目覚めよ!

文明批判と心の探求と

赤味噌から辿る本能としての愛ーこんな厳冬に赤味噌🍚に温められる心と體ー

f:id:animist77:20220225210500j:plain

パンドーラーの箱が開き赤味噌汁が出て来る様子ーJohn_William_Waterhouse_-_Pandora,_1896ー


思い出1

 

 

 

 

ああー、罪深や罪深や。

人間共の其の欲望こそがまさに罪深や。

 

かく言うアナタ様はもしや神の眷属なのですか?

いやさうでは無い。

かくして我は神の言葉を伝える詩人様じゃ。

 

おお神よ、人間共の壱番悪いところは其の正常性バイアスが強いことなのですか?

さうです、まさに其の正常性バイアスが強いことだ。

 

 

ではどうしたら良いのですか、果たしてどうしたら?

其の正常性バイアスは「みんなで渡る赤信号が怖く無い」ことから引き起こされて居る。

だからもうみんなでもって赤信号を渡ることを止めれば良い。

 

もうみんなでもって赤信号を渡ることは止めて神と共にまた佛と共に是非生きるべきだ。

では文明を否定しキリスト教原理主義や佛教原理主義の世界でもって生きて行けば良いのですか?

 

まあさうではあるが其の場合にひとつだけ気を付けて置かねばならぬことがあり其れはカルト宗教には決して入らぬことだ。

カルト宗教に嵌り性奴隷とされたり全財産を奪われぬやうしかと気を付けて置かねばならぬ。

 

 

其のカルト宗教とは具體的にはドレですか?

 

1.教祖礼賛

2.権威権勢、権力志向の強さ

3.高額なお布施を強いられたり性奴隷にされたりすること

 

此の項目が弐つ該当すればまず其れはカルト宗教だらう。

カルト宗教の目的とはよもや眞理の實践などでは無く其れ即ち現世利益の徹底的履行である。

要するにみんなを騙して金をせしめ且つ尊敬を勝ち得教祖と其の👪だけがまるで王様並に偉くなるのだ。

 

 

さても現代文明もまたカルト宗教なのですか?

現代文明もまたカルト宗教である可能性は高くあらう。

 

現代文明の場合は逆に「より速くより高くより豊かに」と云う価値をみんなに信じ込ませて居るカルト宗教なのだ。

また其の価値観は理性無き👩共が如何にも嵌り易い価値観である。

 

だから普通はむしろ文明を👩が信じるのである。

だが妻や母がもしもさう信じたのであれば其れを批判する男共は居なくなる訳だ。

 

故に現代文明とは馬鹿な👩が其の子宮の求めに応じて繰り広げて行くであらう茶番劇なのだ。

 

 

ゲエッ、すると其の現代の破壊過程とは馬鹿な女共の不埒なる求め、其の禁断の欲望により引き起こされて居ることなのですね。

あらうことか其の人間の生命を此の世に生み出す👩共の認識が曇って居るが故にさうなるのですね。

 

さうだ、だからこそショーペンハウアーはまさにソコを批判して居た訳なのだ。

ショーペンハウアーは生理的に👩を嫌ったのでは無くあくまで論理的に👩はダメだとさう批判したのである。

 

其の禁断の欲望こそがパンドーラ―のハコとして今に語り継がれて来て居る。パンドーラー - Wikipedia

 

 

だが恐ろしいことに👩共は生命の母である。

例えば食い物と生の喜びをも齎す女神なのだ。

 

だが同時に破壊と憎しみを齎す👿なのだ。

 

だから聖なる♀であると同時に👿でもあることこそが👩の正體なのだ。

 

 

愛を司る者、汝は👩なり。

同時に破壊を齎す者、汝は👩なり。

 

で、其の生命の母なる👩を書き表すことはとても難しい。

 

さてそも♀的なものとは何か?

 

と問われる其の♀的なものの正體とは所詮は本能的なものなのだらう。

例えば母性本能なるものが其の正體だ。

 

母性本能なるものの正體とは所詮は其の利己愛に近いものだ。

だが我我は其の利己愛を理窟にて否定は出来ても事實上否定することなど出来ぬものだ。

 

其の愛の形はイエス・キリストの処刑に立ち会った母マリヤが死せしキリストを抱く姿にも還元されやう。ピエタ - Wikipedia

 

利己愛を滅し切り大いなる神の愛を説いたキリストを其の命の母としての聖母が嘆きつつ抱く。

わたくしはかねてより此のピエタこそが好きである。

 

 

転ずるに名古屋人としての我が境涯を考えてみる。

わたくしは結局かうして至極欲深い。

 

其れもアノ戦争が大好きなプーチン程では無いが特に物欲と食欲が並では無い。

 

ところが歯と歯茎をやられて仕舞い其れでもって歯医者へ行くわ、薬局へ走るわで今大変なのだ。

だが毎日寒いので誰しも何かを食いたくなることであらう。

 

其れでもっておでんを食ってみた。

だが其れはみんなが食うおでんとは別物なのだ。

 

 

其れは従妹が持って来た味噌おでんなのだ。

 

其の味噌おでんとはな、こんな寒い時にこそサイコーに美味いものなのだ。

でも普通はみんな味噌おでんなど食ったことが無い筈だ。

 

其れも愛知県人と岐阜や三重の人間以外は。

 

だが味噌おでんとはな、例え歯が痛くて死にさうでもどうしても食いたくなるソウル・フードなのだ。

 

 

うわあー、コレが味噌おでんか。

何?三重の東和食彩と云う会社が作った味噌おでんだな。

 

何と八丁味噌百%使用とのことだ。

ドレドレ、

 

國産大根壱個、

厚揚げ壱個、

しらたき壱個、

こんにゃく壱個、

たまご壱個、

とさう書いてある。

 

では此れをどう食うか。

1.御飯パックを温める

2.レトルト味噌おでんを温める

3.両者を🍚にぶち込み再度温める。

 

此れがね、實はクソ美味かった訳だ。

其の味噌飯と云うのは結構昔から名古屋人がやって居ることだ。

 

但し同じ味噌でも白味噌やミックス味噌よりも赤味噌の方が味が濃いのでより御勧め出来る。

ちなみに信州味噌などでも此の飯のぶち込みは出来こちらもなかなか美味い。

 

要するに味噌おでん🍚を作ったのである。

 

 

尚、味噌煮込み饂飩はこんな寒い冬には特に美味しいものだ。

尤も其れは大阪発祥のアノかにすきのやうに壱種洗練された食べ物なのでは無い。

 

第壱三河産の赤味噌は少しだけれど匂うので其れが敬遠されることなどもまたあるのではないか。

尤もアノ臭い水戸の納豆は美味いのである。

 

つまり赤味噌も至極美味いのである。

 

其の味噌煮込み饂飩は観光用の高級品では無く百円位のものをスーパーにて買って来る。ー名古屋のスーパーには大抵は何処にでもあるー

ところが其れもまた實に美味いのである。

 

其の味噌煮込み饂飩をまずは煮る。

其処にちくわをぶち込む。

 

さらに卵をぶち込む。

饂飩を食ってからさらに飯をぶち込む。

 

 

うわあー、腹が膨れたぞー。

其れにも増して何かかうとても温かい。

 

其の赤味噌の汁がさうして物凄く體を温めて呉れる訳だ。

そんな訳で今年の冬は至極寒かった故かそんな赤味噌のものを良く食って来たやうに思う。

 

さらに弐日前に従弟の嫁ー飛騨高山の出ーが来て赤味噌の味噌汁を置いて行った。

 

其れをさっき食ってみたところ、まさに感動した。

 

何故なら其処には里芋が入って居たのである。

其れにシメジなのか何なのか、兎に角キノコが入って居る。

 

さらに牛蒡までも入れてあるではないか!

其の牛蒡、我の大好きな其の牛蒡が!

 

 

要するにあれこれと話が伝わり家の食の好みがすでに分かって居るのである。

 

赤味噌の味噌汁に里芋を入れると其れも良く煮ると次第にドロドロになって来る。

其のドロドロなのが體を温めるのだ。

 

ところが、半世紀程前に家の母が其れを朝や晩に作ると下宿人達が如何にもまずさうに其れを啜って居たものだった。

ー我が家は拾部屋以上あり昔は空き部屋を利用し下宿をやって居た。主に大學生を其処に入れて居た。ー

 

 

北陸の人、また九州の人、知多の知り合いの娘さんであるお姉さん。

そんな人が入れ替わり立ち代わり入居して小学生の我や弟の遊び相手になって呉れたものである。

 

北陸で役人になった人が居てまた九州に帰り警察官になった人や御坊さんになった人や其れからお姉さんは金持ちの家に嫁いで行った。

また中には其の赤味噌のドロドロの里芋の味噌汁を飲めない人も何人か居たものだった。

 

だが我は今かうして還暦を過ぎ思うのだ。

まさに其の赤味噌のドロドロの里芋の味噌汁こそが我が家にとっての、さうして我自身にとってのソウル・フードだったのだと。

 

 

此処弐年程は母も台所へ立つことは無いのでもはや其のものを食すことは無い。

だけれども其れに似たものをかうして従弟の嫁が作って来て呉れたのだ。

 

尚家の赤味噌三河八丁味噌の中でも特に高級なものを昔から選んで居り其れ等は値段としては矢張り高価である。

 

つまりは其の赤味噌文化こそが名古屋のまた三河の其の命の母としての味である。

だが最近の若い姉ちゃんたちはそんなものは作れぬ可能性が高い。

 

此の味噌おでんと味噌煮込み饂飩をしこたま食って居る我はワクチンを打って居ないにも関わらずしかも感染症には弱いと云うのにコロナなどにはやられやしない。

 

 

其の九州へ戻り警察官になった大學生に我は勉強をみて貰って居た。

其の方はとてももの静かな人で余り九州人らしくは無い人であった。

 

其の後家にお世話になったとのことで立派な博多人形が送られて来其れが今でも家の応接室に飾られて居る。ー家は屡下宿代の支払いを延ばして居たものだったー

やがて家庭を築き子供が出来幸せさうな写真が何枚か送られて来た。

 

だが其の人は三拾歳程で死んで仕舞ったのである。

 

共に勉強を見て貰って居たOはとても馬鹿だったがやる気だけはあったのか今は水道工事だか何だかの會社の社長をして居るさうだ。

さうか、僕の方が頭の出来は良かったのだったが結局僕は頭の使いどころを間違えたのだな。

 

 

かやうに人生と云うものはほんに分からぬものなのだ。

先にどんな目が出るものやらまるで分からぬものなのだ。

 

 

ちなみに東和食彩の味噌おでんは今回初めて食ったのだが其れはまさに感動モノであった。

しかも検索してもまるで出て来ない。

其の味噌おでんだけが出て来ないのだ。

 

ちなみに味噌おでんや味噌煮込み饂飩は家の場合あくまで冬季限定での名古屋メシである。

何故なら夏にはもう食えぬ程に體が温まるからなのだ。

そんな訳で味噌の長く深い思い出と共にかうして名古屋人の生活は営まれて居るのである。

 

さても其れとピエタの壱體何処が関係して居るのだ?

馬鹿者!

 

 

わたくしは今赤味噌のタマシイに就いてあえて長長と語ったのだ。

だから其れがまさに命の母の食いものであらう。

 

其れとパンドーラ―のハコとの関係もいまひとつ良く分からない。

アホたれが!

パンドーラ―のハコがパカッと開いて其の命の母の赤味噌汁が出て来たと云う話ではないか。

 

まさに其れがマリヤ様の無償の愛だと云う御話でもある。

マリヤ様と其のドロドロの赤味噌汁がどう関係するのだ?

 

 

いや君は疑い深くてイカンぞ。

いいかい、食い物はな、あくまで考えるものには非ずだ。

 

食い物はな、何故かしら👩が持って来て呉れるものであり其れが無償の愛、つまりは本能としての愛なのだ。

其の本能としての愛の過去の中にわたくしの思い出が全て眠って居るのだよ。

 

さらに言えばマリヤ様の愛は神をも包括する母の愛なのだ。

其れは所詮本能なのだが極めて美しいものだ。

 

其の美しいものは他面で戦闘をも許す。

其のやうな弐元的展開こそがまさに👩の性なのだらう。