目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

「資本主義社會」による「破壊」に就いてー我我個は資本による「破壊」の事實をどう認識すべきなのか?ー

「資本主義社會」による「破壊」に就いてー我我個は資本による「破壊」の事實をどう認識すべきなのか?ー

 

 

 

 

「愛情不足で育った大人」に共通する5つの特徴!生活にはどんな影響がある? (msn.com)

 

むしろわたくしの場合は其の全部が「逆」なんで。

 

1.他人の顔色は基本的に無視する

2.友人や同僚からの誘いなどまず無いーもしも有ればむしろ喜んで付き合いますー

3.寂しさと孤独こそが藝術的作為及び哲學的思考の母胎である

4.そも嘘がつけないー誤魔化しがきかず正直にしか生きられぬー

5.自分への評価が神佛の次位に高く且つ被害妄想の類も人の倍は強くある

 

との御話でありつまり自分は普通では無いので…。

なのでむしろ普通になりたくも思いますのです。

 

『自尊心が低い人』5つの共通点とは?自己肯定感を高めるためのヒントも – シュフーズ (shufuse.com)

 

でもわたくしの場合は其のむしろ全部が「逆」なんで。

 

1.自分でもって自分を崇め奉る

2.自信が常に過剰で周囲の人間を常に見下す

3.周囲と自分はそも「種」が違う

4.周囲にたとえ「村八分」とされてもまるでへこたれず

5.たとえ死んでも諦めない=諦めが極端に惡い

 

ほらね、だからそも全然違うでせう?

 

でもなので常に自立的且つ自律的に物事に就き考えられるのだ。

また自己の本質とは違う価値観に對し常に寛容で居られる。

 

其の🗾人の特に若者に「自己肯定感」が無いのはまさに其の自立的で且つ自律的な思考を欠いて居るからのことであらう。

尚「思考」以前での「感性や感度」の領域では例外無く自立的且つ自律的なものとならざるを得ぬ。

 

故に自然界はさうして壱種「自己本位」であり「自分勝手」なものだ。

ですが其れでは人間の社會が上手く回らなくなるが故に主に「理性」の力を用い其の「本能的な自我意識」の領域を抑えにかかる。

 

ですがまた其れもやり過ぎれば何らかの形でバランスを崩すこととなる。

生命體とは所詮其のバランスの上に生きるものですのでバランスを崩すことは正しいことでも何でも無くむしろ「惡」なのだ。

 

其の「惡」の領域に迄手を染めつつある文明社會其のものを批判する目的で始めたのが此のブログである。

 

自立的で且つ自律的な思考を欠くとのことは要するにさう「全體主義」により「洗脳」されて居るのである。

現代人の多くは其の「洗脳」された状態にありまた🗾人の場合は「近代文明」と所謂「世間體」による弐重の洗脳を受けた状態にこそ有らう。

 

 

故に彼等に限り非常に危険である。

其れも確かに此処🗾ではとりあえず大地震や富士山の噴火が兎に角怖いが其れ以上に怖いのがまさに其の「洗脳」のことぞ。

 

其処から抜け出し自立的で且つ自律的な思考を取り戻すにはまず「社會」を批判する視点を己が内側に持つことだ。

まさに其の批判力としての「批判精神」こそが自己としての實存的展開を救う。

 

だから其の点でもう滅茶苦茶をやってみなされ。

 

例えばアノ貴乃花光司 - Wikipediaさん、此の方などはしかし僕などよりはずっと其れが上手でせう。

 

此の人はかって大横綱様だったのですが此処五年程は變なCMタレントに落ち着いたやうです。

此の方位自己本位に生きられればもう🗾人の自己肯定感及び幸福度の低さの部分など治ったやうなものです。

 

ですから其れはどう見ても變ですが彼自身にしてみれば變なことでも何でも無くまさに實存的眞實をこそ生きた結果なのだ。

 

彼は兎に角相撲協會なるまさに🗾的な大組織と戦闘し結果負けてまさに「村八分」となりしがどっこいかうして生きて居りしかも現在は大學の特任教授迄して居るやうだ。

ですので其れはもうとんでもない世間との戦闘能力であり批判力の持ち主とのことです。

 

此処迄は無論のこと誰しもやれませんがむしろ其の半分位がやれればまさに僕位に自分勝手に生きられるやうになる筈です。

ちなみに現在の自由民主党の大問題も結局は其の🗾固有の組織的體質の問題が噴出して居るのでありよって総理がどうのかうのと云う話では無くまさにジミントー其れ自體が抱える前近代的な因習のやうな部分に對する否定であり罪科としての問題である。

 

其れに就いて壱言だけ述べればつまりは其のやうな「和で以て」腐敗を覆い隠し國をやって行くと結果不合理な不利益の部分が拡大しまさに其の不利益な部分を押し付けられるのは弱い立場の者としての國民となるのです。

 

ですからこそ元塾の社會の先生は口を酸っぱくしつつ「自ら御勉強し『洗脳』を解かう」とさう申しても來た。

また其の「御勉強」の内容は世間の価値観とはむしろ「逆」のことを探求して行った方が良い。

 

 

さて其の「自我」に関して申せば釈迦やクリストに自分が無いかと言えば其れは違い彼等にはむしろ大きく自分がありましたのです。

自分がむしろ無いと其のやうに「観念的価値」を形作ることは出來ぬ。

 

逆を申せば「観念的価値」に對し必要不可欠なのが「自我」なのです。

と言うことは基本的に洗脳的な全體主義體制社會である🗾の國民には「観念的価値」がそも成立して居らぬこととなる。

 

「観念的価値」が無いからこそ政治的、宗教的な議論が彼等にはやれず有るのはタダ會社での肩書だのまた子や孫への愛情だのそんな「現世利益」的な価値ばかりなのだ。

でも其れではついにやられて仕舞う。

 

うわあ、ついにやられた!

果たして何に?おおまさに其のジミントーの全體主義に。

 

だからもう山にでも逃げた方が得策です。

是非山にでも逃げ其処にて晴耕雨読での文人生活をやり是非🗾の社會其のものを捨て去りませう。

 

ですから君は妻も子も孫も居ないので其れがカネさえあればやれるのだらうが妻も子も孫も居るワシらに其れをやれとさう言う方がオカシクはないか?

…確かに仰る通りです。

 

ですがアナタ方はそも罪深くあり過ぎる。

アナタ方はそも穢れ切って居る。

 

アナタ方は深山の滝壺にてまずは身を清めなされ。

アナタ方はもう死んでもエエ積もりにて其の🏔の行をば是非完遂させねばならん。

 

…アアアナタの周りにはたった今紫色の後光が射しておる!

僕は参拾年程前に加子母村の神がかりの人のところを訪ね霊視して頂いたところそんな紫色の後光の持ち主であることがしかと判明致しましたのです。

 

そんな「紫色の後光の持ち主」とは例えば美輪 明宏さんだとかそんな人にしかない特徴でありまたつまりは其れがそんな霊界と現象界とを結ぶであらう「愛」の光のことなのです。

…「愛」?

 

そんなアナタの壱體何処にそんな「愛の灯」が宿ると言うのだ?

そーれーがあいー、屹度あいー、もしやあいー、こんなあーいー♪。

 

 

其の「愛♡」は確かに壱面で人間の認識を救う概念として考えられるが其の「愛♡」にて救われぬものがありまさに其れがこんな物理的な意味での「地球の破壊」でせう。

 

 

「カネのためにしぶしぶ働く」は間違っている…マルクスが『資本論』で"自己実現論"を説いた理由 (msn.com)

 

さて現在自分は「地球の破壊」の元凶者としての「資本主義社會」と云うことを屡考えて來て居る。

 

1.物理的破壊ー物理的搾取ー

2.精神的破壊ー精神的搾取ー

3.止めど無き破壊ー止まらぬ搾取ー

 

其れ即ち「資本の論理」は即「破壊の論理」とならざるを得ぬ。

言ってみれば「資本主義社會」とは「破壊」と引き替えにして「強欲」を追求することだらう「観念的価値」其のものなのだ。

 

と言うことは其の「資本主義社會」を止めることだけで現代文明が抱える「破壊」的な大問題のほぼ全てが解決される訳だ。

 

さて「資本主義社會」は所謂「豊かさ」を齎しますがたった今個人的には「物が多過ぎてむしろ豊かでは無い」感じがどうしてもして仕舞うのです。

要するに「物が多過ぎて」ゴチャゴチャですのであえて時間を取り其れを断捨離するなど兎に角「整理」しないと次第に訳が分からなくなるのです。

 

ですがまさに其の「物が多過ぎて」ゴチャゴチャな中から新たな価値が生まれることは實際に屡有り得ることだ。

逆に「物が無い」状態ですと改造筆記具壱つ創れやしない。

 

 

では百歩譲り其の「物が多過ぎて」ゴチャゴチャでもヨシとするとしても要するに資本家階級の方に過剰なる富が蓄積されて居るー所謂剰余価値としてーので其れが容赦無く地球を破壊して行きます。

また我我庶民はカネが無いと生きて行けぬので仕方が無く「資本主義社會」の壱員となり稼ぐなりして行かぬともうほんたうに干からびて死んじゃう。

 

ですが其れは所詮「強制」でありつまりは「隷属」=「奴隷化」のことでせう。

さう「奴隷化」として現實を捉えますと余りにも皆が辛いのでなんだかんだと本心を騙しつつやって來たと言うのがむしろほんたうのところでせう。

 

なのですがヤッパリ其れはあくまで「隷属」であり且つ「洗脳」なのでもある。

其れ即ち哲學的には其の「資本主義社會」による物理的且つ精神的な意味での「搾取過程」こそがそんな「破壊者」としての正體だとのことです。

 

ー「搾取」ー

つまりは此の言葉を甘く考えて居てはいけません。

 

實際其のマルクス主義を其れもより純粋な意味で體制化し得れば現代社會に於ける多くの大問題は解決の方向へと導かれるのではないか。

 

かのマルクスはまたかって左翼思想に影響されし宮澤 賢治は「勞働の喜び」に就き語りました。

宮澤 賢治は「灰色」の勞動を「薔薇色」のものへと是非變えたかったのです。

 

では何故勞働が常に「灰色」のものとなるかと問えば其れは資本家が価値の大半を「剰余の価値」として奪い取るからのことだ。

ですのでまさに其のことは21世紀となってもまるで變わらずいやむしろより合理的な搾取が現代社會に於いて推進されて來た訳なのだった。

 

其れが所謂「新自由主義」による「グローバリズム」としての搾取形態です。

左様にむしろ「グローバリズム」は貧富の差を拡げつまるところは「不平等な社會」をまさに世界規模にて構築して行きましたのです。

 

また其処ではむしろ剥き出しでの「金力の論理」が復活し要するに所謂「資本力」の有る勝ち組と「ビンボー」な負け組をハッキリと分け隔てして行くこととなりました。

さらに「ビンボー」國は多少頑張って働いたにせよ何処までも「ビンボー」國です。

 

だからそんな「ビンボー」はむしろ佛教やクリスト教に押し付けるべきなのであり要するに御寺や教會が必要以上に立派なのは嗚呼其れぞまさに「偽善」であり「謗法」としての価値である。

故に僧侶及び牧師や神父は兎に角貧乏つまりは清貧の状態を常に貫かねばならず其れもまさか何処かの教祖のやうに妾を持ったりまた酒池肉林の宴に興じたりしてはならぬのでありもうそんな奴はわたくしが指摘する迄も無く其の全てが「地獄」へと堕ちるのである。

 

うわー怖ろしや怖ろしや其の阿鼻叫喚の地獄の様!!

 

 

「ビンボー」

まさに其れが「聖なる壱つの価値」であらう。

 

君はさう言いながら「資本主義社會」をむしろ謳歌して居るぞ!

あれ、スッカリバレましたか?

 

ですから僕の場合はあくまで「風狂禅」の世界の住人でして其れもまたかの一休禅師の如くに「現象界には捉われず」して惡どいことをやるとのそんな「境地」をこそ生きて居るのです。

だが其の論理ではむしろ「惡」が此の世に蔓延るぞよ。

 

ですから「惡」と「善」の分別概念其れ自體が「虚妄」なのでむしろ其れには煩わされぬとの認識のことよ。

そんなややこしいことをこんなネットで言ってもだーれも分からんぎゃー。

 

さうですかねえ、こんな簡単な御話がそも何故御分かりにならないのだらうか?

 

 

3.止めど無き破壊ー止まらぬ搾取ー

 

尚「資本主義社會」に於ける最大の問題点がまさに其の部分だらう。

「資本の論理」はさうして言わば自己増殖するだらう∞の価値ですので「止める」と云うことがそも出來ずつまりは苦手である。

 

即ち富を「増やす」ことは可能であれ其れを「止める」か又は「減らす」ことが出來ぬ。

故に所謂「修正資本主義」や「公的資本主義」には自ずと限界がある。

 

尤も「修正資本主義」や「公的資本主義」がやれる分には其れがやれぬよりもまだしも良い訳なのですが。

 

尚自分の述べる「限定」主義はまずは何よりも精神的な意味での「限定」のことで主に其れは「現代社會」と自立的且つ自律的思考との距離感のことをこそ述べたものです。

即ち「現代社會」の奉ずるあらゆる価値に對しあえて精神的に距離を取ることつまりは其れを其の侭に信じるなと云うやうなことなのだ。

 

尚人間は常に所謂「観念的」な生き物ですので所謂主義、主張=イデオロギーの部分に固執しがちですが其れに執着すればする程にむしろ自立的且つ自律的思考との距離が狭められて仕舞いがちとなる。

 

故にマルクスによる理想的な共産制社會ともまさに抜本的な意味では距離を保つべきだらう。

ですが現行での資本主義による「破壊社會」を止めんが為には其の共産主義社會もまた壱つの有効な手段ではある。

 

なのですが其れこそ基本的には社會は變えられずつまり破壊は此の侭に続くが故にむしろ「風狂禅」としての世界の住人であることの方をわたくしは是非御勧めして置きたい。

尚其れはあくまで「自力救済」の方での御話ですので浄土思想やクリスト教による阿弥陀佛や全能の神による「他力での救済」などとはまた別物での宗教的救済となる。

 

さても此の侭に突き進めば地球の全ては其の「資本主義社會」により「搾取」され尽くされる。

まさに其の事は眞理であり實相です。

 

故に後は其のことに関し我我個がどう認識し何をどう變えて行くかと云うことのみだらう。