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文明批判と心の探求と

「有限的喜劇」と云う壱つの幸福の場である価値観の成就のこと

「有限的喜劇」と云う壱つの幸福の場である価値観の成就のこと

 

 

 

 

さて其の認識と云うことに関して慎重と申すか壱種懐疑的なのが理性の特徴なのだと思われる。

では理性とは信じないことでありまさに感情論を否定するに至る冷たいものであり良く無いと壱般にはさう感ぜられるのやもしれぬのだが其れはまさに感情論なのである。

 

其の感情論は例えば封建制の社會位までは大事な要件であったが、こと近代以降の社會システムに於いてはむしろ其れに寄り掛かれば寄り掛かる程に自己矛盾するのだとさう見て置く方が良いことだらう。

其の熱い冷たいで言えば釈迦の説法にせよまたキリストの教えにせよむしろ非人間的な内容を含むもので可成に冷たいものである。

 

ところが日本社會に限りいまだに其の感情論の部分にて體制ー正の価値ヒエラルキーを組み立てて御座るのでまさに封建的秩序を超えるやうな諸の近代的破壊の要素に対し常に壱種脆弱な部分を持ち合わせて居る。

また「守らんが為」の諸要素が例えば宗教であれ政治であれ教育であれ何であれむしろ根こそぎ壊れて行かうとして居るのは其れは果たして何故か?

 

其れはあくまでわたくしの論理に照らし合わせてみれば、「逆方向を向けぬ堅固な生の価値観」が自己矛盾して居るのである。

また其のことは屡現代的な多様性に対する其れこそ頑固な抵抗の部分なのだと言えなくもないことだ。

 

 

では何故現代的な価値が多様であるかと云うにまさに其れが前回述べた如くに現代思想の流れが其のやうになって居るからなのだ。

まずは實存主義の流れから個に於ける自律的価値が叫ばれ、さらに構造主義に於ける文化相対主義による相対的な価値観の成立や其の後の脱構築主義での価値観の形成が其のやうな現代に於ける知的な流れをまさに形作って来たのである。

 

ところがこと日本の國としての価値観の流れはどうかと問えば、其れはいまだ封建制の枠を出るものでは無くよって宗教であれ政治であれ教育であれ何であれむしろ根こそぎ思い切りに江戸時代的なのである。

故に日本人は屡思想と宗教に弱いと世界から指摘されたりもまたして来て居る。

 

要するに其の即物的でもって非精神的な流れとしての感情論より全ての価値を組み立て且つ理解して居るのである。

だがおそらくかっての日本は決してさうでは無かったことであらう。

 

かっての日本人はむしろ精神的に生きる民族であった。

 

 

但しわたくしは其の精神論の復活を乞い願う者なのでは無く少なくとも自律的な思考を取り戻さぬ限りは此の日本の國としての凋落に歯止めがかかることは無いとさう述べて居るのである。

要するに其の國家の力とは経済力でもまた軍事力でも無く自律的な思考が出来得るか否かなのだ。

 

勿論學者の方方を始め世の中には頭の良い方方が結構居られるものだ。

だけれども其の封建的な感情論國家でもって精神としての體制を築いて行く限りはむしろ圧倒的多数の國民はまさに其れに洗脳されおバカ化するのである。

 

其れでもってイザおバカ化すると危機管理や危機対応にも弱くなりがちだ。

 

 

国家公安委員長が統一教会関連団体との関係認め有田芳生氏「大問題」宮根誠司も「あ然」 (msn.com)

岸防衛大臣が旧統一教会との関係認める、日本のネット民批判 - 記事詳細|Infoseekニュース

 

其の正義の警察権力としてのトップや國防の要としての防衛相がまさにかうしたことでは皆様驚かれることかと思うが個人的には全く驚いてなどは居ない。

其れは結局我が組織の価値序列を批判的、否定的に見詰めて居るからなのだ。

 

要するに我には組織力に擦り寄りたいと云う部分がほぼ無いので其のヒエラルキー社會に対し洗脳されて居ない訳だ。

またつまりはわたくしが述べて居ることとは其の精神の自律性のことである。

 

其の精神の自律性乃至は自立性があれば価値を自ら吟味し選び取ることが出来るやうになる。

むしろ其の力に日本の社會が欠けて居るから権力の暴走や権力者の威張りーと開き直りーの部分を放置して仕舞うこととなる。

 

おまけにまた其の価値倒錯としての精神の體制を「守らう」ともするのだからまさに茶番劇だ。

 

尚先回わたくしが述べたところでの「有限的喜劇」とは其の茶番劇とはまるで違うものである。

逆に其の精神の自律性乃至は自立性の無い日本の精神的體制其のものが「無限的悲劇」其のものなのだ。

 

 

 

 ーこれはアメリカに限ったことではない。世界各国で起きている。日本の状況については、最近のニュースをご覧いただければわかるだろう。見えないところで世界は変化しており、気がついた時には全く違う光景が広がっていることになりかねない。いや、すでになっていると言った方がいいかもしれない。ー日本だけじゃない「政党カルト汚染」。その背景にあるもの (msn.com)より

 

かうして作家が世の中のことを調べ其れに就いて様様なことを述べるのは彼等が理性に基づき世の中を見て居るからなのである。

まさに其れが感情論からでは無い世界に対する警鐘であり社會のあり方に対する提言である訳だ。

 

だが其の作家の世に対する文句にイチイチ付き合うべきでは無いと云う事實もまたある。

また其のことはイザ精神の自律性乃至は自立性を獲得するとたちどころに分かることである。

 

精神の自律性乃至は自立性を獲得すると云うことは価値を自律的乃至は自立的に判断すると云うことである。

 

其れに対し精神の自律性乃至は自立性が無い場合には其れこそ政治権力だの社會的風潮だのに乗っかり緒価値を判断して行くこととなる。

多くは其処で感情論的に其れこそ流され其の正の序列的価値が己が頭の中に刷り込まれ其れを基に其れを偉いと見且つ其れを守るのである。

 

尚我の場合には其の作家や學者の意見はあくまで参考程度のものでむしろ其れにべったりと寄り掛かることなどは無いのである。

また社會のことは社會のことでそも其れはロクでも無いものなのでほとんど期待などはして居ないと云うのが正直なところである。

 

要するに我が頭の中には其の守らんが為の正の価値序列が無いが故にさうして壱種冷笑しつつ其の世の様を眺めて居ると云うことである。

 

 

さて其の「有限的喜劇」とは本質的な意味での精神の幸福をむしろ約束するものであらう。

其の悲劇的な∞なる価値の追い求めに対するまさに其れが明らかなアンチテーゼとなるものだ。

 

我我現存在はさうしてむしろ価値を刷り込まれることでこそ今を生きて居る。

即ち現存在とは其の洗脳にこそ相応しい精神的営為なのだ。

 

近現代に於いてはまさに其の悲劇的な∞なる価値の追い求めこそが近代的な社會的緒価値なのだ。

ところがいまだに精神的な意味での封建體制を布く我が國の精神事情からは其の事實がまるで見えては来ない。

 

即ち我我日本人が崇拝して居るのは其の封建體制に於ける価値的序列のみである。

 

 

なので正義の警察権力としてのトップや國防の要としての防衛相はたとえ悪人ー悪代官ーでも偉い訳だ。

嗚呼まさに其のやうに守らんが為の秩序こそが矛盾化し日本人はまんまと其の轍に乗せられ偉いとさう思う其の大悪人共を敬い且つひれ伏すのだった。

 

だから保守派なら愛國者だと云う論理などはむしろ何処にも無い。

政治上の保守派が守るのはあくまで見かけの上での其の政権与党としての體裁であり實は國でもまた郷土でもましてや我等の👪でも會社でも命でも無い。

 

其のカラクリに気付かんが為にまさに御勉強をするのだ、勉強しやう、勉強しやう、嗚呼何処までをも勉強しやう。

 

近現代の諸価値とはむしろ其のやうに哲學的に規定されるものなのだ。

即ち實存主義もさらに構造主義もまたポスト構造主義も全ては近現代と云う時代其のものを規定すべく考え抜かれた思想の断片であり其れの集積なのだ。

 

だが我我日本人が其の種の論議に至ることなどはまず無い。

何故なら彼等は自分の頭でもってそも考えたりはせぬ人間なのだから。

 

もはや彼等の頭の中には「現世利益」なる損得勘定があるばかりだ。

おおまさに其れが戦後の高度経済成長のツケなのだ。

 

 

恐るべき其の精神のあり方とは早う縁を切り是非己が価値観を生きるべきだ。

でないと我我の精神はまさに地に落ちる、いやそればかりか地獄にさえ堕ちる。

 

其れをこそ阻止せんが為に其の価値ヒエラルキ―をこそ疑え。

其の価値観の相対化こそが我我に取っての「有限的喜劇」を、其の實存としての生の歓びを回復せんが為の唯壱の方策だ。

 

どだい考えてもみ給え。

實存は社會に規定され得る価値のみを生きて居るのでは無くまずは其の實存をこそ生きるのである。

 

社會は今後様様な意味にて制約を受けて行かざるを得ない。

まさに其れこそが社會の担う罪の贖いであり近現代参百年に亘る放埓の時の報いなのだ。

 

 

現代の日本はディストピア?ニッポンは思考停止社会。|NEXT HUMAN LIFE|note

 

此の國の宿痾のやうなものがまさに其の精神の自律性乃至は自立性が無いことでせう。

其れは壱言で言えば反骨心に欠け批判的に現在を成り立たせることが出来ぬ訳だ。

 

ところが近現代社會を貫く基礎的な社會の原理とは其れこそ市民革命 - Wikipediaを起こし封建的抑圧から解放されることを目指すことやまたマルクス主義でのやうに階級闘争 - Wikipediaとしての社會主義革命を起こすことだ。

要するにさうした内発的な社會的要求から近現代社會は本質的に築かれて来て居る。

 

ところが日本と云う國は確かに幕藩體制はああして崩れ去ったが其の種の革命とはまるで縁が無かった。

 

ーマルクス主義では、抑圧されている労働者階級などが団結して階級闘争を行い、資本家階級に代わって権力を握り、階級そのものを廃止することを目指す。これに対して、階級協調のドクトリンでは、国家や社会秩序の保持の一部として不平等の受容が促進される。従ってマルクス主義者は通常、労働者階級に階級闘争を追求させないようにするものとして、階級協調の考えに反対する。ー階級協調 - Wikipediaより

 

左様に日本はむしろ本質的には階級協調 - Wikipedia社會であり要するに反共社會であり反革命社會なのだ。

従ってどうのかうのでは無く其の階級による秩序こそが大事なのであり其れは共産主義思想とは眞逆での體制のあり方である。

 

 

尚屡日本は和の社會だと言われるのだが其の和とは平等な関係にて築かれるものでは無く其れはむしろ完全なる縦の序列での身分制社會=ほぼ封建體制其のものとしての社會の「和」なのだ。

まずは其のやうな封建社會では「思考」はむしろ邪魔者となる。

其れこそ勝手に「思考」され社會の価値観を転覆でもされたら身分のある人人が困るから其処にて適当にエサをバラ撒き「思考」されぬやうにするのである。

 

なので日本人はさうして自ら思考停止して居るのであり其れは日本人の頭が悪いからではよもや無い。

なのだけれども其処にドップリと浸かり切って来たこともまた確かなことであり故に自ら考えよ、自立的に思考し近現代としての荒波を乗り切れとさうイキナリ言われたにせよ其れは出来る筈の無いことなのだ。

 

 

ー日本では少し状況が異なると思います。日本でも社会が階級化していることについて論じられていることも知っています。しかしながら、文化的側面から言えばフランスと日本は背景が異なります。日本についてはそこまで詳しくないことを事前にお断りしておきますが、まず、日本は文化的にヒエラルキー、序列を尊重する傾向にあります。以前、文献を読んで気づいた興味深いことがあります。それは戦国時代の日本の農民たちの直訴についてです。農民たちは将軍などに直接訴状を渡す、つまり直訴する人物を選び、その選ばれた人物は死罪のリスクを背負ってまで共同体のために行動したと言います。今の現代社会が全く同じというわけではありませんが、日本というコンセプトが全体をひとまとめにする力を持っているのです。そしてそれは義務や責任感というものを基盤としています。もちろん、日本にも搾取の構造はありますし、名もなき階層に属する人々もいます。しかし、階級間がそのヒエラルキーに基づく関係性を尊重する点も無視できないのです。

 これはフランスでは見られない点です。例えば日本では東大卒のホワイトカラーと、農家や漁師たちが罵り合いながら対立するというようなことは考えにくいでしょうが、フランスではそれがありうるのです。各社会にはそれぞれ、その社会における階級同士が対立する時の型があります。それによって階級の対立も異なったものになるのです。ー「日本では階級闘争が起こりにくい」とフランス人歴史学者が考える理由 | News&Analysis | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)より

 

 

即ち日本こそが其のヒエラルキー社會なのだ。

ヒエラルキーこそが最も重要で、其れが悪であらうが何であらうが日本の郷土も國土も全ては其のヒエラルキーにこそ築かれるのであり故に其のヒエラルキー其のものをブチ壊す共産主義だのまたアナキズムだのそんなテロリストみたいな奴等の言うなりになる位なら日本人はもう死んだ方がマシなのだ。

 

故に本質的に日本人には左右のイデオロギーと云うものがそも存在して居ないのである。

と共に宗教の方もまた創唱宗教と自然崇拝のゴッタ煮にて主張すべき教義の方には疎いので結局無宗教化して仕舞うこととなる。

 

しかしながら其のイデオロギーが無くまた宗教も無いと云った状態は幸せと云うよりは矢張り情けなく其れも只安全、安心な國で愉しいかと言えば何やら洗脳チックなそんな可哀想な人達の群れではないかとわたくしなどは思うのであるがどうであらうか?

 

 

現代社会の共通点は、単純に不平等が顕著になってきているというだけではありません。ただの経済の機能不全でもありません。共通しているのは、支配階級が目的を失っているという点です。

 以前、私がフランスの哲学者マルセル・ゴーシェと行なった対談の最後に、ある男性が質問をしました。彼は「支配階級の人々はただただお金を稼ぎたいのだろう」と言ったのですが、私はそうではないと答えました。ごくありふれた庶民たちは、月末に勘定をトントンにして、税金を納めて子供を育て上げる必要があります。そのために働き、生き延びるという、ある意味シンプルな幸福がそこにはあります。私は人間とは生きるようにできているのではなく、生き延びるようにできているのだと思っています。つまり、精神的な問題は、お金がありすぎてその使い道に困っているような人々に表れるのです。だからこそ、20世紀の重要な理想や思想の全てが崩壊した現代社会というのは、非常に気がかりな状態にあるのです。ー「日本では階級闘争が起こりにくい」とフランス人歴史学者が考える理由 | News&Analysis | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)より

 

 

其れは壱つには其の支配層側が其れこそ「無限的悲劇」と云う現代病に罹って居るからなのではなからうか。

金だの宇宙浪漫だのそんなものはまさに∞の享楽を其処に追い求める果て無き欲望への旅路のことであるに過ぎない。

 

金や名誉や名声に恵まれた人はさうしてともすれば人間が限定の存在であることを忘れがちである。

其れは其の抽象的価値がさう勘違いをさせることである。

 

よって支配層は悪にもまた染まり易く幸福にもなりにくいものなのです。

まさにトッド氏ー高名な歴史學者ーエマニュエル・トッド - Wikipediaの仰るやうに金が有り過ぎてもまた精神的には不幸になり易いものだ。

 

 

どだい自民党の政治家が如何に胡散臭い者であるかと云うことが安倍の暗殺以降はかうして世間に曝け出されつつもある。

 

では限定されれば其れで良いかと言えば無論のこと限定され過ぎれば所詮人間は飢え死にをします。

であるからして其の「有限的喜劇」と云う壱つの幸福の場、其の価値観の成就をまさに個としての行き届いたバランス感覚にて成し遂げて行かねば現存在は決して幸福にはなれない。

 

さて其の廿世紀の理想や思想の全てが無意味であったとは個人的には感じて居らず其れこそマルクス主義アナキズムにも資本主義崩壊後の役目がまだしも残って居る可能性すらもがまたあるのだらう。

ではあるのですがこと此処日本に限ればさうした思想や宗教の選び方以前の問題としてまずは其のヒエラルキー信仰への洗脳を解くと云うことこそがまさに喫緊の課題なのではないだらうか。

 

 

ヒエラルキー信仰とはまさに日本其のものとしての封建體制です。

其の精神的な意味での封建體制に支えられ日本はかうして続いて来て居ます。

 

ですが其の日本人が偉いと信じ疑わぬ國の支配者層があらうことか邪教と繋がって居りました。

壱説に統壱教會は完全に日本を利用して居るつまりはあくまで金蔓として日本を捉えて来たのださうな。

 

ですが、其のヒエラルキー信仰がある限り安倍や岸や麻生や🐵や🐶は皆偉いのですから何をやっても構わない訳だ。

個人的にはあくまで其れはイカンのだと思うのだが日本人にはそも精神の自立性が無いのでさうしてケジメの付かぬまさに節操の無い精神の世界へと落ちぶれて行く訳です。

 

以上でもって日本の意思決定が何故近代化されぬのかと云う部分に就き少しく考えてみた。

まさに其れがヒエラルキーによる洗脳社會であったと云う壱種怖い話であった。

 

 

尚日本の社會のあり方への批判と云う意味に置いては前回の宗教版と今回の體制版のもので可成にやり切れたとさう判断して居ります。

現代文明批判に関しましてもすでに様様な角度より其れが行えたものとさう感じても居ります。

 

よって此の辺りで此処自體をリニューアルし九月頃よりまた文明のあり方への理想論と藝術の分野と宗教の話さらに趣味ー石、ペン、🌸、🐈ーなどのことを週似回位の頻度にてまた書いて行けたらとさう思います。

 

 

名古屋市科学館 | 科学館を利用する | 催し物案内 | 特別展・企画展| 特別展「宝石 地球がうみだすキセキ」 (city.nagoya.jp)

 

尚今年はまた兎に角忙しくこちらにも是非行かねばなりません。

昨年は名古屋大学の博物館にて小規模ながら「結晶展」を観てまいりましたが其処にあった結晶鉱物がかうしていまだに目に焼き付いても居る。

 

其のやうに實存的価値は社會のあり方のみによるものでは元よりありません。

但し社會的な影響は常に個に取り大きく作用するものだ。

 

であるからこそ其れを出来得る範囲にて個的な實存の価値へとシフトして行く訳だ。

イザ其れが出来ればもはや社會の動向には振り回されにくくなる。

 

まさに其れこそが「有限的喜劇」と云う壱つの幸福の場である価値観の成就のことである。

其の「有限的喜劇」こそが無目的且つ無意味な生の場に初めて彩を与えるであらう壱つの精神的な価値の場のことだ。