其のうな富士のウナギは幻ともされて居る靑ウナギを使って居るとのこと。
なのでウナギの身自体に臭みが無くしかも肉厚である。
こちらはうな富士から暖簾分けされたおか富士の店主のブログの内容。
さて靑ウナギとは一体何処のものなのか?
結局かういふことであった。
確かに此の靑ウナギは大層美しひものだ。
すると、ウナギにも等級があると云ふこととならう。
なんだけれども、逆に其処に余り拘るべきでは無ひ、と云ふのがむしろわたくしの主張なのだ。
事実わたくしは其のおか富士のうな重弁当も食しむしろうな富士のものよりも美味ひと思ったのだった。
ただし、其の旨さも結局は多分に相対的な尺度であるに過ぎぬ。
旨さは絶対的な尺度にはなり得ず、むしろ其の折の心理状態や腹の空き具合が大きく影響を及ぼすものなのだ。
たとへばいつもは出来の悪ひ子が頑張って社会科のテストで百点を取って来た故其の祝ひにうな丼を食おう。
其のうな丼は別にスーパーの焼き直しのウナギであれまた格別に美味ひものだ。
またいつも根性の悪ひ嫁が心を入れ替へ急に旦那に尽くすやうになった奇跡があったとしやう。
其の折に其の根性の悪ひ嫁がスーパーの焼き直しのウナギでうな丼を作って呉れた。
此れ程旨ひものなど他になからう。
其の旨ひ、には左様に多分に心理が投影されて居やう。
また体調が悪ひ、とか心理的に余裕が無ひ、などの理由で幾ら旨ひものでも美味しく頂けなくなる場合もあるのが人間としての常だ。
だからむしろ厳密には食べ物に於ける価値ヒエラルキーを設定しなひと云ふのがわたくしなりのグルメ哲學なのだ。
なので別に靑ウナギでなひから食わぬ、と云ふことではなく何であれ幸せ♡な気持ちで頂けるのであれば其れでヨシ、むしろ食などは権威化する必要などなく一番凄ひのはむしろ自分で料理を作ることだ。
兎に角靑ウナギはもう食ったので今度は長良川の天然ウナギを是非食ひたひ。
天然ウナギは屡泥臭ひとも言われるが上にもあるやうに清流のウナギはまた全然違ふのである。
ではあっても、別に普通の養殖ウナギであっても何であってもウナギはウナギで其れを御馳走にするか否かはむしろ其れを食ふ方の心のあり方の問題なのだ。
コレもまた実に美味さうなのだが此処に限ればどうも売り切れて居るやうだ。
いずれにせよ宮崎でも沖縄でも何処でもかうして日本産のマンゴーは丁寧にさうして至れり尽くせりで大事に栽培され高値にて売り捌かれていく。
だがコレを見よ。
こんな風にメキシコマンゴーが山と積まれて、しかも一玉たったの一ドルなのだそうな。
-日本のコストコでも此の程度の値段で売られているらしい。かようにメキシコマンゴーは安い果物なのだ。-
確かにアメリカやメキシコではこんなものなのだとして、では何故此処日本ではたかがマンゴー一玉が一萬円もしたりして居るのだらうか。
一萬円のマンゴーが特殊であるにせよ少なくとも千円はすることは確かでたとへ関税が掛かるにせよ何でそんなに高くなるのかと云ふことが納得出来ぬ。
どうも其処にこそ日本社会に於ける根本の問題が潜んで居るやうな気がしてならぬ。
ズバリ言へば其れこそが価値ヒエラルキー型社会の矛盾なのだ。
なんですが、少なくともメキシコマンゴーに限ればたったの一ドルなのだ。
こんなものはどうも其の辺で拾って来たーもひで来たーものではなからうか。
要するに日本産マンゴーの構ひ過ぎ、手をかけ過ぎ、価値ヒエラルキー等級を追求し過ぎの態であるやうにわたくしには見へてならぬ。
つまりは意識過剰、頑張り過ぎ、オモテナシのし過ぎ、観念性が強く働き過ぎの態だ。
で、其れをやって価値は上がるのかと云ふことだ。
勿論価値は上がらう、されど其れと共に値段も上がる。
ところが、今日本の企業は生き残るのに必死で兎に角金ー給料ーを出さぬやうにして来ておる。
ならば結局日本産のマンゴーはもはや食へず食ふことの出来るのは金持ちばかりと云ふことと必然的にならう。
では其処で日本産のマンゴーの価値は果たして幅広ひものとなって居るのだらうか。
逆に狭ひ範囲で、其れも価値ヒエラルキーの上部としての狭きブランド価値に甘んじ、さうかと云って後戻りなどもはや出来ぬので兎に角ブランド路線で行かう。
さうした価値構造は社会が成長して居る場合には何とか持つのだがいざ低成長社会、または高齢化社会となった時に果たして万人に喜びを与へられる価値であるのかと言へば甚だ疑問である。
其ればかりか昨今の日本企業の凋落振り、特に日産自動車が今瀬戸際に立たされて居る点など鑑みても、まさに其の価値ヒエラルキー至上主義による製品の価格の高さ、ブランドイメージの確立に汲汲となる余りにつひ価値過保護となり過ぎつまりは手間をかけ過ぎてしもうた。
確かに日本の製品は壊れず質が高く長持ちしやう。
だが高ひ、値段が高過ぎるのだ。
逆に小泉元バカ首相が給料を抑へやがったので皆派遣社員ばかりとなりボーナスさへまともに出なひ。
其ればかりかこき使われても退職金はちょろりとしか出ず年金と云ったってそんなものは矢張りちょろりとしか出ずまさに八方塞がりだ。
そんなではなくかの松下や本田など昔の経営者のやうに社員を大事にしつつ儲けていくべきだったのだが結局は其れも時代が許しはしなひ。
だからまず其の日本の製品、日本の農産物の値段が何故こんなに高く生活を圧迫し始めて居るのかと云ふ点につき政治家としての小泉の息子は真面目に考へ親父のやった経済的犯罪につき認め兎に角詰め腹を切れ、さうじゃ潔く腹を召されよ。
第一そんな女たらしなどやってる場合では無ひぞよ、そんなクリスタルちゃんだか何だか知らぬが誰も知らぬ間に腹に子まで仕込んでしもうて。
だから関サバ、フグ、靑ウナギなどの高級品には此の際徹底的に高級品税を導入し倍ほどもの値段にして仕舞ふがよからう。
逆に仏菓マンゴーに限り宮崎産を一玉五百円からとして頂きたひ。
さうして日本製品もさうした二極化を徹底させていけば宜しひ。
即ち安ひTV、安ひ車をもっと適当に造り兎に角値段を下げる。
農産物には高級品税分の補助金を充て兎に角もっと全体に安くする。
第一タダのスイカが何で千円もして売られて居るのだ?
資本家からは兎に角金を毟り取れ。
政治家からも兎に角金を毟り取れ。
だから金の無ひ人から金を毟り取ることの決して無ひやうに。
其のブランド価値には多分にまるでユダヤダイヤモンドシンジケートみたく虚としてのブランドの価値観が構築されても居らう。
其のブランド価値を解体することなくば日本経済の再生、ひいては日本企業の復興など有り得ぬと云ふ話じゃ。
日本社会の合理化はすでに行われて来て居るのでは?
いや、全くされてなど居らぬ。
なのに労働だけが合理化されて仕舞うた。
労働即ち生活の糧及び生活自体が合理化されるに及んだのだ。
では天皇制に根本の問題があるのですか?
さに非ず。
さうではなく日本のマンゴーが高過ぎることに問題の全てが集約され噴出して来て居るのだ。
其れから日本のゴルフのプレイフィーが高過ぎると云ふことが。
其の割に賃金が低く必然的にエンゲル係数が高くならうことこそが最大の問題だ。
其の癖常に仕事は頑張ってして来て居る。
頑張るのだが其れでもってモノが良くなれば良くなる程に皆高くなる。
だから其の価値ヒエラルキーを上から下へ、または下から上へではなく二分割していきいっそ両極端に分ける。
高級品と廉価品とに分け、其れでも日本製品はまた日本人は優秀だから決して普及品が粗雑なものとはならぬ筈。
さうして高級品には常に高い税率を掛けよ。
普及品はより安くより信頼に足るものとせよ。
さすれば合理主義により破壊されし中間層を救ひあくまで底辺層とはならうが其処でもって充分に健康で文化的な生活を営むことさへもが可能とならう。
なんで其れは左翼的な思想から導き出される政策ではなく保守の側からむしろ行わねばならぬ修正的な改革であり変更点なのだ。
かくして高級靑ウナギ重弁当は二万円からとすれば宜しひ。
高級かに鮨などは一万円から。
でもスーパーには安ひウナ重が千円から用意されておる。
さらにメキシコマンゴーを百円から売っておる。
政治家の給料は一律で五百万。
ゴルフのプレイフィーは一律で二千円。
高級TV、高級パソコンは一律で百万。
高級車は一律で一千万。
安いTV、安パソコン、ボロ車は一律で一万円から。
かように二元を徹底して意識しつつ日本社会を変革してみよ。
さすればかの国は直ぐに救われることであらう。