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此の際「資本バカ」共を糾弾すー+竹下 景子さんと『若い太陽の塔』の御話ー

此の際「資本バカ」共を糾弾すー+竹下 景子さんと『若い太陽の塔』の御話ー

 

 

 

「新しい戦前」ネットをざわつかせたタモリの言葉 年末放送「徹子の部屋」 不穏な空気漂う今を見事に切り取った造語、さまざまな思惑が交錯 (msn.com)

 

問題は其の「戦前」がそも何でまた繰り返されるのかと云うことだ。

其れは「人類の社會=文明社會」が「理性的にはまるで進歩などして居ない」事實をこそ指し示す言葉である。

 

では壱體何が理性的に進歩して居ないのか?

其れは實利主義ー利己的な利益追求に走る功利主義ーと人文主義ー哲學的、また宗教的且つ藝術的によーく考えた上で全体論的な判断を下す理性の領域ーとの相剋し且つ相即せんが為のバランスこそが崩れて居るのである。

 

数的還元主義ー合理主義的価値観ー⇔實存的全体論主義ー非合理的価値観ー

此の合理領域と非合理領域は無論のこと弐元分離されて居り相互に他を全否定することは出来ない。

 

故に其の弐元分離をバランス化させることこそが理性に於ける究極の目的となる。

なので企業又は國家が儲け主義に走ったりまた兎に角デカくならうとすることは須らく眞の意味での理性的段階からすれば✖の行いとならざるを得ぬ。

 

また其のことは例えば宗教的な意味でも成立し得る原理となる。

即ち宗教的な勢力の不必要な勢力拡大や信仰の強制また親が勝手に子を新興宗教団體へ入れることなどは皆✖の行いとなる。

 

 

よって理性は最終的に其の合理と非合理領域のバランス化を図るつまりは其の對立に於いて程良くブレンドされて行かねばならない。

であるのだけれど左様に程良くブレンドせんが為に逆にまずは其の理性の性質の両極を見極めて行く必要が生ずる。

 

要するに其の両極をこそ同時に見極めて行く必要のことだ。

両極を見極めんが為には幅広くしかも詳細に世の事象を分別した上で其処に自らの理性的選択を可能とするやうな強固な理性的能力が必然として其処に要求されて来る。

 

だからまず其れは凡人には出来ない、嗚呼まさに無理なことなのだ。

だが両面ー理性と本能ーを行き來出来るやうな天才的資質の持ち主であれば或は其れが可能となる可能性などもまた出て来る。

 

なので此の世ー現代社會ーに於けるほぼ全てに亘る事柄がまさに其の「矛盾」としての産物なのだ。

其の「矛盾」なる様をあえて宗教的に表現すれば、おおまさに其れぞ「罪」であり「煩悩」である。

 

 

だからそも理性が「進歩」し切れて居ないので「戦前」に戻るのもまた当たり前の話なのだ。

此の世はそんなバカ社會に過ぎぬと云うことをまずわたくしは皆様に御伝えして置きたい。

 

だから其のバカを馬鹿、阿呆となじるのは当たり前の話なのでありむしろ其れをやらない奴の方が頭がオカシイんだ。

嗚呼まさにさう云うのを「洗脳」と云うのだらうな。

 

 

尤も現存在の組織の中でさうして「洗脳、洗脳」と言い喜んで居るとすぐに袋叩きにされ挙句には村八分となり最終的には山にでも追い詰められ餓死するより他は無い。

だから僕はまだ壱言もそんなことは言ってません。

 

なのであくまで僕が言って居るのは「文學上の物語」としての御話でありつまりは「ポエム」のことなのですよ。

つまりはそんな架空の世界でもって人類と云う御莫迦達が繰り広げる御伽噺の世界をゲージツ家としてのボクが此処にて独り言として語って居るだけのことなのだから。

 

さて其の「理性としてのバランス化」はしかしながら問題が大き過ぎすでに個としては太刀打ちすることが出来ません。

むしろインテリ層ですら其れはもはや出来ないのですから其れを問題として捉えること自體を放棄して行くべきだとわたくしは述べて居ります。

 

尤も其の放棄とは諦めることでは無くむしろ「自己本位」に生きることでの第壱歩となることだ。

但しあくまで其れは「インテリ層」に於ける理性的選択となるのであらう。

 

其れに對し所謂「大衆層」の方方は其処でそも何も考えては居ない。

要するに「食い気」と「色気」と「快適な住環境にて暮らすこと」ダケなのだ。

 

其れでもって兎に角👩に飛び付きたい。

 

そんなものには飛び付くなとかうして何度も宗教詩人が諭したにせよ其処は嗚呼「馬の耳に念佛」であり兎に角其れにだけ飛び付きたい。

いやあー、其れでは如何にも単純な人生だねえ。

 

ワシの人生なんぞはこんな屈折ダラケだったのでさう云うのが實は壱度してみたかったのだ。

いやだが高級な👩に飛び付いてみたいと云う思いがまた無いでは無い。

 

例えば古稀となりしかの「竹下 景子」のやうな利口な👩が兎に角好みなのだ。ーやかの宮崎 美子などが好みであるがー

でもって経験からすでに分かって居るが偏差値が高くある奴が女嫌いになるとは限らない。

 

偏差値の高くある奴がむしろ👩にだらしない場合はむしろ多くあるものだ。

尚僕の偏差値は多分五拾位であらうが感度及び思考力の点ではむしろ並外れて優れて居るので総合点の方が80点位になって仕舞う。

 

でもってそんな僕は👩には狂わず最終的には至極潔癖である。

 

 

月刊ホンマもん裏トーク (38news.jp)

 

此処は今無料公開されて居るので視られるのではないかと思われる。

其の京大の藤井先生が仰って居るのは日本の経済體制が如何に財界やまた財務省主導で行われて來て居るかと云う其のカラクリの部分の概説である。

 

尚わたくし自身はかうして體制史だの哲學だの藝術だの宗教の分野に對し強い人間であり経済の面には疎いと云う弱点があった。

されど現状としての日本社會の凋落の主因とはまさに其の経済的な問題なのだ。

 

故に昨年辺りから其の経済の仕組みのことを御勉強したりもまたするやうになった。

其の御勉強から導き出されて来たところでの日本社會に於ける経済構造の問題点とは、

 

1.「資本の論理」による日本の経済體制の破壊であり

2.「資本の論理」による利己的な功利主義=合理的利己主義の蔓延であり

3.デカい組織ー國、省庁、大企業ーがホクホクとなりちっこい組織ー壱般家庭、過疎の地域、中小企業ーがボロボロとなる

 

其の根本での日本経済の上でのカラクリである。

 

 

また實は其ればかりか其の

 

4.「資本の論理」による資本主義其れ自體の破壊

 

などもまた世界的に進みつつあるのだ。

要するに我我日本人の多くが今向き合って居る経済上での不遇とはまさに其の

 

小<大

との不平等な関係性にこそ生じて居ることだった。

 

でもって最近わたくしは其の経済上での不遇を解決しない限り此の國に未來はないとさう思うやうになった。

あーやっぱり日教組だとか其の辺りでの学校の先生達の考え方は正しかったのではなからうか。

 

何故なら此の侭日本のみんなへの搾取がより酷くなり続けると次第に少しずつ我我の生活其れ自體の質が落ちて行く。

やがて2050年辺りから地球温暖化の影響にて農産物の収量は確實に減るだらうからイザさうなれば此処日本でも餓死者などがおそらく出て来ることだらう。

ー農産物をそれこそ人工的に創り出す手はあるにせよ其れには結局膨大な電力が必要とならうー

 

小<大

其の組織上の大小の関係即ちヒエラルキーにより「偉い人」と「偉くない人」とが分別せられて居るのである。

でもって「偉い人」はより儲けることが出来るが「偉くない人」はより貧乏の淵へと追い込まれて行くのだ。

 

さてすでに四拾年程前のことながら、母方の祖父ー社會主義者であり在野の佛教研究者であった祖父ーがわたくしに對しいみじくも語った言葉があった。

其れは、

「此の世では金持ちはより金持ちとなり貧乏人はより貧乏人となるやうに社會が出来て居る」

との言葉であった。ー其の数年後に祖父は亡くなったー

 

藤井先生が仰って居ることもまさに其の通りでのことである。

問題は特にコロナ禍以降はむしろ其の流れが加速され行われて来て居ることにこそある。

 

 

逆に、

 

小=大

 

とかうなるのが其れこそ共産主義的な平等社會なのであり其の逆に保守派の側は価値秩序を重視する訳だ。

さて其の保守派の側の考え方にもまた良いところはある。

 

良いと申すか社會を安定的に維持する仕組みがむしろ整って居たりもまたする訳だ。

ところが其の保守派思考の壱番悪いところが「搾取が酷くなる」点にこそあるのだと思う。

 

要するに惡代官だの惡しき殿様などを蔓延らせ良民をさうしていたぶるものだから社會其れ自體がやがては壊れて行く。

其れがまさにかのピケティ氏が述べられて居た「資本崩壊」の原理がたった今現實の日本経済の姿と化して仕舞って居る。

 

5.日本が売られている

 

またかの堤 未果氏により米國資本が日本の経済を思う侭に操り其の通りに「日本は売られて行く」状況を其の著作にて描き出されても居る。

つまり我が國の経済状況に於いては「内外の敵」が實は居たのである。

 

また其のいずれの敵もまさしく「利己的な儲け主義者」であり要するに血も涙も無い「守銭奴」であるに過ぎぬ訳だ。

また要するに名声や富に恵まれ過ぎると人間は壱番大事な「人間としての心」をそも失い易くなるのである。

 

であるからこそ文明社會には「宗教としての信仰の場」が必ずや設けられて居る。

 

 

其れでも猶アナタ方はこんな腐り切った社會を信じるのか?

もう僕なんぞはこんな社會は捨て去って居るので気樂で気樂で…。

 

総括すれば要するに「利己心の塊と化した資本の論理」が我我個としての「生存権」をも脅かす段階へと至って行く訳だ。

また其れが「資本主義社會」としての必然的展開であると云うことなのだ。

 

ならば「革命」する方が良いので?

理想論的にはあくまでさうだが今の露西亜などを見て居ると其れもどうかなあと云う考えとならざるを得ない。

 

だが其の「資本の論理」の暴走こそが環境破壊を生み出し地球温暖化を引き起こして居ることもまた確かなことだらう。

故に其の「共産主義勢力」が仕出かして居ることでの「罪深さ」と「資本主義自由主義陣営」がやらかして来た「罪深さ」の部分を天秤にかけると實は後者の方がより罪深くもあるのだ。

 

 

では最後にちょっとだけ竹下景子 - Wikipediaさんのことを述べます。

結局其の竹下 景子さんは所謂至極頭の良い名古屋人です。

 

猶自分は其の頭の良い👩には頗る弱い。

頭の悪い👩は屡足蹴にしたりもまたするのだが頭の良い👩の方には逆に是非足蹴にして頂きたい位である。

 

本日彼女が『徹子の部屋』に出て居られて居りたまたま其れを視たが其の番組の内容が大層面白かった。

 

其れでもって彼女は「足腰」を鍛えるトレーニングを欠かさないのだと云う。

「足腰」が衰えると最終的には食欲もまた無くなりつまりは人間がダメになる。

 

流石に其処が良く分かっていらっしゃる。

 

日本モンキーパーク - Wikipedia

日本モンキーセンター - Wikipedia

 

彼女はまた🐒が好きなのださうだ。

 

日本モンキーセンター 親善大使室 (j-monkey.jp)

 

かうして此処の親善大使ともなって居るものらしい。

猶此処は愛知県人の多くが子供の頃に訪れる場となって居り勿論我なども何度も訪れたことがある。

 

但し此のやうな「動物園」的な場其れ自體に對し今個人的には懐疑的となって居る。

 

動物<人間

 

其れ即ち其のヒエラルキーの設定其れ自體に對し大きく疑問を抱く訳だ。

なんで御前等人間がそもそんなに偉いつまりは威張ってるのだ?

 

結局地球温暖化を引き起こし人類が自滅するのは其の「威張る」心性こそが其れを齎すのである。

なので逆に、

 

動物=人間

とさう考えれば其の「動物園」なる発想もまた出ては來なくならう。

 

 

いやでも人間は動物と壱諸ではイカンのでせう?

イカンのであえて「動物園」なるものも不要だと云うさう云うことですね。

 

さても其の「威張る」ことを止めるだけの理性の力を導き出すのが現存在に於ける理性的な目標なのだらう。

逆に申せば「威張る」ことが好きな奴程實はバカなのだ。

 

故に御釈迦さまやキリスト様は誰がどう見ても偉い方方なのにまるで威張られはせぬ。

また「資本家」だの「財界」だの「財務省」だの「日銀」だの「大企業」等は皆揃って威張りたがるから要するに「資本バカ」なのだ。

 

其の「資本バカ」の力により今日本の経済は腐り切って來て居るのである。

ならば矢張り「革命」ですか?

 

いや其の前に日本の経済體制其のものを無視し例えば今行ってる會社なども即刻辞めるべきだらう。

要するに此の日本の社會に對し反旗を翻すのですね?

 

まあ「矛盾」に満ち所謂「不潔」なものにはなるべく接しないことこそが大事だらう。

また現存在は「威張らず」に死ねれば「威張って」死ぬことなどよりもずっと偉い人生其のものだらう。

 

要するに其の「価値ヒエラルキー」には決して屈してはならないのだ。

 

 

若い太陽の塔(wikimedia.org)

 

 

  • 若い太陽の塔 - 岡本太郎による彫刻作品[6][7]1969年に完成し、翌年の日本万国博覧会に設置された太陽の塔のプロトモデルとされる[6]。地上7メートルのところに展望台があり、2003年まで一般公開されていたが老朽化により閉鎖[6][7]2010年に限定公開された際に好評を博したため、岡本太郎生誕100周年記念に合わせて施設の改修工事終了後の2011年10月より再び一般公開された[6][7]。高さ26メートルで、直径4メートルの顔と11本の炎で燃え立つ太陽を表している[7]。修復にかかった費用は、道の整備を含めて総額約3000万円で、その内約400万円は各地から寄せられた約320人の寄付で賄われたという[6]。同園のシンボルタワーで岡本太郎の作品の中で三番目に大きい。

日本モンキーパーク - Wikipediaより

 

其のやうなものがあらうとはついぞ知らなんだ。

何故だか知らないがかうして事象に於ける細かな部分での関連性が次次と見い出されて來ることにこそ現存在が今をまさに生きることの確たる証拠がある。