至上主義での「金持ち」に有利な政策のこととなる。
と言うことはそも「新自由主義統治」がより進めば逆に貧乏人はより貧乏となり即ちケツの毛まで毟られ最終的には「餓死」へと追い込まれやうとも統治側はあくまで「そりゃ知らんわい、そりゃそもおみゃーらがボケーとしとったでさうなったんだわ。」との御話となるのだ。
また大黑先生の御話によるとむしろ其の「新自由主義統治」の側が「貧困」の是認と云う「搾取」構造を前提として組み上げられて居ることが良く分かる。
そりゃさうだらう、何せ此の地球上に「金」が無制限に有るのでは無い。
むしろさう「金」の量は決まって居るので誰かが飢える程にならんと金持ちにより金が転がり込むことなんぞありゃあせん。
ーまた「労働者による投機」なるものが、低成長下で企業が自己金融化に向かうなか、過剰な金融資本の資金運用先として労働者の家計が標的にされているにすぎないことも忘れてはならない。
すなわち、労働者が産業資本による「搾取」に加え、金融資本によっても「収奪」されるところにこそ、現代の貧困の原因はあるのである。経済学者の伊藤誠はこの状況を「労働力の商品化」ならぬ「労働力の金融化」と表現している。
現代の貧困は、たしかに2008年の金融危機によって進行したと言ってよい。しかしそれ以前にこの現象は、新自由主義的な金融権力によって仕組まれた「労働力の金融化」の産物と言うべきなのである。
そう、新自由主義的権力は「貧困」の概念を現代に再導入しているのだ。ーーマルクスが喝破した、資本主義の「原理的問題」……新自由主義と現代の貧困の真の関係とは? 21世紀と『資本論』第1回 (msn.com)より
ほれ見よ、奴等にやられたぞ。
我我はすでに其の金融資本の奴隷なんだ!
しかも「貧困」は奴等によりかうして復活せられたものだったのだ!
おお怖い。
もう怖くて怖くてお外を歩けぬ。
ほれ見よ、すでに我我の貧乏所帯が奴等の標的なんだ!
搾取+収奪=ダブル搾取
…なんだよ。
さてもこんな貧乏所帯を脱さんが為にまずはMATHUMOTOさんに連絡し300萬程援助して頂かう。
バカ、おみゃーの貧乏を直すのは實はカンタンなことだ。
ほう其れは果たして如何なる方策を講ずるので?
どんな高級なやり方でもって其れをおやりになるのですか?
そもおみゃーが自分でやれい!
其れはね、石とペンをしこたま買い込まぬやうにすることだね。
なあんだ、そんなことだったのかハッハッハッハッハー。
いずれにせよ社會の問題は勿論こんなこと位では解決しない。
社會の問題は其の「思想」のあり方での問題であり其の「思想」がイザ惡ければ社會全體がさう惡くならざるを得ぬ。
従って我が國🗾の場合は其の「惡い思想」を何故あえて見逃して來たのかと云う部分にこそ集約されて來やう。
何故あえて見逃して來たのかと言えばまさに其れが自由民主党の🐶化なのであった。
「ワアーン、ワン。」
可愛いワンコロだな、サアコッチへおいで。ーまさに其の新自由主義體制側へー
「キャーン、キャン。」
キシダまた何でキャンキャン吠えてるのだ?
どうした、もしや誰ぞに虐められたのか?
はい、🐊が。
其の🐊めが僕の尻尾を齧った。
うわあー、もう早う死んで呉れ🐊よ。
ドッカーン!
エッ何だ今のデカい音は?
其れはもしや自由民主党の🐶化に對する砲撃なのか?
其の通りで元総理のアベがたった今撃たれて死んだのです。
しっかしひっでえ國だなあ。
新自由主義者のレーガンとかサッチャーとかはそんな撃たれて死んでは居らんだらう?
あああ、もうイヤだ。
もう壱刻も早う「さわやか自然百景」の「八幡平」の回をオンデマンドにてもう壱度視たい。
また職人の鋏の秘密でも探求したいところです。
ならばまさに其れをやれば良い。
だが社會問題からは決して逃げさせてあげない。
ガシッ。
何だ何がイキナリへばりついて來た、ドレドレおや「マルクス主義」か。
其れでは大黑先生、次回分を是非樂しみにして待ちます。
個人的には「マルクス主義」は正しいとさう見るに至りました。
ですが「マルクス主義」が絶對的思想であるとは實は考えて居りません。
ですが「新自由主義」はほぼ絶對的に誤った思想である=「✖✖✖の思想」其のものなのだから。