目覚めよ!

文明批判と心の探求と

悪なる善としての進化


では其の善なる悪魔としての合理化過程のことをより深く考えてみませう。


ただし元より精神にとっての合理化過程が悪いものであるかどうかを結論として下せるものではない。


何故なら二元的現象世界では善悪や正邪と云った対概念が相対化され規定せざるを得ないからなのだ。



ですが其の合理化がひとつの形として規定されざるを得ないこともまた確かなことなのである。


其れはおそらく過去に対しての違和感として蓄積されていくものとなることだらう。



つまりは過去の常識に対して其れは非常識化していくのである。



結婚つまりは男女の役割の明確化→個の欲望に基づく男女としての役割の分担化


不自由な社会ー一面では自由ー→自由ゆえの不自由な社会


不平等な社会→平等と云う建前のもとでの不平等が蔓延する社会


性の合理化→男らしさと女らしさの喪失




たとへば百年前と千年前を比べると千年前の方が遥かに常識的だったのかもしれない。


でも逆に現在から見れば百年前の方が常識的に感じられるのかもしれない。



このやうに二元的世界では価値基準自体を絶対的に規定することが出来ない。



然し其の相対性をもあへて崩し絶対の領域として固定する試みこそが宗教と云う精神の領域であった。


だから宗教と云うのは普遍的統一、謂わば二元的対立以前での精神的遡及力として示される力そのものであった。

ー其れは謂わば過去へ戻る力のことだ、より本質的にはさうだー




要するに其れこそが精神力だと云うことである。


精神の意味とはまさに其処にこそあり、他のなにものでもなく人間が自らの力で築くものである。




ところが合理化過程が其の精神を変質させ或は破壊していく。



わたくしは其の過程を原始退行による精神の破壊過程としてとりあえずは理論化するに至った。



其の精神への圧迫乃至は破壊をこそ悪の力として規定し批判の対象となして来て居るのだ。



悪とは其のやうに人間の精神を壊すもののことである。




ならば何故女が、女の精神が其の悪そのものなのか?


いや女の精神のみが悪であるなんて実は一言も述べては居ない。



そうではなく其のメス的で非概念的な子宮力の世界即ち本能として規定される暗闇こそが精神にとっての敵だとさう述べて居るばかりなのだ。



従って男性にも無論のこと其れは引き継がれて居る。


ただ其の比率が異なるだけなのだ。



でもわたくしに限れば結構其の悪魔度としての比率が高い。



さうだ、わたくしはどうも悪魔の方がより多い。



ですが概念即ち観念だけが偉いなどとも全く言って居ないのである。


ではありますが、本能がそのままに解放されるとなれば近代的な社会生活などは当然に成り立たない。



其処はむしろ合理化することで本能を抑えて居るに決まって居り其れでもって近代社会は今まで何とか機能して来たのである。




しかしながら、其の合理化による精神の規定には矛盾を生じ易くまさしく其れが利己主義化=悪魔化すると云うことともならう。


だから原始退行化されし精神の変容過程としての利己主義領域がまさに善なる悪魔の過程として推進されかつ絶対化されるに至る。



そしてまさに其れこそが近代に於ける精神と物質の領域に於ける矛盾過程の正体である。



尤も其れ自体は進化乃至は進歩と呼ばれる。



其はこと精神の領域に於いては闇そのものであるがあくまで闇の逆即ち智慧の世界、明知の領域に対する破壊領域なのである。



よって進歩とは其れ即ち精神の破壊のことであると其処に規定され得る。



であるからして、今の常識とはまさしく其の悪魔化過程の内側に生じて居るもののことだ。


ではあっても、基準を何処に置くかと云うことで其の悪魔化を押し止めることが可能だ。



其れはただひとつ、自らが進んで悪魔化されれば良いと云う事だ。


即ち本能として規定される暗闇さえをも自らに引き入れる、謂わば矛盾を矛盾として受け容れると云うことでも其れはある。



されど無論のことやり過ぎれば即人間としての精神が破壊されやう。


なので注意深く其の事を行わねばならない。



常に節度を保ち逆を見かつ行うことで其の事がなろう筈だ。


謂わば善なる悪ではなく悪なる善としての破壊無き智慧の推進がまさに其の事に当たる。




さて明知とは、無明の対概念にして逆の言葉である。


無明とは本質的暗愚つまりはバカのことである。


対する本質的な利発さのことを明知と云い表す。




謂わば明らかに見える者程逆に悪をそして腐敗を受け容れるのである。


然し其処に埋没するのでは決してない。



ただ其のやうに観て居る。


俯瞰しつつそのやうに観察するのだ。


だが観察するだけでは悪の実体は捉えられない。



其処はかってかの空海が述べたやうに、実践でしか悪の正体は捉えられないのである。


また女の正体も然りである。



矢張り女のア○コの力は実際に其れを拝んでみないととうてい分からない。


ですが其処であくまで其れに触れることのなきやう。



そしてわたくしの悪魔発言は差別発言には非ず。


女が悪魔であると同時に聖母であるとさう言うて居るのであるからして。


だから頭の悪い人々は其処だけは決して間違へないやうに。



そして男性もまた悪魔でありかつ聖なるものだ。



ただし其の分離の比率が女に比せばより少ない。


逆に言えばより現実的ではなく現象としての主体性には欠けるのである。



それで、一歩間違うと悪を向くことで悪にも染まり易くはならうがそんな時はむしろあへて悪に染まってみる。


第一こんなクソ真面目な哲學ブログを読んで居なさるアナタ様に限り犯罪者そのものとなることなどは考えにくい。



だからたった今からギャンブルは解禁じゃ。


さらに飲酒も解禁。


お次にSEXも解禁。


ただしパートナーとだけが解禁。



で、合理化であるが、基本的には合理化も解禁。


ただし精神の合理過程にはしつこく反対していきたい。




尚精神は逆に縛ることでこそより豊かにならう。


たとへば学校の勉強はあんなに嫌であったが今思へば其れが役立ってこその今がある。


たとへば宗教は嫌ひだが宗教こそが其の精神の非合理過程=安定化の領域を形作る。



さういふ領域を修めた上での破戒であり推進であることこそが大事だ。


少なくとものべつまくなしの自由だ、悪の追求だ、悪の権化だ、悪魔化だ、犯罪の追求だ、欲望の爆発だ。


といふやうには絶対にならないやうに。




どうだ、何だかとても自由だらう。


楽になったであらう。


だからさういう自由は無論のこと認められるのである。


其れが分かっただけでも大した君の進歩だ。



まさに其れが脳みその進化であり精神の進歩と云う事なのだ。