目覚めよ!

文明批判と心の探求と

医學と生物學はかうして考えるー養老先生と福岡先生が同席された対談よりー

【養老孟司】この対談で、あなたの意識に対する常識を覆します。 - YouTube

【養老孟司】この対談で、あなたの意識に対する常識を覆します。【続編】 - YouTube

 

此の養老 孟司先生と福岡 伸一先生が同席された対談こそが重要です。

また其れは私が好きな御二方なのでもある。

 

養老 孟司先生は意識ー人間の脳の機能ーに就き考察され、福岡 伸一先生は生命の本質としての「動的平衡」と云う概念を提唱されて居る。

但し其れは例えば宗教的な認識とは異なるものである。

 

あくまで其れは自然科学からの自然認識であり生命の本質へのアプローチなのだ。

 

さて意識とは何か?

其れに就き例えば昆虫にも意識があると養老先生は仰る。

 

確かに虫にも🐈や🐕にも意識がある。

また🐦にもある。

 

其の意識はおそらく人間の意識と被る部分がある。

所謂大脳旧皮質のところで其れは皆繋がって居ることだらう。-さうして無意識的に?-

 

 

だが人間の意識は其れだけでは無い。

人間はかうして考えつつ行動を決めるので思考のニュータイプであり獣達とは元より違って居る。

 

其の意識は時折切れる。

何故なら疲れた脳が寝るからである。

 

どうも意識はさうして限定されたものだ。

即ち其れは恒常のものでも無く絶対のものでもまた無い。

 

 

其の大脳新皮質が肥大化したニュータイプである人類は価値構築を自然の埒外へと求め続けて行く。

だが其の欲望は虫や🐦や🐈や🐕が望むやうなものでは決して無い。

 

其れはさうで、其の大脳新皮質が欲する欲望こそが自然に対し余分な欲望になって仕舞って居るからだ。

対して大脳旧皮質が欲する欲望は基本的に自然の内側にあることだらう。

 

だから人間の欲望だけが結果的に抽象の世界をさうして飛ぶのである。

何でかと言えば人間の欲望は地球生命としてのニュータイプとしての欲望であるのだからこそ。

 

問題は其のニュータイプとしての欲望を善悪の基準でもってもしも捉えた場合に其れが悪い方へと繋がれて居る可能性が高くあることだ。

 

但し自然科学の対象に其の善悪の基準が適用される訳では無い。

また文學でさえさうでは無いが宗教だけが其の欲望を悪として捉える傾向が強い訳だ。

 

 

「ー意識ーを自分だと決める所に諸悪の根源がある」福岡

科学者も最近の方々は結構悲観的なことを仰る訳で其れは何でかと言えば事實として今科学は地球を壊し続けて居るからなのだ。

 

いずれにせよ生命であること、また「私」であることは常に壊され続けて行く。

だから其の破壊に抗し続けて居ることこそが生命としての抵抗なのだと言えやう。

 

遺伝子レヴェルでまた細胞のレヴェルで我我はさうして常に壊され続けて行く。

生命と云う秩序から死と云う無秩序へと常に引き寄せられて行く訳だ。

 

其れは確かに生の暗い道程である。

其の暗い死への道に対し反抗して居るからこそ其処に生と云う今が生じて居る。

 

だからまた其れが明るい。

 

生は左様に暗くさうしてまた同時に明るい秩序的現象なのだ。

 

 

だが最終的に其の反抗、あがきの如きものは無秩序の法則に捉えられる。

いつかはさうして己が負け、まさに此の世から消え去って行く。

 

さう云うのを理系の方々はエントロピー増大の原則であるとさう仰る。

つまり無秩序な方向へと生命現象は流れて行かざるを得ない。

 

生命現象はそんな風に常に無秩序に抗し流れて居るのでまさに其れが「動的平衡」であり其れが生命の本質だと福岡先生は仰る。

 

 

なる程、さうなのか。

生命はさうして合成と分解によりエントロピーを捨てつつ其の「動的平衡」をこそバトンタッチして行く訳だ。

 

其のバトンタッチとは子孫だけとは限らないと先生は仰る。

まあ其れはさうだ、確かに中には子孫を残さない人間も居る訳なのだから。

 

 

エントロピーが最大化すれば勿論我我は死ぬ。

其れはまさにランダムな、即ち無秩序的な混沌の状態へと戻って行く訳だ。

 

だが其の「死」自体には問題は無い。

私にとり問題として捉えられるのは常に「人間の生」の側である。

 

其の人間の生其れ自体が、いや其の認識がおかしいかまたは「悪い」ので逆に自然を破壊し無秩序状態=死の状態へと進めやうとして居るまさに其の人間共の愚かしさのことだ。

 

 

なので、かうして偉い科学者の御二人もまた其の部分に就きつい悩まれて仕舞うのだ。

此の人間共の愚かしさを救うのは科学では如何にも荷が重く後はもう神様か佛様を實物大ガンダムと化して都市部に建設するより他は無いことだらう。

 

其の神像か又は大佛にひれ伏して兎に角全てを曝け出して祈りを捧げよ。

汝等の罪を、其の罪深い淫らな行いを全て其処に悔悟し其処に贖罪をこそ求めて行かずして何とする?

 

其の最大の罪こそが馬鹿の罪だ。

馬鹿とは謂わばカントの理性の反対であり、まるで自分のケツをも拭けぬ其の幼児性の保持者のことを言う。

 

 

 

さうして生命とは壊れて行くものだ。

即ち時が経てば劣化しやがて消え去るものだ。

 

だが文明はだましだまししつつ其の劣化を修復する。

即ち病気を治し延命させさらに寿命をも延ばした。

 

さらに「情報」を保存し消えなくしたー抽象化したー。

即ち消えぬので其れは決して死なぬ。

 

故に情報化とは不死化のことであり不死身化のことでもある。

即ち神化のことなのだ。

畢竟人類自らが神の座に上り詰めることだったのだ!

 

あらうことかさうして神を追い出し自らを神と化して行く。

おおなんと罪深いことよ。

ああなんて狂おしいことよ。

 

即ち科学とは人間を神と化す為の道具だったのだ。

 

 

其の意識としての罪。

大脳新皮質が生み出した抽象的願望へのかっぱえびせん状態。

 

さうしてつまるところは其のかっぱえびせん状態をどう止めるかなのだ。

だがイザ火の点いたかっぱえびせん状態を鎮静化するのはもはや至難の技だ。

 

何故ならまさに其れが食欲であり實は大脳旧皮質が欲しておる欲望だったからなのだ。

 

嗚呼、さうして恐ろしいことに本能が理性へとなだれ込み今まさに欲望の大洪水を引き起こさんとしておる。

 

其のかっぱえびせん状態を今すぐにお止め!

止まれ!止まれ!止まれ!

文明よ、もう弐度と生き返るでない!!

 

 

問題は其の人間としての「生きんが為の意志」である。

 

まさに其れは動植物にとっての「生きんが為の意志」とは質的に異なって居やう。

勿論人間も動物なのだから動物としての「生きんが為の意志」を持って居る。

 

だが其れは所詮肉體としての欲望なのだ。

ところが其ればかりか我我は観念としての欲望をも持つに至った。

 

 

即ち美人妻を娶りたい。

必要以上に美味いものを食いたい。

其れもたらふく食いたい。

 

大酒を飲みたい。

大穴を当て優雅に暮らしたい。

 

豪華客船に乗り其処に美女を侍らせる。

スーパーカーが兎に角欲しい。

 

かうして地球を壊したので早う宇宙へと逃げて行きたい。

権力を握り全てを🐶の如くに扱い跪かせるのだ。

 

金は最低百億は欲しい。

さうして其の百億でもって酒池肉林をこそやるのだ。

 

 

恐ろしい奴め。

お前のやうな👿にかっぱえびせんを食う資格など金輪際無いわ!

 

かっぱえびせんはな、必ずやもっともっとコソコソと食わねばならぬ。

 

でも食えば音が出ますが…。

音は出さずに食うのが眞の意味での理性派の食い方だ。

 

では今食ってみて下され。

ハイ、バリッバリバリバリッと。

 

音は確りとでておるやうですが…。

さうですか、まるで出ては居ません。

あくまで其れは君の耳が悪いのです。

 

 

我我人類に対し且つ文明に対し今突き付けられて居るものとはまさに其の欲望の制御である。

其れも其の抽象度の高い欲望に対する理性的制御である。

 

では抽象度の高い欲望が齎した破壊に対する修復は技術的に許されるのだらうか?

勿論其れは許されて居ることだらう。

 

然し抽象度の高い欲望に対する新技術の開発には至極慎重にならねばならぬことだらう。

即ち其処には常にカント級の倫理性、理性に対する自制力こそが求められる訳だ。

 

 

残念なことに其の抽象度の高い欲望には基本的に制限するものが欠けて居る。

何故なら獣欲は自然として制限されざるを得ないが観念欲には其の自然による制限が決して働くことが無い。

 

故に其の観念欲の使いどころを誤れば早晩文明は修復出来ぬ段階へと至ることだらう。

観念欲は逆に自らを制限する方向へと是非使うべきものなのだ。

 

其の制限を加える為の哲學ー観念論ーこそが先哲としてのカントの批判哲學である。