目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

草津芳ヶ平湿原と「用の美」ー「さわやか自然百景」と「美の壺」よりー

草津芳ヶ平湿原と「用の美」ー「さわやか自然百景」と「美の壺」よりー

 

 

 

 

1カ月たっても批判が止まらない「松川るい氏」のエッフェル炎上 背景にはエリート意識と想像力の欠如 (msn.com)

 

いやあああ、また素晴らしいポーズだな、此の「エッフェル」姉さんのとんがり方こそが。

こんなとんがりポーズでもってボーナスが400萬だ、いや其れとももっと貰うのかしら。

 

我我國民の「生存権」の為に早う自民党なんぞ潰れよ!

 

 

60歳を過ぎてからの食事には“コンビニ弁当がいい”のはなぜ? ラーメンを週5回食べても問題なし、むしろ「食べない害」を気にしなければいけない恐るべきワケ (msn.com)

 

いざ還暦を過ぎれば人間はすでに半分死んで居るのであります。

そんな半分死んだ人であるからこそむしろ「欲」にこそ生きるべきである。

 

特に「食欲」は大事である。

ところが普通還暦を過ぎると「食欲」と「性欲」が落ちて來る。

 

「性欲」は落ちても構わずむしろ其の方が「聖人化」することなのでまた其れでも良い。

ところが「食欲」が落ちると活力もまた落ちて來るのだ。

 

また「性欲」が落ちても「活力」が出なくなる。

だが「性欲」の代わりに「物欲」を強く持つなどして代替がまた可能である。

 

つまり「食欲」だけは常に保ち其れもなるべく「肉」を食った方が高齢者の體に取っては良いこととなる。

逆に高齢者となってから「菜食主義」でもって生きると多分五年も持たぬ。

 

つまりは70位でもう死んじゃう。

 

 

そんな訳でつい先程自分はコノミヤで買って來し豚肉タップリの「生姜焼き🍱」を平らげたばかりである。

ですが此れからサーロインステーキを食えと言われれば其れも300グラム位なら其れをペロリとまた食うのです。

 

だがさうして食って居ても長生きが出來ると云う保証などは何処にも無い。

どだいわたくしはさう長生きがしたい方でも無く要するに其れは「人間の社會はそも惡だ」とさう決め付けて居るからなのだ。

 

でもちゃんと理性的に説明をすれば其の「人間の社會はそも惡だ」との考えに✖を付ける根拠などはむしろ何処からも出て來ないのである。

左様に「人間の社會はそも惡だ」との考えを哲學的に否定し得る人などもはや何処にも居ないことだらう。

 

但し其の「惡の社會」を忍受するのが「菩薩」でありまた「天使」である。

其のことに此の夏初めて気付かされた。

 

だから毎日そんな宗教的な闘争ばかりをして居るとまた社會闘争ばかりをして居ると次第次第に疲労困憊となりもはや立ち上がれなくなる。

たとえ立ち上がれずとも兎に角食わねば世界は回らぬのでそんな豚肉タップリの「生姜焼き🍱」を是非食わねばならぬ。

 

と言うか自分の場合は別に無理して其れを食うのでは無く兎に角何でも食いたいばかりなのである。

丁度今日はマヨネーズとハムとカイワレ大根及び腐乱酢パン×2を買って來たので其れでもってサンドウィッチを作り是非其れをたらふく食う積もりである。

 

尚本日は「生姜焼き🍱」を食いつつ『さわやか自然百景』と『美の壺』を視て居たが共に大感動であった。

 

 

「食を彩る 絵皿」 - 美の壺 - NHK

 

さて個人的に其の「絵皿」なるものが特に好きな訳では無い。

また自分は皿や壺や茶碗やさうしたものにむしろ興味が薄くつまりは焼き物其れ自體にほぼ興味が無い。

 

どちらかと言えば所謂切子細工のやうな硝子製品を好んで使う。

またつい先日も長年使った磁器のティーカップを割ったばかりである。

 

ところが家ー昭和初期のつまりは古民家ーにはむしろ茶碗などの焼き物が溢れて居る。

要するに母が茶道の教師をして居たのである。ー自宅と公立の高校でー

 

だけれども其のゲージツ的な茶碗は飯茶碗にはまさかならない。

ですが其れでは眞の意味での藝術では無いのではないか。

 

眞の意味での藝術とはむしろ所謂「用の美」を備える器でなければならぬ。

其れも茶席用の物では無く毎日使う飯茶碗であり湯飲み茶碗のみで良いのである。

 

いや別に其れもガラス器の方でもやれぬことは無い、特に夏場は。

ところがガラス器は熱に弱く冬場はなかなか使えぬものなのだ。

 

 

NHK美の壺 食を彩る 絵皿 File 586 で紹介された場所はどこ?再放送予定も/草刈正雄 木村多江|気になるTips (kininarutips.com)

 

NHK美の壺 食を彩る 絵皿 File 586 柳 宗悦が絶賛した『石皿』|気になるTips (kininarutips.com)

 

番組中でまさに此の皿に魅了された。

此の皿は、

 

1.無骨で

2.装飾が少なく

3.實用的

 

である。

 

わたくしは何でも無駄の無い實用的なものがまずは好きなので此れ壱つがあれば良いやうに思った。

ところが家にはゴチャゴチャと要らん皿の類がむしろ膨大な量有るのです。

 

さうして壱番大事なところは此の皿が分厚く作られて居り落としても割れさうに無いところなのである。

自分がまさに今毎日台所に立ち思うことは所謂食器の類に充分な強度が無いとある意味で致命的なことである。

 

だから大抵の物が割れて仕舞う。

なので割れぬ分厚いガラス器や焼き物の類が是非欲しいのだ。

 

また🐱が物を良く落とす。

其のことにより大事な切子硝子のコップを壱挙に割られ今其の残りの壱つだけで水を飲みアイスティーを飲んで居る始末である。

 

故に台所こそはまさに戦場である。

軟弱な器などでは此の戦闘を完遂することなどは断じて出來ぬ。

 

左様な戦場を何と心得て居るのか専業主婦共め。

兎に角強いガラス器乃至は茶碗、食器が是非欲しいところだ。

 

 

柳宗悦 - Wikipedia

 

其の「民藝」の分野に光を当てた柳 宗悦のことは間接的に尊敬したりもまたして來て居る。

尤もかって好きだったのが白洲正子 - Wikipediaであり其の白洲 正子のことを知ったのは彼女が自分の大好きな歌人である西行 - Wikipediaの研究者だったからである。

 

いずれにせよ「藝術品」と「民芸品」はまた違う。

違うのだけれど「民芸品」にもまた「用の美」がまた備わる。

 

さらに言えば「民芸的な藝術品」もあれば「藝術的な民芸品」などもまたある。

 

そんな求める強いガラス器乃至は茶碗であれ其れがまるで美的な物で無い限り飽きるのかもしれない。

故に「用の美」を持った何かでなくては常に其れを選んではあげられない。

 

物は左様に案外良く壊れる訳だ。

物の生命は長い筈であるのに兎に角物は案外良く壊れまた失くなったりもする。

 

壊れまた失くなった物はもはや死んだも同然なのだ。

だからなるべく死なぬやうな逞しい物が欲しい。

 

強く強烈な寿命を持つ物であるならばむしろ其れは自分よりも長生きなのだから。

 

 

草津白根山 山麓の湿地群 - さわやか自然百景 - NHK

 

其れから此の番組を視て久久に此処へ行きたいとさう思った。

行きたいところはまた山程もあるが可成に本気でもって是非行きたいなとさう思う。

 

草津高原ハイキング|コース紹介 (kusatsu.work)

 

其の草津の周辺は兎に角普通では無い。

草津温泉は兎に角硫黄の強いところでまさにアレは病気には効く温泉である。

 

芳ヶ平湿原 (zekkeijapan.com)

 

其れも🏔と云うよりは兎に角其の湿原へと出向きたい。

アノ尾瀬 - Wikipediaなどよりもより静かさうで如何にも良さそうな処である。

 

 

NHKオンデマンド さわやか自然百景 (nhk-ondemand.jp)

 

此の「さわやか自然百景」と云う番組をごくたまに視たりして嗚呼此処🗾國には良い処があるものだなあなどといつも決まって感動などして居たものだったがよーく調べてみたところちゃんとかうしてオンデマンドの方に幾らでも出て來たのである。

 

だからそも何の為の君に取ってのオンデマンドなのだ?

其れはあくまでかうして「さわやか自然百景」を全部視んが為のオンデマンドだったのだ。

 

ちなみに市内にも「天白渓湿地」があります。

「天白渓湿地」へ行く前に「人間地獄」なる崖を観ることなども出來る。

 

「人間地獄」の崖からもしも落ちたらほんたうに地獄へ堕ちるのか?

いいえ地獄へと堕ちるのは社會的に惡いことをして居る奴等に限ります。

 

社會的に惡いことをして居る奴等とは例えば「自由民主党」に属する者等が其れに該当することかと存ずる。

自由民主党」とは左様に「地獄へ堕ちるべき惡の権化」なので?

 

では🐼ちゃんー石破先生ーなどもまた同様に「地獄へ堕ちるべき惡の権化」なので?

いやでもまず「地獄へ堕ちるべき惡の権化」なのが金持ちでしかも無慈悲なアノ🐊でせう。

 

ならば「金持ちでしかも無慈悲な」人間は皆「地獄へ堕ちるべき惡の権化」なので?

 

さうだ、みんなさうして惡人は地獄へと堕ちて行くのだ。

さうして全能の神を信じた良い子だけが救われ「神の國」にて仲良く永遠に暮らすのだ。

 

さても其の「神の國」とは壱體何処にあるものか?

「神の國」とは永遠の正の観念の場のことですが具體的に言えばむしろ此の「🗾の自然」のことでせう。

 

 

エエッ?

では此処🗾では「自然が神そのもの」であり「神そのものが自然」なのか?

 

元元さうなんですが戦前の軍國主義と戦後の経済成長により其の「神」が殺されて仕舞いました。

するともしやたった今我我🗾人は「神」が死んだところでの単なる「物欲としての自然」を愛でて居るのですか?

 

まあさうでせう。

だけれどもそんなむしろ「ドロドロの自然の様」を「さわやか」だとさう言い切る辺りなどは大したものです。

 

其の開き直り方が何よりまた凄いのだとも申せませう。

おおまるで「エッフェル尖り」の姉さん方のやうに其れは逞しくもまた如何にも罪深い。

 

「エッフェル尖り」!

 

もしや芳ヶ平湿原でもって其の「エッフェル尖り」ですか?

いや「エッフェル尖り」のことなどはどうでも良く兎に角「湿原」歩きのことです。

 

そんな「湿原」歩きばかりをして果たして何になる?

そんな「文明」歩きばかりをして果たして何になる?

 

そんな芳ヶ平湿原でもって所謂池塘 - Wikipediaへと是非飛び込みたい。

さうか、ならば其の時には「エッフェル尖り」のポーズにて是非飛び込まねばなるまい。

 

 

エッフェルー芳ヶ平!

…アホ。

 

君は確かに可成のアホだ。

だが汚染水の垂れ流しの方が問題が大きくないか?

 

實際中國では今もう大變みたいだぞ。

うーん、確かに余計に中國人とは仲が惡くなりました。

 

だからもう中國のこととは無関係に是非「🗾の自然」の中でダケ遊んで居ませう。

やうしでは早速に「さわやか自然百景」を全部視るぞ!

 

尚此の番組は「時間が短い」ところが兎に角良くまたCMも無いのが兎に角最高です。

NHKは左様に何処かが「潔癖」な人には確かに向いた公共放送なのでせうー