🗾社會を救うであらう「平等」の思想に就いてーそんな「社會闘争」としての自由民主党批判ー
なぜ平等で格差が小さい社会ほど幸福度が高いか 「親ガチャ社会」の日本に未来がない納得理由 (msn.com)
こちらがまさに🗾社會の「全て」が良く御分りになった個人的に「大感動」した記事の内容です。
例えば此の方を内閣総理大臣にすれば間違い無く🗾國は救われませう。
ですがかの國の内閣総理大臣は自民党のアホがやるものと決まった國であることがまずは大問題だ。
また其の大問題は「洗脳」によるものだとわたくしは結論付けさう述べても來た。
アホでありバカ=理性がまるで働かぬ🐒だの🐊だのまた死んだアベだののこと
廣井先生、兎に角是非御出馬を!
兎に角此の方は滅茶苦茶に頭が良い方です。
兎に角アホ=格差社會の追随者、なのだ。
日本國は戦後米國の社會的な意味での奴隷となり兎に角頑張りましたがふと気付くと「アメリカ言いなり」の非自立的な社會を築いて仕舞いまさに其処はかの三島 由紀夫先生などが危惧されて居た部分です。
また其の「アメリカの奴隷」であることをむしろ自分から進んでやりましたのが小泉 純一郎なるアノ左翼政治家であった。
だから彼小泉 純一郎はたった今「原発反對!」を極めて熱心にやっております。
其の小泉 純一郎とアノ死んだアベとではどちらがよりおバカと申せば其れはまた非常に難しい御話ですが個人的にはコイズミと其の息子の方がよりアホではないかとさう思いますのです。
とのことで今此処🗾國が「なんとも情けない状況」へと至りつつあるのは他でも無いまさに其の自由民主党による政策に於けるヘマがさう追い込んで行ったダケのことなのだ。
ですが本質的には其れも🗾の大衆のおバカさが「キャアーコイズミー!」であり「キャアーアベさーん!」と其のやうに比類無きアホ共をまるでスタアの如くに崇拝し且つ擦り寄ったからなのでした。
「原発反對!」
処理水の垂れ流し反對!!
よりによりアノアホ総理の壱人であるキシダが其の惡い水を🗾の海に垂れ流し海産物を全滅させやうとして御座る!!!
キシダ、でももう止めやう。
君は折角「早稲田大學」を出たのに其れではもはや何ともならんぞ。
「キャアープーチン!」
壱體何ですか、其れは?
いえプーチン氏にでもマジで頼めば低脳な政党である自由民主党を潰せるかとさう思いつい口にした言葉です。
さて結局「人間の社會」では「平等性」が「幸福度」に深く関わることを上で廣井先生が明らかにされて居ります。
しかも其れは「共産主義」に限らずさうなのだ。
「共産主義」ではなくともさうして「社會的公正さ」が保たれた北欧諸國では「幸福度」が高くなる。
ところが此処🗾國ではむしろ其れとは逆の方向へと自由民主党が社會を進めたのだった。
故に今や🗾人の幸福度などは地に落ちたも同然なのだ。
でもあああー、幸福だ!
などとさう云う輩は金満の偽善者であるに過ぎず奴等はつまるところ米國流の強欲資本主義の手先であり子分である。
また自民党の議員其れ自體が米國流の強欲資本主義の手先であり子分でありまたつまりは奴隷である。
「奴隷賛成!」
だが自分から進んで「奴隷」になる奴など居るのか?
まさに其れはコイズミやアベとキシダとさらに彼等を選んだ🗾國民のことでせう。
ー日本について見れば、1980年代頃までは日本の経済格差は上記の「大陸ヨーロッパ」並みで、どちらかというと先進諸国の中で格差の小さい国だった(この点は当時の日本人の間にあった“一億総中流”意識とも符合している面があった)。しかし90年代半ば頃から日本の経済格差は徐々に広がり、現在では先進諸国の中でもっとも格差が大きい国のグループに入っているのだ。ーなぜ平等で格差が小さい社会ほど幸福度が高いか 「親ガチャ社会」の日本に未来がない納得理由 (msn.com)より
つまり自由民主党による似非保守としての権力がむしろ🗾の社會其れ自體を壊して行くのである。
ところが國會議員さんや大臣やさらに内閣総理大臣は皆「偉い人達」なので所謂人の好い日本人はむしろ彼等を盲目的に信頼し全てを任せて來たのだった。
でももしも彼等がもうとんでも無いバカだったら果たしてどうするんだ?
だから其れがまさに「洗脳」なんだ。
だけれども其のことは「御勉強」を重ねた人にしか分からないのだ。
では果たしてみんなは「御勉強」をして來たのか?
よもやして居ないだらう?
社會の先生はもう全部をお見通しだぞ。
まさかして居ないだらう、其の御勉強を!
つまるところ「米國いいなり」の社會はまさに「不平等社會」の建設のことでありつまりは「共産主義」とは正反對での格差拡大と競争社會との國是としての推進のことだ。
だから兎に角🗾の労働者なり其の働き振りに問題があるのでは無くおおまさに「政治」のあり方にこそ大問題があったのだ。
ー元より此処🗾には🗾としての政治のやり方がある。だが自由民主党の政策は「アメリカの言いなり」となり決定され其れはまさに今もさうなのだ。ー
ー話題を格差と幸福度との関連に戻すと、基本的な事実として、北欧諸国のように最も平等度が高い国において、概して人々の幸福度が最も高い傾向にあるという点は、まず押さえておいてよいだろう。ーなぜ平等で格差が小さい社会ほど幸福度が高いか 「親ガチャ社会」の日本に未来がない納得理由 (msn.com)より
つまりはどうのかうのでは無く所謂「意識の高い」國國に住んでこそ其の「幸福度」は眞の意味で増して行く。
逆に「意識の低い」國國ー🗾や米國や英國ーに住むと其の「幸福度」は眞の意味で減って行かざるを得ない。
ー第一は、「収入あるいは消費の増加に対して、そこから生じる満足度や『効用(utility)』、あるいは幸福/ウェルビーイングは比例的には増加せず、その増加の割合は“低減”していく」という点から派生する内容である。
そして以上の点を踏まえると、次のようなシンプルな事実が帰結することになる。それは、「高所得層から低所得層に対して所得の再分配を行ったほうが、社会全体の幸福度は増加する」という点だ。
これは、上記のように(収入に対する)幸福度の低減という点から論理的に派生する帰結であり、取り立てて難しいことを論じようとしているのでない。つまり、たとえば「100万円の収入増加」がもたらす幸福度の増加は、低所得層にとってと高所得層にとってでは大きく異なる――前者にとってのほうがずっと大きい――ので、所得再分配を行って高所得者から低所得者への所得の移転を行ったほうが、社会全体の幸福度(=その社会に生きるすべての人々の幸福度の総和)は大きくなるということだ。ーなぜ平等で格差が小さい社会ほど幸福度が高いか 「親ガチャ社会」の日本に未来がない納得理由 (msn.com)より
尚所謂社會主義政策と言うと🗾人は毛嫌いしがちであるが所謂國民皆保険や年金制度などがまさに其の社會主義的な政策により機能するものだ。
よってむしろ🗾人が學ばねばならぬのは社會主義や共産主義と云った「進歩的な體制に於ける利点」のことなのだ。
其れを最初から共産圏が「ならず者國家」のやうに思い其処から學ぶことをしないのでアホ総理やバカ政党を蔓延させ挙句の果てには「日本人にとっての生存権」迄をも自ら放棄することとなって仕舞う。
第二十五条すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
さて今や其の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が果たして全國民に与えられて居るのであらうや?
また國は全ての生活部面で「社會福祉」、「社會保障」及び「公衆衛生の向上」を頑張りやって居るとさう言えるのか?
「不健康で非文化的な生活を営む権利」
「社會福祉と社會保障をなるべく切り詰め軍備をしこたま増やすこと」
実際にあるのは逆にコレだらう、コレ?
さらに、
「自分等こそが🗾國を壊した戦犯なのに涼しい顔をしてボーナスを400萬も貰いついでに御腐乱酢へ観光旅行してエッフェル姉さんになりましたとさ」
アホかワレ?
でもエッフェル塔ってそんなにイイんでせうか?
エエのでせうね、おそらくは…。
其れも會議だとか言ってさうして遊んで回るのがおそらくはサイコーに樂しいのだらう。
ーまさにこのような背景からも、先ほど“ケインズ政策の「幸福/ウェルビーイング」バージョン”という表現を使ったように、「所得の再分配(それによる所得の平等化)を通じて、社会全体の幸福度を増加させる」という新たな発想と、それにもとづく政策展開が求められているのである。
しかも重要なことに、こうした方向は、社会における幸福の「総量」を増やすのみならず、所得の平等化を通じて(経済面での)「幸福の分配」の改善、あるいは「“幸福格差”の是正」を実現させることにもなるのだ。ーなぜ平等で格差が小さい社会ほど幸福度が高いか 「親ガチャ社会」の日本に未来がない納得理由 (msn.com)より
「幸福度」とはまず半分はさうして個が属す「社會のあり方」により規定されて居るものだ。
だが自己構築度の高い価値に生きられる「藝術家」や「宗教者」や「學者」などは其の限りでは無い。
だからたとえビンボーでも「藝術家」や「宗教者」や「學者」の方方は其れなりに幸福な人生を歩んで居たりもまたする。
だけれども所謂「庶民」は逆に80パーセント位を國や自治體などの「社會のあり方」により規定されて居ざるを得ない。
わたくし自身もまた半分は藝術家であり哲學者であるが残りの半分が其の「庶民」なので兎に角國や自治體などの「社會のあり方」により規定されて居ざるを得ない。
但し其の「社會のあり方」こそが惡いとさう述べて來ては居る。
「所得の再配分」即ち「富と云う価値の再配分」は文明に於ける「平等」の實現の最大の壱歩である。
また現在の🗾の社會とはまさに其れとは逆方向での「強欲資本主義」型の金まみれ、欲まみれでの偽善的金満家に對し優しい社會である。
故にまるで「幸福度」の低い社會とならざるを得ぬ。
でもって今まさに其れをやって居るのがキシダ君だ。
だったらもしや「藝術家」や「宗教者」や「學者」にならないと助からないのですか?
いや其れはでも誰にでもさうなれる訳では無いでせう。
だから僕なんぞは實際永遠に自称の「藝術家」であり「宗教者」であり「學者」なのだ。
ーむしろ高所得層も含めて、上記のような強い競争圧力やストレス、不安等からさまざまな心身の不調や疾患が帰結するという点がポイントであり、それがここで述べている、「経済格差が一定以上のレベルを超えていくと、それは心身の健康にもマイナスに働き、全体として幸福/ウェルビーイングを低下させていく」という内容と重なるのである。
すなわち第一に、格差が大きい社会においては、先ほどアメリカの平均寿命の短さについて見たように、競争圧力や不安から来るストレスがきわめて大きくなり、全体としては、上記のような優越感情がもたらす“プラス面”を上回るようなマイナスの作用が個人レベルでも生じるという点である。ーなぜ平等で格差が小さい社会ほど幸福度が高いか 「親ガチャ社会」の日本に未来がない納得理由 (msn.com)より
其のやうに「格差の大きい」社會ではむしろ高所得者であれ「幸福度」が低くなって仕舞う。
況や貧乏人は「幸福度」どころかまさに高エンゲル係数に於ける「生きるか死ぬか」の問題である。
そんなもんの何処が「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」なのか?
むしろ其れは「不健康で非文化的な生活を営む権利」其のものだぞよ。
ー経済格差の是正や「平等」ということは、単に理念を唱えれば実現するものではなく、北欧を含むヨーロッパ諸国がそうであるように、「再分配への合意」そして“税・社会保障を通じた支え合い”という発想が不可避となる。ーなぜ平等で格差が小さい社会ほど幸福度が高いか 「親ガチャ社会」の日本に未来がない納得理由 (msn.com)より
戦後🗾人は米國流の資本主義の価値観に「洗脳」されつまりは「資本の奴隷」となることで生き抜いて來たがふと気付くと「働いて居るのに金が無く」さらに「ちゃんと仕事をやってるのに結婚も出來ない」國となり其の部分をよーく考えてみたところつまりは其れが選んで居る政治家の質の低下でありまた其のアホやバカの政治家を選ぶやうに仕向けられた我我への「洗脳」其のものであることが明らかなのだ。
其の「再配分」とはまさにかのピケティ氏が述べたことでもあり要するに「資本主義」を継続させたいのであればまずは最初にやらねばならんことこそがまさに其の「富と云う価値の再配分」なのだ。
此処からも要するに社會惡の根源とは其の「格差の拡大」にこそ有る。
「格差の拡大」が是認される社會では「強欲ヒエラルキー」が其処に築き上げられ要するに力や金を持つ奴が偉く奴等は誰が何と言おうと守られるのである。
其れもキシダが率先し其れを守るのだから。
では力や金の無い人はもはや「藝術家」か「宗教者」か「學者」になる他は無くまた其れにもなれぬのであれば後は「不健康で非文化的な生活を営む権利」の行使を続けて行くだけでよってそんな國民の「幸福度」はむしろドンドン下がって行くこととなる。
尚「社會批判」とはあくまで社會闘争としての壱形態である。
また別に政治家や官僚、また學者では無くとも其れはかうして可能である。
ーちなみに、先ほどZ世代の関心に関して「環境問題とパラレルに」と記したが、興味深いことに、各国の経済格差(ジニ係数)と環境パフォーマンスを比較すると、概して“経済格差が小さい国(平等度の高い国)ほど環境パフォーマンスが良好である”ことが示されている。
つまり「格差や平等」をめぐる問題と「環境」問題とは実は深く関連しているのである。そして、平等度が高く、環境パフォーマンスの良好な国々において根底にあるのは、(経済成長のみを追求するような志向とは異なる、)自然との関係も含んだ、相互の支え合いや社会的連帯、あるいは公共性の意識だろう。そうした「持続可能な福祉社会(sustainable welfare society)」と呼びうる社会が、おそらく人々の幸福/ウェルビーイングにもつながるのである。ーなぜ平等で格差が小さい社会ほど幸福度が高いか 「親ガチャ社会」の日本に未来がない納得理由 (msn.com)より
こちらの視点などもまた非常に大事な御話である。
例えば昨年の夏休みに此処にて「マルクス主義」に関する「御勉強」をしたが其の際に「マルクス主義」が環境問題と密接に絡み合うイデオロギーであることを説明して置いた筈だ。
其れはまさに「経済成長」を追い求める思想に於ける「思想的誤謬」を指摘したものでもまたあった筈である。
此の点でもかの自由民主党は「経済成長」のことばかりをむしろ述べて來ておる。
しかもキシダは折角「新しい資本主義」へと移行させたかったと云うに周りの馬鹿共が兎に角儲けだ、👩だ、酒だ宴會だとさうまくしたてついにキシダはキャンキャーン!と鳴き其の「新しい資本主義」の内容も全部がオシャカとなって仕舞う。
だから自民党員にはもしやそんな🐶しか居らぬのか?
さても此の🐕め!
其れも米國の🐶めが!!
では後はプーチン氏の出番なのですね?
はい、確かにアノプーチン氏ならば其のキシダを🐱化することなどが或は可能なのではないか。
でもプーチン氏の家來となると習 近平國家主席がおそらくは爆発するのではないか。
ドドドドドドドドドドッカーン!!!!!
うーん、どうも世界情勢はまさに其の「イデオロギー對立」へと還元されて行くかのやうだ。
つまりは「資本主義」と「社會主義又は共産主義」との思想的對立のことですね。
また🗾國に限れば其処にて自力で「資本主義」をやる訳では無くむしろ他力での「米國流資本主義」をやりたい訳だ。
ですが「米國流資本主義」に追随すればする程にむしろ🗾國の「幸福度」は低まって行く。
要するに其のやり方が此処🗾國にはまるで合って居ないからだ。
でも米國の言いなりになりませんとまた🗾の戦後體制は回って行かぬ。
うわあー、もう聞きたくは無い、そんな話を。
だったらいっそ何かに逃げませぬか?
では何に逃げる?
例えば石にでも。
嗚呼そんな「逃げ」の中で机上の石を見て居るとむしろ極樂ですね。
さても其の石は食えますか?
確かに美味そうですが流石に食うと硬いし消化などにも如何にも惡さうだ。
でもあれ石ってなんか美味そうだな。
いずれにせよ鍵は其の「価値の再配分」なのだらう。
社會を良くする為にもまた持続可能性を社會に持たすが為にもまさに其の「分配」こそが大事な要件です。
だが結局🗾の金持ち連中は「分配」を頑なに拒否することだらう。
故に社會関係其れ自體との「限定」の方をこそまさに自分などは御勧め致します。
尚此処での石の話などもまたあくまで其の社會関係其れ自體との「限定」より生じて來ることだらう「個としての樂しい御話」其のものなのだ。