目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

是非「文明」に對する信心を「限定」しやうー続けて四角氏の御意見を参考とさせて頂き言えることー

是非「文明」に對する信心を「限定」しやうー続けて四角氏の御意見を参考とさせて頂き言えることー

 

 

 

 

結局都會は主に凝り過ぎて居る。

要するに何かと「意識性」が強過ぎ其れでもって凝れば凝る程に「文化的」だとするのだしまた「偉い」とも思って居る。

 

ですが逆に田舎はもう山と川、さらに海と靑空しか無いので其れがまさに反文化遺産として永遠化されるであらう価値となる。

だとすれば「文化」もまた曲者です。

 

何せ自分はかうして所謂文化人であるのだし文化が奉ずる「美」と心中しても良い位にずっと思って來たが此処五年程はまた其のことに関しても懐疑的です。

文化とは所謂「藝術」だの職人技のことでせうが其の藝術にもまた「人為的、人工的」な側面と「自然的、非人為的」な「美」への態度の違いがあるやうに思われます。

 

 

此処五年程の自分はむしろ「自然的、無垢的」な「美」への態度の方を強めて來しやうに思われてならぬ。

要するに其の「文化」って果たして自然以上に美しいものなのか?との問いが常に詩人の頭の中に居座るやうになったのです。

 

其処で正直言えば「文化」が「自然」を超えることなどはまさか無いやうに感ぜられてならない。

 

つまり「詩」を書くにせよまずは其のことが分かって居ないと壱種臭みのある詩しか書けんやうな気がどうしてもして仕舞う。

わたくしの「詩」の目的はむしろ其れとは逆に其の「詩」の中から人間的な匂いや癖を消して仕舞うことです。

 

だからわたくしは別に詩壇の芥川賞H氏賞ーなんぞ欲しくはありません。

まるでそんなもんは要らんのですが只自然の中に置いて其れと調和するやうな作品がいつか書けたらとは思う。

 

兎に角特に最近はそんな「消臭」の方に興味がある訳でして其れも何を消すのかと申せば是非「文明臭」を消し去って行きたい。

まあ考え方としてはむしろそんな「求めない」タイプでの文人なのだ。

 

ですがあくまで具象的ー物理的ーにはむしろ様様を求める。

求めるけれども何とか其れを「限定」して置きたい。

 

でもさう「限定」しない、さう「限定」出來ぬのがむしろ文明の価値観ですので常に其れとは逆をやりたい訳です。

 

 

ー経済規模は未だ世界3位で(※2)、全196ヶ国の中で日本はトップクラスに位置している。筆者が暮らすニュージーランドなんて50位だ。

 今の途上国や紛争国、昔の日本のような餓死リスクなんてないに等しく──世界的にも、歴史的にも──今の日本が、物質的に超豊かで格段に便利な国であることに誰も反論できないだろう。

 さらに治安が良くて清潔で、交通網や生活インフラが津々浦々にまで整備されている。人間の生存本能である「生理的欲求」も「安全欲求」も充分に満たされているはず(※3)。

 なのに、日本の幸福度は極度に低い(※4)。ただならぬ不安と焦りに駆られ、「渇望(かつぼう)症」なる病を患(わずら)っているかのようだ。

 多くの人が決断せず、周りに流されるまま「Live Big」に生きて「夢の実現なんて無理」と思い込んでいる。「選択肢があることに感謝すべき」とわかってはいるが情報と選択肢が多すぎて消耗し、逆に「選べない人生」を歩んでいる(※5)。ー

「夢の実現なんて無理」と思い込む人に共通する思考習慣 (msn.com)より

 

但しあくまで其の🗾の繁榮が「形ばかり」のものである点は大きく問題でせう。

要するに政府が中心となり「形ばかり」の繁榮を築いて來たので國自體が凋落傾向にあることはまず間違い無い。

 

だけれどもまた其のことも所謂「自業自得」でのものです。

其れと🗾國民が壱種の洗脳民となり「バカ」になったのもまさに「自業自得」でのものです。

 

わたくしとしてはまず「決断」云云の前にまさに其の全體主義的な「洗脳」をこそ解くべきだとさう述べ続けて來た。

何故なら「洗脳」された侭では「決断」も何も無いからです。

 

また生き方に高級も低級も無く要するに自分の思った通りに生きられれば普通人間は幸福となる。

ですから其れはヒモでもヨタローでもまたプータローでも乞食でも何でも良いから兎に角基本として自分の生き方の理想に近いものを最終的には選んで行くべきです。

 

最終的にはと云う事は還暦以降又は高齢者となった以降にさうして行っても良いのです。

幸い還暦以降又は高齢者となった以降に此の社會より實質的にドロップアウトする可能性はいまだ何とか保持されて居ますから其れを利用しない手はありません。

 

まあ兎に角此の四角氏の御意見は徹底して居り要するに「思想」の域に迄踏み込んで🗾社會の現状を捉えられて居る。

よって中には拒否感が生ずることかとは思いますのですが自分に限りつまりは「似た者同士」での考えなのでむしろスンナリと受け容れられます。

 

 

其れと大事な点はイザ「経済大國」ともなれば其れでもって幸せなのでは無くでも概ね良くなる訳ですがむしろ現在の🗾人の多くは貧乏化して居るとの其の政治的、社會的なカラクリこそがまずは大問題です。

 

ハッキリ申して其れは「國」が惡い。

 

「國」が惡いからこそ余計に「不安」です。

気候変動だの戦争だのでたった今文明自體が至極不安定且つ不安なのですが此処🗾の場合はまさに其の國が「守銭奴」と成り果てて居るが故に個として常に不安にならざるを得ぬ。

 

さて其の「低い幸福度」を齎すものとは四角氏もまた仰るやうに本質的には「他の評価ばかりを窺い生きる」其の生き方にこそ有らう。

何遍も申しますが自分でもって納得し生き方を選ぶ場合には常にある程度迄は「自己實現」される訳ですので其の分「苦悩」と云うか「不安」と云うかさうしたマイナス面が逆に抑えられる訳だ。

 

ところが全體主義に流され「洗脳人生」を送ればむしろ其の侭で人生は終わって仕舞います。

されど正直其の「洗脳」もまたある程度はむしろ必要です。

 

また誰もが「藝術的」にまた「思想的」に或は「宗教的」に生きられる訳では無い。

また會社員をやって居れば普通は其れ等のことから縁遠くなりやがてはそんなことはどうでも良くなり其れも結局は「守銭奴」のやうな人間になって行かざるを得ないことだらう。

 

自分はたまたま藝術や思想や宗教に詳しいと言えば詳しいのでセミリタイアした後に主に其のことに就き語って來ましたのですが其れでも無論のこと半分位しか其の内容を語れず其れは何故かと申しますと完全なリタイアが出來る程金に恵まれて居る訳では無いからです。

 

けれど其の社會批判の面では自分は明らかに最右翼系の人なので其処はある意味でこと観念的には社會の価値観とは決別し己が道を歩いて居るのだとも言える。

そんな自分が今思うのは「社會を疑う」だけの理性的態度は常に保って置くべきだとのことです。

 

 

また其のことは右や左と云ったイデオロギーには関係無く是非持って置くべき心理的内容です。

ですがまた其れは四角氏やまた自分などの「社會への否定的見解」が絶對に正しいと云うことでも無いのだと思われる。

 

但し四角氏やまた自分などはまさに其れなりの思想的な闘争の段階を経てさうして自ら何かを掴み其のことに就き述べて居るのです。

尤も自分は思想を述べ何処かから金を貰ったことなどは無いのであくまでタダの自称の思想家であり詩人なんです。

 

だからなのか四角氏程強いこともまた言えないがでも社會批判の面だけは自分などもまた強力な筈です。

いずれにせよ「時には社會を疑い精神的に反抗しつつ生きる」位で實は丁度良いのではないだらうか。

 

でないとまさに其の「全體主義的な洗脳」の世界からは逃れられぬのだと思う。

 

但し誰もがそんな社會から逃げ山奥や離島で暮らせば良い訳では無いことだらう。

よって自分に出來得る範囲で🗾社會を疑わんが為の理性の力を保持することこそがたとえ都會に其の侭居たにせよ精神的に反抗することの要諦となることだらう。

 

 

ー超ミニマル・ライフとは──「守銭奴のような節約生活」や「禁欲的で質素な暮らし」のことじゃない。そもそも、そんな心が貧しくなる生き方には夢も希望もない。

 超ミニマル・ライフとは──「どうでもいいことに注ぐ労力・お金・時間を最小化して、あなたの可能性を最大化する」ための合理的な人生戦略のことである。

 つまり本連載は、「Live Small, Dream Big──贅沢やムダを省いて超効率化して得る、時間・エネルギー・資金を人生の夢に投資する」ための技法をまとめた戦略書なのである。

 年齢や性別、立場や収入に関係なく、どんな人でもすぐに簡単に実践できるよう、全てのノウハウを体系化した。ー

「夢の実現なんて無理」と思い込む人に共通する思考習慣 (msn.com)より

 

たった今🗾人の幸福度が低いのは、

 

1.社會的な意味での不安の増大

2.自立的且つ自律的な思考の破壊

 

によるものなのではなからうか。

どちらもおそらくは現實として覆い被さって來て居ることなのだらう。

 

此のうちの2.を理性的に解決したにせよ1.の悩みは残る。

但し其処でかう考えてみてはどうか?

 

「社會のことなどはなるやうにしかならぬ」

すると課題は自らの社會的な洗脳部ダケとなり其れも其処に反社會的な反抗が求められる訳では無く只世の様を疑うこともまた必要だとさう述べて居るダケのことである。

 

要するに社會が奉ずる価値観からはあえて距離を取るべきだとさうわたくしは述べて來たのである。

また其処から距離を取るからこそ實は自分自身の考えなり価値観なりが逆に確りして來る。

 

其れを社會の価値観ばかりに己が価値観を合わせればまさに「洗脳状態」であることが避けられなくなる。

 

 

ー人が何かを得る時、必ず別の何かを手放さないといけない。

 だが、あなたは「渇望」を満たそうと、あらゆることを手に入れては疲弊し、不安に襲われながらこんな人生を夢見る。

「Live Big, Dream Big──大きく生活し、夢も大きく」

 これは──日本に0.16%しかいない(※6)──超富裕層の家に生まれない限り実現不可能なのに、叶わぬ夢を追い続けながら、大切なことを見失ったまま人生を終えてしまう。

 まさに「二兎を追う者は一兎をも得ず」である。

 誰もが知る真理を突いたことわざだが、本連載ではことあるごとに、こういった「原理」に立ち返る。

 それは──現代人がどうやっても抗(あらが)えない──先人の不変的な叡智(えいち)、人間の本質、自然の摂理、ヒトという生物の本能といった鉄則のこと。ー

「夢の実現なんて無理」と思い込む人に共通する思考習慣 (msn.com)より

 

問題は現代社會が我我個に提供するものの多くにむしろヤバい価値が含まれて居ることが多いとのことである。

 

自民党様の政治はまた官僚様日銀様のやり方は間違い無い→實際には大きく間違って居た可能性の方が大きくある

校長先生の清廉潔白な様はまず間違い無い→校長にはむしろ性倒錯者が多く居て其れも校内にてヤバいことが行われて居る確率もまた案外高くある

 

スマホは自分等に取り神だ→其のスマホの御陰で脳を破壊されて居る奴等が實は少なからず居る

夢だ希望だこんな文明の未來はまさに薔薇色だ!→其の文明の未來を壱言で申せば「ドツボー肥溜めー」ハマりである

 

都會こそがこんな全てが整った都會こそがパラダイスだ!→逆にデカいビルやタワーばかりを建てたがるアホは金輪際幸せにはなれんぞ

嗚呼都會に生まれて心より良かった!→こんな洗脳と陰謀の渦巻くクソ都會に生まれて何がそんなに嬉しいのか?

 

TOYOTAやNISSANまたはHONDAのスーパーカーでもって時速200キロを出したーリミッターをカットしてー→オイラなどは中国製の🚲でもって時速廿キロも出した

やがてAIが神となり我我🗾人を必ずや救う→🗾人は文明への信心により2100年迄に滅ぶまた2050年位から飢餓死なども引き起こされることだらう

 

 

 

ー我々の心身は──便利すぎる都市空間、高速のネット世界、超情報化社会、過度な化学物質ではなく──「自然」にこそ最適化しているという事実を忘れないでほしい。

 そして、祖先が249万年近く営み、実は幸福度が高かったとされる(※8)狩猟生活こそが、真のミニマル・ライフだ。

 ただし、石器時代の生活に戻ろうなんて提案はしない。

 

本連載で直伝するのは、現代社会におけるミニマル・ライフだ。その目的は、人生の可能性を最高値まで引き出すことにある。

「余分や過剰」「必要以上や行きすぎ」を削ぎ落とした後に残された「原理」はどんな時も真実を教えてくれる。

 人生で迷った時──フェイクニュースや拡大思考の罠にハマることなく──人間本来の感覚を研ぎ澄ませて「原理」に回帰しながらも、最新科学とテクノロジーを追求し続ける姿勢こそ「超ミニマル・ライフ」の真髄だと、頭に入れておいていただきたい。

「夢の実現なんて無理」と思い込む人に共通する思考習慣 (msn.com)より

 

其の文明が振り撒く惡いものを如何に遮断して行くかと云うことこそが逆に文明人の課題なのである。

つまりは其の「やり過ぎる」文明だの文化だのが如何に大問題であることか。

 

まさに其のことを哲學的に遡ればかのデカルトだのヘーゲルだのつまりは近代的な進歩の概念其のものへの疑義であり否定的見解として示されざるを得ない。

 

だが先に述べた如くに科学や科学技術にとどまらず所謂文化の面ー人文學や藝術の面また宗教の壱面ーに於いてもまた現存在は常にやり過ぎて來て居るのである。

故に問題は常に其の「やり過ぎ」=「余分であり過剰」な部分への人間の心理的な意味での近接のカラクリのこととなる。

 

よって最終的に其れはどうのかうのでは無く宗教的で且つ倫理的な生き方が人間に取り可能か否かとの問題となる。

 

 

 

超ミニマル・ライフ - Bing News

 

こちらには其の四角氏の記事があれこれと出て居るから興味のある方は読まれてみてもまた良いのではないか。

其処で重要なことは「他の意見」があくまで自分に取っての参考にしかならないとの部分である。

 

最終的に自己の意見はさうして様様なものを取り込み練り込んでつくりあげて行く他は無い。

要するに最終的には其の自らの意思決定こそが「實存的価値」其のものなのだ。

 

だが其の「實存的価値」の部分が今著しく制限若しくは破壊されて來て居るので其処はまた自分でもって修復して行く他は無いとのことである。

但しそんな観念的な修復をすっ飛ばし行動に移せる人ならばまた其れでも良い。

 

いずれにせよ此の際「現代社會こそが偉い」との妄想的な信心を是非止めるべきではないかとさう自称の詩人は常に考える。